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2013/06/11

大沼安史翻訳 「『超』教育―21世紀教育改革の指針」 ダニエル グリーンバーグ 著

1998/12 一光社 単行本 242p
Vol.3 No.1012★★★★☆

1)「『超』学校」シリーズ三部作の中の、第二作。第一作はアメリカ・マサチューセッツ州東部にあるサドベリー・バレー校の、いわばドキュメンタリーであったのに対し、こちらは、設立者の一人である著者が地元の新聞紙「ミドルセックス・ニューズ」に連載したコラムが一冊になったものであり、いわば評論、あるいは理論、ということになる。

2)それは、グリーンバーグ氏に対する、実の父親の”一喝”から始まった。

 ニューヨークにあるコロンビア大学から物理学の博士号を取得、母校で教えていたグリーンズバーグ氏が教育制度に疑問を感じ、教職を辞してフラミンガムに移り住んで間もないころ、氏の父親が訪ねてきた。

 1965年の秋----。肩を並べ一緒に散歩しながら、いつものように教育批判、学校批判を繰り広げるグリーンバーグ氏に向かって、父親が突然、こう問い返したという。

 「息子よ、どうして私に語ってばかりいるのだ。批判や不満を言うのは、そろそろ止めにしてみないか。その代わり、書いたらいい。自分の考えを書いたらいいい。そして、ほかの人が、それをどう判断するか見るがいい。他人がどういう反応する、見るがいい。そうじゃないかね、ダニエル」

 やがてグリーンバーグ氏が同志とともに新しい学校の設立趣意書を起草し、フラミンガム地区の人々に参加を呼び掛ける最初の種子を蒔いたのは、この父親の一言だったという。「『超』学校」p274「訳者あとがき---解説に代えて」

3)ある意味でこの二冊目は、「批判や不満」で渦巻いている。もし、一冊目を読んでいないとしたら、何を言っているんだこいつ、となりかねなかった。なるほど、これだけ強烈な批判や不満があったればこそ、フリースクールともオルタナティブとも言えない、さらなる「超」スクールを作る必要があったんだな、と納得する。

4)この本においては、随所に、日本の教育システムについて触れているところがある。ほとんどは良い評価を与えている。同じころ、子どもたちに日本の教育を受けさせていた身としては、ややこそばゆいが、えてして、海外に対する評価というものはそういうものになってしまうのだろう。

5)さて、ここで皆さんに、ちょっとした頭の体操をしていただきたいと思います。時間はかかりません。簡単です。でも、驚くべき結果が得られること間違いなし。さあ、それでは始めます。

 楽な椅子に腰かけてください。余計な考え事は頭のなかから追い出してください。そしてリラックス・・・。記憶と判断力を自由に働かせてください。でも、「間違える」ことを恐れないでください。よろしいですか? それでは質問です。

 「あなたが、『古典』とされる小説や詩を最後に読んだのはいつですか?」(ごまかしはなしです。ベストセラーや恋愛小説、ミステリーではなく、「古典」ですよ!) p30「学習・カリキュラム・教育目標」

6)私の場合の最近と言えば、柳田国男「遠野物語」をKindleで読んだかな。でも純粋な小説や詩ではないなぁ。では震災直後に読んだ鴨長明 「方丈記」はどうだろう。でも、現代語訳付きだったから、純粋な古典とは言えないかもしれない。

7)「あなたが最後に長除法や長乗法を使ったのはいつですか?」(桁の大きな数の割り算や掛け算です。計算機を使ったことはカウントに入れないでください)p30同上

8)これはわりとやる。工作をしていると、スケールで寸尺を測り、頭の中で計算をする。2や3で割る時は簡単だが、7とか9とかになってくると、かなり複雑だ。13とか17とかね。鉛筆とスケールを両手に持ちながら、頭の中でやるのだが、結局、あとで電卓で検算することになるのだから、純粋に長除法や長乗法を使ったとは言えないかもしれない。

9)「一次方程式を使ったのはいつですか?」「二次方程式は?」「三角関数はどうでしょう?」(覚えていますか? サイン、コサイン、タンジェント、コータンジェント、セカント、コーセカント・・・・・ えっ、もう忘れたですって?)p31同上

10)最近、太陽光パネルについて、屋根の勾(こう)配の事が話題になった。私は自分の屋根を「五寸勾配」と覚えていてのだが、業者はいやそれほどないという。設計図を見ると、底辺が10に対して、高さが5だから、五寸勾配に違いはないのだが、はて、その角度はいくらになるだろう、と思って、そういえば、こういう時は、タンジェントを使うんだっけ? と、その単語を思い出した。ただ、有効にその計算を使ったわけではない(笑)。

11)「あなたが最後に読書感想文、体験談、物語を書いたのはいつですか?」p31同上

12)読書感想文に関しては、読書ブログを書いている限り、毎日やっていると言える。体験談もまあまあ、プライバシーに及ばない程度にさらっと流している。物語や小説は、得手ではないので、もともと書かない。

