「謎の秀真伝」―神代文字で書かれた原日本の実像 佐治 芳彦<2>
「謎の秀真伝」―神代文字で書かれた原日本の実像 <2>
佐治 芳彦 1986/06 徳間書店 単行本 306ページ
★★★★☆
どうしたことであろうか。あちこちのホツマ本を漁ってみるのだが、結局、この30年近く前の本が、一番フィットするホツマ本であった。
どうしたというのであろう。1986年発行だが、私が読んだのは1989年発行の第3刷。どうやら私の「ホツマ」観は結局ここから成長してはいないようだ。あれから20数年。新しい発見もあっただろうし、新しい研究結果もでたことであろう。研究者も増え、支持者の層も増えたものと推測されるが、私自身のホツマは、まずはこのあたりで停滞しているようだ。
この本のいいところは、いわゆる佐治芳彦ワールドの「軽さ」と「腰の軽さ」であろう。ちょっとはスノッブな気分を助長させ、かと言って、決定的なドツボにもはまらない。適当に退却路を確保しながら、平坦なリンクを拡大する。
当ブログは現在、飯沼勇義史観「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)から、千葉富三ホツマ「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩(2009/7/1 文芸社)にジャンプしようとしているところであり、そのジャンプ台として、池田満ヲシテ「よみがえる日本語」ことばのみなもと「ヲシテ」(2009/05 明治書院)を活用しようとしていた。
だけど、このトリニティは、どこか窮屈である。飯沼史観がすこし萎縮するのではないだろうか。もっと伸び伸びと、最初は自由に闊歩するには、むしろ、池田滿ホツマより、佐治芳彦ホツマを活用したようがよさそうだ、そんな気がしてきた。
「磯輪上の秀真国」とはもともと高く美しい山々を周囲にめぐらした秀れて美しい国---緑の日本列島ということになろう。さらに外八州史観をとれば、それは「緑の惑星」である地球の呼称ということになる。p19 佐治芳彦「ホツマは日本古代の一大叙事詩」
一連のホツマのなかの「日本」という限定的なことばは、どうも当ブログの中では居心地が悪い。やはり、ホツマは当ブログでは「地球」と読み替えなければならない。
この秀真伝を、史的文書とみた場合、ほかの古史古伝のように時代区分がなされていない。内容的には一応、天地開闢から歴史的古代である景行天皇の時代(日本武尊の生涯)にわたっているものの、時間軸(”時間”的配列)を無視した叙述形体をとっている。すなわち、後代に前代やはるか先代の事件(イベント)や逸話(エピソード)を回顧するという形式で唱いあげるというケースが多いのだ。p23佐治「同上」
飯沼史観においては、西暦紀元前何千年という単位が飛び出してくる。そして、それがどうやら千葉ホツマに依拠している風情があるので、どうも気になってしかたない。これらの時間軸を「確定」するのが、いわゆる「空白期」から算出した「歴史津波」の影響、とでもいうことになるのだろうか。
この天成(あまなり)神道こそ、公害克服の基本的な姿勢として、現代に、そして世界に復活させることが、21世紀に対する私たちの責任ということになろう。p118佐治「天地創造と王朝の終焉」
表現はどうであれ、このアマナリこそが、私たちの瞑想であり、私たちのホツマは、Oshoが言うところのTruthであろう。
教えなどというものはない、真理は教えることはできない、と禅は言う。誰もあなたに真理を授けることはできない。真理はあなた自身の魂のなかにみつけられなければならない。それを教典から借りてくることはできない。それを伝えることすら可能ではなく、それは表現できないものだ。
真理は言葉のない沈黙のなか、深い深い瞑想のなかであなたに起こる。思考がなく、欲望がなく、野心がない、その無心(ノーマインド)の状態のなかで、真理はあなたのなかに降りてくる---あるいは、あなたのなかに昇ってくる。OSHO「英知の辞典」p331
当ブログにおいては、ホツマをいわゆる日本の古史古伝として、矮小なかたちで哲学化しようとは全然思っていない。むしろそれは、未来に向かって、大きく地球人スピリットとして開かれていくべきだと、考える。
だが、私はそうした社会的・政治的要素以外にも動機---そして、おそらくそれが最大の要素だろうが---があったのではないかと考えている。それは何か。それは気候の変化だ。つまり、日本列島が寒冷期に入ったため、日高見高天原はかつてのように神々の楽園(エデン)としてふさわしくなくなってきたわけである。佐治p134「天地創造と王朝の終焉」
この辺の「要素」を、飯沼史観では「津波」と見るわけである。気候の変化、と見るよりも、飯沼史観の「津波」のほうが、そうとうに妥当性が高くなってきたと思う。
いずれが真で、いずれが偽とか、いずれの伝承が正で、いずれが邪などという判断は、簡単にできないし、またすべきではなかろう。いうなれば、この辺に古代史の困難さがあるのである。佐治p140「同上」
この辺の幅広い視野と、柔軟性にこそ佐治ホツマの厚みがあるのであるが、これはほぼ30年前の視点であり、2013年となれば、また別の視点がでてきている可能性は十分ある。
秀真国(ホツマコク)とは、日本の美称である。だが、この場合は関東以北、つまり日高見国をさす。日高見といえば、秀真伝では高天原であり、そこの山手宮(ヤマテノミヤ)(仙台)で、日の神アマテラスが天成神道を学んだという、いわば聖域にあたる。佐治p167「同上」
ここは、発表のタイミングなどもあろうが、鳥居礼ホツマや池田満ホツマ、原田実ホツマなどでは、秀真国は関東圏と見なしており、東北の日高見国とは別と見ているようだ。山手の宮も、飯沼史観では、「仙台」ではなく、「多賀城」と見ている。佐治ホツマは、どことなく私好みではあるのだが、あまり鵜呑みにはできない。
秀真伝には、前節で述べた「天然の暦」のほかに、もう一つ「人為の暦」ともいうべきものが記されている。
それは、神日本磐余彦尊(カンヤマトイワレヒコ)が15歳のときに絶滅した暦木である「鈴木」の代りに、梓の木に堀り刻むことによって作成された暦である。諸神相集まって考案したわけだが、天児屋根命(アメノコヤネ)によって、それを「天鈴(アスズ)」と命名されたという(「天鈴暦(あすずれき)」の成立逸話)。佐治p174「同上」
この天鈴暦ってやつも気になる。時間ってものの考え方だが、そもそもある精神領域に入っていけば、時間感覚はなくなる。だから表現としては、流動的な時空間のゆれとなるが、飯沼史観のように、歴史津波を「学」として研究していくとすれば、時間軸的配列は、かなり重要なことになってくるだろうし、また、歴史津波学が、ホツマツタエに「時間軸」を与えることができる、という可能性もある。
その他、この本は、和田家文書とホツマの関連をこころみるなど、いささか試行錯誤にすぎる推理が随所に見られはするが、いずれそれらが、当ブログ好みの結論に終始する傾向があるので、なんとも捨てがたい一冊である。つまり、リンクしていけるところは数多い。
それと、三貴子に先立つヒルコが「葦舟」に流され、拾われて成長して「エビス」になったなど、もう一つの当ブログの進行軸、石川裕人「畢竟」の三部作「時の葦舟」ともリンクしてくるから、ふしぎワンダーランドとして遊ぶには、ホツマや記紀の世界も、まんざら捨てたものではない。
徹底的に、この佐治ホツマを検討して見る価値はありそうだ。
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