こころでからだの声を聴く<11>
「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング<11>
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1目次
◆自分に誠実に
自分で誠実であることを心がけなさい。それには、どうしたらいいだろう? 三つのことを心に留めておくといい。まず、人の言うこと、あなたに向かってこうありなさいと言うことを聞いてはいけない。常に自分の内なる声、自分がこうありたいと思うものに耳を傾けなさい。さもないと、あなたの一生は無駄になる。
あなたのまわりには無数の誘惑がある。そこには商品を売り歩く人が大勢いる。そこはスーパーマーケット、世間だ。誰もが、あなたに商品を売ることに関心がある。全員がセールスマンだ。大勢のセールスマンに耳を傾けていたら、ああんたは頭が変になるだろう。誰の言うことも聞いてはいけない。ただ目を閉じ、内なる声に耳を傾けなさい。それが瞑想というものだ---内なる声に耳を傾けること。これが第一。
次に第二点---第一のことを実行してはじめて、第二のことが可能になる。仮面をかぶってはならない。怒りを感じたら怒りなさい。それは危険なことだ。でも、微笑まないこと。なぜなら、それは誠実ではないからだ。しかしあなたは、怒っているときは頬笑みなさいと教えられてきた。すると、あなたの微笑は偽り、仮面になる・・・・単なる唇の運動以外の何ものでもない。ハートは怒りと毒でいっぱいなのに、唇は微笑んでいる---あなたは偽りの現象となる。
すると、別のことも生じる。あなたは、微笑みたいときに微笑むことができない。あなたの全メカニズムは逆さまになっている。それは、怒りたかったときに怒らず、憎みたかったときに憎まなかったからだ。今あなたは愛したいが、メカニズムが機能しないことに突然気づく。今あなたは微笑みたいが、それを強いて行わなければならない。本当は、ハートは笑みに満ち、大声で笑いたいのに、あなたは笑うことができない。ハートの中で何かがつかえ、喉の中で何かがつかえている。頬笑みは訪れない。たとえ訪れたにせよ、それはまったく血が通っていない。死んだ微笑だ。あなたは幸せな気持ちにはならない。ワクワクすることもない。あなたのまわりには輝きがない。
怒りたいときには怒りなさい。怒るのは、ちっとも悪いことではない。笑いたいなら笑なさい。大声で笑うのは、ちっとも悪いことではない。やがて、自分のシステム全体が機能していることがわかるだろう。それが機能すると、実際にまわりでブーンと音がする。ちょうど、すべてが申し分ないときに、車がブーンと音をたてるように。車を愛するドライバーは、今すべてが順調に機能しており、有機的な調和があることを知る---メカニズムは順調に機能している。あなたにもわかるだろう---人のメカニズムが順調に機能しているときは、その人のまわりでブーンという音が聞こえる。彼は歩くが、その足取りにはダンスがある。彼は話すが、その言葉には詩情が漂う。彼はあなたを見るが、本当の意味で見る。彼のまなざしは、中途半端にあたたかいのではなく、本当にあたたかい。彼があなたに触れるときはは、本当に触れる。彼のエネルギーがあなたの身体に入り込み、生命の流れの伝達が感じられるだろう・・・・。それは、彼のメカニズムが順調に機能しているからだ。
仮面をかぶってはいけない。さもないと、あなたのメカニズムに機能不良---凝り固まり(ブロック)が生じるだろう。あなたの身体には、たくさんのブロックがある。怒りを抑圧してきた人は、顎がブロックされる。すべての怒りは顎まで上がってきて、そこで止まる。彼の手は醜くなる。その手には、踊り手の優美な動きがない。その手には、踊り手の優美な動きがない。なぜなら、怒りは指に流れるからだ---そしてブロックされてしまう。覚えておきなさい、怒りが解き放たれるで靴は二つある。ひとつは歯、もうひとつは指だ。動物はみな、怒ると歯で噛みつくか、手で引っ掻く、だから爪と歯は、怒りが解き放たれる二つのポイントだ。
