こころでからだの声を聴く<10>
「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング<10>
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1目次
第3章 幸福であるための基本条件
身体には耳を傾けなさい。身体はあなたの敵ではない。身体が何か言っているときは、そのとおりにしてごらん。なぜなら、身体には独自の英知があるからだ。それを妨げてはいけない。マインドのトリップを続けてはいけない。私は厳格な決まりを教えるのではなく、ただ、あなたに気づきの感覚お与える。自分の身体に耳を傾けてごらん。
身体はああんたの友人であり、あなたの敵ではない。その言葉に耳を傾け、その言葉を読み解きなさい。身体という書物の中に入り、ページを操るにつれ、あなたはやがて生の秘密全体に気づくようになるだろう。それは凝縮されて、あなたの身体の中にある。それは数百万倍に拡大されて、世界にあまねく広がっている。だが、それは微小な成分に凝縮され、ああんたの身体の中に存在し、含まれている。
◆身体とつながる
あなたは自分の身体のさまざまなものとつながりをもたず、ただ身体を持ち運んでいる。つながりとは、ふかい感受性という意味だ。あなたは、自分の身体を感じてすらいないだろう。身体を感じるのは、病気のときだけだ。頭痛がすると、あなたは頭を感じる。しかし頭痛がないときは、頭とのつながりはない。脚が痛むと、あなたは脚に気づく。あなたはどこかが不調になったときしか、気づきを持たない。
すべて快調であれば、あなたはまったく気づかぬままだ。だが、そのときこそ---すべてが快調であるときこそ、つながれる瞬間なのだ。不調なときは、病気や不具合なものとつながることになる。もはやそこに幸福はない。ちょうど今、あなたに頭がある。すると頭痛が始まって、あなたはつながりを持つ。それは、頭ではなく頭痛とのつながりだ。頭痛がなくて、頭が完全に健やかなときこそ、頭とつながることができる。でも、私たちはその能力をほとんど失ってしまった。問題がないとき、私たちはまったくつながりを持たない。つまり、つながりは緊急手段にすぎない。頭痛がする---何らかの手当てや、何らかの薬が必要で、何かをしなくてはならない。だからあなたはつながりを持ち、何かを行なう。
すべて順調なとき、自分の身体とつながるよう試みてごらん。草の上に横たわり、目を閉じ、内側で起こり続けている感覚を感じ、湧き起こる幸福を感じる。川の中に横たわってごらん。水が身体に触れ、すべての細胞が冷やされていく。その冷たさが、いかにひとつひとつの細胞に入り込み、身体の深部に及んでいくか、内側を感じる。身体は深遠な現象だ。自然の軌跡のひとつだ。
太陽のもとに座り、身体に太陽光線を浸透させる。ぬくもりが内側を動き、深部に及んでいくのを感じ、血液細胞に触れてまさに骨に達するのを感じる。太陽は生命であり、まさに源泉だ。目を閉じ、起こっていることをただ感じてごらん。注意深さを保ち、見つめ、楽しみなさい。あなたはやがて、非常に微妙な調和(ハーモニー)に、内側で止むことなく続いている美しい音楽に気づくようになるだろう。そのとき、あなたは身体とつながっている。さもなければ、あなたは死んだ身体を持ち運ぶ。
それは、ちょうどこんなことだ。自分の車を愛する人は、そうでない人とは一風違った車とのつながりや関係がある。自分の車を愛していない人は、運転しながら車を機械(メカニズム)として扱う。しかし車を愛する人は、車の調子の些細な変化や、わずかな音の変化でさえも気づく。何か変化があれば、彼はすぐに気づく。他は誰一人それを聞いてはいない。同乗者もそこに座っているが、聞いていない。だが車を愛する人は、エンジン音のわずかな変化、カチッという音、どんな変化にも気づく。彼は深くつながっている。彼はただ運転しているだけではないし、車はただの機械ではない。むしろ彼は、自分を車の中に拡散させ、しかも車が自分の中に入り込むのを許している。
あなたの身体は、機械として扱うこともできる。すると、身体にあまり繊細になる必要はない。身体がさまざまなことを話し続けても、あなたはそれを聞き取らない。なぜなら、あなたは身体とまったくつながっていないからだ。
ロシアでは、新しい研究が数十年続けられ、科学者たちはさまざまな結論に至った。ひとつ明らかになった結果がこれだ---病気になる前の6ヶ月間、身体は絶えずあなたに信号を送っている。6ヶ月とは実に長い時間だ! 翌年、病気になるとしたら、今年の半ばから、身体はあなたに信号を送り始める---だが、あなたは信号を受け取らない。あなたは理解しないし、わからない。病気が姿を現してはじめて、あなたは気づく。あるいは、そのときでさえ気づかないかもしれない---あなたが内側に深刻な問題を抱えていることに気づくのは、医者の方が先だ。
この研究を何年も指揮してきた人が、実際に発病する前に、病気を検知するファイルとカメラをつくった。彼が言うには、病気が存在するか否か、患者がまったく気づかないうちに病気を治療できる。癌が翌年に発症するとしたら、今すぐ治療できる。肉体には兆候がなくても、身体電気の中では変化が起こる---身体ではなく、身体電気や生体エネルギーの中では変化が起こる。変化は、まず生体エネルギーの中で生じ、次に身体へと伝わる。
