« 今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電<7>  ニュートンムック | トップページ | OSHO 「Joy 喜び」 山川紘矢& 山川亜希子(翻訳)  角川書店刊<2> »

2013/11/02

「毒舌日本史」 今 東光


今 東光 (著) 1996/08 文藝春秋 文庫: 411ページ 初出単行本 1972/07
Total No.3118★★★★☆ 

今東光は、天台宗だけでなく、三論法禅宗という殆ど知られていない法系にもつながってます。これはブッダからマハーカシャッパではなく、マンジュシュリを経て伝わった隠された禅の流れで、聖徳太子経由のものとされていますが、もしかしたらこの流れも瀬戸内寂聴さんまで伝わってるかな?   

 これ、某友人Vのスレッドに現れたM氏の書き込み。さっそく三論法禅宗なるものをググってみると、何も出てこない。三論宗ならでてくる。同じことを意味しているかいないのかは、今のところ、不問、としておこう。  

  三論宗(さんろんしゅう)は、仏教の宗派の1つで、インドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依(基盤とする)の経典とする論宗(経を所依とせず、論を所依とする)である。空を唱える事から、空宗とも言う。その他、無相宗・中観宗・無相大乗宗の呼び方もある。wikipedia

 なんとなく、近い。

 

中国隋代に嘉祥大師吉蔵(549年 - 623年)が大成した。吉蔵の『三論玄義』は三論宗の立場で書かれた仏教概論である。唐代には、天台宗や華厳宗、法相宗の隆盛の陰に隠れ、宗風が振るわなくなり、学問としてのみ存在するようになった。寓宗として成実宗があった。 日本への伝来には、
1.625年(推古33年)に高句麗の僧の慧灌が伝え、(元興寺流)
2.智蔵(慧灌の弟子)が入唐して伝えた、法隆寺の空宗
3.701年(大宝元年)、道慈(智蔵の弟子)が伝えた、(大安寺流)
の3系統がある。
 元興寺・大安寺の2流は、日本三論の2流と称し、奈良時代には南都六宗の1つとして栄えた。
 三論宗の中興の祖とされる聖宝832年 - 909年)は、元興寺流の出身である。 
wikipedia

------------

 とここまで書きかけておいて、アップできないまま、ストップしていた。つまりこの書き込みで言いたいことは、この大安寺が、三論宗のポイントであり、今東光もまたこの寺で修行したことがあると、この「毒舌日本史」に書いてあったということ。

 訳あって本を早めに返却してしまったため、記述のページをメモし忘れた。本自体は、極めて多岐にわたるので、別途メモし直さなければならないだろう。

 つまり、ここでの要点は、今東光にはなく、「三論宗」にある。そして、転生魂多火手の7世紀の軌跡による。もし、多賀城以前の国府であった郡山遺跡時代に、寺院跡が検知されたとして、そこにおいてどのような「仏教」が展開されていたのだろうか、ということ。これにつきる。

 その「仏教」は、「ホツマ」ともろに対峙したはずなのであり、その葛藤の中で、多火手はどのような青年時代を送ったのだろうか、ということだ。

 この項はきわめて重要なことである。次回に期す。

 なお、別所に、「中論」から学び直せ、という書き込みがあった。ありがたくそのアドバイスを頂戴する。三論のなかのまさに第一論は「中論」である。

|

« 今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電<7>  ニュートンムック | トップページ | OSHO 「Joy 喜び」 山川紘矢& 山川亜希子(翻訳)  角川書店刊<2> »

25)時の葦舟」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「毒舌日本史」 今 東光:

« 今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電<7>  ニュートンムック | トップページ | OSHO 「Joy 喜び」 山川紘矢& 山川亜希子(翻訳)  角川書店刊<2> »