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2013/07/16

こころでからだの声を聴く<26>

<25>よりつづく 

こころでからだの声を聴く
「こころでからだの声を聴く」<26> ボディ・マインド・バランシング 
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1 目次

14.ひきこもり

質問:ときどき私は、暗い穴の中に隠れていたい気分になります。とくに生理中には。
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 エネルギーには波がある。潮が満ちるときもあれば、引くときもある。満ち潮のときは、関係する、コミュニケーションをとる、開いている、愛する、受け取る、与えるといったことは簡単だ。あなたが満ち潮の状態でなく、エネルギーが引き潮の状態のときは、コミュニケーションをとるのは非常に難しい。ほとんど不可能だ。しかし両方の状態は、来ては過ぎ去る---それらは両方とも生の一部だ。何も間違ってはいない。自然なことだ。だから、それを受け容れることを心がけなさい。

 引き潮の時期に来ていると感じたら、コミュニケーションをとろうとしないこと。開いているよう、自分に強いてはならない。なぜなら、その開く行為は開いていることにならないからだ。それは種子の時期だ。ただ自分自身を閉ざし、独りでいる。その時間を、深い瞑想のために利用しなさい。それは瞑想に好都合なときだ。あなたが満ち潮の状態にいて、エネルギーが流れ、上昇しているなら、それは愛に適したときだ。そのときは関係し、開き、分かち合いなさい。それは収穫のときだ。ただし、一年中そうではあり得ない。たとえ天国でも、天使たちはずっと歌ってはいないそうだ。

 歌が湧き起こってくるなら、歌いなさい。また、すべてが閉じていく感じがするときは、ただ閉じるのを助けなさい。それが自然であるということだ。自然であるとは、必ず二十四時間、開き続けるという意味ではない---あなたは魔法の店ではない。ひとは閉じなければならないときがある。さもないと疲れ、うんざりし、嫌になってしまうだろう。絶えず微笑んでいる必要はない。そんなことをするのは政治家だけだ。そしえ、彼らは世の中でもっとも愚かな人々だ。

 涙が歓迎されるとこもある---涙は歓迎されるべきだ。悲しい気分になるときもある---悲しみは美しい。だから悲しいときは悲しみなさい。幸せなときは幸せでいなさい。真正であるとは、すでに起こっていることに決して背かないということだ。それと共に進み・・・・それを信頼しなさい。蓮の花弁は夜に閉じ、朝になると再び開く---でも、それは自然なプロセスだ。

 今、現代的なマインド---特に若い世代のマインドんは、非常に誤った考えが生まれている。それは、常に開いていて、常に愛情深くあるべきだという考えだ。これは新しい種類の拷問、新しい種類の抑圧であり、新しい形の暴力だ。そんな必要はない。真正な人とは、信頼のおける人のことだ。彼が悲しげなとき、彼は悲しんでいるに違いないという事実を信頼できる。彼は真実の人だ。彼が閉じているなら、それを信頼でき、彼を信用できる。それは瞑想の境地のようなものだ---彼はただ、自分自身の中にいることを望んでいる。外に出たいとは思わない。彼は深い内省の中にいる。それでいい! 彼が微笑んで喋っているなら、彼は関わることを望み、自分の実存から外に出て、分かち合いを望んでいるということだ。そのような人は信頼できる。

 だから、マインドで自分の実存に何かを強制しようとしてはいけない。実存に発言権を持たせ、マインドはただの僕(しもべ)、召使であるべきだ。しかし、マインドはいつも主人になろうとする。私のみるところ、あなたには何も悪いところはない。この生理の期間をただ生きることだ。すると次第に、毎月そうなることがわかるだろう。あなたは、何日かはとても開いていて、何日かは閉じている。

 それは男性よりも女性の方が顕著だ。なぜなら、女性は依然として周期性で生きているからだ。月経のために、女性の科学的性質、身体の化学反応は、28日周期になっている。実は、同じことが男性にも起こるが、それはもっと微妙で、もっと目立たない。

 つい最近、何人かの研究者がつきとめたのだが、男性にも月々の生理のようなものがあるそうだ。でも、出血はないから目に見えない。しかし、女性が毎月4日間はエネルギーの低い状態になるのと同様に、男性も毎月4日間はエネルギーの低い状態になる。男性の場合、この状態はあまり肉体とは関係なく、あまり目立たない。それは精神的なものだ---外面的というより、もっと内面的なものだ。

 しかし身分の気分を追っていくと、それを図式化できるだろう。それをカレンダーに書き留めておくといい。私の感覚では、あなたとあなたの気分は、月に従って推移しているはずだ。だから、月と共にどう変動するか、関聯をちょっと観察するといい。最低でも1、2ヶ月分のカレンダーを作る。すると、自分の状態を予見できるあろう。そうすれば日々の結果うを立てるために、それを利用できる。

