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2013/10/07

こころでからだの声を聴く<31>

<30>よりつづく

こころでからだの声を聴く
「こころでからだの声を聴く」<31> ボディ・マインド・バランシング 
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1目次

◆ゆだね(レットゴー)の状態 

 ゆだねの状態にあることは難しい。なぜなら、それは常に怠惰であると非難されるからだ。それは、死後中毒の社会では受け入れられない。ゆだねとは、あなたがより正常に生き始めることを意味する。あなたはもはや、狂ったように金を追い求めてはいなし、休みなく働き続けてもいない。あなたはただ、物質的な必要性(ニーズ)のためだけに働く。だが、精神的な必要性も存在する! 

 仕事は、物質的な必要性をかなえるために不可欠だ。ゆだねは、精神的な必要性のために必要あものだ。しかし、人類の大多数は、精神的な成長から完全に疎外されてきた。 

 ゆだねはもっとも美しいスペースだ。あなたはただ存在し、何もせず、静かに座っている。すると、草はひとりでに生える。あなたは鳥たちのさえずりや、木々の緑や、花々の多次元で眩(まばゆ)いばかりの色彩をただ楽しむ。存在を感じるために、何かをする必要はない。やっていることをやめればいい。緊張も心配もない。完全に何事にも従事しない状態にあることだ。 

 この静寂の状態の中で、あなたは私たちを取り巻く音楽と波長が合うようになる。あなたは突然、太陽の美しさに気づく。日没をまったく楽しんだことのない人、日の出をまったく楽しんだことのない人は大勢いる。彼らは楽しむ余裕がない。人々は休むことなく働き、生産している---自分自身のためではなく、世の中を牛耳る狡猾な人々のために、彼らは権力を持つ人々であり、人類を操る才覚のある人々だ。 

 当然ながら、彼らはあなたに仕事はすばらしいものだと教える---それは彼らの利権のためだ。そして、その条件づけはとても根深くなってしまったため、なぜリラックスできないのか、あなたは自分でもわからない。 

 休日でも、人々はあれこれとやり続ける。海辺でリラックスし、海や爽やかな潮風をただ楽しみながら、休日を楽しく過ごすことができない。そうでなくて、何かが馬鹿げたことをする。何もすることがないと、冷蔵庫を分解するかもしれない---まったく問題なく働いていたのに。あるいは、何百年も働いていた古いお爺さんの時計を壊してしまうかもしれない。彼らは、それを改良しようとする。基本的に、人々は静かに座っていられない。それが問題だ。何かをしなければならないし、どこかへ行かなければならない。 

 休日のたびに、人々は保養地や海辺にいそいそと赴くが、休息にはならない---大勢の人が海辺に出かけるため、休息する暇がないのだ。町中の人が、こぞって海辺に出かけてしまう。だから、休日は家にとどまる絶好の機会だ。車は数珠つなぎになって渋滞する・・・・到着することには、海辺は人でごった返している。ちょっとした横たわるスペースすら見つけられない。私はそんな海辺の写真を見たことがある。海だって、人々の愚かさを笑っているに違いない。 

 彼らは数分間横になる。するとアイスクリームが必要になり、コカ・コーラが必要になる。また、彼らは携帯テレビを持ってきていて、それを見たり、ラジオを聞いたりしている。すると時間になり、帰宅のマラソンレースが始まる。 

 世界中で、休日は平日よりも多くの事故が起こる。多くの人が死に、多くの車が衝突する。奇妙なことだ! 休日前の5日間---仕事をしている日、人々は休日が来ることを願い、心待ちにしている。そして、その週末の2日間は、事務所や工場がまた始まるのを待ちわびる。 

 人々は、くつろぎという言葉をすっかり忘れてしまった---忘れるよう、仕向けられてしまった。 

 どの子供も、潜在能力を持って生まれる。子供にリラックスする方法を教える必要はない。ちょっと子供を見てごらん---子供はリラックして、ゆだねの状態にある。でも、あなたは子供がこの楽園(パラダイス)の状態を楽しむことを許さない。あなたはすぐに子供を文明化する。 

