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2013年9月の35件の記事

2013/09/29

「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <3>

<2>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <3>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

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 秋空もすっきり晴れて、気持ちがいいので、お日高さんこと、熱日高彦神社まで走ってきた。

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 飯沼勇義の、お日高さんの持ち上げ方は半端じゃないが、地元にとっては、ごく当たり前の、日常的なお日高さんである。

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 かつては西から東に向かっていたとされる参道は、現在、南から北に向かっており、思ったより長い。途中には「日高橋」が結界を作っており、いよいよ聖地へと向かうこちらの心構えを問うてくる。

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 長い階段は、震災の影響か、かなり歪んだり傷んだりしている。登り続けていると、どこか平衡感覚がずれてくるような気がする。でも、それって、階段が傷んでいるせいなのか、聖地のもつ異空間への上昇感覚なのか・・・?

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 途中で休み休みしながら登り続けると、ようやく頂上が見えてくる。

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 登りきったところの門のむこうに、社殿が見え始まる。

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 参道には、創紀1900年の記念大祭の記念碑が見える。平成24年10月。この祭典に、幸運なことに私たちも参加することができた。

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 昨年の祭典で、この女神の役で踊っているのは、義弟である。

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 実りの秋、穏やかな日の光の中で、静かに本殿が佇んでいる。

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 幾重にも重なる額碑が、その歴史を物語る。

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 霊域は、どこまでも静かな森に囲まれている。

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 白山姫の名前も見える。

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 福縁にまつわるネーミングが多い。


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 郡総社だけあって、各地の神々が参集している。

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 本殿脇には、無名の社が祀られている。

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 御神体は見事な、陰陽神である。これは各地から習合したというより、もともとこの地に祀られていた、アラハバキ神にまつわるものであろうか。

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 静かに眠る森。

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 参拝を終えて、階段とはまた違う車道を降りる。

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 道々の草花、彼岸花がまばゆい。


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 日高橋を再び渡れば、そこは、もといた下界である。


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 太平洋へと向かう山道を車で降りれば、清い湧水を汲む老夫婦の姿も見える。


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 しかし、そこは線量の高い被災地でもある。さらに海に至れば、3・11の爪痕がしっかり残る海岸線である。私には、ブログに記すどころか、シャッターを押すことすら未だにできない。

<4>につづく

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2013/09/28

NHKスペシャル2004 「地球大進化」〜46億年・人類への旅

Daisi
「NHKスペシャル 地球大進化」 46億年・人類への旅 
2004/04~2004/10放映
Total No.3111~6

第1回 生命の星 大衝突からの始まり

第2回 全球凍結 大型生物の誕生の謎 

第3回 大海からの離脱 そして手が生まれた

第4回 大量絶滅 巨大噴火がほ乳類を生んだ

第5回 大陸大分裂 目に秘められた物語

第6回 ヒト 果てしなき冒険者

第7回 そして未来へ

 このシリーズ、一挙に視た。ただ、図書館には第7回分のDVDはなかったから、このショートクリップだけだが、本来オンデマンドでは視ることができるらしい。

 このシリーズを視て、当ブログのカテゴリ名「46番目のカテゴリー」を「46億年後の地球」に変えた。

 1994/04~1995/03に放映されたNHKスペシャル「 生命 40億年はるかな旅」 シリーズから10年。キャスターが宇宙飛行士・毛利衛から俳優の山崎努に変わり、やたらと「あなたの祖先」が連発するこちらのシリーズは、科学性からエンタメ性へと、味付けは変わったが、本質は同じような内容だ。

 このような巨視で地球と人間を見つめてみることは、とても重要だ。この46億年を1年に換算してみると、

4600000000年 = 1年

12602740年 = 1日

525115年 = 1時間

8751年 = 1分

145年 = 1秒 

となる。つまり私が生きてきた60年は、わずか0.4秒となる。

 この時間感覚、1977年に出発したNASA宇宙探査機が36年後の今も飛び続けていて、太陽系から脱出して、さらに新幹線の何千倍というスピードで飛び続けているという、空間感覚に匹敵する。

 ボイジャーは、すでに新幹線が24時間走り続けても10万年後にしか到達できない地点まで飛んでいってしまっているという。

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 私は、鶏肉を食っては、せいぜいチキンの骨で翼竜ケツァルコアトルをつくって、遊んでいるだけだが、まぁ、それもよからん。

 これが私の地球サイズ、私の地球人スタイルだ。

 NHK朝ドラ「あまちゃん」の最終回では、スマート勉さんも、8500万年前の白亜紀の地層から恐竜コエルロサウルスの化石の骨を発見したようだし、まぁ、とにかく、鳥の目と、虫の目と、そして、当たり前の、人間の目が必要だ。

 

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2013/09/27

「恐竜の世界へ。」ここまでわかった!恐竜研究の最前線<14>

<13>よりつづく


「恐竜の世界へ。」 ここまでわかった!恐竜研究の最前線 (pen BOOKS 013)<14>
 鍋真/監修 ペン編集部/編 2011/07 阪急コミュニケーションズ 単行本・ムック 140p

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 残ったチキンの骨で、なんとかケツァアルコアトルスを作ることができた。

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 残念ながら、頭骨の部分は骨不足で、木質プロトモデルである。そのうち、チキンの骨で作り直す時が来るかもしれない。

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 それにしてもデカい。12メートル想定のティラノサウルス、9メートル想定トリケラトプスに比べると、なんせ18メートル想定である。ほんとにこんなにデカくて、空を飛べただろうか。

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 9メートル想定のプテラノドンと比べてもこんなに大きい。とにかく、余ったチキンの骨を活用する、という目的は達成できた。もう、ほとんど残っていない。ほぼ完売状態である。

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 あれだけあったのに、残ったのはこれだけ。脊椎が目立つ。それは、そもそも脊椎が必要だからチキンの丸鶏を食べ続けたわけだから当然だろうが、それは、脊椎だけは、他の骨を利用して作り込むことはできないからだった。

 逆にいえば、脊椎もまた、他の部分のパーツとして利用できないということでもある。

 この脊椎たちを活用するとなると、草食系の首長恐竜アパトサウルスでも作ることになるのだろうか(またまた、まずいぞ、この雰囲気)。

 全長20メートルとも30メートルとも言うから、50分の1スケールとしても1メートルから1m50センチ!!! こりゃ、いよいよ、我が家の女性陣から総スカンを食いそうだ・・・

( ̄Д ̄;;

<15>につづく

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2013/09/26

祝 楽天イーグルス リーグ優勝!!!

Rakuten


   おめでとう そしてありがとう

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2013/09/23

「恐竜の世界へ。」ここまでわかった!恐竜研究の最前線<13>

<12>よりつづく


「恐竜の世界へ。」 ここまでわかった!恐竜研究の最前線 (pen BOOKS 013)<13>
 鍋真/監修 ペン編集部/編 2011/07 阪急コミュニケーションズ 単行本・ムック 140p

 

 針金でケツアルコアトルスを表現すると、こうなる。

 

Hari

 

 デカい! ホントにこのスケールでいいだろうか。設定は全幅18メートル。1/20スケールとして、90センチ。同じ、プテラノドンは9メートルと想定として、45センチ。長さで2倍。面積で4倍である。体積なら8倍となる。

 

Hari2

 

 とてつもない。まぁ、想像上であっても、これがMaxということになろう。この大きさに、残っているチキンの骨を並べてみると、なんとかカツカツで間に合うかも知れない、という量である。ただ、頭骨分は、まったく不足している。

 

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      実際には、長さは長いが、翼竜だけに、かなりスリムで軽量なので、他の部分をカットすれば、頭骨分も捻出できるかもしれない。まずは、頭骨は木製プロトタイプでスタートしよう。

<14>につづく

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今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電<5>  ニュートンムック

<4>からつづく 

【送料無料】今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電
「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」 <5>NEWTON別冊
ニュートンムック 2011/08 ニュートンプレス ムック 159p

 いよいよ近々わが家でも工事が始まる。工事用の足場が組まれ、あとは職人さんたちの準備と天候次第で、1~2日の工事で完成のはずである。

国や県、あるいは他の事業による補助金は20万超でるらしい。電力会社が月末にメーターを結線すれば、あとは発電開始である。

 10月はまずまずの発電時期らしい。猛暑の8月などよりは良いとのことだが、これはこれから長期にデータを取って、分析していくしかない。

 わが家導入のシステムは化合物系というちょっと変わったCISタイプと言われるもの。メリット、デメリットがあるが、まぁ、昔からの知り合いが始めたシステムだけに、私はこのタイプに賭けることになる。

 たまたまマイホームを建築中の甥の家でも太陽光パネルを上げる。こちらはハウスメーカーが「おまけ」につけてくれる(ホントかな?当然コミコミでしょう)らしいので、選択肢はなく、カナダのメーカーのもの。ちょうど11月中旬から発電予定なので、こちらもシステムのちょくちょく参考にして行こうと思う。

 ウォーキングをしていても、太陽光パネルを上げている住宅が増えているように思う。工事している現場も多い。これは私が急に関心を持ちはじめたから、そう思える、というだけではあるまい。

 知り合いや友人たちに、太陽光パネルの話をすると、ほとんど全員関心を持っているが、儲からない、金がない、まだ高い、などの理由で、取り付けようとする人は少ない。だが、私の計算によれば、およそ7年で投資資金を回収でき、あとはシステムが動くだけ、利潤を生むという計算である。

 つまり、7~10年間の電気代を先払いする感じだ。現金であればそうだが、ローンを組んだりすれば(私はなんと年0.75%という超低金利を組むことができた)、月々の電気代を払っていくのと、ほとんど変わらない。

 私は利益ばかりを計算して導入に踏み切ったわけではないが、大幅に損してまで導入できるほど余裕はない。よくよく計算したが、まずは導入しただけのメリットはあるはずである。

 儲からない、金がない、まだ高い、という批判や雑音は、私の場合は「ホントかな?」と思う。思うだけで、実証はできていないので、まずはこれから、自分の家でしっかり分析してみようと思う。

<6>につづく

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「恐竜の世界へ。」ここまでわかった!恐竜研究の最前線<12>

<11>よりつづく


「恐竜の世界へ。」 ここまでわかった!恐竜研究の最前線 (pen BOOKS 013)<12>
 鍋真/監修 ペン編集部/編 2011/07 阪急コミュニケーションズ 単行本・ムック 140p

 ここまで来たんだ。とりあえず、ケツアルコアトルスを針金で作ってみることくらいはできるだろう。残ったチキンの骨たちは、もう少ない。だが、翼竜一体くらいはできるだろうか。

 ネットでケツアコアトルズを検索するだけではなかなか骨格図はすくないが、quetzalcoatlusで検索すると、それなりにある。

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 これでは、スケールを特定できない。

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 翼を広げた形で、18メートルで行く。実際には9メートルくらい。あるいは5メートルくらいだったと想像されているが、研究者によっては最長18メートルと提唱する説もあるらしく、当ブログとしては、まずはmaxで作ってみようじゃないか。(おいおい、結構マジになり始めているぞ)


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 頭骨の部分も、実際にはとても大事だ。この部分はまずは木骨プロトタイプだな。

<13>につづく

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2013/09/22

「恐竜の世界へ。」ここまでわかった!恐竜研究の最前線<11>

<10>よりつづく


「恐竜の世界へ。」 ここまでわかった!恐竜研究の最前線 (pen BOOKS 013)<11>
 鍋真/監修 ペン編集部/編 2011/07 阪急コミュニケーションズ 単行本・ムック 140p

 わが家にやってきた客人たちに、わが恐竜の世界を見せて、自慢してみる。ひと皆驚き、「すごい!」とホメてくれる。奥さんは、「客人だから、仕方なくホメてくれるのよ」と、のたまう。そうだろうか。

 なにはともあれ、ホメられて気持ち悪いはずはない。一緒にわが家の恐竜たちを見ながら、もうすこしこうしようかな、とか思う。そういえば、最新作のトリケラトプスは、あれで完成と言っていいのだろうか。「頭以外はチキンの骨だよ」と言いつつ、やはり、頭骨もチキンの骨でつくるべきだろう、と思う。

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 ついでに、ちょっと迫力不足の手足を増強した。これで、なんとなく、ティラノザウルスにも対抗できる、ディフェンスの王者の風格が出てきたのではないだろう。

