「演出家の仕事」 六〇年代・アングラ・演劇革命/日本演出者協会/西堂行人<2>
「演出家の仕事」 六〇年代・アングラ・演劇革命 <2>
日本演出者協会/西堂行人(編) 2006/02 れんが書房新社 単行本 p269
このタイミングで、再びこの本をめくることになるとは思ってもみなかった。60年代、アングラ、演劇革命、とのタイトルが並んだ場合、読者としての私には、アングラが一番のインパクトであり、次には、漠としたイメージとして、60年代、が続く。しかし、それは60年代の中半以降、特に68/69と言われる象徴的な時代の盛り上がりばかりを思ってしまう。
続くところの、演劇革命について、革命のための演劇なら、多少のイメージはできるが、演劇界内部の革命にいたっては、イメージできないばかりか、関心さえ持ち得ないような有様である。このほんが「演出家の仕事」というメインのタイトルを持っているのだから、そもそも読書の対象としてこの本に目をやった私のほうが、頓珍漢だった、ということになろうか。
ああ、それなのに再びこの本との遭遇である。
「アングラ」の演出論という問いにはかなり強い違和感があった。時代は、演劇という安定した芸術ジャンルが成立しているという前提になんの疑いも持っていない。その地点から固定した枠組みを過去に投影して浮かび上がる意味をすくい取ろうというわけだが、アングラとはそもそもそのような思考を拒絶する姿勢のことであった。p151 竹内敏晴「『アングラ以前』ーあるいは『前期アングラ』としてー
竹内はこの270ページほどの単行本に15ページほどの文を寄せるにあたり、まずはこのような違和感を表明するところから書き始めている。とすれば、まったくの門外漢の一読者としての私が、演劇というくくりならともかくとして、アングラつながりで竹内を連想することが難しかったのは、私個人の資質の問題とばかりも言えないようだ。
アングラとか小劇場運動とか呼ばれることのうちに、わたしのある時期の仕事も数えられているらしいけれども、わたしと仲間たちにとっては、その名称は後からやって来たもので、自分をそう規定したことがなかった。
ただ自分に必要なことを必至に探っていただけだ。もともと安定したフォルムあるいはカテゴリーとしての演劇なるものがわたしたちにとってはコワレテしまっており存在しなかったのであり、うごめいていたのは、生きることを確かめるための試み---パフォーマンスの断片であって、表現には違いないのだが、「芸術的な表現」と呼ばれるものではなく、それを目指してもいなかった。p151竹内敏晴 同上
この辺の文章的スタイルは、竹内流のダンディズムと言っていいだろう。であるなら、論文など寄せなければいいのだが、ここから延々(?)14ページの自己開示が始まるのだから、問われることに多少の戸惑いを感じてはいるものの、問われること、あるいはそれに答えて語ることを、拒否しているわけではない。むしろ、それらの中に積極的に自らを組み入れんとする歓迎的な姿勢がみられる。
竹内の代表作の一冊と思われる「ことばが劈(ひら)かれるとき 」(1975/08 思想の科学社)は、当ブログとしてはようやく今から読み始めるところだが、竹内個人の体躯的資質と、竹内が関わりを持った演劇というジャンルにおいて、たしかに、なにか大きな共通項が見え隠れする。
幼少時から難聴、あるいは自称ツンボだった竹内が、病状の悪化、あるいは敗戦という心理的圧迫により言葉を喪って行く時と、歌舞伎や新劇など「演劇」というジャンルが、時代性の中で意味を喪って行く時代背景とオーバーラップする。
その中で、竹内は自らの直観や努力で「ことばを劈(ひら)」いていったのだろうし、大きな意味において、「演劇という表現」を「劈(ひら)」いていった」のだろう。とするならば、竹内が自らのうごめきを「アングラ以前」あるいは「前期アングラ」と規定することには妥当性があると思われる。
そしてまた、そう位置付けることができるとするならば、ようやく当ブログとしても、竹内敏晴という存在へのアクセスが可能になるのであり、 大きな意味において「演劇」というジャンルへのアプローチがしやすくなると感じられるのである。
個人としての彼の演劇活動履歴は後回しにするとして、「ことばが劈(ひら)かれるとき 」 が出版されたのが1975年8月であり、また、同じ時代にOshoの「存在の詩」が日本に紹介されたのが1975年8月であったことを考える時、極めて興味深いものを感じることになる。
マハムドラーはすべての言葉とシンボルを超越せり されどナロパよ、真剣で忠実なる汝のために いまこの詩を与うべし
Oshoの「存在の詩」は、チベットの聖者ティロパ(988~1069)がその弟子に与えたとされる「マハムドラーの詩 」を題材とした講話録である。この1975年に登場した二つの「うごめき」を感知する時、この二つが「ことば」にこだわっていたことは、極めて興味深い。そしてまた、その「ことば」にまつわるところの「真理」について逡巡していたのだ、ということも、意味深いものとして強い衝撃を受ける。
表現不能な「真理」を前にして、人はより「瞑想」を深め、さらに言葉やシンボルを越えていくのか、あるいは、「ことば」や「演劇」を劈(ひら)いて「表現」を「再獲得」していくのか。
「からだ」と「ことば」、あるいは「からだ」と「こころ」、そしてこれらに加えるところの「たましい」の、それらのありようを考える時、ここにようやく「演劇」、あるいは竹内敏晴という人の業績が当ブログにおいても認知されようとしている、と言える。
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