石川裕人・作『THE RIVER STORY』~水鏡の中の不思議な世界~AZ9ジュニア・アクターズ結成20周年記念公演
「THE RIVER STORY」~水鏡の中の不思議な世界~AZ9ジュニア・アクターズ結成20周年記念公演 2013/2/10~11 宮城県大河原町えずこホール
Vol.3 No.0914★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
1)AZ9(アズナイン)とはよく付けたものだと思う。誰がつけたのだろう。このネーミングが秀抜だ。Aは阿武隈川を表し、Zは蔵王連峰を表す。9は、その阿武隈川と蔵王連峰を共有する周辺の9市町の連合体を表している。
2)その行政区が共同して、子ども達を育成するための演劇グループを運営している。主体となるのは小学五年生あたりから中一くらいまでなのかな。いずれにしても、宮沢賢治の「風の又三郎」をイメージするような、まさに幼年期から少年期・少女期に移ろうとする子ども達が主体となっている演劇活動である。
3)今年で20年になるという。いくつかの後援もつき、なにやら国からもなんとかいう賞をもらったことがあるらしい。私はまったくこれらの活動を知らなかった。地域もちがったし、関心の行き方もちがっていた。
4)しかし、去年の秋から、今年の、この公演だけは絶対に見逃すまいと思っていた。昨年、石川裕人が亡くなった。というか、本当に、亡くなったのだろうか。私は、それを、まだ確認できていない。とにかく、彼の死に際して、彼の作品リスト群を見直すことによって、初めて、このような活動があることを知ったのである。
5)彼は、大河原町のえずこホールが会場となった1997年から、16回に渡って、このAZ9に演劇シナリオを提供し続けてきた。本当は、今回も、新作を準備していたに違いない。しかし、彼は昨秋、病に倒れた。この「THE RIVER STORY」は、2004年、第11回公演ですでに上演されたものの再演である。
6)石川裕人は、再演を必ずしも好まず、つねに新作を掛けるのを自らの志としていた。それだけ、多作な作家だったと言える。本来なら、3・11を踏まえた上で、なにか、彼なりのメッセージ性のあるシナリオを計画していたのではなかっただろうか。
7)しかし、それはままならなくなった。
8)この演劇、私は、最初の最初から、なんだかウルウルした目で見ていた。二時間という長い時間を、10歳や11歳の子ども達が、本当に演じ切れるものだろうか。だが、終わってみれば、待ち時間も含めた2時間半という時間が、あっという間に過ぎた。
9)私は、物語をダイジェストする能力もないし、批評する能力もない。なにかと比較して、あれやこれやということも、得意でもないし、やりたくもない。徹頭徹尾、この子ども達が主役であるこの演劇は、めくるめくストーリーの展開で、なるほどなるほど、の連続であった。
10)客演の、ご存知、小畑次郎の幻燈屋のオジサンの役は、前回11回公演の時は、石川裕人本人が演じたらしい。演出をずっと手がけてきた渡部ギュウは、最後まで裏方に徹して、子ども達を引き立てつづけた。照明の松崎太郎とか、映像制作の大宮司勇といった人々も、なにやらここいら辺りでは超一流のスタッフ陣らしい。
11)でも、誰がどうというわけではなく、子ども達ひとりひとりのエネルギーが光っていた。あれが演技というものかどうか知らないが、しかし、あれほどまでのストーリーを、ひとりひとりがよく、あの長い台詞を覚えたものだ。そして振り付けもダンスも、とても生き生きしていた。それぞれが、やりたいことをやる、という、そういうエネルギーあふれるものだった。
12)宮城と山形の県境、七ヶ宿金山峠の「鏡清水」のあたりの、新鮮な水が四季を問わずちょろちょろちょろと耐えることなく湧き出ている森の中。
ある日、地元の小学生たちが野外観察会で訪れます。すると、突然不思議な光の中から昭和の時代の子どもたちが現れ、過去と現代の子どもたちのちぐはぐなやり取りが始まります。それはやがて小競り合いとなり、現代の少年が川に足を滑らせてしまうのです。
ここからが、不思議な世界の体験の始まりです。
大きな川の上流の小さな小さな川べとその水底の物語。
そんな水の中に住むたくさんの生き物たちが水鏡を覗いたみたいに飛び出してきます。
子どもたちの交流と友情を描きながら、物語は、幻のような夏の一日を描き出していゆきます。
さあ、あなたも一緒に川の旅に出てみましょう。(公演パンフレットより)
13)私は特段の演劇ファンでもなければ、よき石川裕人の理解者でもない。たんなる初老のおとこである。面白いものは面白いと思うし、そうでないものは、そうでない、と感じることができる。あえて言うなら、石川裕人の演劇は、どちらかというと難解なのではないか、と思ってきた。あるいは、簡単なものを、難解に、深読みしてみたくなる、クセがあるのである。
14)しかるに、この演劇のストーリーは、実に簡潔で、しかも、どこまでも不思議さが漂う作品のように思われた。
15)たんなる通りすがりの、じいさんの思い込みだが、宮沢賢治が、イーハトーブという世界を描いて、そこに子ども達と遊んだように、石川裕人は、アズナインという、川と山と、そして子ども達に囲まれて、賢治以上に、その世界を満喫していたのではないだろうか。
16)もし、彼の作品が、今後残っていくとするなら、こういう形で残っていくのではないだろうか。あるいは、石川裕人その人が、これからも生き続けるとしたら、きっとこういう形になるのだろう、と思った。孫どころか、子どももいなかった彼だが、肉親以上に、この子ども達を見る目はさらに優しかった。子ども達も、いつかは、そのストーリーに込められた、彼の愛を理解するに違いない。
17)この演劇を見ながら、かたわらの友人の一人として、長いことつきあっていたのに、ああ、私は、彼のいったい何を理解していただろう、と思う。何をやっているかさえ知らなかった上に、そのなかに、どれほどの世界をこめていたのか、そのことをまったく理解できていなかった。また、知ろうともしていなかったのではないか。
18)もちろん、いまでも、よくわかっていないのだが、しかし、すくなくとも16作品の中の、この「THE RIVER STORY」という一作を見ただけでも、これだけ感じるのである。もし、遅ればせながら、他のいくつかの作品をみることができるのなら、もっともっといろいろなことを感じることができるに違いない。
19)年に一回の、今年の公演を見て来たばかりで、こう言うこともなんなのだが、来年は、どういう企画になるのであろうか。新しい別の作家の作品が掛かるのだろうか。それとも、これからは、数ある石川作品のレパートリーの中からの「再演」となるのであろうか。
20)実は、この阿武隈川と蔵王連峰の町々の、いくつかに、知人や身内のなん家族かが住んでいる。小さな子ども達もいる。あの子たちが、縁あって、このAZ9のジュニアアクターズの活動に参加できたら、すばらしいだろうな、と思う。意見を求められたら、今の私なら、絶対賛成するだろう。
21)どこまでもすばらしい作品だった。どこまでも、子ども達が主役の演劇だった。指導した人々、裏方を支えた卒業生の人々、そして、大ホールの観客席を埋めた、多くの大人たち。そして子ども達。みんなが、不思議なストーリーを超えて、ひとつになることができる物語だった。
22)ニュートン、ありがとう。
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