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2013年12月の70件の記事

2013/12/31

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<48>「時の葦船」カテゴリについて

<47>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<48>「時の葦船」カテゴリ について

 一度はやめることを考えたブログだったが、結局、私は、読書をやめることはなく、またそれを書きとめておくブログも、ほそぼそとながら、続けていく効用はあるだろう、と思い直した。

 最初は、とくにテーマもなかったので、流行りのつづり方で、「ESJ47」カテゴリとした。ESJはアース・スピリット・ジャーナルの略称、47は、ちょうど47番目のカテゴリにあたっていたからである。

 このカテゴリを大きく変えていったのは、ふたたび孫たちと暮らすことになった日々の生活だった。家族が増えることで、考えることはいろいろ増え、あるいは制限され、はたまた方向性は大きく変わった。

 読書の傾向では、飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」2013/03 鳥影社)の精読モードにはいり、3・11と郷土史の組み合わせという不思議な空間に入っていった。

 あたかも、故石川裕人畢竟の戯曲集三部作「時の葦舟」(2011/02 Newton100実行委員会)の、「未来」、「古代」、「現代」の時代区分に、何事かの関連を見つけ、それを一つのリンクとして、「虚構」、「寓話」、「事実」の、相互検証が始まった。

 それを機に、カテゴリ名を石川戯曲にあやかって「時の葦舟」と改題した。

 したがって「再読したいこのカテゴリこの3冊」、石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作 、飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」、千葉 富三「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩、の3冊となった。

 書かれたのは、2013/10/11から2013/12/31まで。

 流れとしては分かりやすいカテゴリだったが、抱えてしまったテーマは、当ブログとしては、ちょっと重すぎる。

 Kindle編集や、郷土史的散策、天井アトリエ改造など、いろいろな具体的な派生ラインが生まれそうな可能性に飛んだカテゴリではあったが、まだ、大きな成果はなく、今後につながることで、その成り行きが変わってくるだろう。

<49>につづく 

 

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2013/12/30

再読したいこのカテゴリこの3冊「時の葦舟」編

前よりつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊
「時の葦舟」

Asi
「時の葦舟」三部作 石川裕人戯曲集
石川裕人 2011/02 Newton100実行委員会

 
「解き明かされる日本最古の歴史津波」  
飯沼勇義 2013/03 鳥影社

Tiba2
「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩
千葉 富三  2009/7/1 文芸社

後につづく

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2013/12/29

OSHO「英知の辞典」 <32> 関連リスト

<31>からつづく
Eiti
「英知の辞典」 <32>
OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本  579p

新しい人間 NEW MAN       
意識 CONSCIOUSNESS       
エコロジー ECOLOGY
演じる ACTING    
科学 SCIENCE     
革命 REVOLUTION      
寓話 PARABLE    
群衆 CROWD     
芸術 ART     
<個> INDIVIDUALITY     
コミューン COMMUNE       
自然 NATURE  
受容性 RECEPTIVITY   
真実 TRUTH      
神秘主義 MYSTICISM       
心理学 PSYCHOLOGY 
生 LIFE     
政治 POLITICS  再掲       
セラピー THERAPY     
禅 ZEN     
沈黙 SILENCE      
東洋/西洋 EAST/WEST    
七つの谷 VALLYES    
人間 MAN     
ブッダフィールド BUDDHAFIELD    
文明 CIVILIZATION    
瞑想 MEDITATION

<33>につづく

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2013/12/28

OSHO「英知の辞典」 <31>生 LIFE

<30>からつづく 
Eiti  
「英知の辞典」 <31>
OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本  579p

生 LIFE

 私はあなた方に言おう。生こそが唯一の真実である、と。生よりほかに神はない。だから生に身を任せて、自分がありとあらゆる形や色や次元---虹のすべての色、音楽のすべての音に乗っ取られるを許しなさい。

 この単純なことをやることができたら・・・・・それは単純なことだ。なぜなら、それはたんに手放しの問題でしかないからだ。川を推し進めてはいけない。海まで川に運ばれていきなさい。それはすでに途上にある。

