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2013/01/13

池田晶子『死とは何か』 さて死んだのは誰なのか<2>

<1>からつづく

死とは何か
「死とは何か」 さて死んだのは誰なのか<2>
池田晶子 /わたくし、つまりNobody 2009/04 毎日新聞社 単行本 254p

1)池田晶子には単行本・文庫本を含め50ほどの著書がある。その最初が1991年で、2007年に46歳でなくなるまで、年に数冊というハイペースで書いていたことになる。

2)そもそも著者については何も知らなかったし、その後も調べていないが、この「死とは何か」という本が、ほぼ同時に複数の他社から「私とは何か」「魂とは何か」という三部作として、装丁もまったく同じで出た時に、おお、と興味を引かれたのだった。

3)これら三冊の初読の時は、この「何か」という疑問視が気になった。長年、「私は誰か」という公案に慣れ親しんできた身としては、「私とは何か」という問い掛けは、正しい問い掛けではないように感じた。

4)そして、「死とは何か」という問い掛けも、違うのではないか、と感じた。死については、「いかに死ぬか」という問いが正しいと思えたのである。

5)たまたまではないだろうが、敢えて彼女の業績を「死」と「私」と「魂」の三題話でまとめようとしたのは、夫をはじめとするNPOの人びとや編集者たちだっただろうが、うまくここに集約したものだ、と感心した。

6)たぶん、当ブログの関心も、この三つのキーワードに集約することが可能なはずなのである。当ブログのテーマは、科学、芸術、意識である。ここにもうまく対応しているのではないだろうか。

7)「死」については、敢えて「科学」を対応させる。脳死や臨死体験など、死は科学的に照明できるかどうか、というテーマはあるが、実際は、死、私、魂、の三題話の中では、死が一番、科学と整合性がある。つまり、いずれにせよ、すべての「肉体」は「死」を迎えるのは間違いない。もっとも科学的にしやすいはずなのである。

8)それに比したら、「私」や「魂」は、科学ではたどりつかないだろう。「私」と相性がいいのは「芸術」だ。「私」が表現するからこそ「芸術」なのであり、その多様性は、「私」の無数の多様性にうまく対応している。また「芸術」が求めているのは結局は「私」だ。

9)残るは「魂」だが、こちらも残った「意識」に対応させるしかない。「宗教」とか「精神」とか「神秘」とか「心理」とか、他にもふさわしい単語もありそうだが、当ブログでは「意識」という単語を使っている。死=科学、私=芸術、魂=意識、という対応図を見ている限り、池田晶子と当ブログの親和性は、非常に高いといえる。

Ikeda

10)彼女が哲学を学ぶために通った学校で、私もまた心理学や哲学を学んだことがあるわけだから、そんなところから親和性が湧いてきているのかな、と一瞬思ったが、必ずしも、そればかりではなさそうだ。

11)彼女の業績は「哲学エッセイ」という「文芸」ジャンルに便宜上振り分けられている。彼女の文章はわかりやすい。とにかく面倒そうな哲学という奴を、あの美貌で、さりげなく語られると、ついつい引き込まれていってしまうのだ。

12)しかし、それでも初読時にはクレームをつけておいた。私は誰か、いかに死ぬか、という問い掛けに妥当性があるとするならば、さて、魂は、どのようなスタイルで問いかけられるべきであろうか。疑問詞5W1Hのうち、もっともふさわしいのはどれか。

13)まず、Whatは拒否したわけだし、Whoは「私」に譲った。Howは「死」に譲ったのだから、残るは、When、Whyと、Whereしか残っていない。私はこの3つの中からWhereを選んだ。「魂はどこにあるか」。これが問い掛けとして「魂」にとって一番ただしいのではないか。

14)もちろん、魂は心臓にあるとか脳にあるとか言われているが、おそらくこれらは簡単に否定されていくはずなのである。端折って言えば、魂はどこにもない。これが結論だ。「死」なんかない、「私」なんか誰でもない、という結論に合わせれば、「魂」などは「どこにもないのだ」。

15)しかし、どこにもないけれど、いたるところにある、という結論に帰着するはずなのが「魂」なのである。こまかい経過は、ここでは展開しないが、なにはともあれ、そうであるはずなのである。

16)当ブログの過程は、そのカテゴリ名でわかる通り、そのものズバリの「私は誰か」に始まり、「死」の裏返しである「地球人として生きる」を通過し、「意識とは何か」を通り越して、「メタコンシャス・意識を意識する」まで到達していた。