 すべての子供は原始的で、文明化されていない。しかし、両親や教師やその他あらゆる人が、子供を文明化し、社会の一部にしようとしている。社会が完全に狂っていることを、誰も気にしていないようだ。子供がありのままでいられて、社会やいわゆる文明に取り込まれることがないなら、それに越したことはない。 

 しかし両親は、親心から子供を独りにしておくことができない。両親は、子供に仕事をすることを教え、生産的であることを教え、競い合うことを教えなければならない。「おまえが一番でないと、私たちはがっかりだよ」と教えなければならない。 

 こうして、誰もが一番になろうと走っている。 

 リラックスなどできない。 

 はじめてインドに鉄道が敷かれたときの話を聞いたことがある。 

 進行中の仕事を監督していたイギリス人技師は、若いインド人の村人が毎日やって来ては大きな樹の陰に横になり、労働者たちが働いたり、技師たちが彼らに指示したりするのを見物しているのを見て驚いた。その技師は興味を抱いた。この奇妙な輩(やから)は、毎日のようにやって来た。彼は食事を携え、昼飯を食べて休息した。そして午後になると木陰で眠るのだった。 

 とうとう技師は興味を抑えきれなくなり、その村人に尋ねた。「働いてみてはどうかね? 君はともかく毎日来ている。でも、ただ横になって見物しながら時間を無駄にしているじゃないか」
 村人は尋ねた、「働くだって? でも、何のために?」
 技師は言った、「金を稼ぐのさ!」
 村人は尋ねた、「でも、金で何をするのか?」
 技師は言った、「馬鹿なやつだな、金で何ができるか知らないのかね? 金があればリラックスできるし、楽しめるぞ!」
 貧しい村人は言った、「そいつは変だ。だって、俺はとっくにリラックスして楽しんでいるよ! そんなことをしたら、ずいぶん回り道になりそうだ---一生懸命働いて、金を稼いで、それから楽しんでリラックスするなんて。俺はとっくにそうしているさ!」 

 子供たちは、直感的なゆだねの質を内在して生まれてくる。子供たちは完全にリラックスしている。だから子供はみな美しい。あなたは考えたことがあるかな? どの子供も例外なく、この上ない優美さ、溌剌(はつらつ)さ、美しさを備えている。だが、この子供たちが成長すると、その美しさや優美さはすべて消えてゆく。 

 同じ優美さ、同じ美しさ、同じ溌剌さの備わった大人を見つけるのは実に難しい。子供のような無垢とくつろぎを備えた人を見つけられたら、賢者を見つけたということだ。 

 それが、我々の東洋における賢者の定義だ。彼は再び子供時代に至った。人生のあらゆる浮き沈みを経験した末、その経験から彼は決意する---その決意は自ずと訪れる---死が訪れる前に、再び子供時代の自分になろうと。 

 私はあなたにゆだねを教える。なぜなら、それこそがあなたを賢者にできる唯一のものだからだ。教会も、進学も、宗教も助けにはならない。それらはどれも、あなたにゆだねを教えないからだ。それらはみな、働くことや労働の尊さを主張する。美しい言葉であなたを奴隷にし、搾取する。それらは社会の寄生虫と共謀している。 

 私は仕事には反対はしない。仕事には仕事の有用性がある---だが、有用性だけだ。仕事はあなたの人生のすべてにはなり得ない。衣食住の確保は、必要不可欠なことだ。働きなさい。ただし、仕事中毒になってはいけない。仕事を離れた瞬間、リラックスする方法を知るべきだ。そして、リラックスするのに大した知恵はいらない。それは単純な術(アート)だ。あなたは生まれたときからその方法を知っているから、とても単純なことだ。それを、眠っている状態から目覚めさせるだけでいい。要は刺激することだ。 

