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2013/09/12

「ことばが劈(ひら)かれるとき 」 竹内 敏晴 <2>

<1>よりつづく 

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「ことばが劈かれるとき」 <2>
竹内 敏晴 (著) 1975/08 思想の科学社 単行本: 278ページ

 ほんとうに全身が動いてこえが出るときは、こえを出そうと意識はしていません。何となく楽にしゃべれた、とか相手が近くに見えたとか、からだがひろがったとか、感じるだけなのです。

 これは、体が世界へ向かって自己を超えることであり、それを私は、からだが劈(ひら)く、と言います。からだが真に動くのは、からだが忘れられ、からっぽになたときであって、それを脱自(エク・スターズ)と呼んでもいい。p22「はじめに」

 劈(ひら)く、あるいは劈開(へきかい)という言葉を不勉強ならが、他で聞いたことはない。どうやら、もとは鉱物学の言葉のようだ。

 

劈開(へきかい、cleavage)とは、結晶や岩石の特定方向への割れやすさを表す鉱物学、結晶学、岩石学用語である。 結晶構造においては、原子間の結合力の弱い面が、ある方向で存在するときにおこる。へき開によってできた結晶面をへき開面という。劈開はモース硬度とは関係がない。例えばダイヤモンドは最高の硬度をもっているが、へき開は「完全」であり、正八面体の面に対して平行に、簡単に割れる。 このような性質を持つ岩石については、その岩石の成因によることもあるし、よらないこともある。後者は、岩石になった後からの外因によってこの性質を持つ。 宝石の加工や、工学の分野で重要な性質である。 Wikipediaより

 「劈」という字には「刀」が入っているので、どうも鋭利なシャープさを感じたが、鉱物の特定の割れやすい方向性、ということであるなら、さらにイメージがしやすい。

 ツンボはオシである。 オシはツンボになるということは生理学的にありえないことだろうが、ツンボは話しことばを拒否されることによって、必然的にオシにならざるをえない。つまり私は12歳から16歳までの5年間、ほぼ完全なオシであった。p41「ことばとの出会い」

 ここが、著者の一生を「方向付けた」原点である。この方向に彼の人生は劈(ひら)かれていった。

 日本語に一人称がない、という主張はその通りだと思うが、本質的に言えば、語ろうとする主体に「わたし」と命名したとたん、それは本来三人称なのである。heのかわりにIと言うのであって、自分=主体は、「かれ」からも「わたし」からも等距離にある。そのようなものとして「わたし」ということばを使えるようになったとき、メタ言語が成立する。これは、大変あやふやな、たよりない手探りであったが、私は少しずつ慣れ、訓練をつづけ、習得していった。p49同上

 かなりいいところを突いている。この方向に割れる。

 演劇の仕事を選んだのは芝居が好きでたまらなかったからではない。今から見るとトッピな話だが、当時私は長野県のある農民組合に行こうか、芝居に入ろうか迷っていた。自分を、新しい時代には生きられぬもの、死んだもの、として感じることは変わらなかったが、なおかつ、意識され覚悟された「死んだ」は、刻々に鮮やかに波打っていなければならなかった。

 でなければ単に生理的に生きることにさえならない。なんらかの意味で創造的でなければ生きられないことを私は感じ始めていた。p67「師・岡倉士朗との出会い」

 ここで対比として「ある農民組合」が登場しているが、そこだって「創造的」な場であったに違いない。とにかく、そちらのほうに「劈」かれていった。

 私たち演劇人にとって、からだが何かによって動き、いかに動くかはことさら重大--核心的あるいは致命的な課題に違いない。なぜなら演技においては、想像するからだと、創造されるものとが、同じからだ(のうごき)であり区別されえないからだ。p164「治療としてのレッスン」

 私もローティーンの頃、言葉が出なくてとても困ったことがある。そのためにノートも書くようになったし、ミニコミも作るようになった。高校を卒業してすぐに共同生活体(コミューン)に参加したのは、そういう場にいれば、必然的に言葉を使わなければ生きていけないだろう、という直観もあったからだった。

 ことばとはこの呼吸音を整序し、他者への伝達のために記号化されたものだと、いちおう言っておこう。ことばの起源を通報に見るか、ルソーの如く情念におくのか、あるいは歌と限定するのか、議論は多いし、またジャック・デリダの解するフッサールの説のように、表現の純粋性は、伝達の機能をいったん遮断したところに成り立つという構造も、あらためて考察するに値する重要な論点ではあるけれども、やはりフッサールにしたがって、ことばの機能が本来的には伝達にあるといちおう言っておくことにしよう。p180同上

 著者は当代流のインテリであったことは間違いないが、どこかディレッタントに流れることも多い。

 宮城教育大学の横須賀薫氏から講義(レッスン)に呼ばれたのもそのころ(引用者注1972年ころか)である。横須賀氏によると---教師は農村出身者が多く、一般的に自己表現力が乏しい。とくに教師は話しことばによって子どもを教える職業なのに、話しことばによる表現について教育する課程がまたくない。

 ことばと、身ぶりの表現について、演劇のレッスンを参考に手探りを始めたところである。竹内の文章を見て、これだと思った。レッスンをしてくれまいか---こういうことであった。私は、こえとからだについて探っていた私自身の問題意識が、気づかずにいた標的をたずねあてたような気がした。体育とか音楽とかの課題の枠を超えた、もっと全人間的なひろがりへ向かって私のレッスンが方向づけされることを感じた。

 同大学の学長が林竹二氏であることを知ったことも私を勇気づけた。p222「からだそだて」

 当時のことはなにも知らないが、漠然と、そのようなことではあっただろうと推測していた。そもそも教員養成の大学ではあったが、当時と違い近年は、この大学を出ても教員になることは難しくなり、教員になる学生は20%以下になっているのではないだろうか。

 いずれにせよ、林竹二と著者の「コンビ」は、どこかで公立学校の「ゆとり」教育につながっていったようなイメージを持っている。個人的に、私はゆとり教育という言葉からイメージできる世界観には賛成である。(しかるに、それが現場化することによって、一部酷評され、いまではほとんど「死語」になっているかのようだ)。

 私は学長としての林さんに始めてお目にかかったとき、「私は連劇のレッスンを教えるために来たのではない。演劇のレッスンによってしか劈(ひら)かれない人間の可能性があるならば、それを劈(ひら)く方法を一緒に探りたいと思って仙台へ来た」といいう意味のことをお話した。

 林さんは口を開いて笑って、「それじゃぁ、まさにぴったりだ」。あとで横須賀氏に、「竹内君も驚いたでしょうね。十年たってふと横を見たら私がいた、という感じでしょうね」と言われたと聞いた。p223同上

 私はこの大学が、その後どのような展開をしたのかは知らない。いずれにせよは、著者に惹かれて、一時、この大学に勤めようかと思った時期があったということである。これらの一連の「教育」の現場と、Yの現在の「教育」の現場が、どのようにつながっているのか、私にはおおいに興味あるところだが、今のところ、まったくわからない。

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