現代建築家による“地球(ガイア)”建築<3>
「現代建築家による“地球(ガイア)”建築」<3>
乙須敏紀 2008/11 ガイアブックス/産調出版 単行本 287p
「男のロフト主義。」まで、話しが現実に舞い降りてきたところで、思い出すのは、こちらのガイア建築の一冊。こちらもまた、全体が啓発的ではあっても、お気に入りに建築や画像はそう多くない。
あえて思い出すのは、この一枚。
建築の本なのに、この画像一枚では、ほとんど建築らしい建築は感じられない。むき出しの木製の床に、やや薄暗い部屋を、すっぽり切り取ったようなスクエアな全面的な窓。そこに立つ男ひとり。
この画像が痛く心打つのはなぜであろうか。
まず気づくのは、この大自然と人間空間の距離感、対峙感である。そこにあるのは、公園や植林された屋敷林ではない。そこにはコンパクトではあるが、むき出しの大自然がある。そして、眼下に広がる湖がスペースの奥行きを感じさせる。
どこかのマンションからの眺めでもないし、すぐ近くにホテルやモーテルの看板が見えるようにも思えない。この小さな窓から見えるのは、決して小さな風景ではない。その背後に広がる、手付かずの大自然を予感させる。
もし、これが単に風景画像だったとしたら、ごくごくありふれたものとなるだろう。めずらしくもなんともない。しかし、これはちゃんとした建築物の窓からの風景なのだ。キャンピングカーからの「一時的」な眺めでもない。
この窓を通じて、人間と大自然は、対峙している。
この緊張感に、心打たれるのではないだろうか。
人はこれほどまでに、大自然と「対峙」すべきなのだろうか。一体全体その必要性はあるのだろうか。この画像からはっきりと排除された「生活感」。ここは人間が生活する場所でもない。ただただひたすら、大自然と対峙するスペースなのだ。
世界中を覆っている喧騒から離れたいと、所有者である新婚の夫婦は、サンティアゴから1000km離れた深い原生林の中に彼らの避難所を建てることを決意した。しかし当初の空想的な衝動が具体化するにつれ、孤独感に襲われるのではないかと2人は心配し始めた。
2人の気持ちを理解した建築家が提案したプランは、住居はかなり高さのある簡潔なモノリスとし、広い開口部をできるだけ多く取るというものであった。四方に開かれた窓からは、それぞれに異なった雄大な景色が眺望でき、昼間は、ほとんどどこからか日光が家の中に射し込む。p12「リヴォ・ハウス 森に潜む」
新婚さんであれば、確かに世界中の喧騒から離れて2人だけになりたい、と思うのは当然であろう。だが、それは、現実の原生林である必要があるのだろうか。
ここには、車が入っていく道路も見つけることができなければ、ライフラインを外部から取り入れているつながりもまったく見えない。まるでヘリコプターでコンテナを空中から運んできて、ちょこんと置いたようにさえ見える。
湖の側の森の中の一軒家と言えば、ヘンリー・ディビット・ソローの「ウォールデン 森の生活」を連想する。
人はいったいに、ここまで退却する必要があるだろうか。
ソローにしたところで、その森の生活を一年数カ月で切り上げている。
新婚さんとて、2人だけで、この空間だけで充足することはないだろう。
ただ、この時思うのは、人は心の中にこのスペースを持っているのではないだろうか、ということ。それを、当ブログなどでは「瞑想」という言葉で呼んでいる。
人は、この大自然との対峙感を大事にしながら、街に住む。男のロフト主義というものがあるとすれば、それは明らかにこの大自然と、瞑想と、つながっている。
そして、生活のためにロフトには、meditation in the marketplace の香りがするはずなのである。
この本にはたくさんのバリエーションが紹介されている。決してこのイメージ一辺倒ではない。しかし、ほとんどトップにこの建築が紹介されている限り、このイメージを大いに借りているのは確かなことだ。
それに建築家たちを喜ばすような予算枠が大きく取れるようなプランが主であって、平均的な生活者には不向きなデザインがほとんどだ。
しかしまた、この本全体のイメージが、街で暮らす時の「地球建築」に生かされるのであれば、やはり、この本の魅力は絶大である、ということになる。
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