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2013/07/01

こころでからだの声を聴く<08>

<07>からつづく

こころでからだの声を聴く
「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング<08> 
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1目次

◆苦悩を手放す 

 苦しみ、懊悩、苦悩を捨てることは簡単なはずだ。それは難しいことではないはずだ。あなたは苦しみたくなどない。だから、その背後には何らかの根深い複雑な問題があるに違いない。その複雑な問題とは、あなたが幸せで、至福に満ち、喜ぶことを、まさに幼児期から許されてこなかったということだ。 

 あなたは深刻であるように強いられてきた。そして、深刻さは悲しみを伴う。あなたは自分で決してやりたくないことをするよう、強いられてきた。あなたは無力で弱く、人に依存していたから、当然、言われたことをしなければならなかった。あなたは嫌々ながら、苦しみながら、深いところでは抵抗しながら、それらを行ってきた。自分の気持ちに反して、あまりにも多くのことが強制されてきたため、次第にひとつのことがはっきりしてきた。つまり、自分の気持ちに反することは正しく、自分の気持ちに沿うことは誤りになるということだ。そして、こうした躾全体によって、常にあなたは悲しみに満ちていた。それは自然なことではない。 

 健康であることが自然であるのと同じように、歓びに満ちているのは自然なことだ。あなたは健康的なときにに医者に行って、「なぜ私は健康なのでしょう?」と尋ねたりはしない。健康については何も質問する必要はない。しかし病気のとき、あなたは「なぜ私は病気なのでしょう? 私の病気の理由、原因は何でしょうか?」とすぐに尋ねる。 

 なぜ苦しんでいるのかと尋ねるのは、まったく正しい。なぜ至福に満ちているのかと尋ねるのは、正しくない。あなたは、理由もなく至福に満ちているのは狂気の沙汰と思われるような、正気を失った社会の中で育てられてきた。まったく何の理由もなく、ただ微笑んでいたら、人々はあなたの顔がどこか緩んでいると思うだろう---いったいなぜ微笑んでいるのか? なぜ、そんなに幸せそうなのか? あなたが「わかりません、ただ幸せなんです」と言えば、彼らはその答えを聞いて、あなたはどこかイカレてしまったのだという考えを強めるだろう。 

 しかし、あなたが苦しんでいるとしたら、なぜ苦しんでいるのかとは誰も尋ねない。苦しんでいるのは自然だ---全員がそうだ。それは何もあなたに特別なことではない。あなたが特殊なことをしているわけではない。 

 この、苦悩は自然で至福は不自然であるという考えは、無意識のうちにあなたの中に住みついている。至福は証明しなければならないが、苦悩は証明がいらない。それは、ゆっくりとあなたの中に沈潜していく---あなたの血の中に、あなたの骨の中に、あなたの髄の中に---それは当然、あなたに反するものなのに。こうして、あなたは精神分裂症的になるよう強いられてきた。本質的に反する強制されてきた。あなたは、自分自身から自分自身ではないものへと、すり替えられてきた。 

 誰もがいるべきでない場所にいて、あるべきでないものになっている---これが人類のあらゆる苦悩をつくり出す。そして、いるべき場所---生まれながらの権利として、いるべき場所にいられないために人は苦しむ。このように、あなたはどんどん自分自身から遠ざかり、家に帰る道を忘れてしまった状態にある。だからどんな所にいようと、あなたはそこが自分の家だと思う---苦悩が家となり、懊悩があなたの本性となっている。苦しみは、病ではなく健康だと認識されている。 

 そして、「この苦悩に満ちた生を捨て、必要もなく携えているこの苦しみを捨てるのだ」と誰かが言うと、非常に重大な疑問が生まれる---「これが私の持っているすべてなのだ! それを捨てらたら、私は誰でもなくなり、事故証明(アイディンティティ)を失ってしまう。少なくとも今のところ、私は何者かでいる---私は苦悩する人、悲しむ人、苦しむ人だ。こうしたすべてを捨てるなら、そのとき、私のアイディンティティとは何か、私とは誰かという疑問が生じるだろう。私は家に帰る道を知らない。あなたは、社会によってつくられた、偽りの家という見せかけを奪ってしまった」 

 裸で通りに立つことを望む人は誰もいない。 

 苦悩している方がましだ---それは苦悩ではあるが、少なくともあなたは何かを着ている。害はない。他の人も皆、同じ種類の服を着ている。それを手に入れられる人にとって、彼らの苦悩は高価だ。それを手に入れられない人は、二重に苦しむ---彼らはお粗末な苦悩の中で生きなければならず、自慢できるものがたいしてない。 

