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2013/09/15

「<からだ>とことばのレッスン入門」 地球市民として自分を耕す 三好 哲司

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「<からだ>とことばのレッスン入門」  地球市民として自分を耕す
三好 哲司 1993/05 春秋社 単行本 212ページ
Total No.3106★★★★☆

 著者は1948年生まれで竹内敏晴の門弟と思われる。タイトルも竹内著「『からだ』と『ことば』のレッスン」(1990/11 講談社)に倣ったものであろうし、1988年に解散した竹内演劇研究所を止揚した形で、自らの学んだものをまとめようとしたものであろう。

 現在のところ、この処女作以外には残念ながら続刊としての著書を見つけることができないので、このあと、どのような展開になったのかは、明瞭ではない。

 この本を読みながら、同じく竹内を師とした吉岡友治を思った。本来であれば、三好と吉岡は、同列、あるいは並列して語られるべき位置にあったのかも知れない、と勝手に推測する。

 竹内演劇研究所は1988年に解散し、私は自分で「からだとことば研究所」を設立することになり、以後今日までレッスンを続け、たくさんの人たちと出会い、いまもみんなと一緒に自分自身も変化し深まっていく過程を歩んでいる。p2「まえがき」

 この本、副題として「地球市民として自分を耕す」を称している。その気持ちは多いに共感し得るが、やや紋切り型で、今となっては気恥ずかしくもある。

 ある意味で個人主義がもっとも発達しているといわれるアメリカ合衆国の西海岸では、すでに60年代末に、東洋思想と西洋心理学の出会いから、<個>を超えるという方向性をもったトランスパーソナル心理学が生まれている。p4同上

 1925年生まれの竹内に比すれば、著者は1948年生まれなので、当ブログとしては同世代意識で読むことができる。竹内は、似たようなことを「脱自」と表現しており、自らを「アングラ」の一員と見られることを危ぶんだり、いわゆるトランスパーソナルの一員と見られることを、積極的には首肯しないだろう。だが、そのへんはすこし、小児的と感じられる。

 私たちの「からだ」はbodyではない。bodyとmindとspiritを含んだもので、むしろ英語で言うmind=心・精神に近いものである。p24「安心する」

 この辺の言葉づかいも、分からないではないが、これじゃぁ、糞味噌いっしょになってしまう。そもそも、竹内が「からだ」という単語を選んだ時に、この脆弱なコンセプトの曖昧性が含まれていたのであり、著者が一生懸命、換骨奪胎しようとするところに、なにやら御苦労なことだと、またまた共感することとなる。

 竹内敏晴さんはからだとことばのレッスンを「ただ人がひとりひとりの自分の体に気づき、まっすぐに立ち、向かい合い、触れ合うことをめざしてきた試みであり、いわがひとりの人間となって鮮やかに立つことへと常に歩み出してゆく手がかりにすぎない」と述べている。p127「賦活する」

 まぁ、言ってみれば、禅でいうところの「無位の真人」としての自覚であり、いわんとしているところは、他にまったく比肩できるものがない世界ではない。それにしても「劈(ひら)く」とか、「賦活する」とか、言葉使いの、特徴的なことは、まぁ、それぞれの「道」の表現方法の違いであって、あまり、言義にこだわるべきではないだろう。地球市民を標榜するなら、エスペラントとまではいかないまでも、もっとポピュラーな言葉遣いで指し示したほうがいいように思う。

 私は竹内敏晴さんと出会って8年経ってから、それまでの体験を言葉にしないと前へ進めないと感じて、直接レッスンをすることから完全に離れて、レッスンで体験したことを言葉にする作業に入った。p130同上

 この「レッスン」という用語も、すこし独特な使われ方をしている。自然発生的にこのような表示になったのだろうが、大きなトランスパーソナルのマトリックスに位置付けるとしたら、あまり地球市民的な言葉づかいではない、と私なら思う。

 <からだ>とことばのレッスンは、治療法でも健康法でもない。しかし、自分の<からだ>に注意をしていくと、いろんなことが起こってくる。p178「より深く触れる」

 病者のための心理学(治療法)、健常者のための心理学(健康法)、というものがあるとすれば、Oshoなら、ここから、ブッタのための心理学(瞑想法)という単語を使う。「ことば」といいつつ、どこか、この人々の流れの言葉づかいは地方言語に近く、もっと世界共通語に落とし込む必要があるのではないか、と感じる。

 ケン・ウィルバーは「意識のスペクトル」において、「意識は多次元的、あるいは、多くのレベルからなっている。心理学、心理療法、宗教のおもだった学派や宗派は、それぞれ異なったレベルに重点をおいている。したがって、これらの学派や宗派は互いに対立しているわけではなく相補的である」と述べている。そして三つの主要なレベルとして

 (1)自我のレベル、(2)実存のレベル、(3)心のレベルを挙げている。(略)

 このケン・ウィルバーの分類に従うと、<からだ>とことばのレッスンは主として第二の実存のレベルを対象としていると言える。p192「成長=<自己>を越えてゆくこと」

 言わんとするところはわからないでもないが、外部からの定義づけを借りるよりも、本来、実質(実存)の意義を高めることのようが大事なのであり、まぁ、本来、呼び方など、本当はどうでもいいのである。本当のところ、「言葉」など、無意味なのだ。

 私は皮膚の内側だけが私であるとは考えなくなった。知覚世界が私になった。私は知覚世界まで拡大した。視覚や聴覚も触覚も同じ用(ママ)に「触れる」ことになった。p199同上

 この辺も言わんとするところを理解しようとしないわけではないが、意識の拡大とか、個を超えるなど、さまざまなコピーライティングに振り回されながら、表現することに難儀しているなぁ、と感じる。物事は、もっとシンプルで、ごくごく当たり前のことなのだ。結局は、自分で掘った落とし穴に落ちるようなおかしなパラドックスにハマらないようにしないといけない。

 著者に他の著書があるのなら、そちらも読んでみたいと思う。まずはこの本を読むにあたっては、もう20年前の本であるということと、この本が書かれた時代の背景をも考えてみなければならない。

 

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