わがままに暮らしたい。こだわりの住まいとアトリエ 「Pen (ペン)」 <3>
Pen (ペン) わがままに暮らしたい。こだわりの住まいとアトリエ <3>
2013年 11/15号 阪急コミュニケーションズ[雑誌]
★★★★★
3・11を挟んで、密かに進行していた当ブログ・プロジェクト567において、他のステージは着々と進行していたものの、第一のステージにおける「森の生活」ターゲットは、いまいちはっきりとした着地点を見つけていない。
今生において、大都会の超高層マンションの上階に棲まなかったことは、別に後悔はしないだろうが、明確な形で「森の生活」をしなかったことは、どこか心残りで終わるのではないだろうか。そんな予感がする。
実際に与えられた土地は、かなりの基準を満たしてはいたものの、プロジェクトとしては機が熟しきっていなかった。そこに何の過不足があるのか。何が原因なのか、何の因縁なのか。それは、それで、いささか、手掛かりがないわけではない。
秋の夕暮れは早い。つるべ落としだ。晴れた午後、ひょいと車に乗って山の方に走ってみる。見事な秋だ。森があり、山があり、川があり、湖がある。紅葉があり、澄み切った空気がある。
森に住んだことがない、とは言え、巨視的に見れば、私なぞは、森に囲まれて暮らしているようなものだ。更に言えば、森から離れてなど暮らしたことなぞ、一度もなかったのだと、気付く。
私自身の目が、森を直視する力をもっと必要とし、森を森としてなつかしみ、楽しむ、そのセンスこそが必要なのだ、と気付く。
森はいい。山はいい。木々はいい。呼び掛けてくる。待っている。受入れてくれる。そして、静かに立っている。
空はいい。空気はいい。雲はいい。そして、夕焼けもいい。陽だまり。影。空高く舞う鳥。
プロジェクト567のプロセスの中において、そろえた道具たち。のこぎり、電動ドライバー、かんな、大きなトンカチ。集めた材料たち。木材、ネジ、L字金具に、板。
そして、センスたち。あれも作りたい、これもやりたい、夢はいろいろあった。
森の生活も、エコビレッジも、いまいち思ったような形にはならなかったが、私個人的には、その道具や材料、センスたちは、きっちりと形になり続けている。ガーデンハウス(実は、自転車停めに窓を付けただけだが)、ガレージオフィス(駐車場に机を持ち込んだだけだが)、そして天井アトリエ(屋根裏の暗がりでしかないのだが)。スペースは在り続けた。そして個的な表現なり活動は、留まることはない。
森の生活、エコビレッジと、天井裏の暗がりは、かなりかけ離れている。広々とした空間、自然を生かした木々との生活。人々との交わり、賑わい、去来する動物や季節。それらに比較すれば、ごくごく限られた狭い暗がりで、大工仕事をしていることの、矮小さに、呆れてしまうことも、確かにある。
しかしながらである。私は森の生活をし、エコビレッジに暮らしたとして、やはり、そこでも同じことをしているのではないだろうか。家を建て、ガーデンをいじり、大工仕事をする。狭ければ狭いなりに、私なら、嬉々として改造しまくるだろう。
いまあらためて、自分の生活を、森の生活として捉え直し、天井階アトリエ作りを、エコビレッジの中の一つの作業、と捉え直して見れば、これはこれで、私なりの「わがままに暮らしたい。こだわりの住まいとアトリエ」になるに違いない。
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