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 ふむふむ。

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 これで、わが家の恐竜ファミリーもだいぶ揃ってきたことになる。

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 客人たちに、「次は何をつくるの?」と聞かれて、「もっと大きいのを作ってみたいね。首の長いアパトサウルスや、大型翼竜ケツァルコアトルス、あたりかな」と、さらっと答えている自分が恐ろしい。おいおい、マジかよ。

<12>につづく

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2013/09/16

「NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅」 最終回 地球と共に歩んで

<第9集>からつづく

Sai


「NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅」 最終回 :地球と共に歩んで
大島ミチル (アーティスト), 毛利衛 (出演・声の出演) 1995/03/19放映 形式: DVD
Total No.3110

 このシリーズ、とても面白かった。最終回は、第1~9集の総まとめ。加えてペルム紀の大量絶滅について取り上げている。

 この頃はなんだか、難しそうな本は読むのが面倒臭くなっていて(っていうか、それは昔からかも)、そろそろ読書じゃなくて、ビデオでも見ようかな、と思って、気まぐれに図書館から借りてきたシリーズだった。

 放映されたのは、1994年の4月から1995年の3月の一年間。最終回はなんと、あのオウム真理教の地下鉄サリン事件の前日、3月19日に放映された、というのも、なんとも奇遇である。

 思えば、1995年という年も因縁深き年回りだった。阪神淡路大震災があり、地下鉄サリン事件があり、ウィンドウズ95が発売された年だ。このようなちょうど大きな切れ目にあって、このような大作が放映されていたということに、改めて感服する。

 そもそも、「サルの道具」の時代から、「宇宙船で地球外に出る」という時代までの歴史は、すでに当ブログでも「2001年宇宙の旅」で何度もイメージしてきたことだった。しかし、今回は、サルよりはるか数億年遡るところの恐竜トリップにはまっており、なおかつ、その恐竜の何十億年前からの「生命」の足跡が気になり始めたところであった。

 このように大局的に俯瞰してみることができたのは偉大であった。このシリーズに、トフラーの「第三の波」をオーバーラップさせ、さらには「ウェブ進化論」を重ね、最後のソリューションとして、Oshoの「大いなる挑戦-黄金の未来」を提出すれば、当ブログのおおよその骨子は明確になったということになろう。

 数十億年遡ったのだから、これから未来に向かっても億年単位での展望が必要であろうが、有名な地質学・古生物学者のドゥーガール・ディクソンの「アフターマン」あたりで補完していけば、なかなか更に面白いことになるだろう。

 今回、このシリーズは、図書館から借りだしたVHSビデオテープで視聴したのだが、当時はDVDなんかなかったし、ネットもこれほどまで発達するとはとても思えない時代のことであった。現在は、どういう訳か、10集シリーズの7回分までは、youtubeで見ることができるようだ。いつまで見ることができるのか不明だが、とりあえず貼り付けておく。

 これらのNHKスペシャルなどのシリーズは図書館を探すと、たくさんあり、また気が向いたら、見てみたいと思う。でも、どうせ見るなら、できるだけ最近作を見たいものだと思う。

 すこし検索してみよう。

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「NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅」 第9集:ヒトは何処へいくのか

<第8集>よりつづく

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「NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅」 第9集:ヒトは何処へいくのか
大島ミチル (アーティスト), 毛利衛 (出演・声の出演) 1995/02/26放映  DVD
Total No.3109★★★★★

 人類は故郷を離れて、宇宙へと飛び出そうとしている。その力はどのようにしてもたらされたのか。そして、人類はどこへ行こうとしているのか。いま、人類は、過去とはまったく違った進化を遂げようとしている。

 狩猟採集生活から定住へ。小麦に始まる農耕。人口は次第に増えていった。適正規模で言えば、この地球上に生活できるのは1億8000万人ほど。しかし、通常の動物の40倍以上のエネルギーを使いながら生活している人類は、21世紀半ばには100億人を突破しようとしている。

 この規模では明らかに生存を続けることは不可能。いまでは宇宙に飛び出し、火星に人類が住める空間を作ろうとしている。火星極地方にある氷を太陽熱で溶かすのに100年。そこでつくり出された水を使って、火星全土を潤していくのに、およそ10万年かかると推測されている。

 火星移住計画を練りながら、実は大事なことは、いかに人類が生きる環境というものをつくり出すことが難しいか、ということである。いま新しい智恵を使って、この地球環境と共存することを始めないと、人類に未来はない。

 <最終回>につづく

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「NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅」 第8集:ヒトがサルと別れた日

<第7集>からつづく

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「NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅」 第8集:ヒトがサルと別れた日
大島ミチル (アーティスト), 毛利衛 (出演・声の出演) |1995/01/29放映 DVD
Total No.3108★★★★★

 アフリカで350万年前生まれたと言われる人類。サルと人間はどう違うのか。まっすぐ立って二本の足で歩く。ジャワから発見されたピテカントロプス。森で育った人類、そして森が消えたことが幸運を呼んだ。次第に平原に慣れていった。

 二足歩行をすることによって、声を出すことができるようになった。未知の平原を力強く歩き始めたことが人間の発展につながった。

<第9集>につづく

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「NHKスペシャル 生命 40億年はるかな旅」 第7集  昆虫たちの情報戦略

<第6集>よりつづく

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「NHKスペシャル 生命 40億年はるかな旅」 第7集  昆虫たちの情報戦略
大島ミチル (アーティスト), 毛利衛 (出演・声の出演) 1994/11/27放映 DVD
Total No.3107★★★★★

 昆虫たちの世界。この地球上の生命の70パーセントは昆虫である。昆虫は、堅い殻で外部から体を支えている。それゆえ、体を大きくすることはできない。

 両生類や哺乳類は、脊椎をもっているがゆえに、巨大化することができた。恐竜の時代に昆虫はほぼ出そろい、ほとんど進化は完成したとされる。昆虫たちは体を小さくすることで種類を増やし、繁殖していった。

 脊椎動物は脳を大きくすることができ、膨大な情報を操るようになった。昆虫は、シンプル・イズ・ザ・ベスト・システムを作り上げた。

<第8集>につづく

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2013/09/15

「<からだ>とことばのレッスン入門」 地球市民として自分を耕す 三好 哲司

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「<からだ>とことばのレッスン入門」  地球市民として自分を耕す
三好 哲司 1993/05 春秋社 単行本 212ページ
Total No.3106★★★★☆

 著者は1948年生まれで竹内敏晴の門弟と思われる。タイトルも竹内著「『からだ』と『ことば』のレッスン」(1990/11 講談社)に倣ったものであろうし、1988年に解散した竹内演劇研究所を止揚した形で、自らの学んだものをまとめようとしたものであろう。

 現在のところ、この処女作以外には残念ながら続刊としての著書を見つけることができないので、このあと、どのような展開になったのかは、明瞭ではない。

 この本を読みながら、同じく竹内を師とした吉岡友治を思った。本来であれば、三好と吉岡は、同列、あるいは並列して語られるべき位置にあったのかも知れない、と勝手に推測する。

 竹内演劇研究所は1988年に解散し、私は自分で「からだとことば研究所」を設立することになり、以後今日までレッスンを続け、たくさんの人たちと出会い、いまもみんなと一緒に自分自身も変化し深まっていく過程を歩んでいる。p2「まえがき」

 この本、副題として「地球市民として自分を耕す」を称している。その気持ちは多いに共感し得るが、やや紋切り型で、今となっては気恥ずかしくもある。

 ある意味で個人主義がもっとも発達しているといわれるアメリカ合衆国の西海岸では、すでに60年代末に、東洋思想と西洋心理学の出会いから、<個>を超えるという方向性をもったトランスパーソナル心理学が生まれている。p4同上

 1925年生まれの竹内に比すれば、著者は1948年生まれなので、当ブログとしては同世代意識で読むことができる。竹内は、似たようなことを「脱自」と表現しており、自らを「アングラ」の一員と見られることを危ぶんだり、いわゆるトランスパーソナルの一員と見られることを、積極的には首肯しないだろう。だが、そのへんはすこし、小児的と感じられる。

 私たちの「からだ」はbodyではない。bodyとmindとspiritを含んだもので、むしろ英語で言うmind=心・精神に近いものである。p24「安心する」

 この辺の言葉づかいも、分からないではないが、これじゃぁ、糞味噌いっしょになってしまう。そもそも、竹内が「からだ」という単語を選んだ時に、この脆弱なコンセプトの曖昧性が含まれていたのであり、著者が一生懸命、換骨奪胎しようとするところに、なにやら御苦労なことだと、またまた共感することとなる。

 竹内敏晴さんはからだとことばのレッスンを「ただ人がひとりひとりの自分の体に気づき、まっすぐに立ち、向かい合い、触れ合うことをめざしてきた試みであり、いわがひとりの人間となって鮮やかに立つことへと常に歩み出してゆく手がかりにすぎない」と述べている。p127「賦活する」

 まぁ、言ってみれば、禅でいうところの「無位の真人」としての自覚であり、いわんとしているところは、他にまったく比肩できるものがない世界ではない。それにしても「劈(ひら)く」とか、「賦活する」とか、言葉使いの、特徴的なことは、まぁ、それぞれの「道」の表現方法の違いであって、あまり、言義にこだわるべきではないだろう。地球市民を標榜するなら、エスペラントとまではいかないまでも、もっとポピュラーな言葉遣いで指し示したほうがいいように思う。

 私は竹内敏晴さんと出会って8年経ってから、それまでの体験を言葉にしないと前へ進めないと感じて、直接レッスンをすることから完全に離れて、レッスンで体験したことを言葉にする作業に入った。p130同上

 この「レッスン」という用語も、すこし独特な使われ方をしている。自然発生的にこのような表示になったのだろうが、大きなトランスパーソナルのマトリックスに位置付けるとしたら、あまり地球市民的な言葉づかいではない、と私なら思う。

 <からだ>とことばのレッスンは、治療法でも健康法でもない。しかし、自分の<からだ>に注意をしていくと、いろんなことが起こってくる。p178「より深く触れる」

 病者のための心理学(治療法)、健常者のための心理学(健康法)、というものがあるとすれば、Oshoなら、ここから、ブッタのための心理学(瞑想法)という単語を使う。「ことば」といいつつ、どこか、この人々の流れの言葉づかいは地方言語に近く、もっと世界共通語に落とし込む必要があるのではないか、と感じる。

 ケン・ウィルバーは「意識のスペクトル」において、「意識は多次元的、あるいは、多くのレベルからなっている。心理学、心理療法、宗教のおもだった学派や宗派は、それぞれ異なったレベルに重点をおいている。したがって、これらの学派や宗派は互いに対立しているわけではなく相補的である」と述べている。そして三つの主要なレベルとして

 (1)自我のレベル、(2)実存のレベル、(3)心のレベルを挙げている。(略)

 このケン・ウィルバーの分類に従うと、<からだ>とことばのレッスンは主として第二の実存のレベルを対象としていると言える。p192「成長=<自己>を越えてゆくこと」

 言わんとするところはわからないでもないが、外部からの定義づけを借りるよりも、本来、実質(実存)の意義を高めることのようが大事なのであり、まぁ、本来、呼び方など、本当はどうでもいいのである。本当のところ、「言葉」など、無意味なのだ。

 私は皮膚の内側だけが私であるとは考えなくなった。知覚世界が私になった。私は知覚世界まで拡大した。視覚や聴覚も触覚も同じ用(ママ)に「触れる」ことになった。p199同上

 この辺も言わんとするところを理解しようとしないわけではないが、意識の拡大とか、個を超えるなど、さまざまなコピーライティングに振り回されながら、表現することに難儀しているなぁ、と感じる。物事は、もっとシンプルで、ごくごく当たり前のことなのだ。結局は、自分で掘った落とし穴に落ちるようなおかしなパラドックスにハマらないようにしないといけない。

 著者に他の著書があるのなら、そちらも読んでみたいと思う。まずはこの本を読むにあたっては、もう20年前の本であるということと、この本が書かれた時代の背景をも考えてみなければならない。

 

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「NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅」第6集:奇跡のシステム“性”

<第5集>から続く

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「NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅」 第6集:奇跡のシステム“性”
1994/10/30放映
Total No.3105★★★★★

