気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ<4> リズ・ダベンポ-ト
「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」 <4>
リズ・ダベンポ-ト/平石律子 2002/09 草思社 単行本 222p
今やこの本が頭の中でぐるぐる回っている。この本とともにあるのは、「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」と「わがままに暮らしたい。こだわりの住まいとアトリエ」。この三つのトリニティがぐるぐると回り続けている。
孫→かたづけ→自分のスペースの確保。侵略者と非侵略者、天津神と国津神、移住民と先住民の戦いにも似て、ひたすら気立てのやさしい先住民族は、すたこらさっさと、辺境最深部に向かって退却するのである。
それにしても、退却するにも程がある。すでにいらなくなったゴミの山の処分にはほとほと手を焼く。もともと、処分するのに困っていたから、ゴミの山になっていたのだろうが、それにしても、溜めに溜めたものである。
フロッピーディスクは、フォーマットできるものを百枚ほど残し、あとは物理的に破壊して、捨てることにした。これがまた大変な作業であった。一枚一枚の点検と、そしてデータの消去。業務上、データ漏えいは御法度である。
フロッピーの物理的破壊を何百枚も繰り返しているうちに、その手順を覚えてしまい、効率的な方法を編み出してしまったのは、ちょっと悲しい成果である。フロッピーはすでに先代の技術ではあるが、わが業界ではまだ生き残っている。これはファックスと同じだ。
マイクロカセットテープは、数が少ないが、これもまた、なかなか捨てられない。消去して、テープだけ残そうかなと思うが、実際に、これからこのマイクロカセットが役立つ時がくるだろうか、なんて考えているうちに、処分するのは、ちょっと待とう、てなことになる。
ミュージックカセットテープは段ボール箱に満載となって、何箱も積み重なっている。ああ、これは駄目だ。後回し。思いっきり思いつめて始めてみるのだが、すぐ挫折する。ああ、これは、もうどうしようもない。
ビデオテープの山もそのとおり。すでに見ないのに、捨てることができない。再生機さえ販売されなくなっているのに、捨てることができない。ほへ~~~~。
それでも、今回思い切って捨てることができたのは、ノートパソコンの山。何度も何度も遊んだから、もういいかなと思えるのかも知れない。それでも、やはり心残りではある。もう、物理的にこわす。電源を取り去り、メモリーを外し、ハードディスクを外し、あちこちに貼りつけたメモ書きも外し、IDやら、製造番号などもはがしまくる。あとはふんづけたり、ハンマーで殴ったり。
気持ちいいのやら、悪いのやら・・・・。
コード類もぐちゃぐちゃある。電話線。LANコード。電源類。テレビアンテナ線やら、コネクタ類。おいおい、こんなの取っておいて、どうすんだよ、というものが山ほどある。しかしながら、過去何度か、このゴミの山から、貴重なお宝が発掘された実績があれば、なかなか思い切って捨て去ることができないのである。
それでも、ようやく、これらハード類の約半分は片づけることができた。これから、さらに心を鬼にして、99%処分する必要がある。やるぞー~~~。
そして、最後に残っているのは、書籍類である。これらは、実は今回は諦めている。すでに何回も挑戦しているし、すでに不要なものは捨てきっているのだ。さらに、これから峻別するなんて、無理だろう。
しかし、バックパッキングの極意は、これは絶対必要というものだけを残し、さらにそれを3分の1にすることだった。ヒッチハイカー時代を思い返す。
年末も近い。とにかく、時間を見つけては、この作業を繰り返すしかない。
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