 あらゆる瞑想技法は、ゆだねの術(アート)をあなたが思い出す手助けをするための方法に他ならない。私は「思い出す」と言う。なぜなら、あなたはかつてそれを知っていたからだ。そして今でも知っている。だが、その知識は社会によって抑圧されている。 

 身体から始めるという簡単な原則を覚えておくように。ベッドに横になる---あなたは毎日そうしているから、何も特別なことは必要ない---そして眠りが訪れる前に、目を閉じてエネルギーを足から見つめ始める。そこから移動して、ただ内側を見つめる。どこかに緊張はないだろうか? 脚、腿、胃はどうだろう? 緊張はないだろうか? もしどこかに緊張を発見したら、それをただリラックスさせようとしてごらん。そして、くつろぎが訪れたと感じるまでは、その箇所から移動しないこと。 

 手を通っていきなさい---なぜなら、手はあなたのマインドだからだ。手はマインドとつながっている。右手が緊張しているなら、左脳が緊張するだろう。左手が緊張しているなら、右脳が緊張するだろう。だから、まず手を通っていきなさい---手は、ほとんどマインドが分岐したものだ。そして、最終的にはマインドへと至りなさい。 

 全身がリラックスしているとき、マインドの90%はすでにリラックスしている。というのも、身体はマインドの延長に他ならないからだ。次に、マインドの10パーセントの緊張をただ見つめなさい。すると、ただ見つめているだけで雲は消え去る。数日間かかるだろうが、コツを習得することだ。するとそれは、あなたの子供時代の体験を甦らせる---あなたがとてもリラックスしていた頃のことを。 

 子供たちは毎日のように転ぶが、怪我をしないし、めったに骨折をしない---それに気づいたことはないだろうか。試してごらん。子供を選び、その子が転ぶたびに、あなたも転ぶ。 

 ある精神分析医が実験をした。彼は新聞にこう公示した。「我が家に来て、一日中うちの子のまねをするだけで、いい報酬をお支払いします。子供が何をしようと、あなたにもそれをしていただきます」 

 若い格闘家が現れて言った、「まかせてください。お子さんはどこです?」 

 だが、昼までに格闘家はくたばってしまった。彼はすでに二箇所を骨折していた。というのも、子供のしたことを何でもやったからだ。子供はとてもはしゃいでいた。「変なの」と子供は思った。自分が意味もなくジャンプすると、格闘家もジャンプした。気に登ると、格闘家も気に登った。そして木から飛び降りると、格闘家もまねるのだった。そして、これは続いた。子供は完全に食事を忘れ、すべてを忘れた。子供は、格闘家が四苦八苦するのをとても楽しんでいた。 

 午後になると、格闘家は続けることをあっさり辞退した。彼は精神分析医に言った。「お金はいりません。一日が終わる頃には、あなたの子供に殺されてしまいますよ。私はもう病院行きです。この子は危険です。こんな実験を別の人でしちゃいけませんよ」 

 子供にはエネルギーがたくさんあるが、それでも緊張していない。子供が寝ているのを見たことがあるだろうか? 自分の親指をしゃぶり、それを楽しみ、すばらしい夢を見ているのを目にしたことはないだろうか? 子供の全身は、深いゆだねの状態にある。 

 毎日、世界中で酔っ払いが転ぶが、骨折はしない---これは、よく知られた事実だ。毎朝、彼らは溝にはまっているところを発見され、家に連れて行かれる。それにしても、彼らが転び続けるのは不思議なことだ。酔っ払いが怪我をしないのは、自分が転んでいることを知らず、そのため緊張しないからなのだ。彼は緊張せず、ただ転ぶ。骨折するのは緊張が原因だ。リラックスして転べば怪我はしない。酔っ払いはそれを知っているし、子供もそえを知っている。一体全体、どうしてあなたは忘れてしまったのだろう? 

