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2013/09/11

「老いのイニシエーション」竹内 敏晴

Oi
「老いのイニシエーション」シリーズ生きる
竹内 敏晴 1995/03 岩波書店 単行本 p202
Total No.3097★★★☆☆

 「ことばが劈(ひら)かれるとき 」(1975/08 思想の科学社)と同様、この本も、スムーズには読み進めることができない。率直に、なんの先入観もなく読み始めてみるのだが、数ページ読み始め、最初の一区切りまで読んでみると、本の性格がわかり、著者が何をしようとしているのかを察すると、ああ、ここでいいかなぁ、と思ってしまう。

 それはなぜなのか。ひとつには、ちょっと面倒くさいのである。この感情、この心理の動きが邪魔なのだ。あえて、いまさら、よそ様のドサクサ、ドタバタ劇に、首を突っ込んでも、どうにかなるものではない。

 自己開示したい人は、その場を得て、実行すればいいだろう。また、他人のそのような衝動に付き合いたいと思い、手伝いたいと思う人があれば、それもまた実行すればいいだろう。だが、どうも今の私には、この手の衝動はまどろっこしくて、面倒くさくて、胡散臭くさえある。

 Sの葬儀の場で知り合ったY(吉岡友治)が、竹内を師としていることを知った。そのことが、この本を開いてみようと思った遠因である。しかし、もっと直接的に言えば、Yという人物を知りたくて、彼の一連の書物の次に、その師とする竹内を読み込んでみようとしているところである。

 しかるに、なぜ私はYを知りたいかと言えば、彼と友人になりたい(すでに40年来の2次のつながりであったが)とか、彼と道がクロスした、ということでもない。むしろ、共通の友人であるS(私たち二人はSの弔辞をそれぞれに読んだ)のことをもっと明確しておきたかったからである。

 さらに言えば、いまひとつ明瞭でなかったSという存在を、いまさらにはっきりとらえてみようと思ったのは、ナニを隠そう、そのSとのつながりを持ち得ていた「私」自身とは何か、というところまで、戻ってこなければならないのである。

 だから、竹内が面白くなかろうが、Yが方向違いであろうが、Sがいまひとつ明瞭でなかったとしても、それはそれで構わないのである。要は、私が誰か、をより明瞭にとらえることができるのであれば、事は足りるのである。彼らを反面教師として、あるいは、鏡として使うことができれば、彼らの存在意義は最大限に大きかったということになる。

 竹内--Yをつなぐラインの大きなキーワードは「演劇」である。コピーライターであったSは演劇家ではなかったが、職業上「演じる」という意味では、どこかで「演劇」と抵触する。そしてまた、ひとつ気になることは、一年前にも私が弔辞を読むことになった石川裕人もまた、その生涯を「演劇家」として突っ走った人物だったということである。

 好むと好まざると関わらず、私の周囲には「演劇家」が多くいる。私がもし自らの道を「演劇」と定めていたならば、これほど恵まれた環境はなかったかもしれない(あるいは、現代はそういう時代なのかも知れない。誰もが「演劇家」に囲まれているのかも知れない)。だが、私にはそういう才能はなかったし、それを「道」としなかった。

 もうひとり、私の周囲の重要な「演劇人」伊東竜俊も昨年末に急逝した。伊東もSも石川裕人の葬儀で一緒だった。1970年代後半、若い時分に私は伊東のステージに立った。そして「悟った」。「あの稲妻をステージに乗っけてくれるなら」その「演劇」に一生協力してもいい。

 その稲妻をステージに乗っけることができる男を、私は1980年代の始めにアメリカンのオレゴンに見た。私はこの男の「演劇」に「一生協力しよう」という決意を固めた。

 そして、石川裕人は最晩年にあたり、「人や銀河や修羅や海胆は」では、稲妻ならぬ、大地の「うなり」を、ステージならぬ、被災地の「演劇空間」に乗せることができた。私はこの彼のステージを見て満足した。

 さて、わがマスターOshoは次のように述べている。

 演劇が最も精神霊的(スピリチュアル)な職業であることは確かだ。なぜなら、役者は矛盾のただ中にその身を置かなければならないからだ---彼は自分が演じている役になりきると同時にしかもそれを見守っていなければならない。OSHO「英知の辞典」p89「演じる ACTING」

