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2013/06/30

こころでからだの声を聴く<07>

<06>からつづく

こころでからだの声を聴く
「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング<07> 
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1目次

◆「ねばならない」という幻想 

 私たちの教育全体---家庭、社会、学校、専修学校、大学での教育は、私たちの緊張を作り出している。そして、その根本的な緊張は、あなたがなさねばならないことをしていない、という点にある。 

 これは、生涯あなたにつきまとう。白昼夢のようにあなたについてきて、あなたを悩ませ続ける。決してあなたを休ませてくれず、決してくつろぐことを許さない。あながくつろぐと、それは「何をしてるんだ? くつろいでいてはいけない。何かをしているべきだ」と言う。あなたが何かをしていると、それは「何をしてるんだ? 絶対に少し休まないといけない。さもないと、気が狂ってしまうぞ---おまえはすでに瀬戸際にいる」と言う。 

 あなたが良い行ないをしていると、それは「おまえはバカだな。善行なんて割に合わないぞ。人々はおまえを騙すだろう」と言う。悪い行いをしていると、それは「何をしてるんだ? おまえは地獄行きの準備をしている。苦しむことになるぞ」と言う。それは、決してあなたを休息させてくれない。あなたが何をしても、それはそこにいて、あなたを非難している。 

 この非難する者は、あなたの中に住みついている。これは人類に降りかかった、最大の不幸だ。私たちの内側にいる、この非難する者を排除しないかぎり、私たちは真に人間にはなれないし、真に楽しむこともできず、生の本領である祝祭に加わることもできない。 

 そして今のところ、自分以外は誰もそれを落とせない。これは、あなただけの問題ではない。ほとんど人類すべえの問題だ。どの国に生まれようと、どの宗教に属していようと関係ない---カトリック、共産主義、ヒンドゥ教、イスラム教、ジャイナ教、仏教、あなたがどんなイデオロギーに属していようと関係なく、根本は同じだ。その根本的なものは、あなたに分裂をつくり出そうとする。そのため、ある部分は常に別な部分を非難する。第一の部分に従うと、第二の部分があなたを非難し始める。あなたは内なる葛藤、内戦の中にいる。 

 この内戦を落とすことだ。さもないと、生の美しさや祝福をすべて取り逃すだろう。決して心ゆくまで笑うこともできず、愛することもできず、何に対しても全一(トータル)でいられないだろう。そして全一であってはじめて、人は花開き、春は訪れ、あなたの生は色彩と音楽と詩を帯び始める。  

 全一であってはじめて、突如として神の臨在が自分のまわりに感じられる。しかし皮肉なことに、その分裂はえせ聖者、聖職者、教会によってつくり出されてきたものなのだ。実のところ聖職者こそ、この世でもっとも大きな神の敵だ。 

 私たちは、聖職者をすべて排除しなければならない。彼らこそ、人類の病理の根本的な原因だ。彼らは、あらゆる人を不安にさせてきた。神経症という伝染病を引き起こしてきた。そして神経症はあまりに蔓延しえいるから、私たちはそれを当たり前だと思っている。人生なんてこんなものだ、これが人生というものだと思っている---苦悩、延々と続く苦悩、痛みに満ち、苦悶させる存在、空騒ぎの自叙伝。 

 人生とでも呼べそうなものを眺めれば、そのように見える。なぜなら、そこには一輪の花もなく、ハートには一つの歌もなく、一条の神聖な光もないからだ。 

 全世界の知性的な人々が人生の意味を問うているのも、驚くことではない。「なぜ我々は生きてゆかねばならないのか? なぜ生きてゆくことに憶病なのか? なぜ少しばかりの勇気を奮い起こし、この馬鹿げたことをすべて止められないのか? なぜ自殺できないのか?」 

 世界でこれほど多くの人々が、人生は完全に無意味だと思っていることは、いまだかつてなかった。なぜ、この時代にこんなことが起こったのだろう? 第一に、それはこの時代とは無関係だ。何世紀もの間、少なくとも5千年にわたって聖職者たちが害を及ぼしてきたのだ。今、私たちは決定的な危機に瀕している。 

 それは私たちの仕業ではない。私たちは被害者だ。私たちは歴史の被害者なのだ。もう少し意識的になりたいと望むなら、まず歴史書をすべて焼くことだ。過去は忘れなさい---それは悪夢のようだった。もう一度、ABCから始めなさい---アダムが再び生まれたかのように、自分たちが再びエデンの園にいるかのように始めなさい---無邪気で、穢れなく・・・・。 

 ある男が、いい教会を探していたところ、信者たちが牧師と唱和している小さな教会が見つかった。彼らは言っていた。「私たちは為すべきだったことをしていません。そして、為すべきではなかったことをしてしまいました」 