 あなたはリラックスして、緊張したり、ことさら精神的になろうとしてはいけない。物質と精神のあいだにどのような分離もつくりださないこと。<存在>はひとつであり、物質と精神は同じコインの裏表にすぎない。

 くつろいで、休み、川とともに行きなさい。ビジネスマンではなく、ばくち打ち(ギャンブラー)になりなさい。そうすれば、神のことをもっと知ることができる。なぜなら、ばくち打ちは危険を冒すことができるからだ。

 ばくち打ちは計算高くはなく、自分の手持ちをすべて賭けることができる。すべてを賭けて待つときの、ばくち打ちのスリル・・・・・吉と出るか、凶と出るか? まさにこの瞬間に、窓が開くかもしれない。まさにその瞬間が、内なる視点(ゲシュタルト)の変容になるかもしれない。

 酔っ払いになりなさい。生に、<存在>のワインに酔いしれなさい。しらふでいてはいけない。しらふの人は死んでいる。生のワインを飲みなさい。そこには多くの詩、多くの精髄(ジュース)が満ちあふれている。春はいつでもやって来る。ただ春を呼び、太陽と風と雨を自分のなかに入らせるだけでいい・・・・。

 私はあなた方に言いたい。あなたは生まれ、そしていつの日か死ぬが、あなたのなかの何かは誕生前からあったし、あなたの何かは死後も残るだろう、と。その何かとは生だ。永遠の生だ。  GULDA SPIRITUALE  OSHO p340

<32>につづく

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石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作<14>

<13>よりつづく

Asi
「時の葦舟」三部作 石川裕人戯曲集<14>
石川裕人 2011/02 Newton100実行委員会 単行本 p262 石川裕人年表
★★★★★

 生命は宇宙の中で稀な現象であることは間違いないなかろう。おそらく生命は太陽系だけに限られており、われわれが主として問題にしている生命と較べられるような何らかの生命を考えるなら、地球だけに限られている。

 さらにまた、生命は時間的に限られた期間のものであって、地質時代の最初期以前には存在せず、やがて地球が再び生命の住まない焼けつくしたか或いは凍りついた一惑星になる時が確かに来る、と考えて間違いなかろう。

 この地球上において人間に類するものに限らずあらゆる形態の生命の存続を許している幸福な偶然事は完全な破壊的終末に至るのを免れないということは、いわれなくてもわかりきったことである。

 ある意味で確かにわれわれは死を宣告された一惑星上の難破船の乗客である。にもかかわらず、難破に臨んでも人間の体面と人間の価値とは必ずしも全く消滅はしない。

 そしてわれわれはそれらを十分重んじなければならない。われわれは滅びてゆくであろう。しかしわれわれはそれをわれわれの尊厳にふさわしいと思える仕方で迎えようと思う。

 ノーバート・ウィナー        p9 巻頭言

<15>につづく

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2013/12/27

「ホツマ辞典」―漢字以前の世界へ 池田 満 <1>

池田 満   (著) 1999/06 ホツマ刊行会 単行本 306ページ
Total No.3154★★★★★

 図書館から借りてきた本は、表カバーが外れてしまっていたので、素っ気ない顔をした一冊だった。ネットでこの本の表紙を見て、ああ、これならまた印象が変わるかな、と思った。

 いずれにしても、「辞典」だから、面白い面と、ちょっとなぁと思う面と、二つの面がある。

 面白い面は、とにかく、分からない、気になるホツマ(オシテ)にであったら、すぐ調べてみることができる、というところ

 ちょっとなぁと思うのは、配列が、いわゆるあいうえお順ではないので、お目当ての単語に辿り着くまで時間がかかる、あるいは、辿り着かないところ。ヲシテ文献の辞典だから、オシテ配列にしてあるところが、いいのかもしれない。

