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2013/06/27

こころでからだの声を聴く<02>

<01>からつづく

こころでからだの声を聴く
「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング<02> 
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1 目次

◆身体に耳を傾ける 

 身体に従いなさい。どんなやり方にしろ、決して身体を支配しようとしてはいけない。身体はあなたの礎(いしずえ)だ。ひとたび自分の身体を理解し始めたら、苦悩の99パーセントはあさり消えてしまう。 

 でも、あなたは耳を傾けない---これまでのところ、身体は言う、「やめて! 食べないで!」。あなたは食べ続ける。あなたはマインドの言うことを聞いている。マインドは言う、「これはとても味わい深くておいしい。もうちょっといこう」。あなたは身体の言うことを聞かない。身体は吐き気をもよおし、「やめて! もう充分だよ! 疲れちゃうよ!」と胃が言う。しかしマインドは「味見してみよう・・・・もうちょっとだけ」と言う。あなたは、マインドの言うことを聞き続ける。もし身体の言うことを聞けば、あなたの問題の99パーセントは楽に解消されるだろう。残りの1パーセントは単なるアクシデントであり、真の問題ではない。 

 しかし、ごく幼いころから、私たちは身体から注意をそらされ、身体から引き離されてきた。子どもは空腹で泣いているが、母親は時計を見る。医者は3時間後にしか子供にミルクを与えてはいけないと言ったからだ。彼女は子供を見ていない。子供こそ見るべき本当の時計なのに、彼女は壁時計ばかり見ている。彼女は医者の言うことを聞くが、子供は泣いていて食べ物を求めている。子供は今すぐ食べ物を必要としている。今すぐ食べ物を与えないなら、あなたは子供の注意を身体からそらす。あなたは子供に食べ物を与える代わりに、おしゃぶりを与える。さあ、あなたは騙し、欺いている。あなたは偽物、プラスチックを与え、身体への子供の感受性を惑わし、殺そうとしている。身体の英知は、発言を許されていない。代わりにマインドが介入している。子供はおしゃぶりになだめられ、眠り始める。時計が時間経過したことを告げると、今度は子供にミルクをあげなくてはならない。しかし今、子供はぐっすり眠っている。子供の身体は眠っているのに、医者が今ミルクをあげなさいと言ったから、あなたは子供を起こす。またしても、あなたは子供のリズムを壊してしまう。あなたは、ゆっくりゆっくり子供の存在全体を掻き乱す。やがて、子供は自分の身体の経路をすべて失ってしまう。自分の身体が何を欲しているのか、子供はわからなくなっている---自分の身体が食べることを望んでいるのか否かもわからないし、身体が愛を交わしたがっているかどうかもわからない。すべては外側から、何かに操作されている。彼は「プレイボーイ」誌を見て、愛を交わしているような気分になる。 

 さて、馬鹿げたことだ---これはマインドであり、マインドが信号を送っているにすぎない。その愛は、本物にはならない---ただのくしゃみ、重荷を降ろすこと以外の何ものでもない。それは、まったく愛などではない。どうして愛がマインドを通して起こるだろう? マインドは愛について何も知らない。それは義務になる。あなたは妻を持ち、夫を持ち、愛を交わさなければならない。生真面目に、規則的に、毎晩あなたは愛を交わす。そこにはもはや自発性はない。そしてあなたは心配する。なぜなら、自分はそれに満足していないと感じるようになるからだ。そして別の女性を探し始める。「たぶん、この女性は自分にふさわしい女性ではないのだ。たぶん、魂の伴侶(ソウルメイト)ではない。彼女は私のためにつくられたのではないし、私も彼女のためにつくられたのではない。彼女には気がそそられないのだから」と理屈をつけ始める。 

 女性が問題なのではないし、男性が問題なのでもない。問題は、あなたも身体の中にいないし、彼女も身体の中にいないということだ。身体の中にいるのなら、オーガズムと呼ばれる美しさに気づかぬ人はいないだろう。身体の中にいれば、オーガズミックな体験を通して神の最初の一瞥を知るだろう。身体に耳を傾け、身体に従いなさい。マインドは愚かだが、身体は賢い。そして、もし、身体に深く入っていったら、まさにその深みの中で、自分の魂を見出すだろう。魂は、身体の深みの中にひそんでいる。 

◆身体は奇跡だ 

 身体は途方もなく美しく、また途方もなく複雑だ。身体ほど複雑で精妙なものはない。あなたは身体について何も知らない。ただ。それを鏡の中に見たことがあるだけだ。内側から見たことは一度もない。もし見たことがあれば、それ自体がひとつの宇宙だ。それこそ神秘家たちがいつも言ってきたこと---身体は小宇宙だ。内側から見ると、身体は実に広大だ---無数の細胞があり、ひとつひとつの細胞は独自の生を営んでいる。各細胞は実に巧みに機能しており、それははほとんど驚異的で、不可能で、信じがたく思えるほどだ。 

 私たちが食物を食べると、身体はそれを意識や思考に代える。あらゆる瞬間に奇跡が起こっている。また、ひとつひとつの細胞は実に体系的に、秩序を保ち、内なるキ規律をもって機能している。それはほとんど不可能なことのように見える---無数の細胞があるのだ。あなた一人の身体には、60兆の細胞がある---60兆の魂が。ひとつひとつの細胞は、それ自身の魂を宿している。そして、何と適切に機能していることか! それらは統一性とリズムと調和(ハーモニー)のうちに機能している。また、同じ細胞が眼となり、同じ細胞が皮膚となり、同じ細胞が肝臓や心臓や骨髄やマインドや脳になっている。同じ細胞が変化する---そして特定の目的のための細胞となる。だが、それらは同じ細胞だ。しかも、何と順調に動き、精妙かつ静かに働いていることだろう。 

