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2013/07/04

こころでからだの声を聴く<12>

<11>からつづく

こころでからだの声を聴く
「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング<12> 目次
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1

◆身体の英知を認める 

 身体には大いなる英知がある---それを認めなさい。それをもっと認め、その独自の英知に従いなさい。そして時間があるときは、ただくつろいでごらん。呼吸は、ひとりで続けさせる。干渉してはいけない。私たちの干渉癖は、、かなり深く染み付いていて、干渉せずには呼吸もできないほどだ。呼吸を見守ると、自分が干渉し始めたことに気づくだろう。あなたは深呼吸を始めたり、あるいはもっとゆっくり息を吐き出したりする。干渉する必要はまったくない。いつものように呼吸をしなさい。あなたの身体は、必要なことを熟知している。もっと酸素が必要なら呼吸は増えるだろうし、それほど必要なければ呼吸は減るだろう。 

 それはすべて身体に任せておきなさい! おせっかいを完全にやめること。どこかに緊張を感じるときは、その部分を緩めてごらん。そして、ゆっくりと・・・・まず座って休息しているときに始め、次に何かをしながらやってみるといい。床を掃除したり、台所やオフィスで仕事をしたりしているとき、そのくつろぎを維持しなさい。くつろいだ状態を動きが干渉する必要はない。すると、あなたの活動には美しさが、大いなる美しさがある。だろう。あなたの活動は、瞑想性を帯びるだろう。 

 だが、人々は不必要な努力を続ける。ときに、その努力は自らの障壁であり、その努力は自らがつくり出している問題だ。 

 大吹雪の間、町はとても混乱していた。ムラ・ナスルディンは、太っちょの婦人がタクシーに乗り込むのを助けに行った。突進したり、押し込んだり、氷の上で滑ったりしたあげく、あなたを車に乗せるのは無理なようだと彼は言った。 

 彼女いわく、「乗るですって? 私は降りようとしているのよ!」 

 ただ観察しなさい・・・・押せば逃してしまうような事柄がある。とにかく、川を押してはいけない。また、上流へ進もうとしてはいけない。川は、ひとりでに海に向かって流れている---ちょっとその一部に、その旅の一部になってごらん。それはあなたを究極なるものへと連れて行くだろう。 

 くつろげばわかるし、くつろがなければわからない。くつろぎは、あの大いなる知---光明(エンライトメント)への扉となる。 

◆歓びというシンフォニー 

 実のところ歓びとは、あなたの身体がシンフォニーを奏でていること---身体が音楽的なリズムの内にあることに他ならない。歓びは楽しみとは違う。楽しみは、何か他から得なければならないものだ。歓びとは、ただあなた自身であることだ---生き生きとして、余すところなく躍動し、正気に満ちている。あなたの身体のまわりや、身体の中の、かすかな音楽の気配、シンフォニー---それが歓びだ。身体が流動しているとき、身体が川のように流れているとき、あなたは歓びに満ちていられる。 

 健やかな有機体は、常にオーガズムの頂点に到達することができる。それはオーガズミックだ。それは流動し、流れている。 

 幸せな人が笑うとき、彼はまるで全身が笑うかのように笑う。唇だけ、顔だけの笑いではない。足から頭まで、彼はひとつの完全な有機体として笑う。笑のさざ波が、彼の実存を通してあふれ出る。彼の全生命力は、笑と共に波打つ。それは踊っている。健全な人が悲しむとき、彼は心の底から悲しむ---全身全霊で。健全な人が怒るとき、彼は心の底から怒る---全身全霊で。彼が愛を交わすとき、彼は愛そのものだ---他の何ものでもない。彼が愛を交わすとき、彼はただ愛を交わすのみだ。 

 実のところ、愛を交わすと言うのは正しくない。英語の表現は粗野だ。愛は、交わせるものではないのだから。彼は愛を交わすのではない---彼は愛そのものだ。彼は愛のエネルギーに他ならない。そしてそれが、彼のあらゆる行為におけるやり方だ。歩いているなら、彼はただ歩くエネルギーになっている。そこに歩く人はいない。穴を掘っているなら、ただ掘る行為になっている。 