 鳥から、いきなり性か、と思ったが、実は、ふたたび時代は20億年前に遡り、単細胞生物から再スタートする。

 単細胞生命体が栄養のない環境に至ると、二つの細胞がくっつくようになる。そしてお互いに補完しあうことになる。さらに、ふたたび栄養のある環境に戻すと、互いにまた離れるが、離れたものは、それまでの第一世代とは遺伝子的に全く違うものとして誕生することになる。これが、性のシステムのスタートとなる。

 その互いに協力し合あうシステムが多細胞生物へと進化していった。

 ふたつの細胞は、それぞれに役割を持つようになり、新しい出会いを求める細胞と、栄養分を保持する細胞と別れ、精子と卵子、オスとメスの性の違いを持つようになった。

 そして、そこから繁殖が始まり、やがて、霊長類ボノボに見ら得るように、性を繁殖以外の、緊張を緩和するために活用する種も現れた。

<第7集>につづく

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「NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅」 第5集:大空への挑戦者

<第4集>からつづく

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NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅」 第5集:大空への挑戦者1994/09/25放映
Total No.3104★★★★★ 

 翼竜の翼は、四本目の薬指を長く伸ばし、その指と体の間に薄く膜を貼り、さらに巨大化させることによって、少しの風でも大空を滑空できるようやシステムだった。

 一方、始祖鳥に始まる鳥は、は虫類の鱗を変形させて作った沢山の羽で空を飛ぶことになった。もともと体の保温のために作られたであろう翼は、広げれば放熱の役目も果たし、対応できる環境は次第に広がっていった。

 6500万年前ころには、巨大化しすぎたプテラノドンやケツアルコアトルスなどは、巨大化し過ぎ、環境の激変には対応できない体になっていた。

 は虫類から派生した翼竜と、同じくは虫類から派生した鳥類では、空を飛ぶという意味では親戚のように見えるが、その進化過程を見ると、まったく別な形で進化を遂げ、6500年前の巨大隕石激突の影響で、その運命を大きく分けたのだった。

<第6集>につづく

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「NHKスペシャル 生命 40億年はるかな旅」 第4集 花に追われた恐竜

<第3集>からつづく 

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「NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅」 第4話 花に追われた恐竜
[DVD] 大島ミチル (アーティスト), 毛利衛 (出演・声の出演) 1994/07/31放映 形式: DVD
Total No.3103★★★★★

 巨大隕石衝突が6500年前に恐竜が絶滅した原因とする説が大勢である。しかしながら、それに先だって、巨大恐竜たちはすでに衰退に向かっていた、というストーリーである。

 巨大植物を食料として独占した巨大植物食恐竜たちは、シダ類の巨大植物を食いちぎるだけで、植物が繁殖する互換関係を結ぶことができなかった。

 それまで風などに種子を飛ばして繁殖していた巨大植物は、やがて昆虫や小型哺乳類との互換関係を結ぶこととなった。昆虫類の体についた花粉によってその生殖範囲を拡大し、また花やその果実によって、花+昆虫(あるいは小型哺乳類)は、地球上を次第に変えていった。

 それに合わせて、植生がかわり、恐竜たちは、巨大植物を求めて、その生息地域を狭められて行った。植物たちにとって、恐竜たちは必要ではなかったのである。

 もし人類が、現在あるとしたら、私たちの祖先であるサルなどの霊長類が、花をつける植物と共存するシステムを作り上げたからだ、とする結論にはロマンがある。

 それでも最後はやはり、恐竜絶滅の最後のとどめは、巨大隕石の衝突説を支持している。

<第5集>につづく

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「鳴子温泉郷物語」タルタロスの足湯 SENDAI座☆プロジェクト2013

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「鳴子温泉郷物語」タルタロスの足湯 
SENDAI座☆プロジェクト 作・演出/クマガイコウキ 出演/西塔亜利夫・他 2013/09/13~ 於・鳴子公民館、他 
Total No.3102

 鳴子で芝居をやるという。しかもタイトルは「鳴子温泉郷物語」。他にも、仙台や鶴岡、関西は尼崎などでも、順次公演するらしい。しかしだ、どうせ見るなら、タイトルどおり、鳴子温泉で見るに限るだろう。

 ということで、日帰り温泉に浸かってきた。共同浴場の天井の高い浴槽に浸かりながら、まずはいろいろな想いにふけった。鳴子温泉かぁ・・・・・。いろいろな想い出があるなぁ、いろんな時に、いろんな形で鳴子にやってきた。

 最初に来たのは、たしか母親と一緒だった。地域の婦人会のバス旅行だった。たぶん農作業が終わった慰安旅行だったのだろう。不思議とあの時は、子供は私ひとりだった。まだ5歳か、その前後だった。あのころ、鳴子は「都会」だった。とても華やかで、全てが輝いていた。

 小学校や中学校の遠足でも確か来たはずだし、10代の終わりには、自分たちの合宿のために、長湯治したことがある。その名も「東北独立合宿」。カウンターカルチャー運動華やかしい頃、1970年代の前半だった。

 場所は、鳴子よりちょっと上の中山平温泉「星の湯」。全国から仲間を集めて一週間の合宿をするため、流峰のバイクに二人乗りして下見にきたことを覚えている。電話帳で探して、県内で、一番安い宿を探したのだった。

 当日は、雪が深く、ほとんど雪の中にポツンと自炊湯治宿があり、暖房は手を温める火鉢くらいなもの。みんな持ちこみの寝袋を体に掛けながら、いろいろ語り合ったなぁ。北海道のネズミ、盛岡のパクシー、仙台の雀の森の仲間たち、フクシマのもぐらグループ、東京練馬の都市コミューン「蘇生」のトモくんやキコリ、その他、みんないた。ニュートンやサキ、ジープやエッコ、山形からも来たような。みんなで夢を語り合ったな。

 男女混浴の浴槽にみんなで使ってマントラを唱えた。炭火でご飯を炊き、破れ障子からの隙間風に凍えた。そういえば、近くに大きな温室の自然公園みたいなものがあり、そこにワニがいたことが思い出される。

 その後、鳴子に来た時は、仕事だった。家庭回りの営業で、一軒一軒家庭を回るのだが、温泉街のこと、みんな温泉に関わる仕事を持っており、どこも暖かく迎えてくれた。いろいろ紹介してくれて、仕事の終わりにはいつも温泉に浸かった。ある時などは、家族や友人を車で連れて来て、彼らは、私が仕事する間、温泉で遊んでいた。

 老いた母親が鳴子に来たい、紅葉を見たい、というので、何回か、また鳴子にきた。間欠泉を見たりした。あの時、鳴子に来て、わずかばかりの「孝行」ができたことは、今考えれば、とてもよかった。現在93歳の介護ベット上の老母を、鳴子に連れてくることは、ほとんど不可能になった。

 あれからも何回も鳴子に来た。最近では、3・11後に、高速道路が無料になったという、それだけの理由で、鳴子や中山平に遊んだ。でも、よくよく、考えてみると、私の中での鳴子温泉郷は、バラバラだ。一連の物語とはなっていない。それぞれが断片なのだ。しかも、ひとつひとつに、つながりがなさすぎる。人生の、いろいろな場面で、いつも唐突に登場した鳴子温泉郷。

 今回、この芝居を見に鳴子に来ようと思ったのは、紹介してくれたのが、出演者のひとりである西塔亜利夫だったからだ。彼は、もう還暦を迎え、職場を退職し、第二の就職を考える時期だが、その人生の仕上げとして、これからますます「芝居」に打ち込むことになった。

 彼は若い時分から芝居一筋だった。立派に職業人として社会的仕事を持っていたのだから、「一筋」とは言い難いかも知れない。しかし、魂はいつも芝居と一緒にあった。

 いつだっただろうか、1970年代の後半、私が、ちょっとだけ芝居に関わり、やがてインドに行こうとしている時だった。「ひめんし劇場」の打ち上げか、「洪洋舎」の稽古場で開いてくれた私の歓送会の時だったかもしれない。

 いい加減酔ったあと、みんなで街にでた。広い大通りの横断歩道を渡りながら、クルクル回った西塔亜利夫は、大きな声で「俺は、30までは絶対芝居を止めない!」と宣言した。なぜ、そんなことを今ここで? と思ったが、まだ20代の前半だった、私たちには、「30」というのは、はるか未来のことだった。「30まで芝居をやめない」ということは、当時、かなり努力を要することだった。

 その後の彼の人生について、私はあまり詳しくない。演劇仲間と結婚し、家を建て、子供を何人かもうけた。マイホームを持ったのだって、仲間内ではトップクラスに早かったのではないだろうか。背広とネクタイをしめた社会活動をキチンと務めながらも、語るのはいつも芝居の夢ばかりだった。私の知る所、彼は結局、それしか語っていなかったのではないだろうか。

 現在、私たちはアラウンド60となり、私より一学年上の彼はすでに退職して「悠々自適」の芝居人生に突入したものと思われる。「30まで芝居をやるぞ」宣言どころか、結局、彼は、今回の人生すべてを芝居に賭けたことになる。

 その彼がまずはこの芝居「鳴子温泉郷物語 タルタロスの足湯」に打ち込むことになった。3・11直後、「自分たちは震災の後、演劇人として何ができるのか」、そのことを真剣に考えていた。電話でも、そう語った。その後、どのような展開をしたのかは詳しくは知らない。でも、この芝居は、彼の思索の一連の中に重要な位置を占めていることは確かだろう。

 芝居は「復活」の物語である。かつて華やかしかった「鳴子」がどう復活するか。そのことは、廃れたホテルがどう「復活」するか、でもあったし、交通事故で消えた有名女優が、どう「復活」するかでもある。また欧米で人気を博した若き天才シナリオライターが、帰国後落ちぶれて、いかに「復活」するかでもある。

 あるいは、西塔扮する湯治宿の番頭さん、実は彼は気仙沼で3・11被災した自殺未遂男なのだったが、避難してきたこの「鳴子温泉郷」で、いかに「復活」していくのか、という物語でさえある。そして、それは3・11からの「復活」をも意味しているはずである。

 私はラッキーにも、この「鳴子温泉郷物語」を鳴子で見ることができたが、どこか別の街で、この芝居を見て、「鳴子に行ってみよう」となるのもいいのではないだろうか。温泉に浸かってみよう、と考えるのもいいのではないか、と思う。

 でも、私はやっぱり、この芝居を鳴子で見ることができてラッキーだった。私には私の鳴子への思い入れがある。実に書き切れないほどある。ひとつひとつがバラバラな、私の「鳴子温泉郷」。人生の端々で、いつも断片的に登場してきた鳴子。

 今回、私はこの芝居を見て、自分の中の「鳴子温泉郷」を、時系列に、あるいは意味的に、あるいはめちゃくちゃに、それぞれ構成し直して「物語」にすることができるのだろうか、と思った。

 私も今、私なりに「復活」を狙っているのかもしれない。人生の、震災の、そして、バブル崩壊の、さまざまな事件の中で、人々は、ひそかに「復活」を夢見ている。さまざま問題はあれど、2020年東京オリンピック開催も決まった。

 この芝居、もうすこし時間が経過して熟成されていくと、もっと更なる復活劇を巻き込んだ、一大プロジェクトの契機になるかもしれない。そう強く期待した。

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2013/09/14

「NHKスペシャル 生命」 40億年はるかな旅 第3集 魚たちの上陸作戦

<第2集>よりつづく

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「NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅」 第3集 :魚たちの上陸作戦
大島ミチル (アーティスト), 毛利衛 (出演・声の出演) 1994/06/26放映 形式: DVD
Total No.3101★★★★☆

 40年の生命の歴史の中で、ようやく陸地に動物が上陸したのはわずか3億6千年前のことだった。それまでの長い長い間、生命はほとんど海中に限られていた。

 現在、人間たちは、地球から宇宙に向けて進出しようとしているが、木の上で暮らしていたサルが大地に降りてきたことに遡ることはるか前、魚たちは、陸上へと進出を始めていた。