 つまり、苦悩が豊富な人々と、苦悩が乏しい人々がいる。そして苦悩が乏しい人々は、何とかして苦悩が豊富な人々の地位に辿り着こうと懸命だ。タイプはこの二つしかない。 

 第三のタイプは、完全に忘れられてしまっている。第三のものとは、あなたの真実であり、その中に苦悩はない。人が本来備えている本質は、至福だ。 

 至福とは、達成すべきものではない。 

 それはすでにそこにあり、私たちはそれと共に生まれる。 

 私たちがそれを失ったことはない。ただ、遠く離れてしまっただけだ。私たちは自分に背を向けていたのだ。 

 それは私たちのすぐ後ろにある。ちょっと向きを変えれば、大きな革命となる。 

 しかし世の中には、過去生で悪しき行ないをしたから苦しむのだと説く、偽の宗教が蔓延している。どれもナンセンスだ。なぜ存在は、あなたを罰するのに一つ生を持たねばならないのだろう? そんな必要はないと思われる。自然界では、物事はすぐさま起こる。今の生で炎の中に手を入れたら、次の生で火傷するだろうか? 奇妙だ! あなたは、ここで今すぐに火傷を負う。原因と結果を結びついている。隔たりはあり得ない。 

 だが、これらの偽宗教は人々は慰め続ける。「心配はいらない。ただ苦行を行ない、もっと礼拝しなさい。寺院や教会へ行きなさい。すると次の生では苦しまないだろう」。即金のものものは何もないようだ---すべては次の生に持ち越される。そして次の生から戻ってきて、「こいつらは大嘘つきだぞ」と言ってくれる人はいない。 

 宗教とは現金だ、小切手ですらない。 

 さまざまな宗教は、さまざまな戦略を見つけてきた。だが、それらの背後にある理由は同じだ。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、インドの外で生まれた宗教は、「アダムとイヴが罪を犯したから、あなたたちは苦しむのだ」と人々に言う。何千年も昔の最初のカップル・・・・しかも、たいした罪ではない---そんなことなら、あなたは毎日やっている。彼らは、ただリンゴを食べただけだ。そして神は、彼らにリンゴを食べることを禁じていた。 

 問題はリンゴではない。問題は、彼らが服従しなかったことだ。何千年も昔、誰かが神に従わなかった。それで彼は罰せられ、エデンの園から追放され、神の楽園から追放された。なぜ私たちは苦しむのか? ---それは、彼らが私たちの祖先だからだ。 

 事実はまったく違う。それは悪しき行為の問題ではなく、あなたが自分自身や自分の自然な至福から、引き離されてしまっているという問題だ。そしてその宗教も、そんなにやすやすとあなたが至福に満ちることを望まない。さまないと、彼らの精進はどうなるのだろう? 彼らの大変な修行、禁欲的な修行はどうなるだろう? 

 もし私が言うように苦悩を落とすのが簡単だとしたら、こうした偽宗教はすべてで商売(ビジネス)を失う。それは彼らの商売の問題だ。至福はっ非常に困難で---ほとんど不可能で---長く激しい旅の果ての、未来の生における望みでしかない、としておく必要がある。 

 しかし私は自分の威信にかけてあなたに言うが、私の場合、それはいとも簡単に起こった。私もまた多くの過去生を生き、きっとあなたがたの誰よりも多く、悪しき行為を行ってきたはずだ---というのも、私はそれらを悪しき行為とは思っていないからだ。美を鑑賞し、味覚を堪能し、生をより生きやすく、より魅力的にするものすべてに感謝することは、私にとって悪しき行為ではない。

 こうした事柄すべてについて、私はあなたに繊細に、審美的観点から繊細になってほしいと思う。それらはあなたをより人間的にし、あなたの中にさらなる柔和さを生み出し、存在に対するより深い感謝を生み出す。

 そして、それは私にとって理論上の問題ではない。私はただ、扉として無を受け容れただけだ---それを私は瞑想と呼ぶ。それは無の別名にすぎない。そして無が起こった瞬間、あなたは突如として自己と対面し、あらゆる苦悩は消える。

 最初にすることは、あっさり自分自身を笑い飛ばすこと、何と愚かであったかと笑い飛ばすことだ。苦悩は決してなかった。あなたは一方の手でそれをつくり、もう一方の手でそれを打ち砕こうとしていたのだ---そして当然だが、あなたは分裂し、精神分裂症的な状態にあった。

 それは実に簡単で単純なことだ。

 存在の中でもっとも単純なことは、自分自身であることだ。

 それには何の努力もいらない。あなたはすでにそこにいる。

 ただ、ちょっと思い出すこと・・・・社会があなたに押し付けてきた、あらゆる愚かな観念から抜け出すこと。それはヘビが古い皮から抜け出し、決して振り返らないのと同じくらい単純なことだ。それは単なる古い皮であり、それ以上のものではない。

 あなたがそれを理解したら、まさにこの瞬間にもそれは起こり得る。

 なぜなら、まさにこの瞬間、あなたは苦悩や懊悩は存在しないと気づくからだ。

 あなたは沈黙し、無の扉の前に立っている。ほんの一歩内側に入れば、何千もの生にわたってあなたを待っていた、大いなる宝が見つかる。 OSHO p57~63

<09>につづく

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