怒りをあまりに長く抑圧しているから、人は歯の病気になるのではないか、私は危惧している。多大なエネルギーがあるのに解き放たれないため、歯は悪くなっていく。また、怒りを抑圧する人は過食する。怒っている人は常に過食する。それは、彼らの歯が何らかの運動を必要とするからだ。怒っている人は過度に喫煙する。怒っている人は余計に話をする---彼らは話さないでいられない。それは、何とか少しでもエネルギーを解き放つために、顎が運動を必要とするからだ。また、怒っている人の手は、曲がって醜くなってしまう。エネルギーが解き放たれたら、美しい手になるだろう。
何かを抑圧する場合、身体ににはその感情に対する箇所---対応する箇所がある。泣きたくないとしたら、あなたの目は輝きを失う。目には涙が必要だからだ。たまに、あなたは涙を流して泣くことに、すっかり巻き込まれる。あなたの目から涙が流れ始め---あなたの目は清められ、再び爽やかで若々しく清らかになる。だから女性は、より美しい目をしているのだ。彼女たちは、まだ泣くことができる。男性は、もはや生き生きした目をしていない。それは彼らが、男は泣くものではないという間違った信念を持っているからだ。小さな男の子が泣くと、他人だけではなく両親までも、「どうした? おまえは弱虫なのかい?」と言う。
何と愚かなことだろう。自然はあなたがた男性と女性に、同じ涙管を与えている。男性は泣くべきではないとしたら、男性には涙腺がなかっただろう。単純な数学だ。なぜ、女性と均等に男性に涙腺があるのか? 目は涙を流し、泣くことを必要としている。そして心から泣き、涙を流せるとしたら、それは実に美しい。
覚えておきなさい。心から泣いたり涙を流したりできないとしたら、笑うこともまたできない。なぜなら、それはもう一方の極だからだ。笑える人は、泣くこともできる。泣けない人は、笑えない。そして、ときどき観察したことがあるかもしれないが、子供は大声で長いこと笑っていたかと思うと、泣き始める。それは、ふたつが結びついているからだ。私は、母親が子供に言うのを聞いたことがある、「笑いすぎちゃだめよ、さもないと泣き出しちゃうからね」。それは本当にそのとおりだ。その現象には違いがない---ただ、同じエネルギーが対極に動いているだけだ。
第二点は、仮面を使わないこと---どんな代償を払ってでも、誠実であることだ。
そして三番目に覚えておくべきことは、真正であること---常に現在にいなさい。あらゆる偽りは、過去から未来からやって来る。過ぎてしまったことは過ぎたこと---それを思い煩ってはいけない。また、それを重荷として背負ってもいけない。さもないと、そのせいであなたは現在に真正でいられない。そして、訪れていないことはまだ訪れない---未来のことを不要に思い煩ってはいけない。さもないと、未来は現在に入り込み、それを滅ぼすだろう。今この時に誠実でありなさい。そうすれば、あなたは真正だ。今ここにあることこそ、真正であることだ。
◆訪れる生にくつろぐ
確かに社会は、あなたに活動や、野心や、スピードや、効率といった訓練を積ませる。くつろいで何もせず、休息する訓練をさせることはない。社会は、あらゆる類の休息を怠惰っであると非難する。狂ったように活動的でないと、そうした人々を非難する。というのも、社会全体が狂ったように活動的で、常にどこかに到達しようとあえいでいるからだ。どこへ到達するのか、はっきり知っている者は一人もいない。しかし、誰もが気をもんでいる---「急げ!」と。
道で車を全速力で走らせていた夫婦の話を聞いたことがあう。妻は男に、「ちょっと地図を見せてちょうだい」と繰り返し言っていた。
一方、男は言っていた。「静かにしていてくれ。黙るんだ! 運転手は俺だ。行き先なんて、たいしたことじゃない。問題は早く行くことだ。スピードこそ重大なんだ」。どこへ向かっているのか、なぜそこへ行くのか、誰一人として知る者はいない。
