『ウェブ人間論』 梅田望夫/平野啓一郎 <3>
「ウェブ人間論」 <3>
梅田望夫/平野啓一郎/対談 2006/12 新潮社
新書 203p
★★★★☆
1)久しぶりにこの本を手に取った。なんと6年ぶりである。そうか、6年が経過したのか。最近「ウェブ進化論」(2006/02 筑摩書房)を再読した。当時の状況が思い出される。こちらはおおよそ7年ぶりであった。
2)「ウェブ人間論」は「ウェブ進化論」の続編である。そういうアナウンスがあったから、かなり期待して待っていた。濃厚な「決定版」のようなものを期待していたのである。しかし、それは見事に裏切られた。数か月の執筆期間を費やして書かれた前著に比べれば、続編は、二日間にわたったとは言え、二人の対談をまとめたもの、という形だった。
3)平野啓一郎という作家についてはまったく未知だったので、そちらの認知にも時間がかかったのだが、若い二人の対談に、あれこれ啓発されるところがあって、あちこち支線に入り込んで調べてはみたが、結局は、「人間論」としては、当ブログとして納得がいくものではなかった。
4)この平野という若い作家が、先日、NHKテレビにでていて、そういえばこんな本もあったよなぁ、と、こちらを再読したのだった。平野は作家なので、別途、小説から彼をせめようとしたが、小説が苦手の当ブログとしては、まだ未読になったままである。いつかは読む。
5)今回、当ブログも一巡して、またこの書を読んで確認しようと思ったのは、一読書子としての当ブログは、結局は読みたいところだけを読み、関心のないところは大きく読み飛ばしているのではないか、という反省からだ。読み飛ばしはいいとして、大事なところを「読み落とし」ているのではないか、という危機感である。
6)特に、最近は、当ブログの中では、大きく、スティーブ・ジョブズとアップルの復権がある。その象徴=アイコンとして、iPadを中心に据えよう、という蠢きさえ、始まっている。そこんとこ、私は、いままで恣意的に読み落としてきたのではないか、という大きな反省がある。
7)結論から言えば、「ウェブ進化論」にしても、「ウェブ人間論」にしても、ジョブズやアップルについても、常に言及している。そのポイントの強弱はあるが、触れられていない、ということはない。私が常に読み落としてきたのである。
8)今あらためて、当ブログにおけるジョブズの復権を体験してみると、当ブログにおける重要なキーパーソンとしてのOshoに匹敵させるには、ジョブズはなかなか好漢なのではないか、ということだ。
9)ここでまた当ブログの悪癖がでて、じゃぁ、当ブログの三コンである、科学、芸術、意識、の中の、どちらがどちらに当てはまるだろう、なんてことを始めてしまった。とするなら、もう一人、誰か登場してもらい、三者三様の立場から考えてみよう、などと思い立った。
10)いろいろ逡巡したあげく、三人目として登場させようと思い立ったのは、石川裕人である。
11)あえて言うなら、科学=ジョブズ、芸術=石川裕人、意識=Osho、と振り分けることも可能であろうが、これには無理がある。人はそれぞれに、この三つの要素をそれなりのバランス配分で持っているのであり、それを恣意的に分割するのは不可能である、と当ブログは最近ようやく気がついた。
12)もし、この「ウェブ人間論」がとても素晴らしい本だったら、当ブログのタイトルは「地球人」という単語に至らなかっただろう。どうもあの人間論がいまいちだったので、では当ブログとしては、暫定的に「地球人」という仮称でもってそのコンセプト枠を確保しておき、内容を探そう、と言うスタイルに、だんだんと落ち着いてきたのだった。
13)最近は、ジャック・アタリの「まぼろしのインターネット」(1998 丸山学芸図書)や、「21世紀の歴史 未来の人類からみた世界」(2008 作品社)などが面白そうだなぁ、と思い始めているが、両方とも小説なので、未読である。たぶん(!)、読んでしまえば、また期待に反して裏切られるのであろうが、少なくとも、この「ウェブ人間論」の後継をいくつかは見つけてきている。
14)実際は、梅田望夫のさらなる後続の著書に目を配ったのだが、まぁ、一括するに、ない物ねだりであった、と総括することができる。
15)しかしながら、いざ今回再読してひととおり読み直してみると、面白い。少なくとも、当ブログにおいて、「チベット密教」と「私が愛した本」の二冊とともに、頑健なトリニティを組んできたのが「ウェブ進化論」であってみれば、この「ウェブ人間論」も、再読する価値そのものはある。
16)ただ、視座を得てはみたものの、読者としての恣意的な読み方があり、勝手な解釈によって、見落としてしまったことが多くあることにも気づく。もちろん、著者たちも、あえて外しているテーマもある。それを鵜呑みにして、これで全体と思っていると、未来において大きな不足をかこつことになる。
17)「ウェブ人間論」というタイトルの本書は、「ウェブ・人間論」と「ウェブ人間・論」との間を往来していると言える。
ウェブが広く人間にどう影響を及ぼしていくのか、人間はウェブ進化によってどう変容していくのだろうかという意味での「ウェブ・人間論」。
グーグル創業者や世界中に散らばらるオープンソース・プログラマーのようなウェブ新世界を創造する最先端の人々、ウェブ進化とシンクロするように新しい生き方を模索する若い世代、そんな「ウェブ人間」を論ずる「ウェブ人間・論」。
この二つの「論」がクモの巣(ウェブ)の放射状に走る縦糸と同心円を描く横糸になって、本書は織り成されている。そんな視点から改めて本書を眺めていただくのも一興かなと思う。p202 梅田望夫「おわりに」
18)あえていうなら、当ブログは、このたとえの中の前者「ウェブ・人間論」に強い関心を示したのであり、縦糸にばかり興味を持っていた、ということもでできる。
19)そもそも「人間論」としては、当ブログの場合は、Oshoありきである。私はその門弟であり、そのムーブメントのなかにあることをよしとする。だから、「人間論」としては、本当は、Oshoできまりなのである。
20)しかるに、3・11後にジョブズが亡くなることによって、その人と成りにつよく関心を持つようになり、横糸としての「ウェブ人間」としてスティーブ・ジョブズを代表格に思うようになった。その最終的な果実であるiPadを愛でながら、ウェブ全体を考えようとしている。
21)さらにいえば、ここで石川裕人のことを考える。彼はたしかに生涯に渡ってアップルのユーザーではあったが、かならずしも「ウェブ人間」ではない。もちろんである。彼は「演劇人間」であった。私は彼を、私の「人間論」のなかの重要なポイントに位置づけたい。
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コメント
なにはともあれ、2・0においてもこの本に触れていたことを確認した。この段階においても、まだ「人間論」は成熟していない。
これからだ。
投稿: Bhavesh | 2018/07/09 12:06