 友人と会いたいなら、自分が閉じているときに会ってはいけない。自分が開いているときに合いなさい。だが、それは何も悪いことではない。ただ、自然のプロセスなのだ。

15、心気症

質問:私は病気になるのではないか、絶えず自分の身体を心配しえいます。何かアドバイスをいただけませんか?
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 身体のことを考えすぎると、身体は調子を崩してしまう。そして身体が不調になると、当然ながら余計に身体のことを考えてしまうものだ。それは悪循環になる。

 健康な人、完全に健康な人であっても、自分の胃にちて---さまざまなものをどう消化するか、何が起ころうとしているのか、などを考えだしたら、二十四時間以内に胃は掻き乱されてしまう。そしえ、ひとたび掻き乱されると、さらに胃のことを考えてしまう。つまり、基本的に身体には何も悪いところはないが、まさにその観念が身体を掻き乱してしまうのだ。薬は観念を治せないから助けにならない。こうして、あなたは医者から医者へ、「~療法」から「~療法」へと渡り歩く。しかし、どれもたいして助けにならない。そうした治療が、かえってあなたをいっそう掻き乱すかもしれない。というのも、薬には薬効があるが、薬は観念を治せないからだ。そして、その観念をおいて他に病気は存在しない。

 医者の当てが外れれば外れるほど、あなたはますます身体に執心する。すると、身体を意識するようになる。あなたは自分の身体にとても神経質になる。ほんのわずかな変化、わずかな不調、わずかな不快感でも、あなたはパニックになる。そしてパニックは、身体がますます掻き乱されるのを助長する。

 そこで私の最初の助言は、何かが悪いという観念を捨てることだ。人生を楽しみ始めなさい。

 昔、こんなことがあった・・・・・。

 ある男が、あと6ヶ月以上は生きられないだろうと医者から宣告された。その男は20年もの間、無数の病気を患ってきた。人間に起こり得るすべてのことが、彼に起こっていた。医者はうんざりしていた。そして男はとても裕福だった。男は心気症患者だった。ほとほと疲れ果てて医者は言った。「あなたは助かりませんから、心気症のことは忘れることですね。6ヶ月したら、あなたは死にます。これは確かです。誰もあなたを救えません。生きたいと思っても、あと6ヶ月というところですね」

 もし6ヶ月しか生きられないなら、身体のことを気にかけても仕方ないと男は思った。いずれ死ぬのだ。そして彼は、はじめて意識を変えた。彼は最上の服を誂え、最高級の車を購入し、世界旅行を計画した。彼は、ずっと行きたかったが身体のせいで行けなかった場所にすべて出かけた。世界中を旅行し、ずっと食べたいと思っていたものをすべて食べ、女性と愛を交わし、欲しい物はすべて手にいれた・・・・彼は本当に人生を楽しんだ! 死が近づいたから、躊躇するのは無意味だった。6ヶ月して戻ってくると、彼はこれまでなかったほど健康だった。彼はさらに30年生き、問題は二度と生じなかった!

 要はその意識を落とすことだ。一例として自然療法は効果的だ。というのも、それは真の「療法」ではなく、ただの休息であるからだ。でも、のめり込んではいけない。それは病気だ。自然療法そのものは療法ではない。それはただ身体に休息を与え、自然と調和できるような状況を与えるものだ。それは本能に基づく生理的欲求と調和することであり、医療ではない。自然療法の危険性は、のめり込む可能性があることだ。そして、のめり込むことは病気よりも問題が多い。

 自然療法は多くの人の助けになるが、自然療法に救われた人が、当の自然療法のせいで病気にならずに済むのはごく稀だ。人はとり憑かれてしまう---何を食べるか、何を食べてはいけないか、どこへ行くか、どこへ行ってはいけないか、エコロジーについて・・・・・終始こうしたことを考える。すると、生活は再び困難になる。自然療法にとり憑かれてしまったら、あなたは呼吸できない。というのも、空気中にはたくさんの汚染物質があるからだ。レストランでも食事できない。自然な調理法で食事が作られていないからだ。あなたは自然食しか欲しくないから、これも食べられないし、あれも食べられない。あなたは街中にも住めない。その結果、生活は非常に困難なものとなる。

 常に覚えておきなさい。自然療法はただの休息だ。ときたま何も理由がなくとも毎年自然療法のクリニックへ行き、2、3習慣、あるいは1、2ヶ月、可能なかぎり長く休息するといい。特に理由がなくても行ってごらん---自然、自然食、風呂、サウナ、マッサージをただ楽しむために、ただ喜びのために、純粋に自然療法を体験する喜びのために行く。ただし、自分は病気だという考えは捨てること。そして内なる王者を思い起こしなさい。身体は宮殿にすぎない。OSHO p144~150

<27>へつづく

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