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2013/12/19

「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <9>アラハバキ

<8>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <9>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

 アラハバキ神 宮城県多賀城市市川

 金掘貝塚のある平場は、当然、当時の集落のあったところであり、非常に狭い面積地にあって、ここが最初に移された多賀の山手宮があったところと考察している。したがって、この集落の東側に荒脛巾神を祀った神の社もこの地にあった。・・・・そして、都を移しかえた・・・・は多賀城の市川地内にある荒脛神社一体が多賀の山手宮ではないだろうか。飯沼勇義p73

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 アラハバキ神は、他の多賀城の遺跡とは違って、さもない路地の裏の民家の中にある。

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 この石碑は、だいぶ新しいものだと思われる。参道もちょっと前までは砂利道だった。

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一端、南に向かったあと、参道は、東向きに折れる。アラハバキは太陽神を崇拝するので、西から東へ向かう。社は西向き。
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 裏手の森は、広くはないが、高く太い古木が静かにアラハバキ神を守る。
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 額名はいくつかの種類があるようだ。

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 あくまでひっそりと、だが、質素に守られている。

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 永年に渡って守られている風情がある。

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 決して華美ではないが、いわゆるアラハバキ神としての雰囲気を漂わせる。

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 由緒書きはあるが、今日においては、その表向きの内容だけで満足する参拝者は少ないだろう。

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 社前に、井戸がある。

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 決して大きくない社だが、深い。

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 額にも時代が感じられる。

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 さらに奥には「道祖神」の額もかけてある。

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 旅人のための神社ということで、ワラジや草履が奉納されている。
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 ハサミもたくさん奉納されている。アラハバキは鉄の神様でもある。

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 男根も多く奉納される。
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 さまざまな種類がありそうだ。
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 聖徳太子の石碑もあるが、それなりの意味が浮き上がる。

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 ご神木として、太いサルスベリが見える。

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 参拝の帰り道も、なんとも不思議なにぎわいを感じる。アラハバキの霊域である。さて、多賀の山手宮のあったところはどこだろう・・・・

<10>につづく

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