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2013/11/09

追悼 石川裕人 『流星』 原作 石川裕人、演出 小畑次郎 他力舎 特別公演

Ryusei
『流星』他力舎 特別公演/追悼 石川裕人
原作 石川裕人、演出 小畑次郎 2013/11/8 ~9 エル・パーク仙台 スタジオホール
Total No.3120

 文句なく★5でした、とアンケートに書いてきた。どうもありがとう。と私はお礼を言いたい。原作者も、脚本も、これだけ愛され、これだけの役者陣に、30年間も演じられてくれば、本望なのではないだろうか。

 本当に時の経つのは早く、石川裕人さんが他界されて一年になりました。この間、石川さんへの追悼の意を表して上演された演劇や朗読は、私の知るところでは5本。この「流星」がその5本目です。それほど石川さんと彼の作品は多くの人の心を動かす力があったということです。他力舎 会場でくばられた挨拶チラシより

 5本とは、

1)AZ9ジュニア・アクターズ結成20周年記念公演 石川裕人・作THE RIVER STORY』~水鏡の中の不思議な世界~ 2013/2/10~11 宮城県大河原町えずこホール

2)シニア劇団「まんざら」公演 石川裕人作『つれづれ叛乱物語』宮城野区文化センター パトナシアター 2013/5/3

3)TheatreGroup“OCT/PASS” 石川裕人作・演出『方丈の海』 2013追悼公演編2013/10/11~14 せんだい演劇工房10-BOX box1

4)千賀ゆう子&絵永けい 『石川裕人の言葉たち』石川裕人ライヴリーディング2013/10/28  せんだい演劇工房10-BOX box1

5)他力舎 特別公演 『流星』 追悼 石川裕人 原作 石川裕人 演出 小畑次郎 他力舎 特別公演 2013/11/8~9 エル・パーク仙台スタジオホール

の5つのイベントのことであろうか。とするならば、私はそのうちの4本を見たことになる。残念ながら4)は、予定していたものの、急な家族の行事が入り参加できなかった。いずれも、心に残るイベントであった。

 この芝居、初演は1982年のことである。

 「十月劇場」旗揚げ。 「十月劇場」の旗揚げは1981年である。命名の由来は十月に十人で結成したというしごく単純なものだった。演劇の十月革命をなんていう大志はさらさらなかった。当時、とある会社に就職していた私を含め劇団員全員が社会人と学生だった。つまり芝居は趣味の領域にしておこうという発想だったので年1回公演できればいいというようなスタンスだった。

 それは劇団洪洋社の失敗からきている。私はそろそろと芝居の再スタートを切った。  メンバーは洪洋社の最後のめんつがそろった。みんな私の声がけを待っていてくれた。嬉しいことだった。まさか「十月劇場」がその後13年続き、仙台を代表する劇団のひとつになり、全国にも知れ渡る存在になるなんて誰も想像していなかった。それくらい地味な再スタートだった。

 旗揚げ公演は12本目の「流星」、ペンネームは石川邑人。新星を発見するという犬の実話をモチーフにしたコメディで実は宇宙的な出会いと別れをテーマにした壮大な戯曲である。この芝居は’07年に「十月劇場」の旗揚げメンバーでもあった小畑次郎氏の集団・他力舎で再演されている。 「石川裕人百本勝負 劇作風雲録」2010.03.08 Monday

 この芝居は、確か、当時彼が勤めていたK食品の倉庫の二階をけいこ場にして、そのK食品が経営する仙台の繁華街・国分町にあった「丸田沢」とかいう居酒屋をステージとして演じられたのではなかっただろうか。

流星」を観る。

 愚生26年前の戯曲(初演は25年前)「流星」を他力舎の上演で観る。まかせっぱなしでテキレジの一つも出来なかったので恥ずかしくも心配な舞台でもあった。
 思い起こせば29歳の時、みんな若かった。そして芝居は趣味でいいやと思って旗揚げした「十月劇場」の第1回公演。これぞストレート芝居というくらいがむしゃらにやったことが記憶に残っている。お客の受けなど気にせず突っ走った。他力舎の舞台はほとんどベテランの域に達した役者を配して、おおように、気張らず、力の入れ方をコントロールしてやってるからこちらも構えずに観ることが出来た。笑えた。そうかこの年になってやるとこの戯曲も生き返るんだな。
 客席にはちらほらと「十月」旗揚げメンバーもいて同窓会ムード。なごやかないい芝居だった。
 喪歌魔多利相変わらずのドアングラ芝居に乾杯!!
 石川裕人劇作日記「時々好調」2007.11.03 Saturday

 石川本人は、劇団洪洋社を「失敗」と位置付けている。それを乗り越えての「十月劇場」だった。この80年前後のうごめきについては、同時代的に、私自身にとっても波瀾万丈の時代であった。

 石川亡きあとに、彼のブログや記録を見ながら、当時20代半ばの青春を、お互いがそれぞれ葛藤して生きていたのだ、ということを確認して、改めて、その時代背景を噛みしめた。この辺は、もっと書きたいが、いずれ別の機会にゆずる。

 なんであれ、今日、私はこの芝居を見て、面白いと思った。11月に入り、街中は、東北楽天イーグルスの日本一特別セールに沸き、クリスマス気分になりつつある。この師走間近な街中で、ひとつひとつの芝居がコツコツと演じられ続けている。

 正直なところ、役者陣はうますぎるのではないだろうか。シロートっぽさがまるでない。プロか、セミプロ級の役者たちなのだろう。体のこなし、セリフの言い回し、アドリブ、客席とのかけあい。仲間内が見に来ているというムードがあるからだろうが、それにしてもうますぎると思った。

 そもそも石川本人が最初は演劇人としてシロートだったわけだが、前駆的には、劇団座敷童子にしても劇団洪洋社にしても、石川本人の周りにいたシロート衆を巻き込んでのゲリラ的演劇手法だった。友人たちとしては、危なっかしくて見ていられないような振付や言い回しが、とても多かった、と今さらながらに思う。 

 そして時間は経過して、十月劇場になりTheatreGroup“OCT/PASS”に成長していく過程において、もともと芝居を目ざした演劇人が参加するようになり、また、役者陣もそれぞれに、洗練され、醸成されていった。

 役者の一人として登場していた演出の小畑次郎は1982年版、2007年版、そして2013年版と、三回この演目に関わっている。その間、私の見るところ、役者陣や制作陣は、原作を超えてしまったのではないだろうか。作品を自分のものとし、さらに磨きをかけてきた。そんな気がする。

 こんな役者陣なら、どんな(といったら語弊もあるが)台本でも、なんなりとこなしてしまうのではないだろうか。時代がかったジョークも、唄も、当時ではむしろ失笑を買うようなニュアンスだったかもしれないが、今となってみれば、時代を切り取る、見事な一幅の絵になっている。

 これらの役者陣の素晴らしさを感じながらも、逆に、これほどまでの役者陣や演劇人たちに愛された石川裕人という人も、それ相当にすごい人だったのだな、とあらためて痛感した。

 身近にいる人間は、なかなかその存在の真の価値に気付かないものである。私なんぞは、身近にいるつもりが、ちっとも知らなかった、と言っていいだろう。生前、あまり彼の芝居そのものに興味を寄せなかった彼のお母さんも、最近、家族に連れられて、『方丈の海』2013追悼公演編をみたようだ。「ホントに波が押し寄せるような気がしたよ。上手だったね。」と語っていた。

 彼の残した作品と、その人柄は、今後ますます愛され続けていくような予感がする。

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