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2013/01/12

Osho『死のアート』<4>

<3>よりつづく 

死のアート
「死のアート」 <4>
OSHO /スワミ・ボーディ・マニッシュ 2001/04 市民出版社 単行本 401p

1)原題The Art of Dying は 76/10/11~76/10/20 の10日間にインド・ブッダホールで行われた講話。題材はユダヤ密教ハシディズム。実際には、講話とQ&Aが一日交代で行われているので、講話そのものは5日間である。

2)何回か読みなおすにあたって、今回は、この講話部分だけをまず読んでみることにした。いつものことだが、Oshoを読み始めると、なかなか10日分の講話を読みとおすまでに、どこかで引っかかって、なかなか一冊を読みとおすということができない。今回はとにかく全体をまず読みとおそうと思った。

3)Oshoを読むことは私にとっては、通常の「読書」と意味が違ってくる。一冊の本を読んだ、という達成感もあまりないし、なにか知識を得た、という所有欲も満たされない。なにかかにかの公案を渡されて、振り出しに戻る、ということが、たびたび発生する。

4)この本においても、そうだ。過去に何回か読んでいるにも関わらず、またふたたび新しい局面に自分が投げ出されているような、ある意味新鮮な、ある意味不安な環境に陥れられる。

5)あなたが客体の世界にいるなら、私は、「主体を探しなさい。そこに神がいる」と言う。あなたが主体の世界にいるなら、「さあ、越えなさい。神は主体の世界にいない、神は超越している」と言う。やがて人は、捨て続けねばならなくなる、落とし続けねばならなくなる。

 主体も客体もないとき、物も思考もないとき、この世もあの世もないとき、神がいる。物も心もないとき、神がいる。

 神は物でも心でもない。だが、神には物も心もある。神は途方もない逆説であり、絶対的に非論理的であり、論理を越えている。

 木や石で神の像を作ってはならない、観念や知識で神の像を作ってはならない。あらゆる象を溶かしたとき、内ー外、男ー女、性ー死、あらゆる二元性を溶かしたときに残るのが、聖性だ。p344「超越するものと一体になる」

6)彼は、ある時には、神や宗教、という単語を徹底的に排除しておきながら、次の局面では、あっけらかんと、神や宗教という単語や概念を、メタファーとして登場させる。彼の講義から「哲学」を作ることは難しい。難しいというより、不可能だ。生半可に取り組むと、ただただ、次から次と虚構がへがされる。あるいは、上手に取り組んでも、結局、中途半端なメタファーや論理はこなごなに砕ける運命にあるのだ。

7)まず物から思考へ、次に思考から思考者へ。物は科学の世界、思考は芸術の世界、そして思考者は宗教の世界だ。ひたすら内に向かいなさい。第一は、あなたを取り巻いている物、第二は思考。第三は中心、まさにあなたの実存は意識に他ならない。目撃に他ならない。

 物を捨て、思考の中に入る。そしていつかは、思考をも捨てなければならない。するとあなたは、あなたそのものの中にひとり残される。完全にひとりきりになる。

 聖性はその孤独の中にある。その孤独の中に解放が、解脱がある。その孤独の中で、はじめてあなたは真に存在する。p339同上

8)科学→芸術→意識、の図式の別バージョンである。

9)生はどこでも終わらないし、どこでも始まらない。私たちは永遠性の中にいる。私たちは始まりのときからずっとここにいる----始まりというものがあったらの話だが。そして終わりのときまで、ずっとここにいるだろう----終りというものがあったらの話だが、実のところ、いかなる始まりも終りもあり得ない。

 形、体、マインドが変わろうとも、私たちは生なのだ。だが、私たちが「生」と呼んでいるのは特定の肉体やマインドや感情と同一視されたもの、そして「死」と呼んでいるのは、その形や肉体や観念から出ていくことに他ならない。p19「生のあり方」

10)昨年は立て続けに古い友人たちを喪い、すこしは深刻なムードを味わっていたいと思う。新年早々からやりすぎかな、と思う。そんな思いはOshoは一気に吹き飛ばしてしまう。Oshoとともにあっては、深刻なままではいられない。

11)生は技術ではない。科学ですらない。生はアートだ。というより、むしろ、直観と言った方がいいだろう。あなたはそれを感じなくてはならない。生は綱渡りに似ている。p124「綱渡り」

12)何度も読み返した本であるし、どこか他の講義で聴いているはずのフレーズであるはずなのだが、毎回、哲学しようとする思考は、無思考の実存へと押し返される。

13)今日では、あらゆるものが重なり合い、莫大な知識が手に入るようになった。私たちは、「知識爆発」の時代に生きている。この爆発の中でなら、情報を集め、いちも簡単に、いとも手軽に大学者になれる。けれども、あなたには何の変容ももたらさない。p188「所有と実存」

<5>につづく

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