 そこにはとてつもない冒険が待っていた。まず川に辿り着いた魚たちにとって、塩分の違いや食料のない川は、まだまだ安住の地ではなかった。

<第4集>へつづく

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「『からだ』と『ことば』のレッスン」  竹内 敏晴

竹内 敏晴 1990/11 講談社 新書: 216ページ
Total No.3100★★★★☆ 

竹内敏晴関連リスト

「ことばが劈(ひら)かれるとき 」 1975/08 思想の科学社

「『からだ』と『ことば』のレッスン」 1990/11 講談社

「<からだ>とことばのレッスン入門」 地球市民として自分を耕す 三好 哲司 1993/05 春秋社

「老いのイニシエーション」 1995/03 岩波書店

 数多い著者の単行本だが、「ことばが劈(ひら)かれるとき 」、「『からだ』と『ことば』のレッスン」、「老いのイニシエーション」、の三冊にくさびを打ち込めば、まずは竹内敏晴という岩盤には割れ目が生まれ、一枚の岩石が剥がれてくるだろう。

 私の試みているレッスンは、20年ばかりの間に次第に姿を現してきた実践の形であって、、いつのまにか「竹内レッスン」とか「からだとことばのレッスン」とか呼ばれるようになったけれども、完結した体系をもつものではない。時にそれは、肉体表現訓練とも健康法ともセラピーの一種ともみなされたことがあるが、それらとのつながりはもつけれども、実はそのいずれでもないだろう。p4「はじめに」

 この「『からだ』と『ことば』のレッスン」には、さまざまな「メソッド」が紹介されているけれど、必ずしも他者のそれを発展展開させたものではない。そもそもが、著者のもつ身体的「障害」が開発の原点になっており、その発展の経緯は、著者の「体験」がひとつひとつの基本となっているのである。

 であるからこそ、この「メソッド」にほれ込んだ「参加者」たちは、いつかその道の追随者となり、やがては著者を「師」と仰ぐほどの信頼感を持つようになる。そのメソッドは、何と名づけるべきなのかは不明瞭なれど、いみじくも「レッスン」と呼ばれるようになったのにも、まったく故なきことでもあるまい。

 研究所のレッスンは、一応カリキュラムめいたものを組み、週三回、半年なり一年なりを一区切りにしえ、舞台上演に体当たりすることで何かを獲得する、あるいは新しい感覚へ身を開いてゆく、という方法をとっていたが、一方の集まりの方は、それぞれ、ことばがうまくしゃべれないとか、他人との対応がうまくいかず閉じこもってしまうとか、からだの問題に気づき始めてヨーガや整体術を学んでいるのだが、とか、独自の問題をもってきた人が雑多に集まっているわけだから、毎回のレッスンは、その人その人の、その時ぶつかっている悩みを、どう「からだ」の次元でとらえていくか、という試みから出発するわけで、順序も見透かしもない。ただ、からだや声が変わってゆくありさまだけが手掛かりであり、参加者たちのはげみでもあった。p5同上

 著者の文章はどうかすると、かなりな長文になることがある。もう少し読みやすく、ぶつぶつと切ってくれればいいのだが、この独特のリズムが、なにかのフィールドを生み出している、とも言える。

 途中で、たとえば「寝にょろ」の最中に、野口晴哉氏の「整体」で言えば「活元」が起こってきて、かなり激しい動きが持続したりすることもあるが、それも、ある集中の深さが達成されていた故だろう。このような意味での日常の「身構え」からの脱出が、深い集中に導かれ、ある「脱自」へと至る、のだ。

 日常生活の中でこのように深い「安らぎ」を、しかも、他者と共に知ることはまずないことである。この「安らぎ」の感じから生活を眺め返す時、見える世界が変わってくると言っていいだろう。p116「『緊張』と『身構え』がほどける」

 「活元」という単語はOshoは使わなかったけれど、その用語集から引っ張り出すなら「ラティハン」あたりが、その意味と対応するだろう。しかしながら、それぞれの「マスターたち」はそれぞれの意味を込めて使っているのであり、その「マスター」の存在、現存を抜きにして、技法やメソッド、レッスン、という部分だけを取り出すことは難しいだろう。

 「脱自」という単語のしても、どこかで「トランスパーソナル」と連動してくるだろう。

 これらの現象を、どこまでも独自のものであると主張することも可能であろうし、それぞれにすり寄っていって、互いの距離を詰め、同等の意味を持つものである、と結論づけることも、不可能ではないだろう。

 さて、当ブログにおけるこの「46番目のカテゴリー」は、Oshoの「こころでからだの声を聴く」 を転写するところから始まった。竹内敏晴という人と当ブログがクロスし始めた時に、この「『からだ』と『ことば』のレッスン」のことが思い出され、どこかで連動し始めるかな、と期待した。

 しかし、よくよく見ると、「からだ」は共通するものの、かたや「ことば」であり、かたや「声」っであった。そもそもOshoのほうの原題は「ボディ・マインド・バランシング」だから、「こころでからだの声を聴く」 という邦題は、むしろ竹内劇場にすり寄る形で、Osho邦訳スタッフが選びとったタイトルであったと言えるかもしれない。

 

 

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2013/09/13

「NHKスペシャル 生命」 40億年はるかな旅 第2集 進化の不思議な大爆発 :

<第1集>からつづく
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「NHKスペシャル生命」 40億年 はるかな旅 第2集 :「進化の不思議な大爆発」
出演: 毛利衛 1994/05/29放送 音楽: 大島ミチル ナレーション: 石沢典夫/上田早苗VHS DVD
Total No.3099★★★★☆

 すばらしいシリーズなのだが、そのすばらしい「リアリティ」に圧倒されながらも、ふと思う。これって「本当」だろうか。

 生命や、地球の成り立ちが「科学的事実」をもとに「構成」されてみると、もうそこには、たった一個の生命体としての「私」の入り込む余地など、まったくなくなってしまう。

 「私」にとって、なぜ「生命体が発生したのか?」よりも、「私はなぜ生きているのか?」のほうが、もっと大事な課題なのではないか?

 よくよくできた番組である。分かりやすく、きれいだし、説得力がある。しかし、これら一連の映像を「事実」として確定してしまって、いいのか。

 たとえば、私などは、最初は、恐竜の存在など疑いようのないものとして、ただただ伝えられるままに信じようとしていたのだが、いろいろ調べてみると、そこにあるのは、数少ない「化石」などの「裏付け」があるだけで、その多くは、「科学者」たちの「想像」によるところがほとんどである。

 いわば、フィクションやイマジネーションと、大きく隔たっているわけではない。自らの「学説」を裏付けるための「証拠」をいくつか積み上げて、そのような全体像を「構成」してはいるけれど、それを、いかにも、見てきたように「事実」として「確定」してしまっていいのか。

 すくなくとも、漠然と「NHKが放映するのだから」、「本当」だろう、と、暗黙に信じてしまっている自分に、唖然とする。いや、これは「違う!」と、むしろ否定的に、批判的に、うさんくさいものとして、見てみる必要があるのではないか。

 よく、コマ落とし撮影で、薔薇の花などが、スラッと開くシーンなどがある。いかにもスムーズで、あの花弁の動きならば、扇子などで煽いだように、風さえ起こりかねない。しかし、薔薇が花開いたとしても風など吹くことなどない。

 あのような映像はすばらしいものではあるが、すでにそれは「こしらえられた」ものではないのか。「芸術」的ではあったとしても、それは決して「科学」的と言えるとは限らないのではないか。

 この長大な40億年を、いかにもコマ落とし映像のように「要約」して見てみることは、たしかに「芸術」的ではあるが、決して「科学」的とは言えないのではないか。

 そもそも、生きた恐竜を見たことがある人間など一人もおらず、その歩き方や、生態、目の形や、皮膚の色さえ、本当はよくわかっていないのだ。宇宙の成り立ちや、地球上の生命の進化の過程など、「確定」した「事実」として語ることなど、できないのではないか。すくなくとも、「であっただろう」とか、「と推定される」程度の軽い紹介にとどめるべきではないのか。

 そんなことは、もう分かっている、分かっていることを前提としてこのような番組を見るべきだ、という人がいるかも知れない。たしかにそうであるのだろうが、少なくとも私などは、漠然と、これらのシリーズを「事実」として、無批判的に、素朴に、あっけらかんと受け容れてきた。また受け容れようとしてきた。

 いや、何かが違う。今はそう思う。少なくとも、「視点」はどこにあるのか。「生命」を見つめている「目」はどこにあるのか。このような「膨大」な「事実」の前で、立ちすくむ「私」とは誰か。

 近くのものは大きく見え、遠くのものはかすんで見え、地平線上の彼方では、やがて何も見えなくなってしまう。この距離感が必要なのではないか。このような「全体」像があってこその「私」なのではないか。

 「遠く」のものなど、見えなくなっても構わないのではないか。「近く」のものが、少なくとも、今「生きている」ことに関わることが、「まず見える」必要があるのではないか。

 これは極端な言い方だが、少なくとも、自己防衛として、このような視点を持っていないと、膨大な「事実」と称する「フィクション」の前に殴殺されかねない。

 これら一連の、「もっともそうな」お話は、いわゆる「科学者」たちが、よってたかって作り上げた「物語」なのである、という可能性を、常にもっておきたい。少なくとも、これらの「学説」は、次の瞬間、あらたな「事実」の前に、いとも簡単に否定去られる可能性は常にあるのだ。

<第3集>へつづく

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2013/09/12

「ことばが劈(ひら)かれるとき 」 竹内 敏晴 <2>

<1>よりつづく 

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「ことばが劈かれるとき」 <2>
竹内 敏晴 (著) 1975/08 思想の科学社 単行本: 278ページ

 ほんとうに全身が動いてこえが出るときは、こえを出そうと意識はしていません。何となく楽にしゃべれた、とか相手が近くに見えたとか、からだがひろがったとか、感じるだけなのです。

 これは、体が世界へ向かって自己を超えることであり、それを私は、からだが劈(ひら)く、と言います。からだが真に動くのは、からだが忘れられ、からっぽになたときであって、それを脱自(エク・スターズ)と呼んでもいい。p22「はじめに」

 劈(ひら)く、あるいは劈開(へきかい)という言葉を不勉強ならが、他で聞いたことはない。どうやら、もとは鉱物学の言葉のようだ。

 

劈開(へきかい、cleavage)とは、結晶や岩石の特定方向への割れやすさを表す鉱物学、結晶学、岩石学用語である。 結晶構造においては、原子間の結合力の弱い面が、ある方向で存在するときにおこる。へき開によってできた結晶面をへき開面という。劈開はモース硬度とは関係がない。例えばダイヤモンドは最高の硬度をもっているが、へき開は「完全」であり、正八面体の面に対して平行に、簡単に割れる。 このような性質を持つ岩石については、その岩石の成因によることもあるし、よらないこともある。後者は、岩石になった後からの外因によってこの性質を持つ。 宝石の加工や、工学の分野で重要な性質である。 Wikipediaより

 「劈」という字には「刀」が入っているので、どうも鋭利なシャープさを感じたが、鉱物の特定の割れやすい方向性、ということであるなら、さらにイメージがしやすい。

 ツンボはオシである。 オシはツンボになるということは生理学的にありえないことだろうが、ツンボは話しことばを拒否されることによって、必然的にオシにならざるをえない。つまり私は12歳から16歳までの5年間、ほぼ完全なオシであった。p41「ことばとの出会い」

 ここが、著者の一生を「方向付けた」原点である。この方向に彼の人生は劈(ひら)かれていった。

 日本語に一人称がない、という主張はその通りだと思うが、本質的に言えば、語ろうとする主体に「わたし」と命名したとたん、それは本来三人称なのである。heのかわりにIと言うのであって、自分=主体は、「かれ」からも「わたし」からも等距離にある。そのようなものとして「わたし」ということばを使えるようになったとき、メタ言語が成立する。これは、大変あやふやな、たよりない手探りであったが、私は少しずつ慣れ、訓練をつづけ、習得していった。p49同上

 かなりいいところを突いている。この方向に割れる。

 演劇の仕事を選んだのは芝居が好きでたまらなかったからではない。今から見るとトッピな話だが、当時私は長野県のある農民組合に行こうか、芝居に入ろうか迷っていた。自分を、新しい時代には生きられぬもの、死んだもの、として感じることは変わらなかったが、なおかつ、意識され覚悟された「死んだ」は、刻々に鮮やかに波打っていなければならなかった。

