こころでからだの声を聴く<09>
「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング<09>
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1目次
◆至福を意識する
普通、マインドはいつも痛みを意識しているが、至福を意識することはない。頭痛がするとき、あなたはそれを意識する。頭痛がないと、頭の件っこうを意識したりはしない。身体が痛むときはそえをお意識するが、身体が完全に健康なときは健康を意識しないものだ。
これこそ、なぜあなたがそこまで苦悩を感じるのかの原因だ。私たちの全意識は、痛みを焦点を当てている。私たちは棘ばかりを数える---花の方には、まったく目を向けない。どういうわけか、私たちは棘を選び、花を無視する。もし怪我をして常に痛みがあるなら、驚くには及ばない。そうあって然るべきだ。何らかの生物学的な理由で、そのようになっている。自然は、痛みを避けられるようにするため、あなたに痛みを意識させるよう計らった。それは、埋め込まれたシステムだ。さもなければ、手に火傷を負っていても、あなたはそれを意識しないかもしれない。すると、生き延びるのは困難になる。だから自然は、痛みを意識することを非常に重要で避けられないものにした。だが、自然は、嬉しさや歓びや至福を意識することを、埋め込まれたメカニズムにしなかった。それは学び、鍛練しなければならない。それは、ひとつの技(アート)だ。
この瞬間から、自然でないものに気づくことを始めなさい。たとえば、身体が完全に健康だと感じられるとしよう---静かに座り、それを意識しないさ。健康な状態を楽しみなさい。何も悪いことはない---楽しみなさい! それを意識するよう、つとめて努力しなさい。あなたは充分に食べ、あなたの身体は満足し、満たされている---それを意識しなさい。
お腹が空いていると、自然はあなたを意識させる。しかし自然には、あなたが満足しているときに、あなたを意識させるシステムがない。それを育てることだ。自然は、それを育てる必要がない。なぜなら、自然が望むのはただ生き延びることだからだ。それ以上のことは贅沢だ。至福は贅沢、最高の贅沢だ。
そしてこれは、なぜ人々がそこまで苦悩するかについての私の観察だが---人々は見かけほど、本当に苦悩はしてはいない。大きな歓びの瞬間はたくさんある。しかし、それらは過ぎ去る。彼らは、まったくそれに気づかない。彼らの記憶は、痛みと傷でいっぱいのままだ。彼らのマインドは、悪夢でいっぱいのままだ。美しい夢や詩的な光景がないわけではない---それらもまたそこにあるが、注意を払う者がまったくいないのだ。二十四時間のうち、神への感謝を感じるような出来事が数多く起こる。でも、あなたは気にも留めない!
この瞬間から、それを始めるといい。すると、至福は日毎にますます膨らみ、それに比例して痛みと苦悩がますます萎んでいくことに驚くだろう。そして、生がほとんど祝福(セレブレーション)になる瞬間が訪れる。痛みはほんの時たまで、その痛みもゲームの一部だ。それは困惑させられることもなく、動揺させられることもない、人はそれを受け容れる。
食後に訪れる満足を楽しんだら、空腹のときにわずかな痛みがあることは自然なことだと知るだろう・・・・それはよいことだ。ぐっすりと眠ると、朝は新鮮で生き生きとして若返った感じがする。一晩眠れなかったら、当然、少々つらい思いをするだろう。だが、それもまたゲームの一部だ。
私自身の体験では、生は99パーセントの至福と、1パーセントの痛みからできている。けれども人々の生は、99パーセントの痛みと、1パーセントの至福からできている。すべてが逆さまだ。
楽しみ、歓び、肯定的なもの、花々、苦しみの中における楽しみを、もっと意識するようにしてごらん。 Osho p63~65
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