13)インディアンがどうやってトウモロコシを育てあの円柱のテント小屋を建てたか、あなたが最後に考えたのはいつですか?」p31同上

14)3・11の直後にエコビレッジ構想の中でトウモロコシも蒔いたし、そこにはティーピーテントもあったから、確かに考えたな。でも、みんなで力を合わせて組み合わせたのではなくて、クレーン車で業者に頼んだ、って聞いたの時は、ちょっとがっかりした。

15)「トーマス・ペインやベンジャミン・フランクリン、ジェームズ・マディソンやウィリアム・ヘンリー・”ティピカヌー”・ハリソンについて考えたのはいつ?」(誰のことだったか調べなければなりませんか?)p31同上

16)最近は、太陽光発電や水力発電、風力発電を、手作りでやろうと、大人の週末工作をしているので、ごくごく最近、ベンジャミン・フランクリンのことを考えたよ。そろそろ次は、凧を上げて、雷が本当に電気なのかどうか調べる時期に来てるかな、なんてね(笑)。

17)・・・・もう、このぐらいでやめにしましょう。切りがありません。続ければ続けるほど、「あれは嘘だったの」という実感が深まるだけです。これから世の中に出て生きていくために絶対必要な現代人必須の基礎知識だから身につけなければならない、と言われて覚えたあれこれが、どれもこれも全く必要なかったのです。私たちは騙されていた!p32同上

18)まぁね。著者が言わんとすることはわかります。しかし、このようなメリハリの利いた本にはよくあることだけど、すこし言葉が走りすぎるんだよね。私はサドベリー・バレー校の卒業生ではないけれど、自分が学校で習ったことが無駄だったとは思わない。

19)英語だって、苦手だったけど、中学三年生程度の英語で外国を歩いても、結構通じるし、自分を表現することもできる。要は表現しよう、という気持ちがあれば大丈夫なんだ。地理も歴史も苦手だったけど、全く基礎として役立たなかったなんてことはない。

20)大事なことは、子どもたちが今、情熱と限りないエネルギー、集中力をもって追い求めている意味ある学びを認めることです。p69同上

21)これはそうだね。

22)教育とは子どもを、社会人として立派に機能する人間に育てることである、という主張に異を唱える人はいないでしょう。ところがこれをどうやって実現するかとなると、とたんに難しくなってしまいます。p82同上

23)著者は、学校や教育というものに、過大な期待をかけ、可能性を見過ぎているのではないだろうか。私なんぞは、学校なんてこの程度だ、教育なんてこの程度だ、と思うから、人間がやるべきことをすべて、学校や教育の現場で実現することなんぞ、所詮不可能だと思うし、ほぼ全く期待していない。

24)教室の画一化を達成するには、基準に合わない子を、何らかの病気と”診断”しなければなりません。”診断”することで初めて、特殊教育の予算が出る仕組みだからです。p206「その他の基本問題」

25)この辺になると微妙な判断が必要となる。意味していることがかなり広範囲に関わり、人によってまちまちの理解となる。まずは、私は教育者でも学校関係者でもないから言えることだけど、学校なんてどうでもいいじゃん。なんだかんだ言いながら、学校というシステムにしがみついているんじゃないかなぁ。私なら、「超」学校、ではなく、「脱」学校、「脱」教育、と言う本の方に魅力を感じる。寺山修司なら言うだろう・・・「書を捨てよ、街に出よ」。それが、いかに詩的な表現であったにせよ、寺山のほうに分がある。私なら寺山のほうに軍配を上げる。

26)いったん規範外の子とレッテルを貼られたら最後です。学校のメインストリーム(主流)に戻ることはできません。p213同上

27)私は優等生とも劣等生ともレッテルを貼られたことはないが(かなり近くまでいったことはどちらもある)、んなことはどうでもいいじゃないかなぁ。結局、この世の中、学校だけでできているわけじゃないし、学校で不良だったのが出世している例は山ほどある。優等生と思われていた連中が、いつの間にかフェードアウトしている例も数限りないよ。学校なんてそんなもんだよ。別にメインストリームになどいる必要はない。

28)答えはかんたん、この国の市民は公共の場で、自分の言いたいことを言い、出版したいことを出版する権利がある、ということです。ただし、ちょっとした制限がついています。他人を誹謗中傷したり、危険に曝したり(例えば、満員の劇場で「火事だーっ」と叫ぶ)してはならない、といった制限が加えられているのです。p199同上

29)この本は、翻訳者つながりで読むことになった。この部分については、翻訳者に言いたい。ネット空間という公共の場で、いくら自分のブログという私的なスペースとは言え、「拡散願」を訴えながら、第三者に危害を加えられていて、場合によっては命にかかわるような表現をしたのだ。その第三者をあたかも特定の存在であるかのようにほのめかしたりした限り、一般には、「満員の劇場で、『火事だーっ』と叫」んだのと同じようなものだ、と理解されてもしかたないだろう。

30)真偽の沙汰は定かではないが、表現に関わる立場なら、相当の覚悟の上でのこととお察しする。

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