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2013/10/11

石川裕人作・演出『方丈の海』<5> 2013追悼公演編

<4>からつづく

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「方丈の海」 <5>
石川裕人 TheatreGroup“OCT/PASS” Vol.35  2013/10/11~14 せんだい演劇工房10-BOX box1 上演台本 152p 追悼公演編 

  会場はいつも行くお得意さんの、ほんのちょっと道を一本はさんだ向かい側だった。知らない場所ではないが、今まで知ろうとしないできた自分がいた。

 100ほどある観客席は満杯だった。真中に座って、ぐるりと見渡してみたが、観客の中に、私の知った人はいなかった。ニュートンの芝居と言えば、誰か彼か友達がいるもんだが、今日は、なぜか一人もいなかった。というか、いないことにして、回りを見渡すのをやめた。

 この人々、石川裕人の芝居を見に来ている。知っている劇団は、オクトパスと、せいぜい、その前の十月劇場くらいだ。十月劇場を知っている人だって限られているだろう。その前は洪洋社で、その前は劇団座敷童子で、その前は高校の文化祭で芝居をやって、・・・・なんてことは、誰も知らない(はずである)。小学校の3年の学芸会で、私から劇の主役を奪ったのは石川裕人だったなんて、誰も知らない、そして、もはや、そんなことは、どうでもいいことなのである。

 人々は、石川裕人の芝居を見に来ている。

 私は、石川裕人の芝居の「観客」としては、不幸だと思う。私は、彼を知りすぎている。彼は、人生を賭けて、せっせと虚構を作り続け、私は、その虚構を、次々、壊し続けた。もちろん、彼の芝居の手伝いをやったことこそあれ、邪魔したことはない。だが、彼が作ろうとする、私の中の虚構を、私はことごく、突き崩してきた。

 私にとっての彼の最期は、サキの治療院にいた時、彼が病院から電話をよこした時だった。手術をするから保証人になってほしいと言う。もちろん断れるはずがない電話である。じゃぁ、今からそちらに行くよ、と言う私を彼は制した。「代筆でいいらしい」。そうなのか、じゃぁ、ハンコだけでも持っていくよ。「いや、拇印でいいらしいから、オレが押しておく」。だから、私は、病院に駆けつけるチャンスを失った。

 私にとって、彼の最後の虚構は、彼自身が、私になり変わって、私の名前を署名し、私の指の代わりに、自らの拇印を押すことによって、すっかり私になりすましたことである。コンプライアンスかまびすしい昨今のこと、私なんぞは仕事柄、この行為はできない。

 上演台本を読んでから芝居を見に行くなんて、今までやったことはない。読み直した台本が、今日は、どんな風に変わっているだろう。私は注意深く観劇した。しかし、私の見る所、それは、ほとんど上演台本そのままに再演されたように思う。

 もちろん、噛んだり、セリフを忘れた(ふりをしたのかも?)役者のアドリブは2・3あったものの、石川裕人が書いたそのままが演じられた、と考えて、まず間違いはないだろう。

 しかしだ、音楽に詳しい人なら、あの五線譜を見ただけで頭の中にメロディーが聞こえてくるというが、上演台本を見ただけで、芝居の動きが見えるほどの才能は、私にはない。

 台本として、原稿用紙ならぬ、ワードか一太郎で書かれた文字たちに対してなら、いくつも突っ込みたくなる私ではあったが、実際に演劇空間で、役者たちが、自らの口から台詞を吐くとき、それはまったく別ものだった。当たり前と言えば当たり前だが、そのことを今日は、痛感した。

 そして、役者たちの仕草や表情、立ち位置、照明や、舞台効果など、予測はしていたものの、上演台本では察することのできない万華鏡が、そこには潜んでいた。

 俳優は「誉められたい」存在で、出来るならば、自分の認める人に誉められたい存在である。青森県立美術館舞台芸術総監督 長谷川孝治 会場で配られた「オクト・プレス」追悼公演特別号より

 私は、芝居や俳優を誉めることは上手ではなく、好きでもない。しかしまぁ、あの台本通りにやっていくとこうなるのか。あらためて、そのドラマツルギーに茫然とした。

小桜 じゃぁカイコーよりもグレードアップしたフリークスを用意しなきゃあ。

石持 龍だな。あの地震の時に日本海溝から天空へ飛翔したというドラゴンを見つけてくれ。

小桜 社長、そんな憎しみのテーマパークをこの東北に作ってなにが楽しいんですか? そして、津波でやられた名もない寂れた土地に観光客がやってきますか? 上演台本p104

 上演台本を読んでいた段階では、私は、このカイコーという生物のことをすっかり見落としていた。それは、もっと別なネーミングでもよかったはずなのだが、あえて作者は、カイコーという半魚人にした。そして、結局最後は、人へと戻す。

 しかしながら、他人の虚構崩しを趣味にしておきながら、私にとって、「龍」は真実なのだから、困ったものである。

 私は老婆を思う。老婆が二人して、一つ屋根に住んでいることを思う。一人は本当の老婆であり、一人は虚構の老婆である。

 私は、家族を全部失った青年を思う。虚構の津波の中で、お爺さんもお婆さんもお父さんもお母さんも失った青年と、3・11で本当に、お爺さんもお婆さんもお父さんもお母さんも失った青年。この二つの存在の差異はどこにあるだろう。

 老婆と、青年は、この芝居を見るだろう。初めて、石川裕人の芝居を見る。彼ら、彼女らは、私よりも、もっと激しく、虚構崩しにかかるだろう。しかしながら、彼らは、私よりはガッツはないはずだ。その虚構のほうが、上回るだろう。上回るが、本当に、真実は、虚構によって、癒されるだろうか。

 会場に行って、私は初めて、石川裕人にまつわるイベントがこの後もあることがわかった。

 ひとつは、10月26日の「石川裕人の言葉たち」という追悼ライブリーディングである。千賀ゆう子と、絵永けい、の二人によるものだ。

 もう一つは、石川裕人の門下(と言っていいだろう)である小畑次郎(他力舎)演出による特別公演「流星」である(11月8~9日)。これは、十月劇場の旗揚げ公演作品だ。もうすでに30有余年前の作品である。私もたぶん見たはずなのだが、忘れた。おびただしい数の石川作品は、私にとって、無選別のまま、乱舞している。

 しかし、十月劇場の旗揚げメンバーだった小畑にとっては、特に意味深い作品であることは、容易に察しがつく。

 虚構が虚構で在り続けることはできない。真実しか、真実足り得ない。観客は、いっときの虚構の中に、その虚構を味わう。そして、その虚構の中に、ふたたび自らの真実を見つめ直す時、演劇は演劇としての、真実の力を持ち始める。

<6>につづく

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