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2013/06/28

こころでからだの声を聴く<04>

<03>からつづく

こころでからだの声を聴く
「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング<04> 
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1 目次

第2章 生への否定的な条件付けを読み解く

 あなたの唯一の義務は、幸せになることだ。幸せになることを信条としなさい。幸せでないとしたら、あなたのしていることはすべて、どこか間違っていて根本的な変革が必要だ。幸福を選びなさい。

 私は快楽主義者だ。そして、幸福こそ人間が手にすべき唯一の基準だ。

 だから、何かをするときは、常に起こることを見つめていなさい。家にいるようにやすらいで、心穏やかで、くつろいでいるなら、それは正しい。それが基準だ---それ以外のものは基準ではない。あなたにとって正しいことが、他人にとっては正しくないかもしれない。そのことも覚えておきなさい。なぜなら、あなたにとって簡単なことが、他人にとっては簡単ではないかもしれないからだ。その人にとっては、別のことが簡単かもしれない。だから、それに関する普遍的な法則はあり得ない。それぞれが自分で理解するといい。あなたにとっては何が簡単だろう?

◆なぜ私たちは不幸を選んでしまうのか

 これは、人間のもっとも複雑な問題のひとつだ。深く考察する必要がある。しかも、それは机上の問題ではない---あなたに関わる問題だ。常に間違った道を選び、常に悲しみ、落胆し、苦しむことを選んでしまう---これがすべての人の行動様式だ。それには深い理由があるに違いない。そして確かにある。

 第一に、育てられ方が明らかに影響を及ぼしている。不幸だと、あなたはそこから何かを得る---必ず得る。幸福だと必ず失う。

 ごく初期の頃から、鋭敏な子供は区別を感じ取る。悲しげなときは、いつも誰かが同情してくれ、子供は同情を得る。誰もがやさしくしてくれ、彼は愛を得る。そしてさらにすばらしいことに、悲しげなときはいつも見んが親切にしてくれ、注目される。注目は、エゴにとって食べ物のような働きをする。実に酒のような刺激物だ。それはエネルギーを与えてくれ、自分がひとかどの人物になったような気分にさせる。だから人は、注目されることに大きな欲求、大きな欲望を抱くのだ。

 誰もがあなたを見ていれば、あなたは重要になる。誰もあなたを見ていなかったら、あなたはまるで自分がそこにいないかのように、もはや自分は消え、存在しない者であるかのように感じる。人々があなたを見てくれていること、気づかってくれていることが、あなたにエネルギーを与える。

 エゴは関係性の中に存在する。人々があなたに注意を向ければ向けるほど、あなたはさらにエゴを得る。誰もあなたを見なかったら、エゴは消滅する。もし皆があなたのことを完全に忘れてしまったとしたら、どうしてエゴが存在できるだろう? どうやって自分の存在を感じられるだろう? だから結社や、団体や、クラブが必要なのだ。クラブは全世界にある---ロータリー、ライオン、フリーメイソンの支部---クラブや結社は無数にある。これらの結社やクラブが存在するのは、他の方法では注目を得られない人々に、注目を与えるために他ならない。

 ごく初期の頃から、子供は政治を学ぶ。その政治とは、惨めに見えれば同情を受け、誰もが親切にしてくれるというものだ。具合が悪そうだと、あなたは重要になる。病気の子供は横暴になる。家族全員が彼に従わなければならない---彼の言うことが、すべてのルールだ。

 彼が幸せなとき、耳を傾ける人は誰もいない。彼が健康なときは、誰も彼のことを気づかわない。彼がご機嫌なとき、注意を向ける者は一人もいない。ごく初期の頃から、私たちは苦悩や、悲しみや、悲観や、生の暗い側面を選び取り始める。それがひとつの現実だ。

 第二点は、こんなことに関わっている---あなたが幸せで、喜びに満ち、歓喜と至福を感じていると、必ず誰もがあなたに嫉妬する。嫉妬とは、誰もが敵意を抱き、親しげな人は一人もいないということだ。そのとき、全員が敵だ。そこであなたは、皆が自分に敵対しないよう、あまり歓喜にあふれずにいることを身につけてきた---至福を見えぬように、笑わぬように。

