こころでからだの声を聴く<01>
「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング<01>
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1 目次
第1章 身体の聡明さ
西洋医学の考えによると、人間は独立した単位(ユニット)---自然とは別個のものだ。これほど重大な過ちも他にないだろう。人間は自然の一部だ。人間の健康とは、他でもなく自然とともにくつろいでいることだ。
西洋の医療は、人間を機械的にとらえている---構造に支障がないところは問題ないというように。人間は有機的なユニットであり、病んだ部分だけを治療すればいいというものではない。病んだ部分とは、他でもなく有機体全体が困難に陥っているということだ。病んだ部分は、そこがいちばん弱いから目につくだけのことだ。
病んだ部分を治療すると、効き目があったように見える。だが、今度は別の場所から病気が現れる。あなたは、病んだ部分から病気が現れるのを防いだにすぎない---あなたはそこを強化した。でもあなたは、人間がひとつのまとまりであることを理解していない---人間は病気か健康かのどちらかであり、その中間はない。人間は、ひとまとまりの有機体としてとらえるべきだ。
理解すべき重要な点は、身体は常にあなたに耳を傾ける用意があるということだ---でも、あなたは身体と語り合ったことも、コミュニケーションをとったことも、まったくない。あなたは身体の中にいて、身体を用いてきたが、まったく身体に感謝したことがない。身体は可能なかぎり聡明に、あなたに仕えている---仕え続けている。
自然はよく承知している---身体があなたよりも聡明であることを。なぜなら、身体の重要な事柄は何ひとつあなたに任されておらず、身体にゆだねられているからだ。たとえば、呼吸、心臓の鼓動、血液の流れ、食べ物の消化---それらは、あなたにゆだねられていない。さもなければ、あなたはとっくの昔に混乱していただろう。もし、あなたに呼吸がゆだねられたら、あなたは死ぬだろう。生き続ける見込みはない。
というのも、しょっちゅう呼吸を忘れてしまうからだ。喧嘩をすれば、呼吸を忘れてしまう。夜、眠るときは、心臓を鼓動させるのを忘れてしまう。
いったい、どうやって覚えておくつもりかね? また、消化のシステムがどれほどの働きをしているか、あなたは知っているだろうか? あなたは物を飲み込み続け、自分はたいそう働いていると思っているが、飲み込むことなら誰でもできる。
第二次世界大戦中、ある男が喉を貫通する銃弾を受けたことがあった。彼は死ななかったが、喉を通して飲み食いできなくなってしまった。管全体を閉じなければならなかったのだ。そこで医師たちは、彼の胃の脇にパイプ付きの小さな管をつくった。彼は、パイプに食べ物を入れることになった。しかし、そこには何の喜びもなかった。アイスクリームを入れているときでさえ・・・・・彼はとても憤慨していた。
彼は言った。「これでは・・・・・味がわからないじゃありませんか」
そこで、ある医師が提案した。「こんなふうにやってみなさい。まず食べ物を味わい、それからパイプに入れるのだ」。そして彼は、40年間そのようにした。彼はまず噛んで楽しんでから、食べ物をパイプに入れた。パイプは実にお誂え向きだった。なぜなら、あなたの体内にも、まさにパイプがあるからだ。それは皮膚の下に隠れているにすぎない。この不運な男のパイプは外に出ていた。掃除でも何でもできたから、それはあなたのパイプよりも優れていたと言える。
消化の全システムは、奇跡を行っている。小さな消化のシステムが行っていることを、すべて私たちが行うことになったら---食物を血液に変え、あらゆる成分を分別し、その成分を必要とされる場所へ送るには、大きな工場が必要になるだろう。と科学者は言う。ある成分は脳に必要で、血液で脳に運ばなければならない。他のものは別の場所---血液に、耳、骨、皮膚で必要とされる。身体はそのすべてを完璧に70、80、90年にもわたって行なう。でも、あなたはその英知を理解していない。
◆身体の英知
聞いたことがあるかもしれないが、卑金属を黄金に変容させようと試みた錬金術師たちがいた。あなたの身体は、もっと優れたことをしている。あなたが絶えず体内に放り込んでいるあらゆる種類のがらくたを、身体は血液に変容させ、骨に変容させているのだ。血や骨だけでなく、そのがらくたを脳の栄養にも変えている。身体はアイスクリームやコカ・コーラから脳をつくり、その脳はラザフォードや、アルバート・アインシュタインや、仏陀や、ツァラトゥストラや、老子のような人を生み出す。ちょっと、その奇跡を見てごらん! 脳は、小さな頭蓋骨に収まっている非常に小さなものだ・・・・・。脳は、たったひとつでも世界のあらゆる図書館を収容できる。その容量は、ほとんど無限だ。脳はもっとも優れた記憶装置だ。同じ容量のコンピュータを作りたかったら、そのコンピュータを機能させるために何マイルものスペースが必要だろう。そして、科学はこれまで発展してきたが、アイスクリームを血液に変容させることはできていない。科学者たちは試みてきたが、アイスクリームを血液に変容させるのに必要な手掛かりを見つけられずにいる----アイスクリームから脳をつくる! たぶん、そんなことは起こらないだろう。もしくは、たとえ起こったとしても、それは脳を通じて起こるだろう。それもまた、脳の奇跡だ。
◆身体に語りかける
ひとたび自分の身体とコミュニケーションをとり始めたら、事はとても容易になる。身体に無理強いする必要はない。身体を説得するといい。身体と闘う必要はない---それは醜く、暴力的で、攻撃的だ。そしてあらゆる種類の葛藤は、ますます緊張を生み出す。だから、どんな葛藤の中にも留まらないこと---やすらぎを心がけなさい。また、身体は神からのとてもすばらしい贈り物だから、それと闘うことは神を否定することになる。身体は神殿だ・・・・私たちはその中に収まっている。身体は寺院だ。私たちはその中で生きており、トータルに手入れをする必要がある---それは私たちの責任だ。
はじめのうちは、少し馬鹿々々しく思うかもしれない。というのも、自分の身体に語りかけるだなんて、私たちは教わったこともないのだから---だが、それを通して奇跡が起こる。私たちが知らないうちに、奇跡はすでに起こっている。私が話すとき、話すにつれて私の手は仕草(ジェスチャー)をする。私はあなたに話している---何かを伝達しているのは、私のマインドだ。私の身体は、それに従う。身体はマインドとの協調関係にある。
手を挙げたいとき、何かをする必要はない---ただ単純に手をあげるだけだ。手を挙げたいと思うだけで、身体は従う---それは奇跡だ。ところが実のところ、生物学も生理学も、それがどんなふうに起こるのか、いまだに説明できない。なぜなら、思いは思いだからだ。手を挙げたいと思う---これは思いだ。この思いは、どんなふうに手への物理的なメッセージに変容されるのだろう? しかもまったく時間がかからない---ほんのわずかな間合か、ときにはまったく時間差(ギャップ)がない。
たとえば、私が話すと、私の手は一緒に動き続ける---時間差がない。身体は、まるでマインドと平行して動いているかのようだ。それはとても繊細なことだ---いかに自分の身体に語りかけるかを学ぶといい。すると、多くのことが起こるだろう。p11~p16
| 固定リンク
「26)46億年目の地球」カテゴリの記事
- こころでからだの声を聴く<35>(2013.10.10)
- こころでからだの声を聴く<34>(2013.10.09)
- こころでからだの声を聴く<33>(2013.10.09)
- こころでからだの声を聴く<31>(2013.10.07)
コメント