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2013/02/18

『禅と林檎』 スティーブ・ジョブズという生き方 角田泰隆・他


「禅と林檎」 スティーブ・ジョブズという生き方 
角田泰隆 2012/04 宮帯出版社 単行本     223p
Vol.3 No.0920★★★☆☆

1)資料としては貴重な一冊といえるだろうが、読後に、深い感動がない。せっかくのジョブズとZENというテーマながら、なにか、とってつけたような説明文に徹している。つまり、禅者としての、一人の地球人としての「覚悟」のようなものを期待すると、空振りに終わる。

2)これまで、似たようなテーマ本はこの本を含めて三冊読んだ。
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「スティーブ・ジョブズと『禅』」(日経おとなのoff 2012年6月号)、ケイレブ・メルビーのコミック「ZEN OF STEVE JOBS」もいまいちだったが、このこの「禅と林檎」は他書2冊よりましかな、とは思うが決定打にはならない。

4)もちろんこのテーマとなれば、鈴木俊隆「Zen Mind, Beginner's Mind(禅へのいざない)」も外すわけにはいかないが、積極的にジョブズが表現されているわけでもないし、うまく統合されているわけでもない。

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5)今のところは、大変不満ながら、これらの類書のあるやなしやに目を光らせていきたい。

6)「禅と林檎」の長所と短所は同根である。駒沢大学の教員7人が総がかりで書いているために、伝統的な曹洞禅については、断片的ながら間違いは書いていないだろうし、網羅的に紹介されているはずである。

7)しかるに、であるからこそ、伝統禅に引きづり込みすぎていて、ジョブズの魅力が余すことなく紹介されている、という訳にはいかない。どこぞの日本の禅院にあって、土産物コーナーあたりの一冊として鎮座していても、なんの違和感もないだろう。あら、あんな有名な人も座禅していたのね、と、ますます禅の人気は上がるだろう。

8)でもでも、それでいいのか。本当は、私の最近の受け取り方から考えれば、ジョブズのライフワークは、下手すると、伝統禅のひとつやふたつ、ぶっ飛ばしてしまうほどのイノベーションを起こしているのである。つまり、伝統禅の中に、おとなしく、行儀よく収まっているようなジョブズであれば、アップル(林檎)革命なんか起こせなかっただろう。

9)彼の師となる乙川弘文もまた、つまりは日本の伝統禅には飽き足らずアメリカに渡ったはずである。日本の禅院の動きを知っていたからこそ、乙川は、一時ジョブズが日本で出家したい、と申し出た時に、やんわりとそれを戒めたのではなかったか。

10)たまたまジョブズは禅をかじり、そして、さらに「たまたま」世界の偉人のリストにその名を連ねることができた。もし、ジョブズが挫折していたら、日本の伝統禅は彼になど見向きもしなかったのではないだろうか。ジョブズがでていなかったら、乙川など、日本の禅院では話題にすらならなかっただろう。

11)あるいは、たまたまジョブズのスピリチュアリティにヒットしたかに見える禅ではあるが、本当に、最後の最後まで、ジョブズは禅の「理解者」でありえただろうか。ジョブズが多くのヒントを禅から得ていることは間違いないだろう。しかし、安易な禅とジョブズのもたれあいには、どうも違和感を持つ。まだ煮詰められていない、なにか、最終課題が残されているのではないか。

12)この本の、第1部の「ジョブズから学ぶ生き方」に比較すれば、第2部の「日本の禅から世界のZENへ」のほうは、まだしも当ブログの流れににはより即した内容となっている。カウンターカルチャーやZENヒッピーたちに影響を受けたジョブズを一例にしながら、アメリカ(そして西洋)の精神性の変異を捉えている。

13)この本、伝統禅とはいうものの、所詮は道元までで、せいぜい中国禅に道元の足あとを見つけようとしているだけである。禅というなら、ボーディ・ダルマまでたどらなければならないだろうし、インドのマハカーシャッパへのルーツ、そしてゴータマ・ブッタその人にまでさかのぼらなければならない。さらにはブッタ以前についても問われなければ、ジョブズの「禅」は解明されないではないか。

14)逆に、大きな流れを考えればこそ、いま「ジョブズの禅」の現代性、未来性が読みとれてくるのではないか。ジョブズは禅のおかげでアップル文化を作った、だから日本の禅文化は素晴らしい、というような短絡的な結論であるなら、この本は、実に噴飯もの、ということになってしまう。

15)この本の著者たちは、ジョブズと同時代人(あるいはやや後輩)である。伝統に逃げることなく、内部からのイノベーション的生き方をすることこそ、道元の弟子だろうし、ブッタの弟子であろう。そうであってこそ、禅と対比するかたちで「林檎」を語る資格を得るに違いない。

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