プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <41>
「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」
<41> 児童公園と遺跡
孫たちと暮らすということは、児童公園めぐりする、ということでもある。あちらこちらの児童公園にいった。動物園もいったし、アンパンマンミュージアムやら、イベントやお祭りやら、なるほどね、こんなにいっぱい子どもを誘っているところがあるんだなぁ、と驚いている。
でもやっぱり、毎日行くのは、一番近くの児童公園。さもないゲートボール場併設の小さな公園だが、ここの片隅に遺跡がある。以前より、ずっと関心はあるのだが、重要なパーツとして独立していて、なかなか自分のジグソーパズルにはまってこない。
弥生だか縄文だか、あるいは石器時代なのか、そんなことさえもあいまいなままほおり投げている。だが、すこしづつ、これらのバラバラなパーツが動き始めている。
偶然久しぶりにすれ違った知り合いの女性、彼女は博物館務めだ。彼女は、この近くの児童公園にある遺跡の写真を、最近撮影したらしい。今度の出版物の表紙になるそうだ。
飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)以来、急速に古代史に突入しつつある当ブログではあるが、すこし急ブレーキをかけた。年末である。このまま突進すると、仕事に差し支える。すこし頭を冷やして、仕事を終わらせてから、また古代史トリップをしようじゃないか。
OSHOの「英知の辞典」の中にある「文明」にも、軽くたしなめられた感じもする。アラハバキ、ヒタカミ、ホツマ、の世界への突入も悪くはないのだが、どうも、当ブログが持っている漠然とした調和点とは、すこしちがうところに行ってしまいそうなところがある。
アラハバキやヒタカミ、ホツマの世界は、当ブログにとっては、もっと原始的で、純真無垢な要素を強く持った広がりであるはずである。
しかるに、文献あさりをしている限りにおいては、どうも、面倒くさいことが多くでてきて、楽しめなくなる時がある。みんな勝手なことを言って、バラバラなイメージとして拡散してしまいかねない。ここはすこし休憩して、頭を冷やそう。
まぁ、それにしても、当ブログではいくつも支線が走っているわけだが、別に交差を避けているわけでもなく、予定調和的に交差結線させようとしているわけでもないのだが、この孫たちと遺跡が、日々日常的に交差していることを、発見し、いまさらながらに笑ってしまった。
過去と未来が、いま目の前に展開していると思うと、不思議やら、おかしいやら、ひとりにやにやしてしまう。このレベルのことが、あちこちで、起きている。あちらのパーツとこちらのパーツが。そしてあれとあれ、これとこれが、見事にくっつき始めている。
すぐ近くの公園であそぶ孫たちを見ていて、なんだか、とても神秘を感じてしまうのだよ。
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