こころでからだの声を聴く<18>
「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング<18>
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1目次
5、内側から身体を感じる
質問:私はとても頭でっかちな人間ですが、最近、自分の身体とマインドが、いろいろ変化しました。私は、もっと内側から自分自身を感じるようになっています。ですが今、前の習慣に戻って、万℃に再び支配されるのを恐れています。どうしたら、もっと頭から身体へ移行できるでしょうか?
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マインドに変化が起こると、必ず身体は即座に影響を受ける。それが真の変化だったら、あなたはきっと身体の奥深くでも、何かが変化しているのを感じるだろう。そして、身体の何かが変化している場合、再びマインドにとらわれるのを恐れる必要はまったく。それは容易ではない。マインドだけが変化し、身体がそれを知らなかったとしたら、マインドは簡単に主導権を握れる。なぜなら、変化は表面に留まるからだ。身体は、あなたの根があるところだ。
身体は、あなたが大地に根を張るところだ。マインドは空に伸びる枝と似ている---それは一見すばらしいものに見えるが、すべては大地の暗闇深くに存在する根に依存している。根は自分を人目にさらしたり、姿を現わしたりしない。すこしぶらぶら歩けば、あなたは枝や花を見かけるだろう。しかし、あなたは根には気づかない。
枝だけが変化して、根は影響を受けていないとしたら、その変化は長くは続かない。しかし、根に影響が及んでいるなら変化は続くし、そのプロセスが簡単に覆(くつがえ)されるうことはない。だから心配しないでいい。身体に起こっている現象にもっと注意を払い、そして感じていなさい。
あなたは、身体の内側を感じている---それは実にすばらしいことだ。身体に無感覚な人は大勢いる。大多数がそうだ。彼らは自分が身体の中にいることを完全に忘れている・・・・・幽霊のようなものだ。
身体の中にある自分自身の根を再発見することは、きっと新たな感覚に違いない。というのも、人間は根から完全に切り離されてしまったからだ。
身体は何千年にもわたって抑圧されてきた。一方、マインドには主(あるじ)といいう概念が与えられてきた。マインドこそすべてであり、身体は召使にすぎない---実のところ、身体は非難されるものであり、罪のようなものなのだと。
自分が身体を持っていることに、羞恥心を抱く人もいる。だから、人々は裸になるのを恐れる。ひとたび裸になったら、あなたはマインドというよりも身体だ。衣服は、身体が存在しないかのような感覚を与えてくれる---顔、頭、目しか存在しない。マインドの全メカニズムは、そこに位置している。だから裸になると、自分が身体であることに突然気づく---そして、それはいい感じがしない。
自分の身体の中に留まりなさい。それこそが現実(リアリティ)だ。もっともっと感じてごらん・・・・・。身体が持ち得る、あらゆる繊細さを容認しなさい。それを再び獲得し、再生させ、より多くの変化を許し、身体の存在を感じられるようになりなさい。たとえば、ときどき目を閉じて大地に横たわり、身体で大地を感じる。考えてはいけない、感じてごらん。
川に行って、水の中、砂の中に横たわる。太陽を浴びて横たわる。もっと感じてごらん・・・・敏感になってごらん。パンを食べるときは、まず手でそれを感じ、頬に当ててそれを感じ、臭いをかぐ。まず、身体にパンを理解させ、それから味わう・・・・・。目を閉じ、味覚をすみずみまで行き渡らせなさい。急いではいけない。ただ詰め込み続けてもいけない。楽しみ、よく噛みなさい---このパンは、あなたの身体になる。この機械を逃してはならない。このパンは、あなたの身体になり得る。だから、それを受け取り、歓迎してごらん。すると数ヶ月のうちに、あなたはまったく異なる身体になるだろう。
これまでとは違うマインド、違う態度で食べ、違う態度で水を飲むなら---そして常により敏感で、繊細であることを心がけるなら---やがてわかるだろう。自分の身体の、さまざまな部分が死んでいたと。あなたは息を吹き返す。あなたは眠れるライオンだった。今やそのライオンが戻ってきて、脚を広げ、身体を伸ばしているかのようだ。あなたは、生命が湧き起こる不思議な感覚を発見するだろう。それは、ほとんど復活に近い。
6、不眠
質問:よく眠れません。いつも朝の3時から4時の間に目覚めてしまいます。
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いつも3時から4時の間に目覚めるのかね? だとしたら、それを瞑想の時間にしなさい。
常に、積極的な行為のために機会を利用しなさい。何事にも創造的でありなさい。眠れないのなら、強いて眠る必要はない。そもそも、眠りは強制できないものだ。眠りは、意図して行なえないエネルギーの一つだ。意図的に行なったら、あなたは掻き乱されるだろう。眠りを強制しようと何かしたら、まさにその行為が障害となる。というのも、眠りは行為と逆で、無為の状態であるからだ。だから、何か努力をしたら---たとえばヒツジを数えたり、マントラを繰り返したり、あちらからこちらへ寝返りを打ったり、神の名を呼んで祈り始めたりしたら---そうしたことはすべて、あなたをいっそう目覚めさせる。そんなものは役に立たないが、人々はやり続けている。
私のアプローチは完全に異なる。第一に、眠気が去っているということは、あなたの身体が充分に休息していいて、別の欲求があるということだ・・・・。
「でも、私は疲れ切っている感じがします」