 そして、ひとつひとつの単語の意味を読み始めると、なんだか期待していないような内容も来るので、これもまた、なんだかなぁ、と思う面。

 つまり、ひとつの単語でイメージしている私の像と、この「辞典」が提示してくる像に、少なからず乖離があるのだ。どうしてだろう。

 私がまったくホツマ理解を頓珍漢に進めているのだろうか(たぶん、これに違いない)。あるいは、この辞典の編集方針が特殊なのだろうか。

 著者については、私は原理主義者とニックネームをつけている。ホツマなりに、原理はあるだろう。しかし、本当に「原理」なんてあるだろうか。ホツマ原理主義、ホツマ至上主義が過ぎると、どこか鼻がついてくることになりはしないか。

 ホツマカルトにもなり得るし、ホツマ独裁主義にもなり得る。ホツマオタク、ホツマ読みのホツマ知らずにさえなりかねない、なんて老婆心ながら思った。

 いずれにせよ、こういう本があって、なにかの折には、ちょっと参考にしてみよう、という気にはなる。活用する時期が来るといいなぁ。

<2>につづく

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2013/12/26

新訂「ミカサフミ・フトマニ」―校合と註釈 池田 満


池田 満   (著) 2012/04 日本ヲシテ研究所 新訂版; 単行本: 262ページ
Total No.3153★★★☆☆

 ホツマなりヲシテ文献なりを調べていくうえでは、一連の著者の仕事は重要な位置を占めている。この本は「新訂」として2012年に発行されているが、旧版は1999年にでている。このように改訂、新訂版がでるということは、継続的な研究が続けられており、しかもその成果を支持する読者層があるということで、喜ばしいことである。

 しかるに、私なんぞは。この研究結果を自らの生活の中で生かしていこうとすると、かなり浮世離れした結果になってしまいそうだ。

 当ブログは現在、飯沼勇義史観 → 千葉富三ホツマ の過程にあり、千葉ホツマの理解を促進するために、池田満ホツマ原理主義を活用できるかどうか、の検討に入っているところである。

 ホツマ全体の理解が進んだ折には、どういう結果であろうと、この池田原理主義で検証、傍証していく必要があるだろう。

Moto

                 p130より

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2013/12/24

「謎の秀真伝」―神代文字で書かれた原日本の実像 佐治 芳彦<2>

<1>からつづく

Saji2
「謎の秀真伝」―神代文字で書かれた原日本の実像 <2>
佐治 芳彦 1986/06 徳間書店 単行本 306ページ
★★★★☆

 どうしたことであろうか。あちこちのホツマ本を漁ってみるのだが、結局、この30年近く前の本が、一番フィットするホツマ本であった。

 どうしたというのであろう。1986年発行だが、私が読んだのは1989年発行の第3刷。どうやら私の「ホツマ」観は結局ここから成長してはいないようだ。あれから20数年。新しい発見もあっただろうし、新しい研究結果もでたことであろう。研究者も増え、支持者の層も増えたものと推測されるが、私自身のホツマは、まずはこのあたりで停滞しているようだ。

 この本のいいところは、いわゆる佐治芳彦ワールドの「軽さ」と「腰の軽さ」であろう。ちょっとはスノッブな気分を助長させ、かと言って、決定的なドツボにもはまらない。適当に退却路を確保しながら、平坦なリンクを拡大する。

 当ブログは現在、飯沼勇義史観「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)から、千葉富三ホツマ「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩(2009/7/1 文芸社)にジャンプしようとしているところであり、そのジャンプ台として、池田満ヲシテ「よみがえる日本語」ことばのみなもと「ヲシテ」(2009/05 明治書院)を活用しようとしていた。

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 だけど、このトリニティは、どこか窮屈である。飯沼史観がすこし萎縮するのではないだろうか。もっと伸び伸びと、最初は自由に闊歩するには、むしろ、池田滿ホツマより、佐治芳彦ホツマを活用したようがよさそうだ、そんな気がしてきた。

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 「磯輪上の秀真国」とはもともと高く美しい山々を周囲にめぐらした秀れて美しい国---緑の日本列島ということになろう。さらに外八州史観をとれば、それは「緑の惑星」である地球の呼称ということになる。p19 佐治芳彦「ホツマは日本古代の一大叙事詩」

