飯沼勇義「3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ」<6>
「3・11その日を忘れない。」 ―歴史上の大津波、未来への道しるべ <6>
飯沼 勇義 (著) 2011/6 鳥影社 単行本 208p
今回の東日本大震災は、我々の生き方そのもの、世界観そのものを根本的に変えるほどの巨大な意味を担っている。もし、単に以前と同じような繁栄を復旧させることを目ざすのであれば、私たちはふたたびとんでもない間違いを犯すことになるだろう。
何万もの尊い命と膨大な犠牲を本当に生かすものとするためにも、私たちは、ここで何が問われているのかを真摯な形で問い直すことが求められているだろう。p170「これからをどう生きるか、災害哲学の構築」
「安心・安全」と符合したかのような形で、乱発される「復旧・復興」という掛け声だが、まさに、旧態依然の形の復旧・復興を夢見るのは、愚かな事である。実にそう思う。
いま私たちに何よりも求められているのは繊細な感受性ではないだろうか。この母なる地球が傷ついていると感じられるかどうかは、繊細な感受性をもてるかどうかにかかわるだろう。そして現在の満足ではなく、時間の先を見据えた透明な意識と、自然や環境に対する深い配慮が必要なのである。わがままいっぱいの子供のような状態から、もっと思慮ある大人へと成熟すべき時期に差しかかっているのだと、この大震災を経験してみてつくづく思うのである。p160「これからをどう生きるか、災害哲学の構築」
著者の「歴史津波研究」から「津波」を取ってしまえば、残るのは、アラバキ、ヒタカミ、ホツマ、ということになろう。それは、意味じくも、仏教でいうところの、仏法僧に対応しているだろう。アラバキ=仏、ヒタカミ=僧、ホツマ=法、と見ればわかりやすい。
これをOshoのガッチャーミに対応させれば、アラバキ=目覚めたる人、ヒタカミ=目覚めたる人を囲むコミューン、ホツマ=永遠の真実、ということになるだろう。
ところで、著者の「歴史津波研究」から「津波」を取り去ることなど、実に無謀な作業であろう。津波あっての歴史観であり、真実性なのである。その津波についてのデータは、言い伝えや神話、伝説によっているところが多い。
つまり著者自身の「ホツマ」は、厳然とした津波という地球レベルの現象に対する人間社会「ヒタカミ」における伝承によっているところが多い。
ここにおいて、そもそもの目覚めたる人は、ヒタカヒコとかヒタカミ何代として語られることが多いが、結局は、それは「他者」の伝説を掘り起こす、という作業になってしまうことになる。
もし人工的な水分解反応を起こすことができれば、光と水だけで電気エネルギーに変換できるという。実用化できれば従来の太陽光発電などをはるかに上回るエネルギー量が期待できるだろう。これに高性能のリチウム電池を加えた自家用発電システムを各家庭が設置するようにしたらどうだろう。
電力は巨大な発電所が大掛かりな送電システムを使って得るのではなく、各家庭が自分で使う電力を自分でまかなうようにすべきなのである。高度な形態の自給自足こそがいま求められている。電気も、野菜も、自分が消費する分はできるだけ自分で賄(まかな)えるようにできたら、自然に優しくしかも経済的な生活ができるだろう。p199「これからをどう生きるか、災害哲学の構築」
我が家でも、念願であった太陽光パネルをようやくこの秋に設置できた。その成果については、今後、当ブログにおいてもレポートを続けたいと思っているが、現在のシステムはまだまだだと言える。これに著者も言うところの高性能リチウム電池と、そして我が家のベーシックなハイブリッド車がつながれば、かなり実現に近づいた、と感じることができるだろう。
東北はまったく新たに再出発するだろう。他の日本の地域とは歴然とした違いを明確に打ち出し、自然と一体でありながら、同時にもっとも高度な技術文明を維持できる、その規範となるべき東北州が誕生するだろう。その精神を導くものは、おそらく東北の詩人、宮沢賢治の理想ではないだろうか。
彼ほど東北の人々を、東北の自然を愛した者もいない。彼は原体剣舞連やネブタに先住の蝦夷の民の屈折しつつも爆発的な初源のエネルギーを見ている。東北の農民に世界に連なる高い意識を求めている。
彼は一介の詩人ではなく、宇宙銀河を探索する天文家であり、自然と人間の共生を模索した科学者であり、農民のために土壌を研究し、たくさんの時間を農民のために割いた農業指導者でもあった。
宮沢賢治を愛する人は多い。たくさんの人が彼の「春と修羅」や「銀河鉄道の夜」を読むだ。だが、いま私たちに求められているのは、私たちもまた、彼のようにつましく、真摯に、ひたむきに、大地に頭をたれ、天の川の輝きに目をやり、一輪の花に無限の世界を想い、一匹の鳥にも愛情を注ぐ、そういう生き方をするということではないだろうか。p200「これからをどう生きるか、災害哲学の構築」
同感である。ただし、宮沢賢治を愛するあまり、彼を蝦夷の民と見てしまうことには賛成できない。
賢治の両親は、ともに姓を宮沢という。父方も母方も宮沢家である。祖先をたどってゆくと、一人の人物にで行き当たる。つまり遠縁の一族なのだ。その人物とは誰か。江戸中期の天和・元禄年間に京都から花巻にくだってきたといわれる、公家侍の藤井将監(しょうげん)である。この子孫が花巻付近で商工の業に励んで、宮沢まき(一族)とよばれる地位と富を築いていった。(中略)
いずれにしても、賢治の祖先は、京都からの移民である。つまり、賢治の中に流れている地は蝦夷以来の、みちのくの土着ではない。天皇を頂点とするクニに反逆する血ではないのだ。畑山博・他「宮沢賢治幻想紀行 新装改訂版」p106「生涯」
ことさらに、東北やエミシを鼓舞することに、私は賛成しない。私は東北に棲み、400年以上に渡って、その祖先を遡れる生粋の東北人であり、両親ともにアベの流れではあり、そのルーツを喜びはするものの、それをいたずらに誇ったり(あるいは卑下したり)、他を良くも悪くも差別する所業は愚かしいことだと思う。
東北もまた未来都市であれば、世界もまた、すべて未来都市であるべきであり、地震あるなしに関わらず、四季折々の自然が豊かであろうがなかろうが、未来は、地球上、どこにも咲き乱れてしかるべきだと思う。
逆説ではあるが、古代津波に基づいた飯沼史観から津波を取り去ってしまうことこそ、飯沼史観の真髄であると思う。アラハバキ、ヒタカミ、ホツマ、これらの標章の中にある、言葉にならない、言葉にしてはならない、真実を生きることこそ、飯沼史観を学ぶ者の、全き姿勢であると、私は信ずる。
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