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2013/11/25

石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作<10>

<9>よりつづく

Asi
「時の葦舟」三部作 石川裕人戯曲集<10>
石川裕人 2011/02 Newton100実行委員会 単行本 p262 石川裕人年表
★★★★★

 彼の一周忌も過ぎ、この間、四つの彼に対する追悼公演を観劇し、私なりのニュートン観、演劇観が、少しづつ変動しつつある。

 一番の変動は、台本を読んだ時に、その字面だけをおっかけていた私が、いつの間にか、芝居を想定し、その舞台の、あの役者なら、こういう振付で、こういう声色で、こんな衣装で、と、イメージが広がってきたことだ。

 最初、台本だけ読んでいた時は、なんとも皮相なダジャレが飛び出したり、あまり高尚とは言えない屁理屈がまかり通ったりして、どうも、言葉そのものと格闘していたようである。ところが、このところ、何本か芝居を見続けてみると、いやいや、むしろ舞台での台詞というのは、この程度でいいのだ。難しいことを語ったって、どうなるものでもない、ということが少しづつわかってきた。

 そういう観点から、いま一度、ニュートンが書き残した「時の葦舟」を最初から通読してみた。未来、過去、現在、の三つの時代を書き分けた、筆者「畢竟の三部作」である。

 畢竟(ひっきょう)とは、[名](梵)atyantaの訳。「畢」も「竟」も終わる意》仏語。究極、至極、最終などの意。(goo辞書)とある。つまりは、石川裕人とは、こういう人だったのだと、ニュートン本人は、そう思ってほしいわけだ。その真髄が、この三部作、ということになる。

 もっとも、劇作家なのだから、台本を持って最終作品なのではなく、その作品が上演されて、おなじ空間を共有できればこそ、の畢竟の作品ということなろう。

 私は、かつて、この三部作を観て、その空間を、一観客として「共有」していたはずなのだが、その作品が、友人の畢竟という風には観ていなかった。逆に、この作品が上演された1991~1994年は、私にとっては、逆の意味でのどん底の時代でもある。

 あの時代に、彼は自らの「アングラ・サーカス」と名付けた演劇空間を「完成」させていたのだ。そう読み進めることにする。

 宮澤賢治や南方熊楠が、常連のようにでてくる。重要なキャラクターだ。当時の思想界の潮流とは言え、数あるアイコンの中から、この二つに絞り込んでいた、ということは注目しておくべきだろう。

 巻末には、トールキン「指輪物語」、賢治「無声慟哭」、四方田犬彦「GS」Vol.3巻頭言、デヴィッド・ビート「シンクロニシティ」が上げられている。これらのある部分は、いちどパラパラと追読したが、また、副読する必要があろう。

 巻頭言のノーバート・ウィナーについても同じこと。なにせ、ニュートンが最期に残した「畢竟」の言葉集である。これを理解せずして、ニュートンを理解したことにはならないだろう。

 この三部作は私の畢竟の戯曲だと自負できる、1991年から1994年まで書き継ぎ、上演してきた戯曲を再読したが、古びたところが無かった。p260「あとがき」

 とまで語っている。本当だろうか。

 時をテーマにした戯曲だからだろうか?時を旅する異能の家族の物語は戯曲の中で永遠性を勝ち取ったようだ。p260「同」

 とさえ、語っている。自画自賛とはこのことだ。ニュートンと対峙するには、このポイントをおいて他にない。

 未来編、過去編、現在編。この三部作の中で、未来編はまぁともかく、過去編は、数千年前という設定にしては、すこし甘いのではないだろうか。もっとプリミティブで、素朴な感じが私は欲しかった。未来編も、かなり悲劇的な風景で、SFによくありそうなテーマであると思えた。

 現代編は、まぁ、一番リアリティがあって、共感できる部分であったが、1994年当時、観劇した一観客の私としては、やはり、まだ「軽い」と感じられた。的外れなケチをつけているような気もするが、ひょっとすると、あれから20年が経過して、役者ひとりひとりの読み込みが進み、円熟した2013年現在の役者陣なら、もっと深みのある「意味合い」を演じるかも知れない。

 なにはともあれ、親友のひとりであるニュートンが、最後に残したのはこの本なのだから、ここを手掛かりに、一生、彼の姿を追いかけていく以外にない。

<11>につづく

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