 一連のホツマのなかの「日本」という限定的なことばは、どうも当ブログの中では居心地が悪い。やはり、ホツマは当ブログでは「地球」と読み替えなければならない。

 この秀真伝を、史的文書とみた場合、ほかの古史古伝のように時代区分がなされていない。内容的には一応、天地開闢から歴史的古代である景行天皇の時代(日本武尊の生涯)にわたっているものの、時間軸(”時間”的配列)を無視した叙述形体をとっている。すなわち、後代に前代やはるか先代の事件(イベント)や逸話(エピソード)を回顧するという形式で唱いあげるというケースが多いのだ。p23佐治「同上」

 飯沼史観においては、西暦紀元前何千年という単位が飛び出してくる。そして、それがどうやら千葉ホツマに依拠している風情があるので、どうも気になってしかたない。これらの時間軸を「確定」するのが、いわゆる「空白期」から算出した「歴史津波」の影響、とでもいうことになるのだろうか。

 この天成(あまなり)神道こそ、公害克服の基本的な姿勢として、現代に、そして世界に復活させることが、21世紀に対する私たちの責任ということになろう。p118佐治「天地創造と王朝の終焉」

 表現はどうであれ、このアマナリこそが、私たちの瞑想であり、私たちのホツマは、Oshoが言うところのTruthであろう。

 教えなどというものはない、真理は教えることはできない、と禅は言う。誰もあなたに真理を授けることはできない。真理はあなた自身の魂のなかにみつけられなければならない。それを教典から借りてくることはできない。それを伝えることすら可能ではなく、それは表現できないものだ。

 真理は言葉のない沈黙のなか、深い深い瞑想のなかであなたに起こる。思考がなく、欲望がなく、野心がない、その無心(ノーマインド)の状態のなかで、真理はあなたのなかに降りてくる---あるいは、あなたのなかに昇ってくる。OSHO「英知の辞典」p331

 当ブログにおいては、ホツマをいわゆる日本の古史古伝として、矮小なかたちで哲学化しようとは全然思っていない。むしろそれは、未来に向かって、大きく地球人スピリットとして開かれていくべきだと、考える。

 だが、私はそうした社会的・政治的要素以外にも動機---そして、おそらくそれが最大の要素だろうが---があったのではないかと考えている。それは何か。それは気候の変化だ。つまり、日本列島が寒冷期に入ったため、日高見高天原はかつてのように神々の楽園(エデン)としてふさわしくなくなってきたわけである。佐治p134「天地創造と王朝の終焉」

 この辺の「要素」を、飯沼史観では「津波」と見るわけである。気候の変化、と見るよりも、飯沼史観の「津波」のほうが、そうとうに妥当性が高くなってきたと思う。

 いずれが真で、いずれが偽とか、いずれの伝承が正で、いずれが邪などという判断は、簡単にできないし、またすべきではなかろう。いうなれば、この辺に古代史の困難さがあるのである。佐治p140「同上」

 この辺の幅広い視野と、柔軟性にこそ佐治ホツマの厚みがあるのであるが、これはほぼ30年前の視点であり、2013年となれば、また別の視点がでてきている可能性は十分ある。

 秀真国(ホツマコク)とは、日本の美称である。だが、この場合は関東以北、つまり日高見国をさす。日高見といえば、秀真伝では高天原であり、そこの山手宮(ヤマテノミヤ)(仙台)で、日の神アマテラスが天成神道を学んだという、いわば聖域にあたる。佐治p167「同上」

 ここは、発表のタイミングなどもあろうが、鳥居礼ホツマや池田満ホツマ、原田実ホツマなどでは、秀真国は関東圏と見なしており、東北の日高見国とは別と見ているようだ。山手の宮も、飯沼史観では、「仙台」ではなく、「多賀城」と見ている。佐治ホツマは、どことなく私好みではあるのだが、あまり鵜呑みにはできない。

 秀真伝には、前節で述べた「天然の暦」のほかに、もう一つ「人為の暦」ともいうべきものが記されている。

 それは、神日本磐余彦尊(カンヤマトイワレヒコ)が15歳のときに絶滅した暦木である「鈴木」の代りに、梓の木に堀り刻むことによって作成された暦である。諸神相集まって考案したわけだが、天児屋根命(アメノコヤネ)によって、それを「天鈴(アスズ)」と命名されたという(「天鈴暦(あすずれき)」の成立逸話)。佐治p174「同上」

