「Sue スー」 史上最大のティラノサウルス発掘 ピ-タ-・ラ-ソン他 <2>
ピ-タ-・ラ-ソン&クリスティン・ドナン著 冨田幸光監訳 池田比佐子訳 2005/03 朝日新聞出版 単行本 464p
ようやく3分の2ほどまで読み進んできた。もともとハードカバー本を読むのは得手ではないが、思ったよりも時間がかかる。最初は、単に恐竜モノとして、漠たる好奇心でこの本を手にしたものの、米国サウスダコタ州の荒野でショベルカーや削岩機を使って行なわれる古生物化石の発掘作業が、わがチキン骨恐竜工作のカッターナイフとピンセント作業とどこか連動していて、物語の中にハマっていったようだ。
最初の3分の1ほどは純粋な化石発掘作業なのだが、中盤になってくると、裁判や法廷闘争の物語となってくるのは、苦痛である。アメリカにおける法律問答は、日本におけるそれとはいささか趣きが違うので、あまりためにならないが、どこかオレゴン州におけるコミューン活動とその法律問答(「Osho アメリカへの道」)を連想させ、現代アメリカ人のマインドを浮き上がらせるので、興味が湧かないわけではない。
しかしながら、ここにおける「恐竜」と「現代アメリカ」の「対峙」は、「現代建築家による“地球(ガイア)”建築」における、「大自然」と「現代人」との「対峙」に似ていて、その距離感が、どうもうまく調整されていないのではないか、と思われる。
ティラノザウルスの「雌」スーの骨格化石のほぼ80%という、超一級の資料を発掘することができた著者たちは、もともとの地主、そしてその地主が属するスー族、そして連邦政府から、それぞれ、その化石の所有権を主張され、法廷に立つことになる。
そもそも、化石発掘を専業とするビジネスがあること自体驚きだが、訴訟地獄に陥った彼らの資金源を援助したのが、日本のテレビ局をはじめとする日本人による「恐竜熱」であったことを再認識するに及んで、ますます、この「対峙」劇の滑稽さと深刻さを痛感することになった。
直観的に言えば、6500万年前に絶滅したはずの恐竜たちの骨格を発掘し展示するというアートは極めて魅惑的ではあるが、どこか間違っている。映画「ジュラシック・パーク」のエンターテイメント性を笑うのは簡単だが、科学や学術という名のもとに、いきなり6500年前以前に飛んでしまうことは、当ブログとしても、いささか控え目にしなければならないのだろうと思う。
気が付いてみると、世の中は夏休みである。巷には、夏休みの子供たちの「自由研究用」の恐竜情報が氾濫している。そういう目で見てみると、街には「恐竜グッズ」が山積みにされているのだった。
精巧なゴムで作られたフィギュア、メタルで作る恐竜工作、4分の1スケールの頭骨スケルトン、博物館に美術館や科学館における恐竜グッズの展示。いやはや、これだけの氾濫に、私はどうしていままで気づかなかったのであろうか。
わが「夏休み」の「自由研究」である「チキンの骨でつくるティラノサウルス」の制作も、多忙にまかせて中断したままである。夏休みが終わるまでには、完成させたいものである。限りなく完成度を高めたいとは思うものの、どこかで手を打たなければ、収拾がつかない工作として、中座しかねない。
しかしである、そもそもが当ブログにおける「ムー大陸から飛来してきた天空の龍」を、「パンゲア大陸からやってきたティラノサウルス」と読み替える作業としての、現在の「恐竜追っかけ」であれば、ここは、多少の紆余曲折があったとしても、慎重にことを進めていかなければならない。
まずは、この「対峙」感であろう。「恐竜」が「現代人」を魅了するもの。そして「恐竜」が「現代人」に対してつきつけているもの。この二つのベクトルを、当ブログなりに理解し、咀嚼することが、今後の課題となる。
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