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2013/07/15

こころでからだの声を聴く<25>

<24>よりつづく 

こころでからだの声を聴く
「こころでからだの声を聴く」<25> ボディ・マインド・バランシング 
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1 目次

13:インポテンツ

質問:女性と愛を交わすとき、いつもインポテンツの恐怖が湧き起こるのですが。
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 西洋的な態度は、常に何かを起こし、何かを行なおうとする! しかし「行なう」ことのできない物事がいくつかある。そのところで、西洋はひどく狂奔してしまう!

 睡眠とセックス---これらは「行なう」ことのできないものだ。だから西洋は、睡眠不足つまり不眠症で非常に苦しんでいる。セックスについても、また然りだ。自分は本来あるべきようにセックスを味わっていないのではないかと、誰もが心配している。オーガズムが訪れない、あるいはごく一部でしかない、あるいはオーガズムが熱を帯びていない、あるいは全面的でないというように。また、眠りの質も良くない---夢を見すぎる。何度も目覚めたり、眠りが訪れるまで何時間も待たねばならなかったりする。人々は眠りを誘おうと、ありとあらゆること---精神安定剤、トリック、マントラ、超越瞑想を試みている。

 また、セックスについても心配し過ぎている。まさにその心配、何とかしようとするまさにその努力が問題なのだ。

 セックスは起こるものだ。為すべきものではない。そこで、セックスへの東洋の態度、タントラの態度を学ぶといい。タントラの態度とは、相手に対して愛情に満ちていることだ。計画する必要はない。頭で予行演習する必要もない。特別に何かをする必要はなく、ただ愛に満ち、オープンでいる。お互いのエネルギーで戯れ続けるといい。そして愛を交わし始めるとき、それを大袈裟なものにする必要はない。さもないと、あなたは偽りを装うことにない、相手も同じことになるだろう。彼女は愛情深いふりをし、あなたも愛情深いふりをする・・・・・そして二人とも満足しない! ポーズは不要だ。

 愛を交わすことは、とても静かな祈りだ。それは瞑想だ。それは神聖なもの---聖なるものの中でも、もっとも聖なるものだ。だから、女性と愛を交わしている間は、ごくゆっくり行ない、味わい、そのあらゆる香りを吸収しなさい。ごくゆっくり行なうこと。急がない。急ぐ必要はない。時間はたっぷりある。

 そして愛を交わしている間は、オーガズムのことは忘れなさい。それより、女性と共にリラックスした状態でいること。互いにリラックスしなさい。西洋人のマインドは絶えず考えている---いつオーガズムはやって来るか、どうしたらそれをもっと早くすばらしいものにできるかといったあれこれを。その思考活動が、身体のエネルギーが機能するのを妨げている。それが、身体の独自のやり方を妨げている。マインドは干渉し続ける・・・・。

 相手と共にリラックスしなさい。何も起こらないとしても、何かを起こそうとする必要はない。何も起こらないとしたら、それこそが起こっていることだ・・・・それもまた、すばらしい! オーガズムは毎日のように起こる必要はない。セックスとは、ただ共に在ること、ただ互いの中へ溶け込むことであるべきだ。そうすれば、相手の中にリラックスしながら、30分でも、1時間でも愛を交わし続けることができる。すると、あなたは完全なマインド不在の状態になる。なぜなら、マインドは不要だからだ。マインドが不要なところでは、愛こそ唯一のものだ。そして、それが西洋のまちがっている点だ。西洋は、そこにさえもマインドを持ち込む!

 だから、互いの中にリラックスし、マインドのことは忘れなさい。相手の存在そのものを楽しみ、出会いを楽しみ、その中に我を忘れる。そこから何かを生み出そうとはしない。何もつくり出すものはない。するとある日、谷間のオーガズムがあるだろう。頂上はない。あるのはくつろぎだけだ。しかし、それには独自の頂(いただき)がある。なぜなら深みがあるからだ。ある日、身体は頂上のオーガズムへの引き金を引く。頂上もまた訪れる。あなたは、ただそこにいるだろう。

 ときには谷間があり、ときには頂上がある・・・・それはリズムだ。毎日のように頂上を得ることはできない。頂上しか得ないなら、その頂上はたいしたものではないだろう。頂上は、谷間に行くことによって獲得しなければならない。だから、それは半々だ。ときにそれは谷間のオーガズムであるだろう。そのときは谷間の暗闇の中に、涼しさとやすらぎの中に失われなさい。それが頂上を獲得する方法だ。ある日、エネルギーの準備が整う。それは自ら頂上へと向かう。あなたがそれを連れていくわけではない。どうして、あなたにそんなことができるだろう? あなたは何者なのか? またどうして、そんなことが可能なのか? 谷間にいることによって、エネルギーは蓄積される。頂上は谷間から生まれる。すると、大きなオーガズムがあり、あなたの全存在に悦びが広がる。

 頂上に悦びがあり、谷間にはやすらぎがある。両方とも美しい。だが最終的には、悦びよりもやすらぎの方に価値がある。なぜなら、悦びは刹那的だからだ。頂上には、一瞬より長くは留まれない。頂上とは、非常に小さいピラミッドのようなものを意味する。そこには長く立っていられない。ほんの一瞬いられるだけだ。しかし谷間が訪れたら、そこにはもっと長くいられる。両方を楽しむことが肝腎だ。両方とも何かを届けてくれる。両方とも意味深いものであり、あなたの成長を助けてくれる。

 最終的にはタントラが言うように、谷間のオーガズム頂上よりも遥かにまさる。頂上のオーガズムは成熟していないが、谷間のオーガズムには深い成熟がある。頂上のオーガズムには興奮があり、熱っぽく、情熱的だ。スリルがあるけれども、そのスリルは疲れる。谷間のオーガズムにはスリルはないが、静寂がある。そしてその静寂は、より価値のあるものであり、よりあなたを変容させてくれるものだ。それはニ十四時間、あなたと共に留まる。ひとたび谷間に至ったら、その谷間はあなたに付き従う。頂上は失われるものであり、あなたは疲れ切って眠りに落ちるだろう。谷間は持続する。それは何日間も、あなたにある種の影響を及ぼす。あなたはリラックスして、一体感を抱くだろう。

 両方とも良いものだ。だが、どれひとつ「行なう」ことはできない。ただ、妨げずに許すこと、愛とは一種のくつろぎであり、その中では物事を妨げずに許すことだ。OSHO p140~144

<26>につづく

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