羽倉 玖美子『愛する地球(テラ)に』 女神は夜明けに舞い降りる<7>
「愛する地球(テラ)に」 女神は夜明けに舞い降りる <7>
羽倉玖美子著 2012/12 本の森 単行本 p178
1)当ブログは実に個人的な旅である。それぞれの表現物を借りて、結局は、自分の個人的な心象をメモしているだけで、第三者にとっては意味のない、無駄話で構成されていることが多いに違いない。
2)だから、ここに記しておくことも、よそ様にとっては意味不明で、まったく不用不急な内容であることは当然のことだろう。
3)しかし、自分にとってはどうも気になってしかたないことであり、ここを突破しないと、前に進めない、とさえ感じるほどの心象イメージの拡大であってみれば、ランダムなメモであれ、何はともあれ、足あとだけは残しておこう。
4)当ブログで過去に進行した「プロジェクト567」は未完成なままフェードアウトしている。実際には文字化することの困難な直観の世界であり、記すこともはばかられる、極私的イメージの連続である。だが、実は、そこにこそ、当ブログの真髄があり、当ブログが当ブログとしての目的を達成するとともに、新たなる地平に向けて、ブログという表現形態を越えて進んでいく踏み台の形成の準備があるのである。
(C)Hagura Kumiko
3)56歳と7ヶ月、というのは出口王仁三郎からイメージを借りている。この年齢について当ブログがメモしてきたのは、一度や二度ではない。村上春樹や今東光、曼陀羅やクリシュナムルティ やOsho、今武平、グルジェフ などのイメージを借りて、すでにランダムに提出してきた重要なファクターである。
4)具体的に言えば、自分の人生の中で、このポイントは何を意味するかを、ずっと前から注視していたのであり、そのために、さまざまな準備をしてきたとも言える。準備というよりは、他の雑事を減らし、ノンビリとその時期を迎えようと、してきたということだ。
5)そして、見事にその直観は当たった。その時期をひとつの契機として、様々な変化が起きた。それを7つのキーワード、あるいは身近な事象に置き換えて注視しているのが、いわゆる当ブログにおける「プロジェクト567」である。
6)この実に極私的なプロジェクトを、最初に見抜いたのがこの本の作者である。彼女は、その夏、自らの絵画的作品の個展を精力的に展開していた。自らの活動の総大成ともいうべき長い期間の個展であった。
7)その中心的に位置にあったのが、この大きな絵「ホワイトターラー」である。個展終了後、彼女は、絵に向かって、「あなたは何処にいきたいの?」と尋ねたという。すると聞こえた答えの中に私のイメージがあったということだ。
8)だから、制作中から知っていて、しかも個展でも飽かずに眺めていたこの絵は、結局我が家にやってくることになった。作者もまた、その流れの真意について、必ずしも明確ではない。しかし、我が家にこの絵が着くなり、その意味が解かれ始まった。
9)雑談の中で、彼女は「ではBaveshの56歳と7ヶ月のお祝いということで」とこの絵をプレゼントしてくれたのであった。身に余る光栄な一瞬である。
10)56歳と7カ月を契機として、エコビレッジの可能性が浮上したし、孫たちが生まれてくることにもなった。他いくつかのイメージの中で、この絵は結局わが「プロジェクト567」の6番目に位置することになった。
11)そして、最後に7番目に起こったことが「3・11」だった。
12)あれから3年が経過しつつあり、それぞれがそれぞれ連続的に変容しつつある。そして、別々に起こったことなのだが、ひとつひとつが自らのあるべき位置を求めて動きはじめている。それは全体としての統合性を求め始まっているようだ。
13)私の中では、すでに上のホワイトターラーはサラスヴァティーの中に溶け始まっている。
14)彼女は、その新作「愛する地球(テラ)に---女神は夜明けに舞い降りる」の中で、 サラスヴァティー=弁財天について、大部を割いて述べている。本のタイトルからすれば、この女神というエネルギーの上昇こそ、この本の趣旨であり、彼女の本懐であるに違いない。
15)これは、現前に存在する全てのものを肯定し許している態度だ。物事や他者に優劣や善し悪しの評価をせず、ただ心静かに起こっている事象をあるがままに見る。全ての存在を肯定し、許しているということは、その行為をしているその人自身をも肯定し許す。肯定できない、許していない心の地獄を作っているのは、その行為をしているその人自身の価値観やこだわりだからだ。
ただ見る。子どものように素直に、ただ見る。大人になると、そのことがいかに難しいことなのか。人生の経験で身につけたその人らしさの内に在る不調和を、一枚一枚剥ぎ取る作業は、真ん中にある高次の自己にたどり着く作業でもある。
それぞれが自分の内の不純を浄化した時に現れる世界は、どんなものだろう。素直にあるがままに世界を受け入れ、世界を愛し愛される関係にそれぞれが安らいでいる。そして、自分の世界と相手の世界が育てるものが、それぞれを更に豊かに変化させる。そんな世界を夢想する。p44
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