 毎晩、ベッドの中で始めなさい。すると、数日の内にコツを習得するだろう。ひとたび秘密を知れば、日中どんな時でもリラックスできる---それは誰からも教わることのできないものであり、あなたは自分自身の身体の内側を探求しなければならない。そして、くつろぎの達人になることは、この世で一番すばらしい体験のひとつだ。それは精神性への偉大なる旅の始まりとなる。なぜなら、完全にゆだねの状態にあるとき、あなたはもはや身体ではないからだ。 

 あなたは、緊張やストレスや痛みがあってはじめて自分の身体に気づく---この単純な事実に気づいたことはあるかな? 頭痛がないのに、頭に気づいたことはあるかな? 

 全身がリラックスしたら、あなたは自分が身体であることをすっかり忘れる。そして、身体を忘れたら、身体の中に隠されている新しい現象---あなたの精神的な実存を想起することになる。 

 ゆだねは、自分が身体ではなく、永遠不滅のものであるこを知るための方法だ。 

 この世に他の宗教はいらない。ゆだねの単純な術(アート)こそ、すべての人間を宗教的な人に変えるだろう。宗教とは、神を信じることでも、教皇を信じることでも、イデオロギーの体系を信じることでもない。宗教とは、あなたの内側の永遠なるものを知ることであり、あなたの存在の真実を、あなたの神性を、あなたの美しさ、優美さ、輝きを知ることだ。 

 ゆだねの術(アート)とは、非物質的なもの、無限なるもの、すなわちあなたの真の実存を体験することと同じ意味だ。 

 気づかぬうちに、ゆだねの状態にある。だから笑いはとても健康にいい。幸せになるのに、笑い以上に効く薬はない。 

 しかし笑いは、ゆだねに対するあなたの気づきを妨げてきた陰謀者と、まさに同じ者たちによって妨げれてきた。全人類は、深刻で精神的に病んだ状態にさせられてきた。 

 幼い子供がクスクス笑うのを聞いたことがあるかな? 全身が笑いに参加している。でも、あなたが笑うとき、全身が笑うのはごく稀だ---たいていは、ただの知的で頭だけの笑いだ。 

 私自身の理解によると、笑いはどんな祈りよりも遥かに重要だ。なぜなら、祈りはあなたをリラックスさせないからだ。逆に、あなたをもっと緊張させる。笑いの中では、突然あらゆる条件づけ、あらゆる躾、あらゆる深刻さが忘れ去られる。あなたは突如として、それから一瞬抜け出ている。今度笑うとき、どれだけ自分がリラックスするか気をつけてごらん。そして、他にも自分がリラックスする機会をみつけてごらん。 

 愛を交わした後、あなたはリラックスする・・・・しかし同じ陰謀者たちの仲間が、愛を交わした後でさえ、あなたがリラックスするのを許さない。男性はくるりと向きを変え、眠ったふりをする。しかし心の底では、また罪を犯してしまったことに罪悪感を抱いている。女性は泣いている。なぜなら、自分は利用されたと感じるからだ。 

 人類に対するこれ以上の陰謀はあり得ない。男性は、すべてをできるだけ早く終わらせたいと思う。彼は内側に聖書やコーランやシュリマッド・バガヴァッドギータを携えていて、それらは彼の行為をこぞって非難する。彼もまた、自分は間違ったことをしていると思っている。だから当然、終えるのは早ければ早いほどいい。しかし、後で気が滅入る。これではリラックスのしようがない。彼はさらに緊張する。そして、男性があまりに性急なので、女性は決してピークに達することがない。女性が始まる頃には、彼は終わっている。当然ながら女性は、男性なんて動物みたいなものだと思い始める。 

 教会や寺院では女性ばかり、特に年老いた女性ばかりが目に付く。そして聖職者が罪について語るとき、女性たちはわかっている! それは完全に罪だった。なぜなら、何の喜びも得なかったからだ。女性たちは商品のように扱われた---性の対象として。 