 男は崩れるように椅子に腰をおろし、安堵のため息をついて独り言をつぶやいた。「ありがたい。少なくとも仲間をみつけたってわけだ」 

 あなたの本性が望むことをしなさい。本来あなたに備わっている質が切望することをしなさい。教典の言うことを聞いてはいけない。自分のハートに耳を傾けなさい。それが私の定める唯一の教典だ。そう、ごく注意深く、意識的に耳を傾けなさい。そうすれば、決して間違えることはない。自分のハートに耳を傾けるなら、あなたは決して分割されない。自分のハートに耳を傾けると、何が正しく何が間違っているか、まったく考えなくても正しい方向の中にいるだろう。 

 だから、新しい人類のための術(アート)のすべては、意識的に、鋭敏に、注意深くハートに耳を傾けるちう秘訣に基づく。どんな手段によってもそれに従い、それが導く所にはどこにでも行きなさい。そう、ときにはそれはあなたが危険へいざなう---でも、そのときは思い出しなさい、そうした危険は、自分が成熟するために必要なのだと。また、ときにそれはあなたを迷わせる---転んでは再び立ち上がることによって、人は力をつけるのだから。このようにして人は統合されていく。 

 だが、外側から強制された規則に従ってはいけない。強制された規則に正しいものはあり得ない。なぜなら規則は、あなたを支配したい人々が捏造するものだから。そう、ときおり光明を得た偉大な人たちも世の中にいた---仏陀、イエス、クリシュナ、モハメッド。彼らが世界に規則を与えたことはない、彼らは愛を与えた。だが、やがて弟子たちが集まり、行動規範を記し始める。ひとたび師(マスター)がいなくなり、ひとたび光が消えて深い闇に包まれると、人々は従うべき特定の規則を求め始める。なぜなら、見えていた光が、もはやそこにないからだ。今や彼らは、規則に依存せざるを得ない。 

 イエスの行ったことは、彼自身のハートのささやきだったが、キリスト教徒たちが行い続けていることは、彼ら自身のハートのささやきではない。彼らは模倣者だ---そして模倣した瞬間、あなたは自らの人間性を侮辱し、あなたの神を侮辱する。 

 決して模倣者であってはならない。常に自分自身(オリジナル)でありなさい。写し(コピー)になってはいけない。しかし、それが全世界で起こっていることだ。コピー、そしてさらに多くのコピー・・・・。 

 自分自身であるなら、生はまさにダンスだ---そして、あなたは自分自身であるように生まれついている。また、二人として同じ人間はいない。だから私の生き方は、あなたの生き方には決してなり得ない。 

 師(マスター)の精神を吸収し、沈黙を吸収し、彼の優美さを学びなさい。彼の実存から、できるだけ多くのものを吸収しなさい。だが、彼を模倣してはいけない。彼の精神を吸収し、彼の愛を飲み干し、彼の慈悲を受け取っていると、あなたは自分のハートのささやきを聞き取れるようになるだろう。そして、それらはささやいている。ハートはとてもひっそりと、小声で話す。叫んだりはしない。 

 教わってきたことは、すべて忘れなさい---「これは正しい、これは間違っている」。生はそんなに固定的ではない。今日は正しいことが、明日には誤っているかもしれない。この瞬間は誤っていることが、次の瞬間には正しいかもしれない。生は整理分類できない。「これは正しい、これは間違っている」と簡単にレッテルを貼ることはできない。生とは、すべての瓶にレベルが貼られ、どれが何であるかわかるようにな薬店ではない。生は謎だ。ある瞬間には、何かが調和しており、それは正しい。別の瞬間には、おびただしい水がガンジス川を流れ下り、もはやそれは現状にそぐわず、間違っている。 

 私にとって正しさの定義とは何か? 存在と調和しているものは正しく、存在と不調和なものは間違っている、ということだ。あなたは、あらゆる瞬間に油断なくあらねばならない。なぜなら、それは瞬間ごとに新たに決められるべきだからだ。何が正しく何が間違っているのか、既成の答に頼ることはできない。 

 生はとても早く流れる---生は劇的に変化するものであり、静止してはいない。生は淀んだ水溜りではなく、ガンジス川のようであり、流れ続けている。ふたつの瞬間の間、それは決して同じではない。だから、この瞬間には正しいことも、次の瞬間には正しくないかもしれない。 

 では、どうしたらいいか? 唯一できることは、人々に気づきを持たせることだ---変化する生に、どう対処るかを自分で決められるように。 

 古い禅の話がある。 

 ライバル同士の寺院がふたつあった。双方のマスターたち---彼らは、えせマスターだったに違いない。本当は聖職者だったに違いない。彼らは、互いに強く反発し合っていたので、決して相手の寺院に目を向けてはならないと、弟子たちに言いきかせていた。 