 でなければ単に生理的に生きることにさえならない。なんらかの意味で創造的でなければ生きられないことを私は感じ始めていた。p67「師・岡倉士朗との出会い」

 ここで対比として「ある農民組合」が登場しているが、そこだって「創造的」な場であったに違いない。とにかく、そちらのほうに「劈」かれていった。

 私たち演劇人にとって、からだが何かによって動き、いかに動くかはことさら重大--核心的あるいは致命的な課題に違いない。なぜなら演技においては、想像するからだと、創造されるものとが、同じからだ(のうごき)であり区別されえないからだ。p164「治療としてのレッスン」

 私もローティーンの頃、言葉が出なくてとても困ったことがある。そのためにノートも書くようになったし、ミニコミも作るようになった。高校を卒業してすぐに共同生活体(コミューン)に参加したのは、そういう場にいれば、必然的に言葉を使わなければ生きていけないだろう、という直観もあったからだった。

 ことばとはこの呼吸音を整序し、他者への伝達のために記号化されたものだと、いちおう言っておこう。ことばの起源を通報に見るか、ルソーの如く情念におくのか、あるいは歌と限定するのか、議論は多いし、またジャック・デリダの解するフッサールの説のように、表現の純粋性は、伝達の機能をいったん遮断したところに成り立つという構造も、あらためて考察するに値する重要な論点ではあるけれども、やはりフッサールにしたがって、ことばの機能が本来的には伝達にあるといちおう言っておくことにしよう。p180同上

 著者は当代流のインテリであったことは間違いないが、どこかディレッタントに流れることも多い。

 宮城教育大学の横須賀薫氏から講義(レッスン)に呼ばれたのもそのころ(引用者注1972年ころか)である。横須賀氏によると---教師は農村出身者が多く、一般的に自己表現力が乏しい。とくに教師は話しことばによって子どもを教える職業なのに、話しことばによる表現について教育する課程がまたくない。

 ことばと、身ぶりの表現について、演劇のレッスンを参考に手探りを始めたところである。竹内の文章を見て、これだと思った。レッスンをしてくれまいか---こういうことであった。私は、こえとからだについて探っていた私自身の問題意識が、気づかずにいた標的をたずねあてたような気がした。体育とか音楽とかの課題の枠を超えた、もっと全人間的なひろがりへ向かって私のレッスンが方向づけされることを感じた。

 同大学の学長が林竹二氏であることを知ったことも私を勇気づけた。p222「からだそだて」

 当時のことはなにも知らないが、漠然と、そのようなことではあっただろうと推測していた。そもそも教員養成の大学ではあったが、当時と違い近年は、この大学を出ても教員になることは難しくなり、教員になる学生は20%以下になっているのではないだろうか。

 いずれにせよ、林竹二と著者の「コンビ」は、どこかで公立学校の「ゆとり」教育につながっていったようなイメージを持っている。個人的に、私はゆとり教育という言葉からイメージできる世界観には賛成である。(しかるに、それが現場化することによって、一部酷評され、いまではほとんど「死語」になっているかのようだ)。

 私は学長としての林さんに始めてお目にかかったとき、「私は連劇のレッスンを教えるために来たのではない。演劇のレッスンによってしか劈(ひら)かれない人間の可能性があるならば、それを劈(ひら)く方法を一緒に探りたいと思って仙台へ来た」といいう意味のことをお話した。

 林さんは口を開いて笑って、「それじゃぁ、まさにぴったりだ」。あとで横須賀氏に、「竹内君も驚いたでしょうね。十年たってふと横を見たら私がいた、という感じでしょうね」と言われたと聞いた。p223同上

 私はこの大学が、その後どのような展開をしたのかは知らない。いずれにせよは、著者に惹かれて、一時、この大学に勤めようかと思った時期があったということである。これらの一連の「教育」の現場と、Yの現在の「教育」の現場が、どのようにつながっているのか、私にはおおいに興味あるところだが、今のところ、まったくわからない。

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2013/09/11

「NHKスペシャル 生命」 40億年はるかな旅 第1集 :海からの創世

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「NHKスペシャル 生命」ー40億年はるかな旅ー 第1集「海からの創世」
出演: 毛利衛 1994/4/24放送 音楽: 大島ミチル ナレーション: 石沢典夫/上田早苗 VHS DVD
Total No.3098★★★★★

 1994年放送の番組だが、決して古くない。地球46億年の歴史の中、生命が生まれてからでも40億年が経過しており、それに対する20年など、屁でもない。

 40億年前の地球環境、硫化水素の大量発生、巨大な月、ほとんど偶然にできたバクテリアたちからスタートする地球生命。

第2集へつづく

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「老いのイニシエーション」竹内 敏晴

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「老いのイニシエーション」シリーズ生きる
竹内 敏晴 1995/03 岩波書店 単行本 p202
Total No.3097★★★☆☆

 「ことばが劈(ひら)かれるとき 」(1975/08 思想の科学社)と同様、この本も、スムーズには読み進めることができない。率直に、なんの先入観もなく読み始めてみるのだが、数ページ読み始め、最初の一区切りまで読んでみると、本の性格がわかり、著者が何をしようとしているのかを察すると、ああ、ここでいいかなぁ、と思ってしまう。

 それはなぜなのか。ひとつには、ちょっと面倒くさいのである。この感情、この心理の動きが邪魔なのだ。あえて、いまさら、よそ様のドサクサ、ドタバタ劇に、首を突っ込んでも、どうにかなるものではない。

 自己開示したい人は、その場を得て、実行すればいいだろう。また、他人のそのような衝動に付き合いたいと思い、手伝いたいと思う人があれば、それもまた実行すればいいだろう。だが、どうも今の私には、この手の衝動はまどろっこしくて、面倒くさくて、胡散臭くさえある。

 Sの葬儀の場で知り合ったY(吉岡友治)が、竹内を師としていることを知った。そのことが、この本を開いてみようと思った遠因である。しかし、もっと直接的に言えば、Yという人物を知りたくて、彼の一連の書物の次に、その師とする竹内を読み込んでみようとしているところである。

 しかるに、なぜ私はYを知りたいかと言えば、彼と友人になりたい(すでに40年来の2次のつながりであったが)とか、彼と道がクロスした、ということでもない。むしろ、共通の友人であるS(私たち二人はSの弔辞をそれぞれに読んだ)のことをもっと明確しておきたかったからである。

 さらに言えば、いまひとつ明瞭でなかったSという存在を、いまさらにはっきりとらえてみようと思ったのは、ナニを隠そう、そのSとのつながりを持ち得ていた「私」自身とは何か、というところまで、戻ってこなければならないのである。

 だから、竹内が面白くなかろうが、Yが方向違いであろうが、Sがいまひとつ明瞭でなかったとしても、それはそれで構わないのである。要は、私が誰か、をより明瞭にとらえることができるのであれば、事は足りるのである。彼らを反面教師として、あるいは、鏡として使うことができれば、彼らの存在意義は最大限に大きかったということになる。

 竹内--Yをつなぐラインの大きなキーワードは「演劇」である。コピーライターであったSは演劇家ではなかったが、職業上「演じる」という意味では、どこかで「演劇」と抵触する。そしてまた、ひとつ気になることは、一年前にも私が弔辞を読むことになった石川裕人もまた、その生涯を「演劇家」として突っ走った人物だったということである。

 好むと好まざると関わらず、私の周囲には「演劇家」が多くいる。私がもし自らの道を「演劇」と定めていたならば、これほど恵まれた環境はなかったかもしれない(あるいは、現代はそういう時代なのかも知れない。誰もが「演劇家」に囲まれているのかも知れない)。だが、私にはそういう才能はなかったし、それを「道」としなかった。

 もうひとり、私の周囲の重要な「演劇人」伊東竜俊も昨年末に急逝した。伊東もSも石川裕人の葬儀で一緒だった。1970年代後半、若い時分に私は伊東のステージに立った。そして「悟った」。「あの稲妻をステージに乗っけてくれるなら」その「演劇」に一生協力してもいい。

 その稲妻をステージに乗っけることができる男を、私は1980年代の始めにアメリカンのオレゴンに見た。私はこの男の「演劇」に「一生協力しよう」という決意を固めた。

 そして、石川裕人は最晩年にあたり、「人や銀河や修羅や海胆は」では、稲妻ならぬ、大地の「うなり」を、ステージならぬ、被災地の「演劇空間」に乗せることができた。私はこの彼のステージを見て満足した。

 さて、わがマスターOshoは次のように述べている。

 演劇が最も精神霊的(スピリチュアル)な職業であることは確かだ。なぜなら、役者は矛盾のただ中にその身を置かなければならないからだ---彼は自分が演じている役になりきると同時にしかもそれを見守っていなければならない。OSHO「英知の辞典」p89「演じる ACTING」

 私がこの箇所を思い浮かべる時、竹内の「演劇」観を検討して見たくなる。

 もし「ハムレット」を演じているのなら、彼はハムレットの役に完全に没入しなければならない、演技のなかにすっかり自分を失ってしまわなければならない。だが、それと同時に、自らの存在の最も奥深い核で傍観者、見守る人でいなければならない・・・・。OSHO「英知の辞典」 同上

 竹内演劇においては、自らを外に表出することがメインになっており、自らの存在の最も奥深い核で傍観者、見守る人、であっただろうか。

 本当の役者は逆説を生きなければならない----役をそれになりきって演じ、しかも深いところでは「自分はこれではない」とわかっていなければならない。私が、演じることはもっとも精神霊的(スピリチュアル)な職業だというのはそのためだ。OSHO「英知の辞典」 同上

 矛盾に満ちた、スピリチュアル・コピーライター(という悪口をいう向きもある)であるOshoが、ここで「職業」と言いきっていることが気になる。「道」ではなくて、「職業」なのである。

 真に精神霊的な人は自らの生全体を演技へと変容させる。そうすればこの世界全体は舞台になり、人々はみな役者にほかならず、私たちは芝居を演じていることになる。もしあなたが乞食なら、あなたは自分の役をできるかぎり美しく演じ、もしあなたが王様なら、あなたはその役をできるかぎり美しく演じる。だが、深いところでは乞食は「私はこれではない」と知っているし、王様も「私はこれではない」と知っている。OSHO「英知の辞典」 同上

 「職業」と言いきってしまうところで、Oshoは、この世における「役割」をさししめしているだろう。

 乞食と王様のどちらもが「自分がやっていることは演技にすぎない。それは私ではないし、私の真の姿(リアリティ)ではない」とわかっているなら、二人は自らの存在のまさに中心に、私が「目撃」と呼ぶものに行き着いている。彼らは行為をしていると同時にそれを目撃している。OSHO「英知の辞典」 同上

 私は、一連の竹内著作をひも解こうとしている段階ではあるが、どうも、この突き放した「目撃」感がない。目撃はしているのだろうが、その「演劇」に巻き込まれ過ぎているのではないか。

 だから、演じることは確かに最も精神霊的(スピリチュアル)な職業であり、すべての精神霊的な人は役者にほかならない。全世界が彼らの舞台であり、生全体は演じられるドラマにほかならない。OSHO「英知の辞典」 同上

 竹内がこの本を書くきっかけになった出来事が起こったのは、現在の私たちと同じ、アラウンド60という年代にさしかかった時だった。

 還暦とはよくいったものだ。60歳のあたりは、人生がひとまず生き切られ、その果実の充実も痛みも、根の腐れもひとまとめに、次の老熟に向かうか、それとも再生を賭けて死を選ぶか迫られている時、いわが人生の最後のイニシエーションがむき出しに立ち現れてくる時なのであろう。

 私はその頃、一人の女性に出会った。p15竹内敏晴「出会い」

 Oshoは還暦を前に58歳で肉体を離れていった。わが友人たちも、アラウンド60をきっかけとして「再生を賭けた」かどうかはともかくとして、姿を決していった。この年代において、ふたたび、人生を生きなおそうとした竹内の「所業」を、マハトマ・ガンジーの「晩年の実験」のように見るか、あるいは、ひとつの「演劇」としてみるべきなのか、今の私には判断がつかない。

 しかし、Oshoの言うような、「目撃」感はない。むしろ、「役者」として巻き込まれ過ぎているのではないか。1925年生まれの著者61歳の時からだとすれば、1986年の事、1995年に、70歳になった著者が、「この10年の私のどたばた」(p202あとがき)を書くことになったこと自体は、賛否あれど、はて、この人物を「師」とする、ということは、どういうことであっただろうか。