 笑っているときの人々を見てごらん。実に計算して笑っている。それは腹の底からの笑いではないし、まさに実存の深みからやって来る笑ではない。彼らはまずあなたを見て、そして判断する・・・・・それから笑う。彼らは一定の範囲内で笑う---あなたが許容する範囲、場違いだと受け取られない範囲、誰も嫉妬しない範囲で。

 微笑ですら政治的だ。笑いは消えてしまった。至福は完全に知られぬところのものとなった。歓喜にいたっては、ほとんど不可能だ。なぜなら、それは許されないものだからだ。あなたが苦悩していたら、誰もあなたのことを気違いだとは思わない。あなたが歓喜にあふれ、踊っていたら、誰もがあなたを気違いだと思うだろう。ダンスは追いやられ、歌うことは許されない。至福に満ちた人---そんな人を見たら、私たちは何かが間違っていると思う。

 これは何という社会だろう? 苦悩していれば、万事申し分ない---社会全体が苦悩しているから、その人は適応している。彼は一員であり、私たちは彼のことを、手に負えなくなった、気が狂ったと考える。彼は私たちには属していない---そして、私たちは嫉妬をおぼえる。

 嫉妬ゆえに、私たちは彼を非難する。嫉妬ゆえに、何とか彼を以前の状態に戻そうとする。私たちは、以前の状態を正常と呼ぶ。精神分析医や精神病院は、人を正常な苦悩の状態にするのを助ける。

 社会は歓喜を容認できない。歓喜はもっとも威力のある革命だ。私は繰り返す---歓喜はもっとも威力のある革命だ。人々が歓喜にあふれるなら、社会全体は変わらねばならないだろう。この社会は、苦悩に基づいているのだから。

 人々が至福に満ちていたら、彼らを戦争へ---ベトナムへ、エジプトへ、イスラエルへと連れて行くことはできない。それは無理だ。至福に満ちた人は、ただ笑って言うだろう---そんなものはナンセンスだ!

 至福に満ちた人々を、金の亡者にすることはできない。彼らは金を貯めることだけに一生を費やしたりしないだろう。死んでいる金と生を交換し、金を貯めて死ぬ---そうして生涯を台なしにするなんて、彼らにしてみれば狂気の沙汰に思える。死ぬとき、金はそこにあるだろう。これはまったく狂気の沙汰だ! しかし、あなたが歓喜にあふれぬうちは、この狂気の沙汰は理解できない。

 人々が歓喜にあふれているなら、この社会のパターン全体を変えなければならない。この社会は苦悩の上に存在している。この社会にとって、苦悩はもっとも大きな投資の対象だ。だから、私たちは子供を育てるが・・・・・ごく初期の頃から苦悩を習得するよう仕向けている。だから、子供たちは常に苦悩を選ぶのだ。

 朝、すべての人にひとつの選択肢がある。朝だけでなくあらゆる瞬間に、苦悩するか幸せでいるかの選択肢がある。あなたはいつも苦しむ方を選ぶ。なぜなら、それは投資だからだ。あなたはいつも苦しみ方を選ぶ。なぜならそれが習慣であり、パターンだからだ。あなたは常にそうしてきた。そうすることに長(た)けている。それは轍(わだち)となってしまった。選ばなければならない瞬間、マインドはすぐさま苦悩へとンがれル。

 苦悩は下り坂で、歓喜は上り坂のように見える。歓喜は、非常に到達しがたいもののように見える---だが、そんなことはない。真実はまったく逆---歓喜は下り坂で、苦悩は上り座かだ。苦悩は非常に達成しがたいものだが、あなたは達成してしまう。あなたは、不可能なことを成し遂げる---なぜなら、苦悩は自然に反しているからだ。誰もが苦しみたくないのに、誰もが苦しんでいる。

 社会はたいそうな仕事をやってきた。教育、文化、文化団体、両親、教師---彼らはたいそうな仕事をやってきた。彼あは歓喜にあふえた創造者から、苦悩に満ちた生き物をつくってきた。子供は皆、歓喜にあふれて生まれる。どの子供も、一人の神として生まれる。そして誰もが狂人として死ぬ。