 一方、罪から自由で、抑制から自由であるなら、愛はすばらしいゆだねの体験を与えてくれる。 

 自分の生活を見つめ、自然なゆだねの体験を見つけるといい。水泳はそのような瞬間を与えてくれるだろう。本当に泳げるなら、あなたは泳がずにただ浮いていられる。するとそのとき、途方もないゆだねを発見するだろう---あなたはただ川と共に進み、流れに逆らうどんな動きもせず、流れの一部になっている。 

 さまざまな源から、ゆだねの体験を集めるといい。すると間もなく、あなたはすべての秘密を手にするだろう。それは仕事中毒の条件づけから、あなたを自由にしてくれる。 

 それは、怠け者になるということではない。逆に、リラックスすればするほど、あなたはいっそう力強くなる。リラックスしているときは、より多くのエネルギーが集まってくる。あなたの仕事は、創造性の質を帯び始める---生産性ではなく。何をしても、あなたは全身全霊で、大いなる愛を込めて行うようになる。そして、それを行なう途方もないエネルギーを得る。だから、ゆだねは仕事に背くものではないことを理解しなさい。むしろ、ゆだねは仕事を創造的な体験へと変容させる。 

 あなたが全一(トータル)な笑いを楽しめるよう、ジョークをいくつか話そう。全一な笑いは、あなたの顔や身体や腹から、すべての緊張を取り去る。あなたは突然、完全に異なる種類のエネルギーを自分の内側に感じる。そうでもしないと、ほとんどの人は常に腹に緊張を感じている。 

 バディーの友人のジョーは、社会人教育の夜間コースをとっていた。
 「ロナルド・レーガンを知ってるか?」と彼はバディーに尋ねた。
 「知らねえよ」と答えるバディー。
 「彼は合衆国の大統領だ」とジョー。
 「じゃあ、マーガレット・サッチャーを知ってるか?」
 「いいや」とバディー。
 「彼女は英国の首相だ」とジョー。「なあ、おまえも俺みたいに夜間学校へ行った方がいいぞ」
 「今度は俺が質問するよ」とバディー。「ミック・オサリバンを知ってるか?」
 「知らないな」とジョー。
 「つまり、その」とバディー。「おまえが夜間学校に行っている間、お前の女房とやっている奴さ」
 

 ある土曜日の午後、イエスとモーゼはゴルフに出かけた。まずモーゼが打ち、ボールはまっすく飛んでフェアウェイに落ちた。イエスはクラブを構えた。だが、第一打はスライスして丈の高い草むらに入ってしまった。
 「やっちまったぜ!」イエスは叫んだ。モーゼは寛大にも、イエスにペナルティーなしでボールをフェアウェイに置いてもいいと言った。だがイエスは、頑固に申し出を断った。そこでモーゼは言った、「おいおいイエス、そんな丈の高い草むらの中では打てっこないよ」
 「アーノルド・パーマーにできるなら、私にもできるさ」とイエスは答えた。そしてボールを強打したが、ボールはポチャン!と池に落ちてしまった。次にモーゼが打った第二打は、まっすぐグリーンに落ちた。彼は振り返ってイエスを見た。イエスはジーンズの裾を捲り上げていた。
 「イエス、お願いだ!」モーゼは叫んだ。「後生だからフェアウェイにボールを置いてくれ。そんなショットを打つには奇跡が必要だよ!」
 「アーノルド・パーマーにできるなら、私にもできるさ」とイエスは答えた。そしてイエスは、水面を大またで歩いて渡っていった。その光景を見ていた庭師は、モーゼに近づいて言った。「あの人、自分のことをイエス・キリストだと思っているんじゃないでしょうか?」
 「とんでもない」とモーゼは答えた。「自分のことをアーノルド・パーマーだと思っているのさ!」
 OSHO p186~198

<32>につづく

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