 唐十郎を「師」とした演劇人・石川裕人にとって、「師」とは何であったか。Yにとっての竹内とは何であったか、に思いを馳せる時、はて、私にとっての、マスターOshoとは、一体何であったのか、を、ふたたびみたび、考えざるを得ないのである。

 あるいはすでに答えは出ているのであるが、同時代を生きてきたわが友人たちと、その師たちを思う時、私がなぜ彼らのいうところの「演劇」に行かず、彼らがなぜにOshoに来なかったのか(と断定はできないが)も、すこしは垣間見えてくるのではないか、と思う。

 今週末、また友人たちが関わる、「演劇」が始まる。

 つづく・・・・・かもね

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2013/09/10

「恐竜学ノート」―恐竜造形家・荒木一成のこうすればかっこうよく作れる恐竜模型

「恐竜学ノート」―恐竜造形家・荒木一成のこうすればかっこうよく作れる恐竜模型
荒木一成 2008/04 今人舎 大型本: 33ページ
Total No.3096★★★★☆

 「ぼくは恐竜造形家」に並ぶ著者の代表作。著者は「恐竜の世界へ」(ペン編集部/編 2011/07)でも紹介されている。 

 恐竜がどんな色でどんなもようをしていたかは、だれも見たことありません。

 ぼくは、だれも見たことがないところに夢があると思っています。だれも見たことのないものだからこそ、自分で色やもようをつけて空想の世界をたのしむことができるのです。

 ぼくにとって「恐竜を作るということは、骨格から筋肉をつけて、色をぬって、生態復元模型を作ることなのです。p3「恐竜を作るということ」

 この本では、ティラノサウルス、トリケラトプス、ステゴサウルス、スーパーサウルス、それぞれの型紙と作り方が図解されている。いつか、当ブログも、この本にお世話になることもあるかも知れない・・・・。

 まぁ、しかし、ここまで想像力たくましく、細かい観察眼を養うまでは、かなりの熟練が必要となりそうだ。

 

 

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「ぼくは恐竜造形家 夢を仕事に」荒木 一成


荒木 一成    2010/02  岩崎書店 単行本: 168ページ
Total No.3095★★★★☆

 ぼくの仕事は、実在した生物を再現させることです。でも、残っているのは化石だけだし、だれも生きているすがたを見たことはありません。目のかたちや筋肉など、想像が入っています。生きた本物の恐竜が見つからないかぎり、恐竜のほんとうのすがたは永遠にわからないでしょう。

 発見された化石の骨や、あしあとなどの証拠をもとに、できるだけ科学的に、考えられるかぎりの可能性を想像することがたいせつだと思います。恐竜の基本は骨格です。化石で発見されるのは、ほとんどが骨ですから、それに肉づけしていくことになります。p37「恐竜の基本は、、まずは骨格」

 「恐竜」というジャンルにハマる自体、当ブログとしては、まったくの予想外の出来事だった。ああ、それなのに、チキンの骨を使って、20分の1スケールの恐竜を、一体ならず、アパトサウルス、ティラノサウルス、プテラノドン、トリケラトプス、と、4体も作ることになるとは、思ってもみなかった。

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 いやはや、ハマったものである。友人知人に見せたりすると、「制作にどれだけ時間がかかったの?」と、よく質問される。これにはうまく答えられない。一週間というのは嘘だし、一か月というと、それにかかりっきりだったわけじゃないから、それも嘘になる。

 上手で、慣れた人が作れば多分2~3日で作れるのだろうが、あれやこれやと首をひねりながら、しかも楽しみながら作るとなると、その構想や資料集めの準備期間を考えると、やはり、一体一か月というのは、まんざら嘘でもないような気がする。

 しかしながら、こうして作ってみると、最初は、「チキンの骨で恐竜を作ろう」という発想自体が面白かったが、出来上がってみると、ひとつひとつ疑問が湧いてくる。特に、腸骨のあたりはどうなっているのだろう、とか、手足の向きや指の形はこれで良かったのだろうか、頭骨の中はどうなっているのだろう、とか、とにかく、分からないことがどんどん出てくる。

 当ブログの、にわか恐竜フィーバーはそろそろこの辺で打ち止めにしたいのだが、フィーバーだけに、完治しないうちは、いつ何どきまた「発熱」するかわからない。用心しなければならない(笑)。

 ぼくがもっとも影響を受けたのはウイリアム・スタウトという、アメリカンコミックのイラストレーターの絵と、「アフターマン」の著者で有名な地質学・古生物学者のドゥーガール・ディクソンの恐竜図鑑でした。

 これらは恐竜を単体としてとらえず、自然のなかの一場面に登場させるというもの。その描写に脱帽したものです。p67「モデラーデビュー」

 著者は1961年生まれの鍼灸師の仕事を持つ、恐竜造形家。若くして恐竜造形を始め、ついに中年になってから、専業として独立した。

 1998年、とつぜんある会社から電話がありました。2000年に福井県勝山市にオープンする「福井県立恐竜博物館」の恐竜模型の制作に関することでした。(略)その博物館のオープンにあわせて、展示模型を作成することが決まったのです。(略)ふたつ返事でOKしてしまいました。でも、問題はそれからでした。p106「ぼくのプロジェクトX」

 先日みたNHKテレビ番組「恐竜せんせい」 は福井県恐竜博物館」が舞台になっていたから、あの番組に登場していた恐竜の展示モデルなども、著者が関わっていたのかもしれない。

 当ブログが、「チキンの骨で恐竜を作ろう」プロジェクトを一歩進めて、恐竜モデルを作ろうというシーンに突入するなら、著者が、惜しみなく公開している制作方法が多いに役立つに違いない。

 著者のようにリアルに作るのは最初からあきらめるとしても、身近な素材で、自分の手で、本当にリアルなもの近づけていけるのだ、という「道」が示されたのは、すごいことだ。

 ここまでやるか! と思う。ただ、骨はまだ化石が元になっているから、なんとかついていけるが、全体モデルとなると、大いなる「想像力」が要求されることになる。脚の向き、指の数、目の大きさなどは大体想定できるものの、その色や輝き、質感などは、ほとんど制作者やら造形家の、多いなる「想像力」のたまものなのである。

 ぼくは、彩色にはアクリル絵の具を使っています。子どもたちの教室では、水彩絵の具を使います。もちろん恐竜の色やもようはわかりませんので、現在の動物、とくには虫類や鳥の色やもゆおを参考にして想像して書きます。

 恐竜の色は、化石からはまったくわかりません。ですから、恐竜の色をどんなふうにぬっても、まちがいであるとはだれにもいえないんです。みなさんが作った恐竜模型の色が、正解かもしれないのです。

 なんの手本もなく作った恐竜模型の色やもようは、たったひとつの自分だけのオリジナルになります。p149「これが荒木流・模型作りだ」

 ああ、すごい吸引力のある、お言葉である。そうだなぁ、一体くらい作ってみようかな、などと、ちらっと考えてしまう、自分が恐ろしい。そこから、またまたハマってしまうかもよ。

 実際には粘土をつかうのだが、その芯に針金と共に、発砲スチロールを使う、というところも面白い。実は、このところ、ゴミとなって捨てられてしまう発砲スチロールの再利用術を考えていたので、ちょっとクロスしてきた。

 そうだなぁ、一体くらいは、いいかなぁ・・・・・・。

 ああ、ヤバいヤバい。

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「リアルダイナソー 恐竜は何色だったのか 」  ナショナル ジオグラフィック

「リアルダイナソー 恐竜は何色だったのか」 
ナショナル ジオグラフィック 2011/05 日経ナショナル ジオグラフィック社 DVD-ROM
Total No.3094★★★★★

 そもそも恐竜の魅力って、想像力をかきたててくれるところにあるだろう。本当のところはどうなっているのか。どうしてそうだったのか、どうすればそうなるのか、いつ、どこなら、どういう条件なら・・・・、次々と疑問は湧き、次々と想像がかきたてられる。

 単に想像するだけなら、それはイメージであり、アイディアであり、ともすればとりとめのない妄想にだってなってしまう。そこで、世界の古生物学者たちは、その想像したイメージを科学的に裏付けしようとする。

 基本的に、古生物学者たちがその論拠とするところは、数千万年前から何億年前の地層から発掘される化石だけである。しかも、その総量は決して十分に多いとは思われない。

 しかし、この200年で積み上げられた科学者たちの実績は、次第に恐竜たちは何色だったのかを明らかにしつつある。そのきっかけになったのは、羽毛の生えている恐竜化石の発掘だった。

 羽毛恐竜の発見となると、どうも中国大陸がその話題に中心になりやすく、最近は日本と中国は領土問題で悶着が起こり、個人的には、中国のことなど忘れていたい気分ではある。ところが羽毛恐竜となれば、中国大陸は避けては通れない。

 もともと恐竜たちは、古代の超巨大大陸パンゲアを自由に闊歩していたはずだから、中国もアメリカもヨーロッパも日本も、ひとつらなりであったはずだから、国境にこだわっている現代人はおかしいということになる。

 化石の羽毛から分化された色素を丁寧に調べることによって、その色が明確になりつつある。しかも、そのデザインや機能、そして生態まで、さまざまな角度から「想像力」をかきたててくれる。

 すべてのことが分かることなどあり得ないだろうが、少なくとも、ちょっと前に比べればはるかに科学的な方法で、その想像されたイメージは裏付けられつつある。

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2013/09/09

「24 HOURS AFTER 恐竜絶滅の日」 ナショナル ジオグラフィック

「24 HOURS AFTER 恐竜絶滅の日」
ナショナル ジオグラフィック (編集) 2010/03  日経ナショナル ジオグラフィック社 DVD-ROM
Total No.3093★★★★★

 かつて私が青年時代に聞いた話では、恐竜が滅びてしまったのは、自らの成長自体が間違っていたからだ、というものだった。体重が増えて、歩けなくなり、牙が大きくなりすぎて、餌を食べれなくなった、などなど、恐竜自体にその原因が求められていた。

 それは、人類が自らの「進化」を戒めるように、かつての地球の支配者「恐竜」から何かの教訓を読み込もうとしているかのようだった。しかし、21世紀の今日において、その「仮説」は大まかに言って否定されている。

 現在では、恐竜が絶滅した原因は、巨大隕石が6500万年前に地球に衝突したことが原因であったとされている。これはほぼ証明されている。1億年間も繁栄した恐竜文明は、たった一日で絶滅したのだ。

 その「KTイベント」を、このビデオは現代的な科学的な手法によって証明しようとする。

 「また、見るの?」と奥さんは、あきれ顔。何回も繰り返してこのDVDを見ている私が、ちょっと可笑しいらしい。

 う~~ん、何回も繰り返してみてみたいなぁ。とてつもないことだよ。すくなくとも、この地球上における、一回あったかなかったかの、大イベント、大事件なのだ。これ以上のことはない、そう思った。

 しかし、どうやら、それは間違い。これだけのイベントは1億年に1回はある可能性があるということだ。ということは、この事件は6500万年前だから、あと3500万年以内に、また起こる可能性はある。

 つまり、3・11の巨大地震、巨大津波が、400年サイクルとか、1100年サイクルとか言われているが、その1万倍以上の、長い長いスパンだが、いつも起こる可能性はあるのだ。

 そういえば、最近もまたロシアに巨大隕石が落下してきた。幸いにして「人類絶滅」とまではいかなかったけれど、可能性とは常にある、ということをキモに銘じておかなければならない。

 このDVDは、かなりインパクトがある。

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2013/09/08

「フライドチキンの恐竜学」 食卓の骨には進化のナゾがつまっている盛口 満 (著)


盛口 満   (著) 2008/06 ソフトバンククリエイティブ 新書: 216ページ
Total No.3092★★★★☆

 

 「ティラノサウルスしか知りません」
女子学生のミヤザキさんがきっぱりいった。
 僕が教員を務めている大学の授業。受講生は6人ほどのこじまりしたクラスだ。その授業のなかで、「知っている恐竜の名前」について聞いてみた。
 「トリケラトプス?」・・・・・続けて男子学生が発言した。
 「まだない?」
 「プテラノドン」・・・・そんな声が上がった。
 ちなみに、週に一回、授業ボランティアに出かけた公立中学校で、同じ質問をしたことがある。
「ティラノサウルス」「トリケラトプス」「プテラノドン」
 おもしろいことに、真っ先にあがった恐竜の名前は、大学生に聞いたときと同じ取り合わせになった。どうやらこの3種が恐竜の御三家ということになるらしい。
p74「フライドチキンは何ピース?」