ジョージ・バーナード・ショウの非常に有名な逸話がある。彼はロンドンからどこかへ旅に出た。検札係がやって来たので、彼はポケットや鞄の中をくまなく探し、スーツケースも開けてみた。すると検札係は言った、「私はあなたのことを存じ上げていますよ。誰もがあなたのことを知っています。あなたはジョージ・バーナード・ショウさんですね。世界に有名な方です。切符はそこにあるにちがいありません。どこに置いたか、お忘れになったんでしょう。ご心配なく。そのままでいいですよ」
ジョージ・バーナード・ショウは男に言った、「君は私の問題を知らないんだ。私は、君に見せるためだけに切符を探しているわけではない。自分がどこへ行くのか、知りたいのだ。あの、いまいましい切符め---もしなくなったら、私は迷ってしまう。私が君のために切符を探しているとでも思うかね? 私がどこへ行くのか教えてくれ」
検札係は言った、「そりゃ、あんまりですよ。私はあなたの手助けをしようとしただけです。気を悪くなさらないでください。もう少しして駅に着くまでには、たぶん思い出すでしょう。どうして私があなたの行く先を教えられるでしょう?」
だが、誰もが同じ状況にある。精神世界の検札係がまわりにいて、「君はどこに行くのかね?」とチェックしていないのはありがたいことだ。さもないと、あなたは何の答も持たず、ただ立ち尽くすだけだろう。あなたはどこかへ行こうとしていた---それは間違いない。あなたは生涯、どこかへ行こうとしてきた。だが、どこへ行こうとしているのか。実は知らない。
あなたは最終的に墓場に行き着く。それはひとつ確かなことだ。でもそれは、あなたが行くつもりのない場所であり、誰もが行きたがらない場所だ。しかし、すべての人が最後はそこに到着する。それは、すべての列車が至る終着駅だ。切符を持っていないなら、終着駅まで待つといい。すると彼らは言う、「降りてください。列車はもうこれ以上は行きませんよ」
社会全体は仕事に向かっている。社会は働きすぎだ。社会は、あなたがくつろぎを学ぶことを望まない。だから社会派、幼年期からあなたのマインドに、くつろぎに反する観念を植え付ける。
私は、一日中くつろぎなさいと言っているわけではない。仕事をし、自分自身のための時間をいくらか見つけなさい。それは、くつろぎの中でこそ見つかる。あなたは驚くだろうが、二十四時間の中で常に1時間と2時間くつろぐことができたら、それは自己への深い洞察を与えてくれるだろう。
外見的には、それはあなたの行動を変える---あなたは、より穏やかに、静かになるだろう。それは、あなたの仕事の質を変える---それは、より芸術的に、優美になるだろう。いつもよりも、間違えることが減る。それは今、あながた以前よりもまとまり、中心が定まっているからだ。
くつろぎには奇跡的な力がある。くつろぎは怠惰ではない。外見から見ると、怠け者は何も働いていないかのようだが、彼のマインドはフルスピードで働いている。くつろいだ人というのは---身体がくつろぎ、マインドがくつろぎ、ハートがくつろいでいる---2時間の間、彼はいないも同然だ。この2時間のうちに、彼の身体は回復し、ハートは回復し、知性は回復する。あなたはそれを、彼の仕事の中に見て取るだろう。
もはや猛進することはないが、彼は敗者ではない。彼は必要もなく四方八方に走らない。行きたい地点へ一直線に進む。そして、為すべきことを行ない、不要なことは行なわない。彼は言うべきことだけを言う。彼の言葉は電報のようになり、彼の動きは優美になり、変えの生は詩になる。
くつろぎはあなたを変容させ、そのように美しい高みへと、あなたを連れて行くことができる---そして、そのテクニックは実に簡単だ。たいそうなことではない。古い習慣のせいで、数日はそれが難しく思われるだろう。古い習慣を打ち砕くには日数がかかる。
より深く深くくつろぐにつれ、それは瞑想になる。
瞑想とは、もっとも深いくつろぎの呼び名だ。OSHO p74~82
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