これが、あながたの課題の全容だ---いかに子供時代を再び手にするか、いかにそれを取り戻すか。再び子供になれるなら、そのとき苦悩はない。子供には苦悩の瞬間がないという意味ではない---苦悩はある。だが、それでも苦悩はない。この点を務めて理解しなさい。

 子供は苦しむこともあるし、悲しむこともある。ある瞬間、深く悲しむが、その悲しみにとても全一(トータル)で、その悲しみとひとつだから分裂がない。悲しみから分離している子供はいない。子供は、悲しみから分離している子供はいない。子供は、悲しみを自分とは別個なもの、分離されたものとしては見ない。子供は悲しんでいる---その中に深く巻き込まれている。そして、悲しみとひとつになるとき、悲しみは悲しみではない。悲しみとひとつになるなら、それは独自の美しささえ備えている。

 だから、子供を見てごらん---穢れのない子供を。子供が怒っているとき、彼の全エネルギーは怒りになる。何ひとつ残されるものはなく、何ひとつ出し惜しみさえるものはない。子供は衝動にかられて怒った---怒りを操作し、制御している者はいない。無心だ。子供は怒りになった---怒っているのではなく、怒りになった。その美しさを見なさい、怒りの開花を。子供は決して醜くは見えない。怒りの中でも子供は美しく見える。より強烈に、よりエネルギッシュに、より生き生きと見える---火山は今にも噴火しそうだ。こんな小さな子供だが、実に強大なエネルギーを持ち、まさに原子力に匹敵するような存在だ---全宇宙が吹き飛ぶほどだ。

 そしてこの怒りのあと、子供は沈黙するだろう。この怒りのあと、子供は深いやすらぎに満ちるだろう。この怒りのあと、子供はリラックスするだろう。私たちは、怒りの中にいるのはとても苦しいことだろうと考えるかもしれない。しかし、子供は苦しんだりしない---子供はそれを楽しんだ。

 何かとひとつになるなら、あなたは至福に満ちる。何かから自分を分離させると、たとえそれが幸福であったとしても、あなたは苦しむ。

 だから、これが鍵だ。エゴとして分離していることは、あらゆる苦悩の土台だ。生がもたらすすべてとひとつになり、それと共に流れる。その中に強烈に全一に没頭するあまり、もはや自分がなくなり、失われてしまっているなら、すべては至福に満ちている。

 選択肢はそこにあるが、あなたは選択肢に気づきもしなかった。ずっと間違ったものを選択し続け、それが収監として染み付いてしまったため、あなたはただ自動的にそれを選んでしまう。選択の余地はない。

 注意することだ。自分が苦しむ方を選んでいるたびに思い出しなさい---これが自分の選択だと。こうした心がけさえも助けになる。これが自分の選択だ、責任は自分にある、そしてこれは自分が自分に対して行っていることだ。これは自分の行為だという留意、すぐに、あなたは違いを感じるだろう。マインドの質が変わってしまうだろう。幸せへと向かう方が簡単になるだろう。

 ひとたび、これは自分の選択だと理解したら、すべてはゲームになる。苦しむのが好きなら、苦しむといい。ただし、それが自分の選択であることを覚えておきなさい。そして不平を言ってはいけない。他人のせいではない。これはあなたのドラマだ。こんな感じを好むなら、苦しむ道を好むなら、苦悩の中で人生を送ることを望むなら、それはあなたの選択であり、あなたのゲームだ。あなたはそれを演じている。うまく演じるがいい!

 苦しまない方法を、人に尋ねに行ってはいけない。それは馬鹿げている。幸せになる方法を、師(マスター)や導師(グル)に尋ねに行ってはいけない。えせグルが存在するのは、あなたが愚かだからだ。あなたは苦悩を生み出し、それを生み出さない方法を人に尋ねに行く。そして、苦悩を生み出し続けている。それは、自分の行ないに注意を払っていないからだ。まさにこの瞬間から試みなさ。幸せになること、至福に満ちることを試みなさい。OSHO p29~37

<05>につづく 

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