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2013/08/19

「だまされない<議論力>」 吉岡友治<2>

<1> よりつづく 


「だまされない〈議論力〉」 <2>
吉岡友治 2006/08 講談社 新書  237p

 私もどちらかと言えば、理屈っぽくて、自分なりの意見を持たないと落ち着かないし、なにかことあると、ひとこと発言だけはしておこうとしてきたほうだ。だが、その姿勢はずっと一貫していたか、と言われれば、それはまったく違うと思う。

 かれこれ36年前に、23歳でOshoの元に辿り着いた私は、そのアシュラムの中で、センタリングという遊びに満ちたグループワークショップを受けたことがある。その中での「ゲーム」に「イエス・ノー」ゲーム(というネーミングだったかは定かではない)があった。

 三人がひと組となり、二人が対面して座る。もう一人は側面に座って、行司のような役割を果たす。対面した二人は、一つのテーマについて「議論」を行なう。議論と言っても、それぞれの役割が決まっていて、一人は「イエス」の立場から、そのテーマについて良いことばかり、思いつくまま主張し続ける。もう一方は「ノー」の立場から、そのテーマの否定的な面ばかりを批判し、罵倒し続けるというゲームである。

 そもそもが、テーマそのものが直前に言われるのであり、しかも「イエス」「ノー」の立場は単に割り振られるだけで、自分の本当に普段から思っている意見ではない。ただ、「あるテーマ」について、「イエス」か「ノー」を言い続けるのだ。

 これを3分間(だったか5分か10分だったか忘れた)語り続けるのである。相手の意見など聞かずに自分は一方的に話し続けるのだ。しかし、それほどそのテーマに対しての意見を言い続けられるはずはない。ちょっと言い淀んだりすると、相手の反対意見が聞こえてきて、それも当然だな、などと納得して聞いていたりすると、行司役の第三者目が、こちらの膝を叩いて、しゃべり続けるように促す、というゲームである。

 これはゲームであり、どちらが正しいとか間違っている、というものではない。そしてまた議論が必要であるとかないとか、という主題でもない。つまりは、「議論」全体が、ゲームとして「一笑」できればいいわけである。

 出されるテーマは、「マネー」、「セックス」、「サニヤス(Oshoの弟子になるシステム)」などであった。もし、現代日本であれば、さしづめ、「原発」、「TTP」、「消費税」などをテーマに選んで、このゲームをやったら、いろいろ意見をいうことができるだろう。「憲法改正」などもいいかも知れない。

 先ごろ参議院選挙に立候補したミュージシャン三宅洋平のような人は、アイヌの話しあい方式を持ちだして、みんなで「チャランケ」しようと呼びかけたが、上のような政治的話し合いが、チャランケ=議論で、みんなが納得するような方向へ決着するのなら、なかなかいいシステムだとは思う。でも、そういうことがかなり難しいから、みんな政治には無関心になってしまうことが多いのだと思う(私などもなんだか無力感を味わっている)。

 本当は議論はエキサイティングなゲームである。ルールがきちんとあって、それに従って対決すると、結果として優劣が見えてくる。話している相手、またはその話を聞いている人が、「説得」されるからである。「うーん、なるほど」と腑に落ちる。それで次の行動がすっきりと決められる。p4「まえがき」

 だったらいいのにね。

 私は予備校や主宰しているインターネット講座で、大学・大学院受験者や社会人のために小論文の書き方を教える仕事を続けている。p6同上

 というような環境の中でなら、なるほどいわゆる「議論」も有効に働くという実感を持てるかもしれない。しかし、現実社会はどうなのか。日本社会ばかりではなく、国際社会、世界全体において、「議論」は本当に「腑に落ちる」ような結論を常に導いているだろうか。

 演出家の竹内敏晴はあるところで、「癒されるということはあるかもしれないが、癒すということはない」と書いていた。p23「『癒す』とはどういう状態か?」

 竹内敏晴氏については、いずれ当ブログでも、追っかけてみよう(遅きに失しているが)。

 ヴィトゲンシュタインではないが、「語り得ぬことに対しては、沈黙する」態度こそが、誠実かつ倫理的なのだ。p62「解釈は一つと限らない」 

 ヴィトゲンシュタインについては、当ブログでも不十分ながら、追っかけをしている。「議論」よりも、ここで言われるところの「沈黙」のほうに価値を見出すことも多いにあり得る。雄弁は銀、沈黙は金。

 「神秘と欲望の構造--対比の向こうに何がある?」p119あたりでは、中沢新一の「チベットのモーツアルト」を引き合いにだして、結構こきおろしている。中沢新一についても、当ブログでそれなりに追っかけてきたが、私もまた彼の「論理」には「だまされ」きれないほうだ。いつも眉つばになってしまう。

 木田元「哲学以外」などについても論及されている。(136p) 木田は面白い。

 ソクラテス ねぇ、君。この世で一番大切なものは何だろうね?

 若者 そんなものは決まっていますよ。お金です。p180「ソクラテスの方法」

 ここでの問答も面白く読んだ。私も若い時(20歳ころ)、本当にこの質問を周囲にしたことがある。その時、母親は、「金に決まっている」と言った。早くに病死した父亡きあとに、三人の子供を育て来た母親にとって、夢見がちな末っ子が、早く現実的になってほしかったのかもしれない。

 その母親の弟である造園業をしていた叔父にも同じ質問をしてみた。「学校時代に『誠実』が一番大事だ、という風に教わったが、今でも、それは本当だと思う」と語った。

 母親の父である祖父にも聞いてみた。祖父は一笑して、「なんだそんなことも分からないのか」とたしなめた上で、「それは自未得度先度他だ」と教えてくれた。道元「正法眼蔵」の中の一節とされる。自らが渡る前に、まず他人を渡せ」という意味だと言う。私の疑問は、これが「正解」ということになっている。

1、議論とは問題、解決、根拠の三つの要素からなる
2、解決は明瞭に書き、なるべく文章のトップに持ってくる
3、段落は、言いたいこと(ポイント)とそれを裏付ける証拠(サポート)から構成される 
p223「ささいな議論から根本の問題へ」

 著者と私の「議論」は、さて、深まっていくだろうか。まずルール作りにやや非協力的な私がいる。この不埒な対論者を、著者はどのように御してくれるだろう?

 巻末には「さらに<議論力>を鍛える読書案内」がついていて、30冊ほどの本が紹介されている。その中に竹内敏晴「ことばが劈(ひら)かれるとき」(ちくま文庫)も含まれている。

 我が師竹内敏晴の身体論。人それぞれである身体の中にも、普遍的な「望ましい方向」を見つけられる方法。吉岡p234

 この本あたりから、次のステップを狙いたい。

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