17)もっとも肉体や物質から遠ざかったつもりでいた時に、やおら揺り戻されたのは「森の生活」であった。もちろん、その大きな原因は3・11であったが、その直前から不思議な傾向があったといえる。3・11後も当ブログは「メタコンシャス」路線を突っ走ることは可能だったはずなのであり、今からでも復帰することは可能であろう。

18)しかし、敢えて当ブログは「Meditation in the Marketplace」に戻ってきた。戻ってきたばかりか、ここが定位置とばかり、Vol.4まで重ねて展開することになってしまった。おそらくこれで決まりなのだ。Marketplaceに「死」=科学を見、Meditationに「魂」=意識を見る。そして 「in the」に「私」=芸術を見る。

19)今回、再読するにあたりこの「死とは何か」を「哲学」してみると、「魂」についての論及は少なく、また彼女の「哲学」では、さて、「魂」まで本当に行きつくだろうか、と不満を覚える。もちろん、魂に対する論及が弱いのとなれば、当ブログとしては、その「私」や「死」に対する「哲学」も、必ずしも納得できるものではない、となりかねない。

20)じつのところは宗教にも、死とは何かはわかってはいない。いや正確には、生きている限りの我々誰にも、死のことは絶対にわからないのである。わからないからこそ、それは謎なのだ。精神を捉えてやまない謎なのだ。 

 古代の教祖たちが提示したのは、この謎の存在と意味についてであって、決してその解答ではない。解答可能なものは、謎ではないからだ。これを逆から言えば、なんらかの解答を与えているかのような宗教を、信仰する理由はないということになる。p12「精神を捉えてやまない謎」

21)彼女の「哲学エッセイ」は、このようなスタイルで貫かれているからこそ読みやすく、マスメディアのポピリズムにもうまく対応したといえるだろうが、これでは、「死」と「私」、「科学」と「芸術」までで、「魂」や「意識」には到達することはできない。

22)死ぬとはどういうことなのか。これが私の年来の疑問であった。その裏返しはむろん、生きているとはどういうことか。これを知り、これを納得してからでなければ、人生はいかに生くべきかなど、問いとしてさえあり得ないではないか。p73「こんなふうに考えている」

23)彼女の哲学はここにとどまり、その哲学エッセイはついには「芸術」で終り、魂や、意識というレベルには到達しない。シュタイナーの「死について」やヘミシンクの「死後探索」のような見てきたような「芸術(つくりごと)」にも納得いかないが、池田晶子の小気味よさも、いまいち深まっていかない。

24)「人生とは何であるのか」とは、改めて問うてみると、なんか当たり前で馬鹿みたいですが、まさか、とんでもない。この問いのとんでもなさに気がつかないのは、問いの問い方を誤っているからに違いない。p96「問いの構造」

25)ここでの彼女の直観は正しいであろう。彼女の問い掛けはどこか違っている。問いは問いとしてあり、究極の問いには答えはない。これが正解である。

26)ソクラテス 死ぬとはどういうことなのかわからないから、僕は哲学しているのであって、哲学すれば楽に生きられるかもしれないと思うから哲学しているのではない。p154「あたしは悪妻クサンチッピだ」

27)無知の知。知りえないことがある、ということを知ることこそ、神秘への旅立ちであり、マーケットプレイスへの帰還であるはずである。

28)科学の限界を認識しつつ、しかし宗教に肩入れせず、それらを正確に「考える」ことができるのが「哲学」、その本来の役割なのだ。p180「しごとのデッサン」

29)今回の彼女の生における「哲学エッセイ」は、この辺りに座礁してしまったのだろう。

30)最後になりますけれども、謎、謎を自覚するということに尽きるということ、私は必ずここに戻ってきてしまいます。たとえば、普通我々はあまり気にしないで、私が死んだらという言い方をしますけれども、この場合、時間というものを前提としているわけです。でも、その時間とは何かと考えると、またこれもまた難しい問題がでてきて、過去も未来も現在も観念だということがわかります。p243「存在の謎は、果てしなく」

31)おそらく彼女は、その問いかけを間違ったのである。何事でもWhatで問いかけてしまった。そして答えを期待した。WhoとかHowとか、Whereで問いかけて、しかも答えなど期待しない時、観念などはるかに超越した「実存」が現れたはずなのである。

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