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2013/06/30

こころでからだの声を聴く<06>

<05>からつづく

こころでからだの声を聴く
「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング<06> 
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1 目次

◆身体はあなたの友人 

 あらゆる宗教が、自然と闘えとあなたに教えてきた。自然なものはすべて避難される。 

 あらゆる宗教は言う---なにか不自然なことをしなさい。そのときはじめて生物的、生理的、心理的な囚われ、すなわちあなたを取り巻くあらゆる壁から抜け出せる。だが、自分の身体やマインドやハートと調和するなら、自己を超えることはできない---そのように宗教は言う。それこそ、私があらゆる宗教に反対する店だ。宗教はあなたの実存に有害な種を蒔いた。そのせいで、あなたは身体の中で生きながら、自分の身体を愛していない。 

 身体は70年、80年、90年、100年でもあなたに仕える。科学は、身体に匹敵するような別のメカニズムを発明できていない。その複雑さ、それがあなたのために行ない続けている奇跡・・・・でも、あなたは礼すら言わない。あなたは身体を的として扱うが、身体はあなたの友人なのだ。 

 それは、あなたが目覚めている間も、眠っている間も、ありとあらゆる方法であなたを世話している。眠っているときに蜘蛛が脚を這い始めると、脚はあなたを邪魔せずに蜘蛛を放り出す。脚には独自の小さな脳がある。だから、些細なことなら中枢システムにまで行く必要はない---脳まで行く必要はない。その程度のことなら、脚は独自に行える。蚊に刺されていたら、あなたは手を払ったり、殺したりする。しかも、あなたの眠りは妨げられない。つまり、身体はあなたが眠っている間もあなたを守り、たいていあなたも気づかないことを行っている。手には脳などないt思われているが、手には確かに、ごく小さな脳としか呼ばざるを得ないものがある。おそらく、あなたの身体の各細胞には、小さな脳があるのだろう。そして、あなたの身体には無数の細胞があり、無数の小さな脳がせっせと働いて、絶えず世話をしている。 

 あなたは飲み込んだらどうなるかなど気にかけないで、あらゆる種類のものを食べ続ける。自分が食べているものを、身体のメカニズムや化学反応が消化できるかどうか、身体に尋ねることもない。だが、あなたの内側の化学反応は、ほぼ100年にわたって何とか働き続ける。傷ついた箇所に取って替わる、自動的なシステムがあるのだ。それは損傷のある箇所を取り除き、新しいものをつくり続ける。あなたは何もしなくていい。それは自ずと起こる。身体には、何らかの独自の英知がある。 

 宗教はあなたに語り続ける、「常に闘い、流れに逆らって進みなさい。身体に耳にを傾けてはならない---身体が何を言おうと、正反対のことをするがいい」。ジャイナ教は語る。「身体が飢えている---飢えさせるがいい。身体を飢えさせなさい。身体は、そのように扱われる必要がある」。身体はあなたから何の賃金も受けず、無給で、便宜も計らわれず、ひたすらあなたに仕えている。なのに、ジャイナ教は身体に逆らえと説く。身体が眠りたくなると、ジャイナ教は目覚めたままでいるように努めよと説く。 

 こうしたことは、確実にあなたに強いエゴの力を与える。身体が食べ物を求めると、あなたはノーと言う。「ノー」は身体に対して強い力を持つ。あなたが主人(マスター)だ。あなたは身体を奴隷に貶(おとし)めている---奴隷にするばかりか、身体に口を閉ざすように強制している---「私が決めたことは、何であれ実行されるだろう。おまえは邪魔できないぞ」 

 自分の身体と闘ってはいけない。身体は、あなたの敵ではなくて友人だ。自然からあなたへの贈り物なのだ。身体は自然の一部だ。それは、ありとあらゆつ形で自然とつながっている。あなたは風とつながり、ひの光とつながり、花々の芳香や月の光とつながっている。これこそ、私が奇跡と呼ぶものだ。 

 あなたは存在の一部、一区画だが、個別性をも有している。存在は奇跡をおこなっており、不可能なことを可能にしている。 

 自分の身体と調和しているなら、あなたは自然や存在とも調和しているだろう。だから流れに逆らうのではなく、流れと共に進みなさい。ゆだねていなさい。生をあるがままに起こらしめなさい。何事も強いてはならない---たとえ聖なる書物のためであっても、たとえ聖なる理想のためだとしても。決して、あなたの調和を乱してはならない。 

 調和を保っていること、全体と合体していることよりも価値あることはない。 

 生を敬い、生を尊びなさい。生より神聖なものはないし、生より神々しいものはない。そして、生はたいそうな物事からできているわけではない。宗教界の愚か者たちは、「大きなこをとしなさい」とあなたに言ってきた。だが、生は小さな物事からできている。彼らの策略は明らかだ。彼らはあなたに言う。「大きなことをしなさい。何か偉大なこと、後世に名前が記憶されるようなことをしなさい」。こうしたことは、当然ながらエゴにとっては魅力的だ。エゴは聖職者たちの手先だ。すべての教会やシナゴークや寺院には、一人の手先がいる。すなわちエゴだ。彼らは他の手先は使わない。他には誰もいない。唯一の手先、それがエゴだ---何か偉大なこと、何か大きなことをせよという。 

 私はあなたに言いたい---大きなことや、偉大なことなど何ひとつないと。生はとても小さな物事からできている。だから、いわゆる大きなことに興味を抱くなら、あなたは生を取り逃がすだろう。 

 一杯のお茶をゆっくり飲み、友人と雑談し、朝の散歩に出かけ---でも特別どこに行こうというのではなく、目的も終りも引き返す地点もない、ただ散歩に出かけ、愛する人のために食事を作り、自分のために食事を作る---というのも、あなたは人の身体のことも愛しているからだ---服を洗濯し、床を掃除し、庭に水遣りをする。生は、こうした小さな物事、とても小さな物事からできている。 

 見知らぬ人に挨拶するのは、まったく必要のないことだ。見知らぬ人とは、何の関係もないのだから。だが、見知らぬ人に挨拶できる人は、は何も挨拶ができ、樹にも挨拶ができ、鳥たちに歌いかけることができる。鳥たちは日々歌っているが、あなたは彼らにまったく気を留めたことがない。しかし、いつの日か呼びかけに答えるべきだ。ほんの小さなこと、とても小さなこと・・・・・。 

 生を敬いなさい。その敬意を産物として、あなたは他のものたちの生命を敬い始めるだろう。OSHO P44~48

<07>につづく

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