石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作<11>
「時の葦舟」三部作 石川裕人戯曲集<11>
石川裕人 2011/02 Newton100実行委員会 単行本 p262 石川裕人年表
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三部作の未来編、古代編、現代編の、それぞれの年代は、AD2275年08月、BC2100年頃、AD1995年7月、 という設定である。1995年と言ってもすでに20年まえのこととなり、むしろ現代編より、未来編のほうが内容がフィットするほど、時代は経てしまった。
都合4375年前後の、「長い年月」に渡る「時の葦舟」だが、実際には、生命誕生からの46億年に比してみれば、100万分の一。それほど、驚く程でもない時間移動なのだ。
対する飯沼勇義提唱するところの「東北紀元前津波」はBC160~60年のこと。5代ヒタカミはBC1315年前後、9代ヒタカミの熱日高彦はBC1137年前後だとすると、現代からみれば3330年程の期間となる。初代となれば、更に時間は伸びる。
もし石川「時の葦舟」の3~4千年の時間ロマンに遊ぶことができるとすれば、飯沼やホツマの3~4千年の時間ロマンに遊ぶことは、それほど難しいとは思えない。かたや演劇というフィクションであり、かたや伝説や神話ではあるが、ともに、そこに「真実」が隠されていない、とはいえない。
権十郎 (中略)すべての時代は続くものを夢見るばかりでなく、夢みながら覚醒をめざして進むものだと私は信じている。こんな星になってしまった地球だが、
南方 まったくその通り、最小限わしらは生きている。過去から未来へ、わしら自身が架け橋なのだよね。さて、と。そろそろ降りようかな、少年たちを探しにいかなければならない。(降りてくる)ところで、レプリ君、名前は?
ケンジ ケンジ
南方 ケンジ・・・、1896年ーー1933年。イーハトーボ・アジア。
ケンジ 俺の記憶の主か?
南方 そうだと思う。しかし、しかし、君は追われている身だ。こんなところにいては危険だぜ。わしと一緒に行かないか?
ケンジ ありがとう。(行く気はない) p74「ー未来編ー『絆の都』」
ここでは、南方熊楠のひいひいひい孫として(p60)南方熊桜(くまおう)と、宮沢賢治の記憶を持つレプリカントとしてのハイパーケンジが登場する(p31)。数あるアイコンの中から、作者は、よくぞこの二人を並べたものだと思う。
2011年3月の東日本大震災の直後に緊急出版された「大津波と原発」(2011/05 朝日新聞出版)の内田樹との対談の中で、中沢新一は語っている。
そんなことを考える思想家が生まれ得たのは、東北だからです。東北はそういう可能性がある場所なんです。ぼくの考える「緑の党」の旗には、宮沢賢治と紀州の南方熊楠が描かれるんだ。中沢新一「大津波と原発」p88
震災の20年前に、宮沢賢治と南方熊楠を両立させた東北の劇作家があったということを、時代の寵児を自認する中沢は、知っていただろうか。
また、この演劇には、主人公としての一文字ピコ、電脳化した父(コンピュータ)として、一文字ナノ、が登場する。当ブログでは、このピコ・ナノについてはまったく読んでこなかったが、飯沼勇義の本の中にその文字を見つけて、ドキッとした。
なぜこのフルボ酸鉄なのか。この物質は、ナノ、ピコの超微細な世界へ溶出できるから重要なのだ。これが歴史津波と関与して、富を生む原因を生成できる決め手となり、海水中の魚介類を繁殖させるプランクトンをつくり出し、さらに海水や土壌中の栄養分を超微粒子状に溶出してきて、このことが富を蓄積し古墳を集中的に築造させていった。
そしてなんと、このフルボ酸鉄での日本古来の鉄の還元が、既にあったのだ。それが「薪焼火床の製鉄」である。飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」 p218
震災後の生態系の変化や、その作用などについては、永幡嘉之「巨大津波は生態系をどう変えたか 生きものたちの日本大震災」( 講談社ブルーバックス2012/04) が参考になるに違いない。
「時の葦舟」第一巻「絆の都」を再読してみて、著者が「畢竟の三部作」と自ら読んだこのシリーズが、著者にとっての一番やりたいことだったのだろう、と合点がいくようになってきた。
実験的に劇団をスタートさせた「劇団座敷童子」や「劇団洪洋社」は、劇団や芝居そのものを成立させることにせいいっぱいだった。失望して一時芝居から離れたものの、「趣味でもいいから」とソロソロとゆっくり再スタートした「劇団・十月劇場」は、10年を経過して、著者いうところの「アングラ・サーカス」として、「完成」した。
私は劇評家・衛紀生氏に妙に気に入られ「水都眩想」で岸田戯曲賞を取ろうと言われた。そのためには演劇雑誌に戯曲を載せなければならないから改訂しろということだった。最近引っ越し荷物の中から手紙の山が見つかった。その中に衛氏のものもあり、「新劇」と「テアトロ」の編集長に話を付けてあるから早く改訂戯曲を私に送りなさい旨の手紙だった。なぜか私はこの話に乗らなかった。生意気だったのである。書き終えたものはそこで終わるというのが私の流儀だった。だから長年再演することをしなかった。それより衛氏の顔をつぶしてしまったわけでもある。しかし、この時もし間違って岸田戯曲賞などとっていたら私の人生は変わっていただろうか。『石川裕人百本勝負 劇作風雲録』 (第七回 人生は変わっていただろうか?)
86年の「水都眩想」あたりでは、本人はまだまだ納得していたかったと見える。しかし、自らの芸術性において、やりたいことをやりやり終えた「十月劇場」ののち、本人は、「とにかく芝居で食いたい」と、あえて、その十月劇場を超えていくことを決意する。
いわゆる社会派劇や、PLAY・KENJIとなずけた宮沢賢治を「モチーフにして「換骨奪胎」したシリーズ、あるいは子供向け「AZ9ジュニア・アクターズ」向けの一連のシリーズ、さらには、アラ還以上の年配者向けに書かれたシニア劇団「まんざら」向けのシリーズなど、いわゆる「アングラ・サーカス」からは遠ざかる。
書き上げた100本の戯曲を記念して、この「時の葦舟」が刊行された直後、わずか一カ月で3・11東日本大震災がやってくる。演劇人として、何ができるのかを自ら問う中で、TheaterGroup“OCT/PASSは「人や銀河や修羅や海胆は」(石川裕人・作・構成・演出)を持って、約十カ所の被災地でボランティア上演する。
さらには、遺作となった「方丈の海」を上梓し、かつての「時の葦舟」に繋がる情景を書き上げ、彼は逝った。見事な人生だったと思う。芸術家として、一巻のストーリーを生き切ったであろう友人に、私はいまあらためて、心から拍手を贈りたい。
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