こころでからだの声を聴く<23>
「こころでからだの声を聴く」<23> ボディ・マインド・バランシング
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1 目次
9、美醜
質問:私は、自分がとても醜いという感じを抱き続けています。どうも私は、友人や出会う人たちに、私に目を向けるのはイヤだという催眠術をかけているようです。
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マインドは不必要な問題をつくり続ける。しかしながら、根拠のない問題をつくることが、マインドの機能のすべてだ。そして、ひとたびマインドが問題をつくりだすと、あなたはそれにとらわれ、解決しようとする。解決しようと、してはいけない。ただ、それらに根拠がないことを理解しなさい。完全に的外れなのを理解する---それだけのことだ。何かし始めたら、あなたは問題を容認してしまう。ただ、それが的外れであることを理解しなさい。
すべての顔が美しい。すべての顔がそれぞれに美しい。すべての顔は異なり、どの顔もユニークだ。実のところ、比較も比較の可能性もない。あなたがこのことを認めたら、あなたは美しくなるだろう。受容を通して、美しさが芽生える。あんた自身が否定し、拒絶したら、あなたは不具になり、醜くなるだろう。さぁ、そこには悪循環がある。
まず、あなたは拒絶する。あなたは受容しない---すると、あなたは醜くなる。すぐに他人もその醜さを感じ始め、あなたは「そのとおり、それは本当だ。私の考えは筋が通っている」と言う。こうして、あなたは自分自身をさらに拒絶する。これこそ、マインドが自己満足を続けるからくりだ。そして、ひとたびあなたが最初のステップを踏み外すと、すべてマインドが予言したとおりになる。最初のステップとは、自分は自分であるということだ。
美に基準はない。実のところ、ほぼ5千年にわたって哲学者たちは美を定義しようとしてきた。そして、いまだに定義できていない。なぜなら基準がないからだ。さる人は誰かにとっては美しいが、別の人にとっては美しくない。もっとも美しい女性ですら、ある人にとっては醜く見える。それは完全に個人の選択だ。
だから基準はない・・・・・そして、服の流行のように基準は変わる。たとえばインドでは、大きな胸と大きな尻をしていない女性は、美しいと思われない。今日の西洋では、大きな尻はほとんど消え失せ、胸もどんどん小さくなってきている。異なる美の概念が生まれている。
そしてどんな概念であれ、身体はそれを実現する。理解しておくといい、ある国で大きな胸が美しいとみなされると、女性は大きな胸をつくり出す。
一般に、小説や詩や文学は社会を反映すると言われている。しかし、それは逆向きにも作用する。小説や詩や文学が社会をつくることもあるのだ。ひとたびあなたがある種の想念を抱き、それが人々のマインドに入り込むと、それは作用する。
この人は美しく、この人は美しくないといった基準はない。それは個人の好みであり、実のところ気まぐれなものだ。しかし、そもそも自分自身を受け容れないとしたら、あなたは誰もあなたのことを受け容れない状況をつくり出している。なぜなら、自分が受け容れないとしたら、他人も受け容れさせないからだ。
あなたが女性で、ある男性があなたに恋をしたら、あなたはその愛を壊そうとするだろう。あなたは言う、「よくこんな醜い婆さんに恋ができるわね?」と。あるいは、その男性の美意識はかなり奇妙だと思うだろう。自分自身を愛さないなら、他人もあなたを愛せない。だからまず、誰もが自分自身に恋をするといい。
イエスは言う、「神を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい」。それが基本的な教えだ。もし自分自身を愛するなら、あなたは隣人を愛することができるし、神を愛することができる。ただし基本となる戒律は、自分自身を愛せよということだ。
自分自身を愛し、自分自身に満足していられるなら、あなたは多くの人々を惹きつけるだろう。自分自身を愛する女性は美しいに違いない。美しいはずだ。彼女は自分自身への愛の中から、美を生み出す。彼女は優美で、気品のある人になる。
10、偽りの美しさ、真の美しさ
質問:美しさとは何でしょうか?
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内面の美こそ、存在する唯一の美しさだ。他の美しさはすべて、皮相なものにすぎない。しばらくは自分を騙せるが、遅かれ早かれ他の美しさは擦り減り、人は完全な醜さの中に取り残される。それは、真の美しさを磨かなかったからだ。真の美しさとは、顔立ちとは関係ない、内面から来る輝きだ。それは目の形とは関係ない。むしろ目をとおして輝き出す光だ。それは身体とは関係ない。むしろ身体を通して波打つ内側の臨在だ。真の美しさは、あなたの実存の核で芽生え、身体に向かって外側へ広がって行く。偽の美しさは、表面にあるだけだ。それはあなたの中に根を持たず、根づいていない。
覚えておきなさい、人は真の美しさを求め、探求していかねばならない。そして真なるものは永遠であり、持続する。ひとたびそれを見つけたら、あなたは永遠にそれを発見したということだ。一時的なものは時間の浪費にすぎない---一種の夢だ。しばらくは夢に夢中でいられるが、目覚めればたちまち、それはすべて馬鹿げて愚かなものであることがわかるだろう。
11、加齢
質問:助けてください! 私は歳をとっていきます!
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自分自身の身体に好感を抱くことは、途方もなく人生の助けになる。それはあなたをより健康的に、より全体的にするだろう。多くの人が自分の身体を忘れてしまっている。彼らは身体に無関心になり、身体は服の下に隠し、常に覆いをかけられるべきもので、人目にふれてはならぬもの、卑猥で不純なものだと考える。まったく馬鹿げた考えであり、神経症的な考えだ。
身体は美しい。身体は、老いも若きも問わず美しい。もちろん、若者には若者なりの美しさがあり、年配者には年配者の美しさがある。
若い身体は、より活力に満ちている。年老いた身体は、より知恵がある。それぞれの年代に、独自の美しさがある。それらを比較する必要はない。特に西洋では、老いた身体は実におぞましいという概念ができてしまっている。どういうわけか、生は若さと同じ意味だと考えられているからだ。それは馬鹿げた話だ。その点、東洋の方が優れている。東洋では、生は老いと同じ意味だと考えられている。なぜなら老人はより長く生き、より多くの経験を積み、より多くの愛をそそいできたからだ。老人は人生のさまざまな季節を、浮き沈みを知っている。老人は、青年期を生きたことがある。、若者は、まだ老境を生きてはいない。
年老いた身体は、あらゆる体験、心の傷、精神的痛手、円熟した体験を通して訪れる品格を備えている。そしてどの年代であれ、ひとたび自分の身体にくつろぎ、悲しみ始めるなら、あなたは突然、身体が再び美しくなるのを感じる。そして、それは内側のさまざまなものを解き放つ。OSHOp130~135
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