もし生体エネルギーの層の中で治療できるとしたら、病気は肉体に決して至らない。この研究のおかげで次の世紀には、病気になることも、病院に行くことも不要になるかもしれない。病気は、実際に身体に至る前に治療できる。たださい、機械装置でそれを検知しなくてはならない。あなたには検知できない。でも、あなたはその自分の身体の中で生きている。そこには、つながりがない。あなたは、ヒンドゥー教のサニヤシンや、見者(リシ)、禅僧、仏教僧たちが、自分の死の前にそれを宣言する話をいろいろ聞いたことがあるだろう。そして知ったら驚くだろうが、その宣言は常に死の6ヶ月前になされている---それ以上ではない、常に6ヶ月前だ。多くの聖者たちが自分は死ぬだろうと宣言したが、それはちょうど6ヶ月前だ。それは偶然ではない---その6ヶ月間は意味深い。肉体が死ぬ前に、生体エネルギーが滅び始める。そして、自分の生体エネルギーと深くつながっている人は、今そのエネルギーが収縮し始めたのに気づく。生は拡大であり、死は収縮だ。彼は、生命力が収縮しているのを感じ、自分が6ヶ月以内に死ぬと宣言する。禅僧は、死に方さえも選ぶと知られている---なぜなら、彼らにはわかるからだ。
昔、こんなことがあった。
ある禅僧が死に臨んでいた。そこで彼は弟子たちに尋ねた。「どんな姿勢で、どのように死んだらいいか、言っておくれ」
その男は少々風変りで、ちょっと常軌を逸した、風狂の老人だった。だが、すばらしい人物だった。
弟子たちは笑い出した。彼はいつも冗談を言っていたから、冗談だろうと思ったのだ。そこで誰かが提案した、「寺の片隅で、立ちながら死ぬというのはどうでしょう」
男は言った、「しかし、昔ある坊主が立って死んだという話を聞いたことがある。だから、それはよろしくない。何か前例のないことを提案しておくれ」
そこで誰かが言った、「庭を歩きながら死ぬというのはどうでしょう」
「中国の誰かが、歩きながら死んだそうだよ」と彼は言った。
すると、ある人が実に奇抜なアイデアを提案した。「シルアーサナ、つまり頭で立って死ぬというのはいかがでしょう」。頭で立ちながら死んだ人はいないし、頭で立ちながら死ぬのはとても難しい。頭で立ちながらだと、眠ることさえ不可能だ。死ぬなんて難しすぎる。眠ることさえ不可能なのに、ましてや死とは大いなる眠りなのだ。それは不可能だ---h通の眠りですら不可能だ。
男はその提案を受け容れた。喜んで、「それはいい」と言った。
誰もが、彼は冗談を言っていたのだと思った。しかし、彼は頭で立った。彼らは心配した---彼は何をしているのだろう? 今、何をしたらいいのだろう? 彼はほとんど死にかけている、と人々は思った。死んだ人間が頭で立っている---そんなことは聞いたこともなかった。彼らは怖くなった。すると誰かが提案した、「近くの僧院に彼の姉がいる。その人はすばらしい尼僧だ。行って彼女を連れて来よう。彼女は姉さんだから、彼をどうにかしてくれるかもしれない。彼女は彼のことをよく知っている」
姉はやって来た。彼女はやってくると、こう言ったそうだ。「一休」---一休とは、この僧侶の名前だった。「馬鹿なことはおやめ。こんな死に方は無茶ですよ」
一休は笑った。彼は頭で立っていたのを、ひょいとやめると、「わかりましたよ。ではどんな方法がふさわしいでしょう」と言った。
彼女は言った、「蓮華坐(パドマアーサナ)、仏陀の姿勢で座って死になさい。こんな死に方は無茶です。おまえはいつも分別のない男だったねぇ---みんな笑うでしょうよ」
そこでは、彼は仏陀の姿勢で座って死に、姉は立ち去ったと言われている---すばらしい男だ。それにしても、どうやってこれから死ぬと決められたのだろう? しかも姿勢すら選ぶとは! 彼は、生体エネルギーが収縮し始めるのを感じ取ることができたのだ---この感覚は、身体の表面だけでなく、根の部分と深いつながりがあって、はじめて訪れる。
だからまず、自分の身体にもっと敏感になるようつとめなさい。身体に耳を傾けなさい---それは、さまざまなことを語り続けている。なのに、あなたは頭でっかちだから、まったく耳を傾けない。マインドと身体に葛藤があるときは、たいていマインドよりも身体の方が正しい。なぜなら身体は自然であり、マインドっは社会的だからだ。身体はこの広大な自然に属しており、マインドはあなたの社会、限定された釈迦の、年代、時代に属している。身体は存在に深く根をおろしており、マインドは表面を浮遊しているにすぎない。しかしあなたは、いつもマインドに耳を傾け、身体には耳を傾けない。この長い習慣のせいで、つながりは失われてしまっている。
あなたには心臓がある。心臓は根だ。しかし、あなたはそれとつながっていない。まず、身体とつながることから始めなさい。やがて、全身が心臓のセンターのまわりで振動しているのに気づくようになるだろう。ちょうど、太陽系全体が太陽のまわりを回っているように。ヒンドゥー教は、心臓を身体の太陽と呼んだ。全身は太陽系であり、心臓のまわりを動いている。心臓が鼓動を始めると、あなたは命を得る。心臓が鼓動を止めると、あなたは死ぬ。心臓は、身体における太陽のような中心だ。それに注意を払いなさい。少しづつ全身に注意を払うようになってはじめて、あなたは注意深くなれる。 OSHO p67~74
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