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2013/12/04

解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <5>

<4>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <5>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

 千貫神社(せんがんじんじゃ) 宮城県岩沼市

 古代歴史津波のひとつが起きた時に、沖にでていた舟が流され、内陸部の松の木に引っ掛かったという。その神社がこの千貫神社。名前の由来は、後年伊達政宗がここの松の木を切って建築の材料にしようとしたところ、石巻の漁師たちが、ここの松は航海の目印になるので、切らないでくれと、政宗に、千貫の金品を差し出したという。

 飯沼史観では、この神社もまた大切なスポットとなる。

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 へぇ~、そんな神社どこにあるんだろう、とウロウロしたが、なんだ、いつも通っている道の直ぐ裏側じゃないか。ましてや、すぐ近くにお得意さんの家がある。私みたいな節穴には、こんな立派な社殿が、いつもはまったく目に入らないのだ。

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 門がまえも立派、旗立も立派、車のお祓い場もあるようだから、普段から立派に「営業」している神社のようだ。

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 古式ゆかしそうな石柱に「千貫神社」の文字が見える。

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 例によって、参道の石段が何百か続く。枯れ葉が落ち、ほのかに松の木の匂いすら感じられる。

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 ようやく頂上が見えてきた。しかし・・・・

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 そこにあるのは、大きなお社ではなくて、石碑や小さな祠だけ。すぐ後ろは、近年の開発でゴルフ練習場になっている。

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ふと振り返れば、素晴らしい眺めである。木々が繁って見えにくいが、実は、木の間から、太平洋から阿武隈川、蔵王連峰まで、眺めることができる。ちょうど半島のように突き出しているスポットである。

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 ちょうど、上の写真の反対側のゴルフ練習場入口付近からの撮影。ぎりぎりまで削り取られている。

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頂上には社がないので、何の活動もしていないのではなく、下の門のわきには立派な社殿があり、役職の人の住まいにもなっているようだ。

 伝説では、ここまで津波が駆けあがってきたということになっているが、この地に立ってみると、なるほど、太平洋から阿武隈川伝いに津波が来た、というのは本当かも知れない、と納得する。

 ところで、武隈館、ってどこだ・・・?

<6>につづく

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