飯沼勇義「3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ」<5>
「3・11その日を忘れない。」 ―歴史上の大津波、未来への道しるべ <5>
飯沼 勇義 (著) 2011/6 鳥影社 単行本 208p
今回、この本を再読してみようと思ったのは、日高見、ホツマ、荒脛巾(アラハバキ)について、もうすこし明確にしておこう、と思ったからである。これらについては、他の文献や作者たちの、別な見解もいくつか目を通している。断片的ではあっても、なにごとかの真実がかくされている。
そして、今回は、この著者における見解を、一通りもう一度、理解しようとしたのだ。
ここで「荒脛巾(あらはばき)の神」について簡単に説明しよう。津波から話がそれるようだが、決して無関係ではない。
この神は日本人祖霊の最古の神で縄文時代から継承されてきた日本古来の源神だった。
荒脛巾は二つの神が一対となって初めて機能してきた。「荒」は荒神と言って男神であり、光と熱を大地へと送り届ける太陽が男神である。これがのちの「荒神信仰」だった。もうひとつ、地上にもたらされた太陽の恵みを大地に受容し、あらゆる生きものたちを生み、繁殖させる女神、それが「荒脛巾信仰」である。
熱日高彦神社は「伊具郡衙(ぐんが)」があったころの鎮守神といわれてきた神社であるが、もっと古い時代には「伊久国造」がここにあった。それは縄文時代にあった世界で最も古いという由緒ある社である(今後の調査が期待される)。p42「予言された津波」
2012/10/28 『熱日高彦神社創祀壱千九百年記念大祭』はすでに当ブログでもレポート済みだし、後日、ふたたびゆっくりと静まりかえったその境内を散策してきた。なかなか心躍る部分であるが、「世界で最も古い」とまで言われると、あれあれそこまで言っていいんですか? と気恥しくさえなる。
しかし、自らの現在の活動圏や、転生魂・多火手の顛末を考慮する時、この見解は、きわめて感動的なバイオリージョンではある。多火手においては、ここをムーの火の神とさえ見なすことも可能に思えてくる。
(熱日高彦神社のアラハバキの痕跡か・・・・・)
我々の高見産霊(たかみむすび)の神話構造を分類すると以下のような表にまとめることができる。
そこには荒神(こうじん)信仰と脛巾神(はばきがみ)信仰が存在し、荒神は男神、脛巾神は女神といわれてきた。
この神話構造は、一見すると奇妙である。恵みの神が横に男神と女神に分かれ、世界の生成と誕生をつかさどている。また一方で恵みの神と荒ぶる神が縦に分かれ、創造と破壊をつかさどっている。
これは例えば、ヒンドゥー教の「リグ・ヴェーダ」に現れるルドラ神のように、単数であり、時に複数である神が、その凶悪な側面と温和な側面を併せ持つということを意味するのだろう。有名なシバは温和な側面を持ち、ハラ神(破壊神)はその恐ろしい側面を持つのと同じ構造であるといえるかもしれない。
高見産霊の九代「日高彦」は、恵みの神と荒ぶる神を一元化した信仰をもち、この神を祭祀してきた。この九代「日高彦」は、現在、阿武隈川中流に熱日高彦神社に祭られている。p184「これからどう生きるか、災害の哲学の構築」
ここまで輻輳してくると、なにがなにやら訳がわからなくなる。ともあれ、熱日高彦神社は重要なスポットであり、そこに九代「日高彦」が祭られている、ということを押さえておけばいいだろう。
アラハバキとは原理的なものであり、その原理にもとづいて建造されたのが、日高見国、ということになろうか。
「日本書記」に出てくる日高見国は、現在の石巻市桃生町太田地区の高台にあった。すぐそばを流れる日高見川は、現在の北上川のことである。この北上川から南東北地方を視界とし、さらにここより北東北地方の蝦夷地を展望できる日高見国であった。
また、この北上川の中流域には水沢(現・奥州市)があって、ここにも日高見水神を祀る日高見神社がある。この日高見国から北方東北を望み、ここから内陸の南方東北の前沢、平泉、一関、古川地方の蝦夷地を望む格好の情報を得るところであった。この日高見国には、縄文の神を司る「高見産(たかみむすび)の日高見国」が、初代から十四代まで続いたと伝えられている。p40「予言された津波」
ヒタカミがキタカミに変遷したとすれば、現在の北上川周辺に、アラハバキ原理に基づいた「国家」が成立していた、と想像することは難くない。そして、その「伝えて」いるものが、ホツマツタエということになろうか。
石巻桃生町にあった日高見国の九代目に当たる紀元前1197年に、角田市島田地区に熱日高彦神社が誕生している。この神社は男の神であり、「熱」は太陽を象徴とする荒脛巾(アラハバキ)といって日本古来の神、荒神信仰のことを司る神を言っており、「彦」はまさに男神のことをいっている。脛巾神とは女の神のことを言い、その神の日高見国とは北上川にあるとしている日高見神社である。p41「予言された津波」
ぐるりと一巡してしまったが、どうも輻輳していてわかりにくい。熱日高彦神社自身は、2012年に「創祀壱千九百年記念大祭」を挙行したわけだが、実際には、これでもかなり古く語りすぎているのではないか、と語る氏子たちもいる。
もし著者がいうとおりにこの神社が誕生したとしたら、1197+2012=3209となり、神社自身が自覚しているより3209-19000=1309となり、1309年も古いことになる。で、あったとしても、「世界で最も古いという由緒ある社」というのは、あまりにも持ちあげすぎではないか、と思われてくる。
この辺が、科学と神話の葛藤するところであるが、転生魂・多火手からすると、ここにおける著者の一連の歴史観は、「神話」としてはこれでいい、ということになる。神話であれば、「今後の調査」は、むしろマイナスに働く可能性もでてくるであろう。
「記紀」の基となったと言われる「秀真伝(ホツマツタエ)」には、この文明の始源の場たるトコヨが天上の理想郷であるとともに、具体的な地上の国土でもあるという記述もある。それは陸奥国、ヒタカミと呼ばれる地域であった。このヒタカミが日高見であるとすると、日本は東北の一角から始まったということになる。
大自然の背後には、はっきりとは目に見えない威力が存在していると、縄文人たちは感じ取っていた。万物を生み育てると共にすべてのものを破壊する恐るべき大自然の力。そこに私たちは寄り添って生きていくしか許されていないと蝦夷たちは感じ取っていたのである。p181「これからどう生きるか、災害の哲学の構築」
アラハバキ、ヒタカミ、ホツマ。これらにまつわる話を聞くことは、きわめて心躍る。ましてや、誰もなし得なかった巨大な歴史津波を「予言」し得た著者の言説ならば、なにを置いてでも耳を傾けてみたい。
しかしながら、震災直後数カ月を経ずして緊急発行されたこの本においては、これらの一貫した姿勢を見つけるのは、なかなか難しい。以前より、それらについての識見を持った読者であるならば、それらを基礎として、著者が言わんとするところを推測することは可能であろう。しかし、決して「科学」的ではない部分も多い。
これらについては、本書でも予告されている次なる書物、「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)に読み継いでいくことにしよう。
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