 

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 ははは、わがブログもようやく、恐竜については、ごく一般的なレベルに近づきつつあるらしい。

 

 基本に立ちもどって、鳥や恐竜とは何者か、ひいては僕たち哺乳類とは何者なのか? そのことから考えてみることにしよう。

 

 約6500万年前、突如として恐竜が絶滅したあと、地球の覇者は哺乳類へと移った。そのうえ僕たち自身が哺乳類の一員であることの身びいきも加わって、僕たちは哺乳類こそが進化の主流であると思いがちだ。ところがこれは間違っている。p48「哺乳類と恐竜」

 

 たしかに、考えるべきはこの辺にある。

 

 鳥の骨に恐竜を見るのは難しいことなのである。それはひと目見て理解できるものではない。体のあちこちに、さりげなく隠された状態で、恐竜との関連が骨に書き込まれている。また、ものごとはなにかと比較して初めてはっきりと見えてくることが多いものだ。

 

 だから鳥の骨に恐竜を見ようとするなら、鳥や恐竜と異質な存在である、僕たち自身の体と比較する必要がある。鳥に恐竜を見るということは、ひいては哺乳類とはなにものなのかということを見つけだす作業なのだと思う。p140「食卓の恐竜」

 

 まったくその通りだと思う。次は、人骨を使った人体骨格モデルと作ろうと思う(←ってのは嘘w)。次に作ろうとしたら、ティラノサウルスの頭骨の4分の1スケールあたりになると思う。でも、材質とか置き場所とか考えなければならない。

 

 むしろ、恐竜そのものよりも、最近の関心は、太古の超大陸パンゲアに移りつつある。

 

たとえば人間は次のように分類されている。
 脊椎動物門
   哺乳類
    霊長類(サル)目
      ヒト科
       ヒト属
         ヒト   
   p148「フラミンゴは”頭痛の種”?」

 

 この本、「チキン+恐竜」つながりで、めくってみたのだったが、洒脱なエッセイではあるが、いまいち、当ブログとの関連は薄かった。学問的であったり、スノビックであったりするよりも、どうやら、もっと素朴で、純朴に直球勝負のほうが、当ブログの好みであるようである。

 

 それに、フライドチキン、喰わないしなぁ。

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「恐竜の世界へ。」ここまでわかった!恐竜研究の最前線<10>

<9>よりつづく


「恐竜の世界へ。」 ここまでわかった!恐竜研究の最前線 (pen BOOKS 013)<10>
 鍋真/監修 ペン編集部/編 2011/07 阪急コミュニケーションズ 単行本・ムック 140p

 2020東京五輪が決まった。まずは良かった。候補地決定の特番につきあって、一晩、わがやのトリケラトプス制作に取り掛かってしまった。

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 オリンピックを一番最初に意識したのは、1960年のローマオリンピックの時。マラソンのアベベ選手のことが話題になったことを知った程度で、小学校一年、インターネットどころか、テレビもない時代だったので、ほとんど覚えていない。

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 しかし、次の1964年の東京オリンピックの時は小学校5年だったから、もう、強烈に覚えている。参加することに意義がある、とか、非商業主義とか、私の根底には、よかれあしかれ、オリンピック主義が刷り込まれてしまったのではないだろうか。

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 当時、カルピスの懸賞で、王冠をいくつか送ると5枚組のオリンピック実況ソノシートが当たるというクイズがあり、見事当選。あのソノシートは何回も繰り返し聞いたなぁ。自宅にテープレコーダーやビデオなんかがある時代ではなかった。

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 さて、これから7年後のことを考える。私はその時、66歳だから、いよいよ、少ない額面の年金暮らしが本格化していることだろう。東京までオリンピックを見にいくことなどないだろうが、宮城スタジアムで行われるというサッカーの予選くらいは見にいくかも。

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 7年経つと、わが家の孫たちは、8歳、9歳になっている。その頃になれば、テレビどころかインターネット以上のものが闊歩しているかもしれない。未来の子供たちにとって、2020東京五輪は、強烈な印象を与えるものになるだろう。

<11>につづく

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2013/09/05

「恐竜せんせい」 NHK福井放送局開局80周年記念ドラマ  マイコ×高橋光臣

Main
『恐竜せんせい』 NHK福井放送局開局80周年記念ドラマ
出演マイコ×高橋光臣・他 2013/09/04 NHKBSプレミアム 59分
Total No.3091★★★★★

 メモまでしてこの番組見たいなぁ、と思う事などほとんどないのだが、この番組だけは、じぇじぇじぇ~、っと、しっかり机にメモした付箋を貼って、絶対見逃すまいと楽しみにしていた。

 ああ、それなのに、番組開始1時間前になって、外出せざるを得ないことになってしまった。あわてて、息子がつけてくれた外付けHDDに番組を予約録画。これがまた、初めての操作。奥さんのヘルプをもらってなんとか予約できた。

 なに、所用とは、93歳の老母を一時間ほど見ていて欲しいという、それだけの兄夫婦からの要請である。うまく行けば、実家のあの大画面で「恐竜せんせい」を見ることができるのだから、まあ、転んでもタダでは起きない、という精神を発揮できるかも。

 いよいよ時間がやってきて、開始すると、おお、いいねぇ、じぇじぇじぇ~、勝山市って、あんなに街中に恐竜のモデルが立っていたりするの???? すごい。それに福井県立恐竜博物館、って、本当に、恐竜の卵みたいな形しているね。スケールが巨大だけど。

 取材ではじめて勝山を訪れた時、「恐竜を題材にしたドラマ」というものにまだピンときていませんでした。何億年も前の生き物をどうやったら現代の物語に反映させられるのか、毎日そのことばかり考えていました。

 それが、恐竜博物館の研究員さんや発掘体験のスタッフさんたちにお話を伺っていた時、ピンときました。恐竜について熱く語るその様子が、まるで恐竜が今も生きているかのように聞こえたのです。

 この地面の下には沢山の恐竜が今も眠っていて、見つけてもらうのをずっと待っていてくれる。その時、このドラマの世界感をつかめたような気がします。

 どんなに月日が流れても変わらず待っていてくれる故郷、どんなに心が荒んでいてもいつも通り迎え入れてくれる家族のような人々。そんな光景を思い浮かべ、勝山らしいドラマを描きたいと思った次第です。いずみ吉紘- 作者のことば -「ずっとそこで待っていてくれる」

 いいですねぇ。いつかは訪れてみたいと思っていた福井恐竜博物館。(調べてみるとかなり遠いので、そう簡単には行けない) とても親しいものに思えてきた。それに、恐竜オタクと思われる個人の部屋。なるほど、はまっちゃうとこうなるのか、と納得。私なんぞは、まだまだ入口にも達していない。

 ドラマの筋書きは、恐竜の他に、「ウソ」がもう1つのテーマになっている。恐竜のほうがあまりにリアリティがあるので、ともすると「恐竜番組」になってしまう。そこで、NHK「初」執筆の作者は、積極的に、そのフォームをぶちこわしにかかる。この辺はなかなかドキドキするよ。

 せっかく、「恐竜」という「夢」と「ロマン」に「逃げよう」としているところに、「ウソ」というアンチテーゼを対峙させ、強迫してくる。おいおい、もうちょっと、うっとりさせておいてくれ。という気持ちの脇で、本当はどうなっているんだ、という「ウソ」に対する疑問も、モクモクと巨大化する。

 そして、40分も経過したあたりで、いよいよその「秘密」が明かされる段になって、「ピンポーン」。屋内の伝言チャイムがなる。あらら、介護ベットに横になっている、化石化したホネ、いや、93歳の老母からの呼び出しである。

 ちぇ、ちょうどいいところなのに・・・・・・! 耳の遠い老母は、同じことを大きい声で何回も言ってあげないと理解しない。結局、ベットを直し、静かに横にして、タオルケットをかけて、ライトを暗くしてあげるだけで、5分もかかってしまった。

 作業を終えて、あわててテレビの巨大画面に前に戻ってきたが、ああ、大事な真相解明の大事なシーンが失われてしまっている。残念。(だけど、大体はストーリーは読めていたけどね) 次のステージに移っている。

 まぁ、面白かったな、この番組。もちろん、見損なったシーンは、自宅に戻って、うまく録画できたわが家の「小さな」テレビ画面で確認したけどね。うん、このシーンは、小さく、秘密裡に進行していたほうがいいかも。

 とにかく、あの福井県立恐竜博物館関連の恐竜たちを、大大画面で見ることができたから、私は満足。

 この番組、シリーズ化して欲しいな。

 

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2013/09/04

「よみがえるTレックス」 謎の幼年時代を解明 ナショナル・ジオグラフィック


日経ナショナル ジオグラフィック社 2009/06 DVD
Total No.3090★★★★★

 ナショナル・ジオグラフィック社のシリーズDVDの中の一枚。基本的には、科学的で、ジャーナリスティックなので、信用できるシリーズではある。しかし、そのテーマは多くの想像力を必要とされる分野に及んでおり、むしろ、芸術的、とさえ感じてしまう。

 このDVDは、実際に発掘された子供のティラノサウルスの化石から、生きた子供のTレックスを再現しようというテーマである。ひとつひとつの作業は、科学者であり、芸術家である専門家たちが、ああでもない、こうでもない、と言いつつ、細かい作業をやり続けていく。

 その精緻さ、その裏付けで言えば、雲泥の差であるが、わが「チキンの骨で恐竜を作ろう」プロジェクトの作業を思う時、どこかでつながっているようで、なんだか、ひとりでワクワクしてくる。

 実際には子供Tレックスは、食物連鎖の下位に属していたらしく、他の恐竜たちの餌食になっていた可能性があり、その化石は極めて少ない。

 子供Tレックスには羽毛が生えていたらしい、という「科学的」言説。あるいは、子供Tレックスが小さな動物たちを追いまわし、待ち伏せていた大人Tレックスが、餌を捕獲した、という説もあるらしい。

 このDVDの中で、ティラノサウルスとトリケラトプスが対戦するシーンがあるが、私のスケールでは、このDVDでのトリケラトプスは、ちょっと小さく描かれ過ぎていた、と感じた。VSというよりは、ティラノサウルスが、子供トリケラトプスを襲うシーンなのであろうか。

 なんにせよ、やっぱり、わがブログにおけるトリケラトプスも完成しなければならないな、と思い直し、今夜はチキンの骨を「喰い増し」した。

 

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2013/09/03

「2億5000万年後の地球」 ナショナル・ジオグラフィック


「2億5000万年後の地球」 
日経ナショナル ジオグラフィック社 2011/02 角川出版販売株式会社 DVD1枚 94分
Total No.3089★★★★★

 ナショナル・ジオグラフィック協会は、米国ワシントンDCに本部を置く、世界有数の非営利科学・教育団体。1988年に「地理知識の普及と振興」を目指して設立。世界30言語で発酵される月刊誌を発行。日本では1995年より日経ナショナル・ジオグラフィック社を設立し、活動続けている。図書館にも関連のDVDや書籍が所蔵されている。

 恐竜たちが活躍したパンゲア大陸が3億年前に存在し、ゲーリー・スナイダーの「亀の島」も3億年前から始まっている限り、タイムスパンを億年単位で考えていく必要がある。それは過去についても、未来についても考えなくてはならない。

 2億5000万年後、”未来の地球”にたどり着いた宇宙飛行士が目にしたのは想像を絶する地球の姿だった。大陸移動、侵食、巨大火山の噴火、大量絶滅・・・・ 未来の地球には、いったい何が起きているのか? 人類は生き残っているのか? 裏カバーコメント

 人間のスケールで考えれば、人生100年としてその2500000倍。気が遠くなるというより、ほとんど想像することはできない。意味がよくわからない。それでも、恐竜たちの存在があり、その生態がわかってくるにつれて、それが数億年前であってみれば、未来についてもそのスケールで考える手立てを持たなければならない。

 一番は、大陸の変化、移動、地球そのものの変化であろう。3億年前にあったとされる超大陸パンゲア。すでに5つに分離している現在の地球上の大陸だが、登場する科学者たちは一致して2億5000万年後には、再び超大陸に結合するとしている。

 このスケール感がすばらしい。地震だとか、津波だとかは、もう当たり前の日常的な出来事である。それを大前提としての世界観を作っていかなくてはならない。

 もうここまで来ると、当ブログにおける転生魂多火手の述懐「ムー大陸からの龍」は、「パンゲア大陸からの恐竜」と読み替えても、まず間違いはないだろう。しかも、「最大限の助力」とは、ひとつひとつの恐竜たちというより、このスケール感こそが重要ということになるだろう。

 検索したら「地球膨張の謎と超大陸パンゲア」(飛鳥昭雄 1997/04 学習研究社)にぶちあたった。 「伝説の失われたムー大陸は超古代の原始地球に実在した!」のコピーが気になる。いずれ読んでみようと思うが、図書館リストには存在しない。一連の著者のシリーズは、いわゆるトンデモジャンルに分類されがちだ。

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「亀の島」―対訳 ゲーリー・スナイダー ナナオ・サカキ <2>

<1>からつづく

亀の島―対訳
「亀の島」 対訳
ゲーリー・スナイダー(著)、ナナオ・サカキ (翻訳) 1991/01 山口書店 単行本 251p

 最近またゲーリー・スナイダーを想うことが多い。

 ニュートン追悼公演の際に立ち寄った図書館で「チキンの骨で恐竜を作ろう」を見つけてから、なぜか恐竜フィーバーに突入し、ついに国立科学博物館とコラボミュージアム「ティラノサウルスVSトリケラトプス」で実物大の骨格モデルと対面するために、会津若松の福島博物館までいくことになった。

 ところで、スナイダーの「亀の島」って、何年前から始まっていたのだっけ?

