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2013/07/06

こころでからだの声を聴く<17> 

<16からつづく

こころでからだの声を聴く
「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング<17> 
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1目次

4、ストレスに起因する病気 

質問:私は頻繫に具合が悪くなりますが、自分は頑張りすぎるのと関係があると思います。そのとき私は、もはや自分のセンターとつながっていない感じがし、身体の具合が悪くなるのです。
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 誰もが、自分の身体の機能を理解するといい。自分の身体が許容できる以上のことをしようとしたら、いつか必ず具合が悪くなるだろう。
 

 自分の身体に負荷をかけうには一定の限界があり、それは永久には続かない。あなたはハードに働き過ぎているのかもしれない。他の人にはハード過ぎるようには見えなくても、それは重要ではない。あなたの身体は、そんなに多くは許容できない---休養が必要だ。そして、最終的に結果は等しい。2、3週間働いて2、3週間休むより、毎日の仕事量を半分に減らして、6週間ずっと働く方がいい---簡単な算数だ。 

 自分の身体に負荷をかけるのは、とても危険だ。というのも、それは身体の繊細な部分を、数多く破壊し得るからだ---絶え間なく働き過ぎて疲れ果て、体調を崩し、ベッドに横たわって、すべてを呪うのは破壊的だ。スピードを落し、ゆっくり動きなさい。そして多方面にわたってそうしなさい。たとえば、自分の歩き方をやめてみる。ゆっくり歩き、ゆっくり呼吸し、ゆっくり話す。ゆっくり食べてみる---いつもは20分なら、今度は40分にする。ゆっくり風呂に入ってみる---いつも10分なら、20分にする。そして、あらゆる活動を半分に減らす。 

 問題は、ああんたの仕事だけではない。二十四時間すべてを変えることだ。何をするときも、スピードを半分に落とすといい。生活のパターンとスタイルをすべて変える。ゆっくり話し、読む速度さえも落す。なぜなら、マインドはすべてを特定の方法で行なう傾向があるからだ。 

 働きバチの人は、速く読み、早く話し、早く食べる。それは一種の強迫観念だ。何をしていても速いペースで行なう---たとえ、その必要がなくても。ちょっと朝の散歩に出たら、さっさと歩くだろう。どこへ行くわけでもない。ただの散歩だ。2マイル歩こうが、3マイル歩こうが、何の違いもない。だが、スピードにとりつかれた人は常にせわしない。それは自動的なものだ。自動的、機械的な振る舞いだ。 

 そこで今日から、すべてを半分に減らしなさい。ゆっくり立ち、ゆっくり歩く。すると、それは物事への深い気づきをもたらしてくれる。なぜなら、物事をきわめてゆっくり行なうと---たとえば手をゆっくり動かすと、手の動きによく気づくようになるからだ。手を速く動かすと、あなたは機械的に行なってしまう。 

 ペースを落としたいなら、意識的にペースを落とすことだ。他に方法はない。 

 それは能力の問題ではなく、スピードの問題にすぎない。誰にも自分なりのスピードがある。要は、自分のスピードで動くこと。それがあなたにとって自然だ。それは、能力とは関係ない。あなたは、これだけの動きでも充分に仕事ができる。そかし私が思うに、あなたはもっとできる。ひとたび自分にふさわしいリズムに至れば、あなたはもっと多くのことができるだろう。 

 忙しさにきりきり舞いすることもなく、すべてはスムーズに運び、あなたはより多くのことを達成できる。ゆっくり働く人もいるが、この種の遅さは、結果として独自の質をもたらす。そして実のところ、それらはよりよい質だ。速く働く人は、量的には申し分ない。彼は量的により多くのものを生産できる。しかし質的には、さほど良いとは言えない。ゆっくり働く人は、質的にはより完璧だ。彼の全エネルギーは、質的な次元に入っていく。量は多くないかもしれないが、量は実のところ重要ではない。 

 わずかであっても、本当に美しいことを完璧に近くできるなら、あなたはとても幸せで満ち足りた感じを覚える。多くのことを行なう必要はない。たとえひとつでも行なうことができれば、それはあなたに完全な満足を、充分なものを与えてくれる。あなたの生は満たされる。さもないと、たくさんやり続けていても、何ひとつあなたを満足させるものはなく、すべてがあなたたに吐き気を催させ、あなたを病気にすることもある。そんなことに何の意味があるだろう? 

 基本的なことをいくつか理解するといい。固定的な人間の本性というものは存在しない。人間の本性は数だけある。だから基準などない。ある人は速く走り、ある人はゆっくり歩く。彼らを比較することはできない。二人とも別々であり、完全にユニークで、別個の人間だ。それを思い悩むことはない。比較してはいけない。たとえば、あなたは誰かが眠らず大変なことをしているのを見かける。一方あなたは、少しばかり何かするけれど、眠らずにはいられない。そのためあなたは気が引けて、自分の能力は人並み以下だと考える。 

 だが、彼は何者なのか? なぜ、あなたは自分と彼を比較しようとするのか? あなたはあなた、彼は彼だ。もし、ゆっくりと動くように強いられたら、彼は具合が悪くなるかもしれない。それは彼の本性に背いているからだ。あなたのしていることは、あなたの本性に背いているに違いない---だから、ちょっと自分の本性に耳を傾けてごらん。 

 常に、身体に耳を傾けさなさい。それは囁いている。叫んだりはしない。というのも叫べないからだ。身体はとても小さな囁き声で、あなたにメッセージを送っている。あなたの注意が研ぎ澄まされていれば、それらを理解できるだろう。まった、身体には独自の英知がある。それはマインドよりもずっと深い。マインドは未熟なものでしかない。身体は、マインドなしで何千年も存続してきた。毎度は、遅れて登場したにすぎない。マインドはまだ、あまり多くを知らない。基本的なことはどれも、依然として身体がコントロールしている。マインドに任されてきたのは、不要なものだけだ---すなわち考えること、哲学や神や地獄や政治について考えることだ。 

 もっとも基本的な機能---呼吸、食物の消化、血液の循環は、身体のコントロールのもとに置かれている。一方で、贅沢なことだけがマインドに任されている。 

 だから、身体に耳を傾けなさい。そして、決して比較してはいけない。あなたのような人はこれまで居たことはなかったし、これから先も再び居ることはないだろう。あなたはユニークだ---過去、現在、未来において。だから、誰とも人柄を比較できないし、誰かを模倣することもできない。OSHO P110~114

<18>につづく

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