 それぞれの聖職者には、使いや用事などをして仕える少年がいた。一方の寺院の聖職者は、召使の少年に言いきかせた、「絶対にあちらの少年に声をかけてはいかんぞ。あいつらは危険だ」 

 だが、少年はとはそんなものだ。ある日、彼らは路上で出会い、一方の寺院の少年は、もう一人の少年に尋ねた。「どこへ行くんだい?」 

 もう一人は、「どこであれ。風が連れていく所さ」と答えた。「どこであれ、風が連れていく所だ」と言ったのは、彼が名高い禅の故事を寺院で耳にしていたからに違いない。生粋(きっすい)の道(タオ)の名言だ。 

 だが、一方の少年はとても不愉快に思い、気分を害した。どう答えていいのか、わからなかったからだ。少年は「マスターは、こいつらと口をきいてはいけないと言った。こいつらは本当に危険だ。さて、これはまた何という答えだろう? あいつは私に恥をかかせたんだ」と思い、葛藤と怒りと罪悪感を覚えた。 

 彼はマスターのもとに行き、一部始終を話した。「あいつに話しかけてしまって、申し訳ありません。あなたは正しかったです。あいつらは本当に変わっています。何と言う返事でしょう? 私は「どこへ行くんだい?」と尋ねました---ありふれた形式的な質問です。彼が私と同じように、市場へ行こうとしているのはわかっていました。でも彼は、『どこであれ、風が連れていく所さ』と言ったんです」 

 マスターは言った、「注意したおいたのに、言いつけを守らなかったんだな。では、こうしよう。明日、おまえは再び同じ場所に立つ。そいつが来たら、『どこへ行くんだい?』と尋ねるのだ。するとそいつは、『どこであれ、風が連れていく所さ』と言うだろう。そうしたら、おまえも少し哲学的になる。『君に脚がないとしたら、どうする? 魂は肉体を持たないし、風は魂をどこへも連れていけない!」と言うのだ。これでどうだ?」 

 少年は一晩中それを何度も繰り返し、完璧に準備をした。そして翌朝、とても早くからそこに行き、例の場所に立った。すると、時間どおりにもう一人の少年が再びやって来た。少年はとても嬉しかった。今度は自分が、真の哲学とは何かを示すのだ。少年は尋ねた、「どこへ行くんだい?」。そして待った・・・・ 

 だが、もう一人の少年は言った。「市場へ野菜を買いに行くのさ」 

 さて、彼が学んだ哲学はどう扱ったものだろう?

 生とはそうしたものだ。あなたは準備できない、あなたは用意できない。それこそ生の美しさであり、不可思議さだ。それはいつも不意に現れ、思いもかけず訪れる。もしあなたに眼があるなら、すべての瞬間が驚きであり、既成の答えは決して当てはまらないことがわかるだろう。

 私はあなたに、生の本質的な法則を簡単に教えよう。自己に忠実であり、自らの灯火となり、その光に従うのだ。そうすれば、こうした問題は決して起こらない。そのとき、あなたが行なうことは、すべてを為すべきことだ。また、あなたが行なわないことは、すべて為す必要のないことだ・・・・。

 生と関わる唯一の方法、生に遅れを取らない唯一の方法とは、罪悪感のないハート、無垢なハートを持つことだ。教わってきたこと---何をすべきで、何をすべきでないか---それらはすべて忘れなさい。あなたのために決めてくれる人は、あなた以外に誰もいない。

 あなたのために決めたがる偽善者たちを避けなさい。手順を自分自身の手に取るのだ。自分で決断すること。実のところ、まさにその決断力の中で、あなたの魂が生まれる。あなたのために他の者たちが決めているときは、あなたの魂は眠っていて鈍いままだ。自分自身で決断し始めると、鋭さが芽生える。決断するということはリスクを負うことであり、決断するということは間違えるかもしれないということだ。誰にもわからない。どれがリスクだ。保証はまったくない。

 古いものには保証がある。大勢の人たちが、それに従ってきた。これほど多くの人が正しいと言うのなら、それは正しいに違いない。

 個人になるために必要な、あらゆるリスクを引き受け、そしえ挑戦を受け容れなさい---それがあなたを研ぎ澄まし、あなたに聡明さと知性を与えることができるように。

 真理とは信じる心ではなく、透徹した知性だ。それは、あなたの生の隠れた源泉が燃え立つことであり、意識に光が当てられる体験だ。しかしそれが起こるには、ふさわしいスペースを整えなければならない。そのふさわしいスペースとは、ありのままの自分を受け容れるということだ。何ひとつ否定してはいけない。分裂してはいけない。罪悪感を抱いてはいけない。 OSHO p48~57

<08>につづく

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