この土地で起こったこと 

----3億年前---- 

初めに海があった----やわらかい砂、泥、泥灰土
   堆積し、圧縮され、熱され、ねじ曲がり
   破砕され、再結晶化し、相互浸透があり、
何度も隆起し、それからまた水底に沈んだ。
やがて溶けた花崗岩のマグマの貫入
   それが深層で冷却され、斑晶ができ
       黄金を含む石英が、亀裂に満ちていく。
 

----8千年前---- 

海底の堆積層が隆起し褶曲する
    花崗岩はその下深く沈んでいく。
幾世紀も続く暖かく静かな雨が
        (暗赤色の熱帯の土壌を作り)
         地表を2マイルも削り
鉱脈がむき出しになって、河床に
    黄金の塊が転がる
      粘板岩と結晶片岩が黄金にからまる
火山灰が流れ落ち 水の流れをせきとめ、
    やがて黄金と砂礫が堆積する。
 

----3百万年前---- 

北へ流れる二つの川がつながって
    長く幅の広い湖となる。
それからそれは傾いて川はふたたび分かれて
    西に流れ
    フェザー、ベア、ユバの流れとなって
          渓谷を切り開いていく。
 

ボンデローサパイン、マンザニータ、黒樫、イチイ
    鹿、コヨーテ、ブルージェイ、灰色リス、
   地リス、狐、尾グロウサギ、
   リングテール、ボブキャット、熊
      がここに住むためにやってきた。
 

----4万年前---- 

そして人間がバスケット・ハットやネットを持ってやってきた
    地下につくった冬の家
    緑に塗ったイチイの弓
    煙たい闇の中で男の子や女の子は
    ご馳走やダンスや歌や物語
 

----125年前---- 

それから白人たちがやってきて古い砂礫や黄金を見つけるために
    大きなホースで水を流して
    木や岩をひっくり返した。
馬、林檎園、トランプ、
ピストルを撃ち合い、教会が建ち、牢屋ができた。

             *        

僕らはこの土地は誰のものか尋ねた、
    そしてどこで税金を払うのかと。
(この土地を20年も使わなかった2人の紳士、
そしてその前は使い古した鉱山の証文を親父からもらった男の未亡人)
こんな権利を急いで押しつけられたこの土地は
    マイドゥ族の支族の
    ニセナンの人々が鹿を狩りドングリを集めた土地ではなかったか?

(その人々は決して話す機会を与えられなかったし、
        自分の名前さえも告げることはできなかった。)
(そしていま誰がグアダルーペ・イダルゴ条約を記憶しているというのだ。)

        土地はそれ自身のもの
        「自我に自我なく、物に自我なし」

      海原のような天空、その渦巻く虚空の中を
                 点滅し
                 ながら
        世界がめぐり
        尻尾をくわえた亀の島が泳いでいる

そしてコーンウォールの鉱夫の子孫のトバイアセン氏が
        郡の税金の査定をする。
(税金とは僕らの身体と精神の産物、
        年ごとの式典に招かれた客、重く味わい深くなった
        太陽の光を称えつつ
肉体と眼とかなり大きな脳を求めて
        食物連鎖を上ってきて、
高みから己の姿を
        振り返り眺めている)。

            いま、

僕らは金の採鉱場の近くに座っている
森の中、焚き火のそばで、
月や惑星や流星を見つめながら----

ぼくたちは誰なの?と息子たちがきいてくる
家で採れた林檎を干しながら
野苺を干しながら、肉の燻製をつくりながら
わら束に矢を放ちながら

空軍のジェット機が北東に向かう、轟音を立て、いつも
夜明けに

あのひとたちは誰なの?と息子たちがたずねる

いつかわかるさ
いかにいきるべきかを
だれがそれをしっているかを

松の木でブルー・ジェイが高い声でなく。

  ゲーリー・スナイダー「亀の島」より

 おおやっぱり3億年前から始まっていた。パンゲア大陸の時代だね。

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「かつて地球に存在した唯一の超大陸「パンゲア大陸」に現在の国を当てはめた地図」

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2013/09/01

「対決!恐竜展 ティラノサウルスとトリケラトプス」震災復興・国立科学博物館コラボミュージアムin会津若松

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「対決!恐竜展 ティラノサウルスとトリケラトプス」
震災復興・国立科学博物館コラボミュージアムin会津若松
平成25年7月27日(土)~9月16日(月・祝) 福島県立博物館 企画展示室
Total No.3088

 ということで(どういうことじゃ?)、さっそく実物大のティラノサウルス&トリケラトプスと対面することに。

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 う~~む。

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 いやはやデカイ! 福島県立博物館の企画展とはいうものの、国立科学博物館が共催している恐竜展ゆえ、その迫力は圧倒的。

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 なるほど、トリケラトプスのフリルの裏はこうなっていたんだなぁ。実物大で見て初めて分かることが多い。

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 ティラノサウルスの胸骨や腸骨も、実物を見て、ははぁ、そうだったのか、と納得。

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 トリケラトプスの足も、実物大でみると、こうなっているんだね。

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 他にも数体の実物大の恐竜化石があり、本物の化石に触れるコーナーもあったりして、行って良かった、夏休み最後のイベント(って、二学期はとうに始まっているタイミングだが)。

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 福島県立博物館は、NHKドラマ「八重の桜」で話題の渦中の会津若松城に隣接してあるのだった。

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「演出家の仕事」 六〇年代・アングラ・演劇革命/日本演出者協会/西堂行人<2>

<1>からつづく


「演出家の仕事」 六〇年代・アングラ・演劇革命 <2>
日本演出者協会/西堂行人(編)  2006/02 れんが書房新社 単行本 p269

 このタイミングで、再びこの本をめくることになるとは思ってもみなかった。60年代、アングラ、演劇革命、とのタイトルが並んだ場合、読者としての私には、アングラが一番のインパクトであり、次には、漠としたイメージとして、60年代、が続く。しかし、それは60年代の中半以降、特に68/69と言われる象徴的な時代の盛り上がりばかりを思ってしまう。

 続くところの、演劇革命について、革命のための演劇なら、多少のイメージはできるが、演劇界内部の革命にいたっては、イメージできないばかりか、関心さえ持ち得ないような有様である。このほんが「演出家の仕事」というメインのタイトルを持っているのだから、そもそも読書の対象としてこの本に目をやった私のほうが、頓珍漢だった、ということになろうか。

 ああ、それなのに再びこの本との遭遇である。

 「アングラ」の演出論という問いにはかなり強い違和感があった。時代は、演劇という安定した芸術ジャンルが成立しているという前提になんの疑いも持っていない。その地点から固定した枠組みを過去に投影して浮かび上がる意味をすくい取ろうというわけだが、アングラとはそもそもそのような思考を拒絶する姿勢のことであった。p151 竹内敏晴「『アングラ以前』ーあるいは『前期アングラ』としてー

 竹内はこの270ページほどの単行本に15ページほどの文を寄せるにあたり、まずはこのような違和感を表明するところから書き始めている。とすれば、まったくの門外漢の一読者としての私が、演劇というくくりならともかくとして、アングラつながりで竹内を連想することが難しかったのは、私個人の資質の問題とばかりも言えないようだ。

  アングラとか小劇場運動とか呼ばれることのうちに、わたしのある時期の仕事も数えられているらしいけれども、わたしと仲間たちにとっては、その名称は後からやって来たもので、自分をそう規定したことがなかった。

 ただ自分に必要なことを必至に探っていただけだ。もともと安定したフォルムあるいはカテゴリーとしての演劇なるものがわたしたちにとってはコワレテしまっており存在しなかったのであり、うごめいていたのは、生きることを確かめるための試み---パフォーマンスの断片であって、表現には違いないのだが、「芸術的な表現」と呼ばれるものではなく、それを目指してもいなかった。p151竹内敏晴 同上

 この辺の文章的スタイルは、竹内流のダンディズムと言っていいだろう。であるなら、論文など寄せなければいいのだが、ここから延々(?)14ページの自己開示が始まるのだから、問われることに多少の戸惑いを感じてはいるものの、問われること、あるいはそれに答えて語ることを、拒否しているわけではない。むしろ、それらの中に積極的に自らを組み入れんとする歓迎的な姿勢がみられる。

 竹内の代表作の一冊と思われる「ことばが劈(ひら)かれるとき 」(1975/08 思想の科学社)は、当ブログとしてはようやく今から読み始めるところだが、竹内個人の体躯的資質と、竹内が関わりを持った演劇というジャンルにおいて、たしかに、なにか大きな共通項が見え隠れする。

 幼少時から難聴、あるいは自称ツンボだった竹内が、病状の悪化、あるいは敗戦という心理的圧迫により言葉を喪って行く時と、歌舞伎や新劇など「演劇」というジャンルが、時代性の中で意味を喪って行く時代背景とオーバーラップする。

 その中で、竹内は自らの直観や努力で「ことばを劈(ひら)」いていったのだろうし、大きな意味において、「演劇という表現」を「劈(ひら)」いていった」のだろう。とするならば、竹内が自らのうごめきを「アングラ以前」あるいは「前期アングラ」と規定することには妥当性があると思われる。

 そしてまた、そう位置付けることができるとするならば、ようやく当ブログとしても、竹内敏晴という存在へのアクセスが可能になるのであり、 大きな意味において「演劇」というジャンルへのアプローチがしやすくなると感じられるのである。

 個人としての彼の演劇活動履歴は後回しにするとして、「ことばが劈(ひら)かれるとき 」 が出版されたのが1975年8月であり、また、同じ時代にOshoの「存在の詩」が日本に紹介されたのが1975年8月であったことを考える時、極めて興味深いものを感じることになる。

 マハムドラーはすべての言葉とシンボルを超越せり  されどナロパよ、真剣で忠実なる汝のために いまこの詩を与うべし 

 Oshoの「存在の詩」は、チベットの聖者ティロパ(988~1069)がその弟子に与えたとされる「マハムドラーの詩 」を題材とした講話録である。この1975年に登場した二つの「うごめき」を感知する時、この二つが「ことば」にこだわっていたことは、極めて興味深い。そしてまた、その「ことば」にまつわるところの「真理」について逡巡していたのだ、ということも、意味深いものとして強い衝撃を受ける。

 表現不能な「真理」を前にして、人はより「瞑想」を深め、さらに言葉やシンボルを越えていくのか、あるいは、「ことば」や「演劇」を劈(ひら)いて「表現」を「再獲得」していくのか。

 「からだ」と「ことば」、あるいは「からだ」と「こころ」、そしてこれらに加えるところの「たましい」の、それらのありようを考える時、ここにようやく「演劇」、あるいは竹内敏晴という人の業績が当ブログにおいても認知されようとしている、と言える。

<3>につづく

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