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2013/06/16

ニューチャイルド OSHO <5>

<4>よりつづく 

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「ニューチャイルド 」 <5>
OSHO (著), スワミ・パリトーショ (翻訳), スワミ・アトモ・スディープ (翻訳) 1993/01 ニューチャイルドプロジェクト OEJ books 単行本: 324p

遊び心とは、人間の中で最も抑圧されているもののひとつだ
あらゆる社会、文化、文明は、遊び心に反対してきた
なぜなら
遊び心のある人間は、決して深刻にならないからだ
そして人は深刻にならない限り
支配されることはあり得ない
彼に野心を持たせることはできない
彼に権力を、金を、地位を、求めさせることはできない
 

誰の中でも、決して子供は死なない
大人になったからといって、その子は死ぬわけではなく
その子供はそのまま残っている
かつてのあなたは
今でもそのままあなたの中にある
そして最後に息を引き取るまで、あなたの中に存在し続ける
 

だが社会は常に、深刻でない人々を恐れる
深刻でない人々は、金や政治権力に対する野心を持たない
彼らは、むしろ存在を楽しむ
だが存在を楽しむことが
地位をもたらすことはあり得ない
人を権力者にすることはあり得ない
その人のエゴを満たすことはあり得ない
ところが、人間の世界はすべて
エゴという概念のまわりを回っている
遊び心はエゴに反する
----試してみれば気がつくはずだ
ちょっと子供と遊んでみれば
自分のエゴが消えていくのが分かるはずだ
自分が再び、子供になっているのが分かるだろう
それは、あなたについてだけでなく
誰についても言えることだ
 

自分の中の子供を抑圧してきたために
人は自分の子供を抑圧することになる
自分の子供が踊ったり、歌ったり
叫んだり、飛びはねたりするのを許す者はいない
ほんの些細な理由で
----多分、何かが壊れるかもしれないとか
外に飛び出したら雨で服が濡れるというような----
そんな小さなことのために
大いなる霊的資質、遊び心が完全に破壊される
 

従順な子供は、両親にも、教師にも、誰にでも褒められる
そして、いたずらっ子は非難される
その子の遊び心は、まったく何の害もないかもしれないが
そこに反逆の危険があるという理由で、その子は非難される
もし子供が、遊ぶための完全な自由を持って成長し続けたら
その子は反逆者になるだろう
彼は簡単に隷属しようとはしない
彼は、人をころすため、あるいは自分が殺されるために
たやすく軍隊に入ったりはしない
 

反逆的な子供は、反逆的な若者になる
そうなったら、彼に結婚を強制することはできない
彼に特定の職業を押しつけることはできない
そうなったら、両親の満たされなかった欲望と憧れを
成就するように、その子を強制するわけにはいかない
 

反逆的な若者は、自分自身の道を進む
彼は、他の誰の理想に合わせるのでもなく
自らの内奥の願望に従って、自分の生を生きることになる
 

反逆者は、基本的に自然だ
従順な子供は、死んでいるも同然だ
それゆえ、両親は非常に幸せだ
その子が常に支配の下にあるからだ
 

人間は不思議な病にかかっている
人間は他人を支配したい
----他人を支配することで
   自分のエゴが見たされる、自分が特別な者になれる
そして、自分自身もまた他人に支配されたい
----支配されれば、もう自分に責任はないからだ
これらすべての理由のために
遊び心は、最初の最初から窒息させられ、押しつぶされる
 OSHO p259

<6>につづく

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