 私がこの箇所を思い浮かべる時、竹内の「演劇」観を検討して見たくなる。

 もし「ハムレット」を演じているのなら、彼はハムレットの役に完全に没入しなければならない、演技のなかにすっかり自分を失ってしまわなければならない。だが、それと同時に、自らの存在の最も奥深い核で傍観者、見守る人でいなければならない・・・・。OSHO「英知の辞典」 同上

 竹内演劇においては、自らを外に表出することがメインになっており、自らの存在の最も奥深い核で傍観者、見守る人、であっただろうか。

 本当の役者は逆説を生きなければならない----役をそれになりきって演じ、しかも深いところでは「自分はこれではない」とわかっていなければならない。私が、演じることはもっとも精神霊的(スピリチュアル)な職業だというのはそのためだ。OSHO「英知の辞典」 同上

 矛盾に満ちた、スピリチュアル・コピーライター(という悪口をいう向きもある)であるOshoが、ここで「職業」と言いきっていることが気になる。「道」ではなくて、「職業」なのである。

 真に精神霊的な人は自らの生全体を演技へと変容させる。そうすればこの世界全体は舞台になり、人々はみな役者にほかならず、私たちは芝居を演じていることになる。もしあなたが乞食なら、あなたは自分の役をできるかぎり美しく演じ、もしあなたが王様なら、あなたはその役をできるかぎり美しく演じる。だが、深いところでは乞食は「私はこれではない」と知っているし、王様も「私はこれではない」と知っている。OSHO「英知の辞典」 同上

 「職業」と言いきってしまうところで、Oshoは、この世における「役割」をさししめしているだろう。

 乞食と王様のどちらもが「自分がやっていることは演技にすぎない。それは私ではないし、私の真の姿(リアリティ)ではない」とわかっているなら、二人は自らの存在のまさに中心に、私が「目撃」と呼ぶものに行き着いている。彼らは行為をしていると同時にそれを目撃している。OSHO「英知の辞典」 同上

 私は、一連の竹内著作をひも解こうとしている段階ではあるが、どうも、この突き放した「目撃」感がない。目撃はしているのだろうが、その「演劇」に巻き込まれ過ぎているのではないか。

 だから、演じることは確かに最も精神霊的(スピリチュアル)な職業であり、すべての精神霊的な人は役者にほかならない。全世界が彼らの舞台であり、生全体は演じられるドラマにほかならない。OSHO「英知の辞典」 同上

 竹内がこの本を書くきっかけになった出来事が起こったのは、現在の私たちと同じ、アラウンド60という年代にさしかかった時だった。

 還暦とはよくいったものだ。60歳のあたりは、人生がひとまず生き切られ、その果実の充実も痛みも、根の腐れもひとまとめに、次の老熟に向かうか、それとも再生を賭けて死を選ぶか迫られている時、いわが人生の最後のイニシエーションがむき出しに立ち現れてくる時なのであろう。

 私はその頃、一人の女性に出会った。p15竹内敏晴「出会い」

 Oshoは還暦を前に58歳で肉体を離れていった。わが友人たちも、アラウンド60をきっかけとして「再生を賭けた」かどうかはともかくとして、姿を決していった。この年代において、ふたたび、人生を生きなおそうとした竹内の「所業」を、マハトマ・ガンジーの「晩年の実験」のように見るか、あるいは、ひとつの「演劇」としてみるべきなのか、今の私には判断がつかない。

 しかし、Oshoの言うような、「目撃」感はない。むしろ、「役者」として巻き込まれ過ぎているのではないか。1925年生まれの著者61歳の時からだとすれば、1986年の事、1995年に、70歳になった著者が、「この10年の私のどたばた」(p202あとがき)を書くことになったこと自体は、賛否あれど、はて、この人物を「師」とする、ということは、どういうことであっただろうか。

 唐十郎を「師」とした演劇人・石川裕人にとって、「師」とは何であったか。Yにとっての竹内とは何であったか、に思いを馳せる時、はて、私にとっての、マスターOshoとは、一体何であったのか、を、ふたたびみたび、考えざるを得ないのである。

 あるいはすでに答えは出ているのであるが、同時代を生きてきたわが友人たちと、その師たちを思う時、私がなぜ彼らのいうところの「演劇」に行かず、彼らがなぜにOshoに来なかったのか(と断定はできないが)も、すこしは垣間見えてくるのではないか、と思う。

 今週末、また友人たちが関わる、「演劇」が始まる。

 つづく・・・・・かもね

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