「仙台平野の歴史津波」 飯沼勇義 <8>
「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う!<8>
飯沼 勇義 (著) 復刻版 2011/09 本田印刷出版部 単行本 p234
★★★★★
いやはや、何度読んでも、とてつもない本である。読みだすと、途中で止めることができない。最期まで目を通さざるを得なくなる。
津波研究に生涯をかけた歴史学者による、大災害を予言した「赤本」待望の復刻! 16年前に知事・市長へ陳情していた津波防災提言のすべて 復刻版表紙コピー
まさにこの通りの内容であるが、このコピーにはすこし誇張があるようにも思える。著者を「津波研究に生涯をかけた歴史学者」としてしまうのは、少し走りすぎではないだろうか。著者56歳の時に発行した「知られざる中世の仙台地方」(1986/11 宝文堂)では、かならずしも津波については語られてはいない。
むしろ、津波について集中して研究するようになったのは、この直後であろうと思われる。それまでは、いわゆる郷土史家のような、地元の歴史研究家のような存在であったあろう。その表題のとおり、著者の出身地であり、著者の住む、仙台平野、仙台地方がメインテーマであっただろう。
当ブログまだ未読であるが、図書館を見ると、1953年刊「仙台近郊の歷史資料 第一報」(地域社会研究会刊)がある。著者23歳の時の出版である。ページ数は29pと小さなものではあるが、当時から活動していたことがこれでもはっきりする。しかし、テーマは「仙台」であり、「地域社会」である。
その彼が、愛する地域社会の歴史を研究すればするほど明確になってきたのが、愛すべき地域を歴史上くりかえし襲ってきた「巨大津波」の存在であった。三陸地方の「常襲地帯」ではなく、何百年間という「空白期」を持つ、「さらに危険な地域」であることを、発見してしまったのだった。
それを知らせるべく、阪神淡路大震災の惨状を見ながら、1995年に警鐘を鳴らしたのがこの「赤本」である。大震災を「予言」したのは事実であるが、そのことだけを持って、著者を評するのは、片手おちである。
彼の研究の基礎には、人々に対する「愛」がある。慈悲心だ。自未得渡先渡他。自ら渡る前に、まず他者を助けようという菩薩道である。
この赤本には、不思議と「ホツマ」の文字はひとことも書いていない。震災後の「3・11その日を忘れない。」(2011/6 鳥影社)になると、かなり明確に「ホツマ」について述べられており、震災2年を経過して発行された「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)になると、かなり明確に「ホツマ」を打ち出している。いや、むしろ、「ホツマ」本と言っていいくらい、かなり強烈な色彩となる。
だから、ここで「津波研究に生涯をかけた歴史学者」と、著者を呼ぶことには躊躇せざるを得ない。著者はむしろ、真実を生きようとする反逆者のひとりなのだ。地域も、歴史も、津波も、やがては「ホツマ」に繋がっていく。
当ブログとしては、荒脛巾(アラハバキ)や、日高見(ヒタカミ)、秀真伝(ホツマツタエ)、などの一連を、煩雑さを避けるため、ここではまだ「ホツマ」と呼称しておく。実際は、これから、この分野に、ナビゲーターとしての著者を足がかりとして、突入していく準備を調えているところなのだ。
著者はまさに、左脳と右脳が合体したような、全体的な人だ。科学者であり、表現者であり、また、神秘を見ることのできる「予言者」でもある。一つの津波を予測するのは、彼にとっては「科学」である。
しかるにそれを、多くに愛すべき人々に伝えようとするのは彼の表現者としての高い芸術性だ。そして、科学、芸術、を超えて、さらに意識や宗教性の神秘にかけのぼることのできる人物なのだ。
そもそもそういう資質のある方なのであろうし、また、その資質を、自らの精進によって、コテコテに磨きあげて方、とお見受けする。とてつもないオーラをもった方である。
これから当ブログで検証していきたいところではあるが、著者の研究から「津波」と取ってしまうと、残るのは「ホツマ」である。本来「ホツマ」だけで成立するはずである。
しかるに、「ホツマ」は、「津波」によって「傍証」されなければならないというパラドックスがある。科学=津波、宗教=ホツマ、の二つをつなぐアートとして、彼は在野の「歴史学者」という生き方を選んだのだ。
津波は、地獄であり、災害である。できれば避けたい、あって欲しくない。真実は、楽園であり、極楽である、が、得難い。このパラドックス。きれいな蓮の花は、泥の中に根をおろしてこそ、その大輪の花を咲かせるという。
西暦700年頃にあったとされる「仙台沿岸津波」の時代に、仙台郡山にあった「官衙(かんが)」は、当時の藤原京から見た場合、ちょうど北西45度の位置にあたるという。それだけ、「東北」の「鬼門」とされたのが、この「東北地方」なのだ。
その「東北地方」が「鬼門」だった所以は、この「津波」にあったかもしれない。牡鹿半島の沖合に浮かぶ金華山沖の太平洋の「海溝」にそれは潜んでいたのかもしれない。そして、それは、土地に棲む人々をも、大いに苦しめてきた。
その苦しみの中から生まれてきたのが、「ホツマ」だったのかもしれない。著者の研究から「津波」を取ったら「ホツマ」しか残らないと思うが、その「ホツマ」は、「津波」あっての真実なのであった。泥なくして、蓮の華は咲かない、のか。あるいは、蓮の華あってこそ、泥の存在意味が高まるのか。
この復刻版においては、3.11の4ヵ月前に完成していたとされる「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)は、2011年9月刊行予定となっているが、実際にはそれから1年半遅れた。
震災後、赤本によって見直された著者は、御自ら被災しながらも、各方面からアドバイスを求められて多忙になったこともあるだろうが、実際の3・11を受けて、大幅に加筆訂正したことであろう。
いずれにせよ、著者は、津波を予言した歴史学者にとどまらない。歴史科学者でありながら、表現力豊かなアーティストであり、愛を持って未来を見通すことができる神秘家でもある。
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