 健全な人は、ひとつの実態ではなく、ひとつの過程(プロセス)、動的なプロセスだ。もしくは、健全な人は名詞ではなく、動詞のようなものであるとも言える---川(river)ではなく、川となって流れている(revering)。彼は、絶えずあらゆる方向に流れ、あふれ出ている。そして、それを阻止する社会は病んでいる。どんな形であれ、抑制された人は病んで偏っている。全体ではなく、一部がはたらいているだけだ。 

 多くの女性は、オーガズムがどんなものかを知らない。多くの男性は、全面的なオーガズムを知らない。多くの人は局部的なオーガズム、性器のオーガズムにしか達しない---それは性器に限定されている。性器でほんのわずかにさざ波が立ち---それでおしまいだ。それは、全身が渦に巻き込まれ、あなたが深淵の中に失われるときのように、支配的なものではない。一時(いっとき)、時間がとまり、マインドは働かない。一時、あなたは自分が誰なのかわからない。それが全面的なオーガズムだ。 

 人間は不健全で病的だ。それは、社会があらゆる形で人を不具にしてきたからだ。あなたは全身全霊で愛することを許されていない。あなたは怒ることを許されていない。あなたは自分自身であることを許されていない。無数の制限んが押し付けられている。 

 本当に健全になりたいのなら、自分自身への抑制を解くことだ。社会があなたにしてきたすべてを、取り消すことだ。社会は実に罪つくりだ。けれども、それが私たちの唯一の社会だから、今のところ何もできない。それぞれが、この病的な社会で、自分なりの取り組みをするしかない。そして最良の方法は、可能なかぎりさまざまな形で、オーガズミックになることだ。 

 泳ぎに行くなら、泳ぎなさい。ただし、あなたが「泳ぎ(swimming)という動詞になり、名詞が消滅するほどに、全身全霊をこめた存在として泳ぐ。走るなら、走りなさい。すると「ランナー(runner)」ではなく、「走り(running)」になる。オリンピックでは、ランナーがいて、エゴがあって、競争相手がいる・・・・すべて野心的だ。ランナーが存在することなく、ただ走れるなら、その走る行為は禅になる---それは瞑想的になる。踊りなさい、でもダンサーになってはいけない。なぜならダンサーは作為的になり、全身全霊でなくなってしまうからだ。ただ踊り、どこであれ踊りが望むところへ、あなたを連れ去らせなさい。 

 生を是認し、生を信頼しなさい。すると次第に、生はあなたの抑圧をすべて打ち砕くだろう。そしてエネルギーが、妨げられた部分のすみずみに流れ始める。 

 だから何をするにしても、もっと流れになるという秘訣と共に行なってごらん。誰かの手を握るなら、心から握る。ともあれ、あなたは手を握っている。だったら、どうしてこの瞬間を無駄にする? 心から握りなさい! ただの死んだふたつの手がお互いに握り合い、いつ相手が去ってしまうかを心配しているようではいけない。話をするなら、情熱的に話す。さもないと、あなたは相手と自分自身を退屈させてしまうだろう。 

 生は情熱、打ち震える情熱、脈動する情熱、途方もないエネルギーであるべきだ。何事も、だらだら行なってはいけない。そんなことなら、やらないことだ。何かをすべき義務などない。しかし、やりたいと思うことは心から行ないなさい。 

 次第に抑圧はすっかり消えてゆき、あなたの人生が取り戻されるだろう。あなたの身体が取り戻され、あなたのマインドが取り戻される。社会は、身体やマインド---あらゆるものを不具にしてきた。それは定められた選択をあなたに与えてきた。あなたには、ほんのわずかな隙間しか開かれておらず、あなたはその隙間からしか見ることができない。全体を見ることは許されていない。OSHO p82~87

<13>につづく

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