「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <7>
「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <7>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト
★★★★★
岩沼の里
黎明期(縄文)時代
日高見国(日高見山、千貫山)の展望高台
日高見国の南限は福島地方全域に及ぶ
日高見国の聖地・・・角田、島田地内
熱日高彦神社阿福麻水神。阿武隈川
日本最古の唯一の縄文神なのだ。
影倉山(角田、島田)と千貫山(岩沼)の高台は南の日高見国だった。
国府時代
(西660~690年)国府武隈館、岩沼の千貫山麓に造られる。最終は多賀城に国府が造られるまでの最古の国府。
多賀城への資材供給の場所。
日本最古、最大の歴史津波があった所。
倭国から大和の人々の東北進出は阿武隈川河口から。後の大和政権の東北進出の基地。千貫山には倭国の人々の二つの集落があった(南長谷、北長谷)。
(二つの千貫山伝説、松伝説、慶長津波) p61
「武隈館」 宮城県岩沼市
って、どこにあるんだろう。本書のどこかに岩沼市千貫根方、とあったから、根方公会堂を曲がってみる。
と、なにやら、それらしき高台が見えてくる。(やはり、どうやら、この中央から右あたりがアヤしい 2013/12/18追記)
古書により、岩沼の千貫山麗の長谷城址が旧武隈館址であることが明らかになった。そして昔からここ、千貫山は、松と巫女伝説があったことで有名だった。p324「伝説からの真実の追究」
かつては岩沼市千貫小学校の長谷分校としても使われていたようだ。
敷地内から、中央向こうの千貫神社を望む。なるほど、至近距離である。
敷地内には、それらしき自然石に加工を加えたものが、転がっていたりするが、石碑とか遺跡関連のものかは判別つかない。
近くの弧線橋から太平洋川をながめてみると、見晴らしのよいところである。ただし、現在は阿武隈川沿いにある製紙会社の煙が、すごい。
裏手から現在の建物を望むと、それらしき風景が出来上がっている。
表側から見ても、最高のロケーションである。時代とともに、台座は削られたりしたらしいから、往時の面影をどれほど保っているのかは、定かではない。
南側に回って全体を見てみる。ここに武隈館があったのだとしたら、それは素晴らしかっただろうな、と思える。
近くを散策していたら、メガソーラーまでは行かないが、農地を転用したのだろうか、太陽光パネルの工事をしていた。ああ、今はそういう時代なんだな。日高見は日高見でも、いまは太陽光発電の日高見であった。
-----------------
長谷古舘跡は、長谷城址の別名であるようだ。(2013/12/18追記)
住所が「根方」とか「蛭」とか「玉崎」とか、複数の表記がでてきたので、さてどうかと思っていたが、ほぼここで間違いないだろう。
上の画像(南方から北方を望む)でいえば鉄塔右下の体育館のような建物の位置ではなく、鉄塔左下のこんもりとした森のようなところあたりが、長谷城址つまり武隈館跡、ということになろう。
ただし、現地に行った時は、どうも私有地のようなので、入ることはしなかった。それと、やはり、時代の変遷の中で、上の土が削られているようで、遺跡は砂利などとともに煙滅しているかもしれない、などと、勝手に想像した。
| 固定リンク
「25)時の葦舟」カテゴリの記事
- 「ホツマ辞典」―漢字以前の世界へ 池田 満 <1>(2013.12.27)
- OSHO「英知の辞典」 <31>生 LIFE(2013.12.28)
- 石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作<14>(2013.12.28)
- 新訂「ミカサフミ・フトマニ」―校合と註釈 池田 満(2013.12.26)
- 再読したいこのカテゴリこの3冊「時の葦舟」編(2013.12.30)
コメント