 その中に分け入り、その神秘の中に深く入っていきなさい。なぜなら、あなたはそこに根を張っているからだ。身体はあなたの大地であり、あなたは身体に根づいている。身体において、あなたの意識は、樹のようなものだ。あなたの思考は果実のようなものだ。あなたの瞑想は、花のようなものだ。だが、あなたは身体に根を張っており、身体がそれを支えている。身体は、あなたの行為のすべてを支えている。あなたが愛すると、身体はあなたを支える。あなたが憎むと、身体はあなたを支える。あなたが誰かを殺したいと思うと、身体はあなたを支える。あなたが誰かを守りたいと思うと、身体はあなたを支える。慈悲、愛、怒り、憎しみ---あらゆる場面において、身体はあなたを支えている。あなたは身体に根を張り、あなたは身体に育まれている。あなたが自分とは何者かを悟り始めるときでさえ、身体はあなたを支えている。  

 身体はあなたの友人であり、敵ではない。その言語に耳を傾け、その言語を読み解き、そして少しずつ身体という書物の中に入り、そのページを繰っていくにつれ、あなたは生の神秘そのものに気づくようになるだろう。それは凝縮した形で、あんたの身体の中に存在している。それは何百万倍にも拡大され、世界にあまねく存在している。 

◆身体の神秘 

 身体の中には、あらゆる神秘---全宇宙にある、あらゆる神秘が宿っている。身体は焦うちゅうだ。身体と宇宙の違いは、量的なものにすぎない。ひとつの原子が物質のあらゆる秘密を備えているように、身体は宇宙のあらゆる秘密を備えている。秘密を探し求めて外側へ行く必用はない。内側に向かえばいい。 

 それから身体を大切にすること。身体に敵対すべきではないし、身体を非難すべきでもない。身体を非難するなら、すでに神を非難したということだ。なぜなら、身体のもっとも深い奥底には、神が住んでいるのだから。神は住処(すみか)として、この身体をいいう家を選んだ。身体を尊び、身体を愛し、あなたの身体を大切にしなさい。 

 いわゆる宗教は、人間と身体の間にさまざまな対立をつくり出してきた。あなたは身体ではないということは真実だが、身体に対抗すべきだという意味ではない。身体は、あなたn友人だ。身体はあなたを地獄に連れて行くこともあるが、天国へも連れて行く。身体は乗物にすぎない。身体は中立だ---あなたがどこへ行きたいと思っても、身体には用意がある。身体は、途方もない複雑さ、美しさ、秩序を備えたメカニズムだ。自分の身体を理解すればするほど、畏怖の念は深まるだろう。では、宇宙全体についてはどうだろう? この小さな身体にさえ、実に多くの奇跡が存在する。だから私は、身体を神聖なるものの寺院と呼ぶ。 

 ひとたび身体に対するあなたの態度が変われば、内側へ向かうものはもっと容易になる。身体があなたに開かれるからだ。身体はあなたが入ってくるのを許し、その秘密を明かし始める。そもそもヨーガの秘密は、すべてこうして知られた。そもそもタオの秘密は、すべてこうして知られた。ヨーガは、死体を解剖することで生まれたのではない。現代医学は、死体とその解剖に基づいている。それは基本的に誤りだ。現代医学は、いまだに生きている身体を理解できていない。死体を解剖するのと、死体について何かを理解するのは、まったく別だ。まして、生きている身体について理解することは、完全に別物だ。現代科学には、生きている身体を理解するすべがない。理解する手立ては、身体をぶつ切りにし、切り開くことだけだ。しかし切った瞬間、それはもはや同じ現象ではなくなっている。茎や木に付いている花を理解するのと、花を切って解剖するのとは、完全に別のことだ。それはもはや同じ現象ではなく、その質は異なっている。 

 アルバート・アインシュタインという存在は、死体に何かを付け加えてできるものでは決してない。 

 ある詩人が死ぬ---身体はそこにあるが、詩はどこにあるだろう? ある天才が死ぬ---身体はそこにあるが、天賦の才はどこにあるあろう? 白痴の身体も、天才の身体も、違いはない。身体を解剖しても、その身体が天才のものか白痴のものか、理解できないだろう。それが神秘家のものか、もしくは生において何の神秘にも気づかなかった人のものか、理解できないだろう。それは不可能だ。なぜなら、あなたは家を調べているだけで、そこに住んでいた存在は、もういないからだ。あなたは、鳥のいなくなった鳥かごを研究しているにすぎない。そして鳥かごの研究は、鳥の研究ではない。それでもなお、身体はその中に神聖なものを含んでいる。 

 確実は方法は、自分の内側に入り、そこから---自分の実存のもっとも中心部に近いところから、自身の身体を見つめることだ。すると、それは途方もない歓びだ・・・・・身体が機能しているのを、動いているのを見るだけのことが。それは宇宙の出来事の中で、もっとも偉大な奇跡だ。OSHO p16~23

<03>につづく

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