「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <2>
「解き明かされる日本最古の歴史津波」
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト
★★★★★
当ブログにおける極めて重要な一冊。これから、この本をナビゲーターとして、身近な郷土史の世界へと入り込んで行こうと思う。
名取の植松築は、現在、名取が丘という。ここに東北最大規模の威容を誇る雷神山古墳(前方後円墳)があり、この古墳の西方、直線距離にして約500メートルにある50メートルの丘陵の頂きに「清水峯神社」という古式・縁起の深い謎の神社がある。
ここには、古代から江戸時代まで何回も書きかえられた「清水峯神社由来書」といわれる書がある。この中で、この地域から名取の北域に疾病が流(は)やったため毎日祈りを続け、遂には鹿島の神々と八幡の神々と交わり疫病退散の祈願をし、神々のお託宣があったのだろうか、貞観12年(「貞観津波」の翌年)、播州証浦廣峯本邑(現・兵庫県)から牛頭天王(ごずてんのう)社の分霊を清水峯神社に合祀した。そして、その祈りの願いが神々に届き、忽ち疾病が退散した、と書かれている。
こうした伝承には、必ず真実の歴史がある。ここに秘められている祈りによる疫病退散とは、死者直前の人々、そして死者の霊を葬うための儀式は、決められた山岳で火葬することで、天へ導く祈りとなって人々を葬ってきた。要するに、疾病退散は祈りという火祭り行司を司る人々、神々に仕える人たちによって行なわれてきたという時代的背景がここにあった。
出雲地方にも牛頭天王が祭祀されている。
西暦660~690年の[仙台沿岸地震]で仙台郡山の大官衙が消滅し、かわって岩沼へ武隈館をつくった。p160「[貞観津波]と清水峯神社伝説」
飯沼史観は独特である。著者がなかったら、この地のことなど、何も知らないで、一生を終ったかもしれない。不思議を不思議なまま、茫洋として老いて行ったに違いない。飯沼史観があればこそ、さまざまなひとつひとつのパーツが一体となして、全体像を現わしはじめる。
いつもは何も考えずに通り過ぎてしまう通りではあるが、著者の言説に触れて、ようやく、私はこの神社の存在に気づき、その本当の意味を知り始めた。
忘れてしまった、というよりは、忘れるように仕組まれてきたのだ。忘却というシステムと、確実な記録というシステムの二つが、確実に作動している。
たった一つのジグソーパズルのパーツからでは全体像を見ることはできないが、例えば、何億年前と言えど、岩石の中から現れる古代生物の化石であるならば、大腿骨ひとつ、歯茎骨ひとつで、その生物の生きていた時代が類推される。
まさにパンドラの箱、まさに伏魔殿の扉が、いま開かれんとするかのような、胸のときめきを覚える。
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