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2013/12/18

「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <8>

<7>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <8>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

 著者の本は5冊確認している。

(1)「仙台近郊の歷史資料 第一報」 1953/04 地域社会研究会(東北大学教育教養部内)

(2)「知られざる中世の仙台地方」 1986/11 宝文堂

(3)「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う! 1995/09 宝文堂

     「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う!復刻版 2011/09 本田印刷出版部

(4)「3・11その日を忘れない。」 歴史上の大津波、未来への道しるべ 2011/6 鳥影社

(5)「解き明かされる日本最古の歴史津波」 2013/03 鳥影社

 漠然と読み進めたところ、(1)から(3)までは、地域研究から津波予言というところにあり、「ホツマ」がでてくるのは(4)からである。そこでほのめかされた「ホツマ」が、(5)では、全面展開されている。

 一連の「ホツマ」については、私も20年ほど前に、当時でていた本を何冊かめくってみたが、興味は湧くのだが、それを読み解いていくほどの情熱は湧いてこなかった。 

 しかるに、この飯沼史観を読み解こうとすれば、少なくとも(5)以降は、「ホツマ」なしでは、どうも先には行けない、というところまで来ているようだ。

 そこで、当ブログもおっとり刀で、「ホツマ」再突入を試みているのだが、図書館などでランダムに漁る「ホツマ」文献は、結局、飯沼史観とは、あまり密接にはつながってこない。

 飯沼史観において、重要視されている「ホツマ」研究は、今のところ千葉富三の「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩(2009/7/1 文芸社)だけである。続刊であるはずの「甦る古代 日本の真実」 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解く(2012/08 文芸社)すらでてこない。

 これは何を意味しているのだろうか。多分、著者は、この「解き明かされる日本最古の歴史津波」を一度3・11直前に脱稿しており、その折に「日本の誕生」を根拠にその史観を展開していたものと察せられる。しかしながら、3・11により発刊が遅れ、また加筆訂正が行われて、2013年3月刊行となったのではないか、と察する。

 一度手に取っただけなので、断言はできないが、内容的には「日本の誕生」と「日本の真実」は似通った内容になっており、「ホツマツタエ」の全文などが収録されていて、その読み下しや解釈が若干新しくなっているものと思われる。

 となると、飯沼史観が依拠するところの「ホツマ」は、千葉富三の「日本の誕生」一冊ということになるが、さて、その千葉ホツマは、どれほどの根拠があるものであろうか。

 私が「秀真伝」を知ったのは平成13年---。東北の古代に関心を持つ者がそれぞれの分野からの研究と親交を深め合おうと、ある会の設立総会が宮城県古川市(現・大崎市)で開かれ、会議がひととおり終わったところで、出席者の方から「ホツマツタエ(注・原文ホツマ文字)のすすめ」という小冊子が配られたときでした。

 その副題は「日本の真実の歴史 真実の姿と心を伝える」というもので、「ホツマツタエ」という言葉そのものが私にとって初めて、もちろん初めて見る「ほつま文字」もその中にありました。

 ある会というのは「あらはばき学会」といい、そのときの出席者は70名ほど、現在の会員は半数の30数名に減りながらも「年報」は10号まで出されてきたました。だが、「ホツマツタエ(注・原文ホツマ文字)」の方は、はっきり関心を示したものは私のほかには今日まで、ついに一人もありませんでした。千葉富三「甦る古代 日本の真実」 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解くp872「むすびに---もう一つの真実」

 平成13年と言えば、ほんの10数年である。1960年代よりホツマに接している勢力にとっては、千葉は高齢者とは言え、新参者というイメージは払拭できないだろう。その人が、かなりの意欲的な研究を発表しており、他の「ホツマ」をほとんど無視した形で、飯沼史観は千葉ホツマ一本やりで論陣を張っているのである。

 これでいいのであろうか。今の私には分からない。しかし、他のホツマは、正直言って面白くない。もっと言えば、千葉ホツマだって、私にはその面白さがよくわからない。飯沼史観においてのホツマであってこそ、面白さが湧きあがってくる、という図式である。

 そして、これからもっと飯沼史観を楽しもうとするならば、ホツマは不可欠ということになるだろうし、飯沼史観が千葉ホツマに依拠している限り、ここは千葉ホツマとじっくり取り組んで行かなければならないのかな、と思い始めている。

 ところで、Oshoの「英知の辞典」の中の「寓話」を読んで感じるところがある。

 仏陀、イエス、ツァラツストラ、老子を理解しようとするときには、できるだけ事実を避けなさい---事実性を避けなさい。それらの寓話は事実とはかかわりがない。だが、語られていることが架空のことだというのではない。それは事実でもなければ虚構でもない。それは表現できないことを、本質的に、根本的に表現できないことを表現するための詩的なやり方だ。ただほのめかすことしかできないようなことがある。これらの寓話は暗示するためのやり方だ。あまり深刻にとらずに、ごく気軽に受け止めなさい。それらを楽しみ、その意味を発見しようとしてみなさい。そしてこのような出来事はほんとうに起ったのだろうかなどと、けっして気にかけないことだ。 ZEN:THE SPECIAL TRANSMISSON Osho「英知の辞典」p171「寓話PARABLE」

 当ブログは現在、もう一つの柱、石川裕人「畢竟」の戯曲三部作「時の葦舟」とともに進行している。戯曲は当然「虚構」だ。そして当ブログは「ジャーナル」を標語するかぎり、「事実」性を探求する性癖がある。友人ニュートンこと石川裕人の「虚構」に対するところの、当ブログの「事実」、という図式で二律背反的に進行してきた友人の中の「謎」解きであったが、ここに来て、Osho言うところの「寓話」という存在が登場してきた。

 虚構---寓話---事実。飯沼史観がもともと依拠してきた地域の伝承や民話、言い伝えや伝説。これらは、まずは虚構として受け止められる。そして、その中にある「知恵」や「教え」の中に、「寓話」としての存在意義が生まれてくる。

 しかるに、飯沼史観は、その「寓話」と思われていた虚構性を洗い出し、そこから「事実」を浮かび上がらせるのである。

 あるいは、津波は「事実」である。その事実は、時代を経るとともに「寓話」へと転化する。そして、いつの間にか「虚構」として顧みられなくなる。まったくの逆ベクトルが存在する。

 飯沼は歴史津波を追求することによって、伝承や伝説から「神話」へと突入した。神話の「虚構」性から「寓話」性を導きだし、さらには「事実」さえ浮かび上がらせようという算段である。

 さて「古事記」「日本書記」は歴史の書ということになっているが、これを完全な歴史の書とみている現代人はほぼゼロであろう。「事実」は「寓話」化されて、「国家」成立に貢献し、時には大いに役立つ。だが、科学が暴きだす「事実」性の前に、その「寓話」性は、ついには「虚構」であった、と決めつけられることにさえなりかねない。

 では、「ホツマツタエ」はどうであろうか。現在は、殆どが「虚構」としてとらえられているだろう。少なくとも「事実」として取り上げられることは、ほぼ皆無である。そのような状況下において、飯沼史観は、その「神話」の中の「虚構」性や「寓話」性を、知り抜いたうえで、敢えて「事実」の洗い出しへと突入しようとしている。

 飯沼の「無謀」な突出は、対象が、「津波」であること、「千年単位」の大スパンであること、そしてここがもっとも大事だが「3・11」の直後であることによって、「事実」性への接近の可能性が、あるかもしれない、と見られ始めている。

 そこに、飯沼本人がいうように、ホツマツタエの信ぴょう性が高まってきている、という可能性がでてくるのである。

<9>につづく

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