「毒舌日本史」 今 東光
今 東光 (著) 1996/08 文藝春秋 文庫: 411ページ 初出単行本 1972/07
Total No.3118★★★★☆
>今東光は、天台宗だけでなく、三論法禅宗という殆ど知られていない法系にもつながってます。これはブッダからマハーカシャッパではなく、マンジュシュリを経て伝わった隠された禅の流れで、聖徳太子経由のものとされていますが、もしかしたらこの流れも瀬戸内寂聴さんまで伝わってるかな?
これ、某友人Vのスレッドに現れたM氏の書き込み。さっそく三論法禅宗なるものをググってみると、何も出てこない。三論宗ならでてくる。同じことを意味しているかいないのかは、今のところ、不問、としておこう。
三論宗(さんろんしゅう)は、仏教の宗派の1つで、インドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依(基盤とする)の経典とする論宗(経を所依とせず、論を所依とする)である。空を唱える事から、空宗とも言う。その他、無相宗・中観宗・無相大乗宗の呼び方もある。wikipedia
なんとなく、近い。
中国隋代に嘉祥大師吉蔵(549年 - 623年)が大成した。吉蔵の『三論玄義』は三論宗の立場で書かれた仏教概論である。唐代には、天台宗や華厳宗、法相宗の隆盛の陰に隠れ、宗風が振るわなくなり、学問としてのみ存在するようになった。寓宗として成実宗があった。 日本への伝来には、
1.625年(推古33年)に高句麗の僧の慧灌が伝え、(元興寺流)
2.智蔵(慧灌の弟子)が入唐して伝えた、法隆寺の空宗
3.701年(大宝元年)、道慈(智蔵の弟子)が伝えた、(大安寺流)
の3系統がある。
元興寺・大安寺の2流は、日本三論の2流と称し、奈良時代には南都六宗の1つとして栄えた。
三論宗の中興の祖とされる聖宝(832年 - 909年)は、元興寺流の出身である。 wikipedia
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とここまで書きかけておいて、アップできないまま、ストップしていた。つまりこの書き込みで言いたいことは、この大安寺が、三論宗のポイントであり、今東光もまたこの寺で修行したことがあると、この「毒舌日本史」に書いてあったということ。
訳あって本を早めに返却してしまったため、記述のページをメモし忘れた。本自体は、極めて多岐にわたるので、別途メモし直さなければならないだろう。
つまり、ここでの要点は、今東光にはなく、「三論宗」にある。そして、転生魂多火手の7世紀の軌跡による。もし、多賀城以前の国府であった郡山遺跡時代に、寺院跡が検知されたとして、そこにおいてどのような「仏教」が展開されていたのだろうか、ということ。これにつきる。
その「仏教」は、「ホツマ」ともろに対峙したはずなのであり、その葛藤の中で、多火手はどのような青年時代を送ったのだろうか、ということだ。
この項はきわめて重要なことである。次回に期す。
なお、別所に、「中論」から学び直せ、という書き込みがあった。ありがたくそのアドバイスを頂戴する。三論のなかのまさに第一論は「中論」である。
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