それは、あなたのマインドだ。あなたの身体とは関係ない。よく眠れていないという、まさにその思いがあなたを疲れさせる。本当は睡眠不足なのではない。なぜなら、身体の仕組み、身体の組織には、独自の英知があるからだ。たとえば、あなたが食べているとしよう。すると身体が「もう充分!」と言う。でもあなたは言う「私は痩せていて貧弱だから、もっと食べないと」。それは間違いだ。あなたは、自ら問題をつくり出している。あなたは食べることができる。もう少しばかり強制でき、詰め込める。しかし、身体の組織にはその用意がなく、食物を受け付けないだろう。
まったく食べる気がしない日もある。しかしマインドは、食べないなら弱ってしまうぞと言う。1日で弱ってしまう人はいない。身体が食べたくなと感じているなら、それは耳を傾けた方がいい。身体の方がよく弁(わきま)えている。身体には、今食べるのは危険だという本能的な認識がある。たぶん、腸内で何らかの営みが行なわれていて、あなたが食物を取り入れる前に、身体は腸内を掃除したいのだろう。何らかの毒素が入り込んだのかもしれない。あなたはすでに食物を取り込み過ぎ、身体は食物の処理を終えられずにいる。もうこれ以上の仕事は必要ない。さもないと、全メカニズムはパンクし、処理不能になってしまう。だから身体は言う、「食事はいらない、食欲がない」と。食欲がないというのは身体の言葉だが、あなたにとっては象徴(シンボル)にすぎない。身体は言葉を話せない---「ストップ!」とは言えない。食欲がないというのは象徴だ---身体の象徴だ。身体は「食べてはダメ!」と言っている。でもあなたはマインドで、1日に少なくとも2回から3回は食べなければいけない、さもないと弱ってしまうと思っている。そして食べ物を詰め込み続ける。あなたは食欲がないから、偽の食欲をつくり出そうとする。偽の食物をつくり出すためい、食事にもっとスパイスを入れたり、かねがね食事をしたいと思っていた店に行ったりする。あなたは身体を騙そうとしているが、それは愚かなことだ!
睡眠についても同じだ。眠りにつき、3時か4時に目が覚めるとしたら、それは身体が休息うをとったということに他ならない。身体の眠りは終わったが、今度はマインドが問題をつくり出している。そこで、そうした時間を活用しなさい。ただ、そこに静かに横たわり、夜の静寂を楽しんでごらん! 眠りが破られて掻き乱されるより、この瞬間を瞑想として楽しむといい。起きる必要はない。ただベッドの上に横たわり、休息する。ただし、耳を傾けなさい・・・・そこには夜の音がある、夜の静寂(しじま)が。車の行き交う音がするが人々はいない---誰もが眠っている。すばらしいことだ! あなたは独りきりで---ほとんど山中にいるかのように---暗闇と共に、人を沈静させる暗闇と共にある。それを楽しみ、その楽しみの中にくつろぎなさい。
要点がわかるかな? さもないと、あなたは苦しむ---また眠りが破られてしまったと。明日もまた疲れて心労を抱え、緊張と苦悩と危惧があるだろう。これらが、またしもあなたを眠らせない。
積極的な見方をしなさい。kの時間を活用してごらん。夜や夜の音と波長を合わせ、楽しみなさい! そこには途方もない美しさがある。すると、いつの間にか再び眠りに落ちるだろう・・・・・。だが、それは副産物であり、副産物でしかあり得ない。夜の音に耳を傾けることに没頭すると、あなたは再びゆっくりと眠りの中にすべり込む---どんな意志にもよらずに。
また、私は眠るために瞑想すべきだと言ってはいない---決して。「~のために」や、「~だから」はない。私は、楽しみなさいと言っているだけだ! すると突然、眠りが起こったことに気づくだろう。しかし、眠りが起こるか否かは重要ではない。眠りが起こればそれでいいし、起こらなくてもまったく申し分ない。ほんの3週間でもそうすれば、疲労はすっかり消え去るだろう。そうれはマインドの産物だ。あなたは朝っぱらから、自分は疲れているという思いを持ち運んでいる。当然、あなたはますます疲れていくだろう。あなたはすべてを恐れ、あらゆる参加を恐れるようになる。すでに疲れているのだから、こんなことをしたらもっと疲れてしまう、というわけだ。あなたは、自分のまわりにノイローゼを生み出している。
睡眠や食事に関しては、すべての人が異なる生理的欲求を持っている。ある人は8時間眠り、またある人は10時間眠る必要があり、6時間だけでいい人や、ほんの4時間で充分な人もいる。そしてときには、ほんの2、3時間でいい人々もいる。
私の実父は、3時移行は眠れなかった。11時頃寝るから、せいぜい3、4時間しか眠っていなかったことになる。母はいtjも心配していたが、私は父に、座って瞑想するといいと言った。そこで、彼は3時から座った。それは、彼にとって神聖なるものへの扉となった。何年もの間、彼は3時から7時まで座った・・・・・しかも、ほとんど銅像のようになり、自分の身体を忘れていた。
それは彼の生涯で、もっとも貴重な経験となった---不眠がそれを授けてくれた。3時までには彼の疲れは消えていた。彼のメカニズム、身体の機能の仕方がそうだったのだ。はじめは彼も眠ろうとしていた。それは苦しいことだった。というのも眠りは訪れず、眠ろうとすると疲れてしまうからだ。朝になる頃には、彼はイライラしていた。もし毎晩のように3、4時間、眠ろうと苦心しても眠りが訪れなかったら、イライラせずにはいられない。しかし、瞑想に出会ってからというもの、イライラはすべて消え去った。しかもその時間は、彼にとってもっとも価値ある時間となった。彼は待ち望むようになった。二十四時間、そのことを思っていた。その時間は、もっともやすらぎに満ちていたからだ。彼は時間を正しく使った。OSHO p114~122
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