 この天鈴暦ってやつも気になる。時間ってものの考え方だが、そもそもある精神領域に入っていけば、時間感覚はなくなる。だから表現としては、流動的な時空間のゆれとなるが、飯沼史観のように、歴史津波を「学」として研究していくとすれば、時間軸的配列は、かなり重要なことになってくるだろうし、また、歴史津波学が、ホツマツタエに「時間軸」を与えることができる、という可能性もある。

 その他、この本は、和田家文書とホツマの関連をこころみるなど、いささか試行錯誤にすぎる推理が随所に見られはするが、いずれそれらが、当ブログ好みの結論に終始する傾向があるので、なんとも捨てがたい一冊である。つまり、リンクしていけるところは数多い。 

 それと、三貴子に先立つヒルコが「葦舟」に流され、拾われて成長して「エビス」になったなど、もう一つの当ブログの進行軸、石川裕人「畢竟」の三部作「時の葦舟」ともリンクしてくるから、ふしぎワンダーランドとして遊ぶには、ホツマや記紀の世界も、まんざら捨てたものではない。

 徹底的に、この佐治ホツマを検討して見る価値はありそうだ。

<3>につづく

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OSHO「英知の辞典」 <30>真実 TRUTH

<29>からつづく

Eiti
「英知の辞典」 <30>
OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本  579p

真実 TRUTH 

 教えなどというものはない、真理は教えることはできない、と禅は言う。誰もあなたに真理を授けることはできない。真理はあなた自身の魂のなかにみつけられなければならない。それを教典から借りてくることはできない。それを伝えることすら可能ではなく、それは表現できないものだ。

 真理は言葉のない沈黙のなか、深い深い瞑想のなかであなたに起こる。思考がなく、欲望がなく、野心がない、その無心(ノーマインド)の状態のなかで、真理はあなたのなかに降りてくる---あるいは、あなたのなかに昇ってくる。

 真理の次元に関する限り、そのどちらも同じことだ。なぜなら、最も奥深い主観性の世界では高みも深みも同じものを意味するからだ。それはひとつの次元、垂直の次元だ。

 心(マインド)は水平に動くが、無心は垂直に存在する。心が動かなくなるとき---それが瞑想のすべてだ、心の停止、心の全面的な停止---あなたの意識は垂直になり、深みと高みがあなたのものになる。

 だからあなたは、パタンジャリ、バーダラーヤナ、カビラやカナーダのような多くの神秘家が言っているように、真理は降りてくると言うことができる。それはアヴァタラン---高みからあなたに降りきたったものだ。そのために人が自己を悟ったとき、彼は「アヴァターラ」と呼ばれる。

 アヴァターラとは、真理が彼のなかに降りてきたという意味だ。アヴァターラという言葉はたんに上方から、彼方から降りてくるということを意味する。

 だが、もう一方の表現も正しい。アディナータ、ネミナータ、マハヴィーラ、ゴータマ・ブッダ、これらの神秘家は真理は彼方からやって来るのではなく、それはあなたの存在の最も奥深い源泉から昇ってくるのだと言っている。それは降りてくるのではなくて昇ってくるもの、わき上がってくるものだ。

 どちらの表現も私にとっては正しく、同じことを二つの言い方で言っている。それはその次元は垂直だということだ。あなたは高みという語彙で語ってもいいし、深みという語彙で語ってもいい。だが、真理はけっして外側からやって来るものではなく、だから誰もがあなたに教えることはできない・・・・・・。

 禅は、真理を伝えることはできないのだから、それは師(マスター)と弟子の関係のなかでしか起こりえないと言う。それは教えることができないのだから、教える者と教えられる者の関係も成り立ちえない----教えというものはないのだから教える者も教えられる者もない。だが、それは伝えられる。直伝はハートからハートであり、教えは頭から頭だ。I AM THAT OSHO p331

<31>につづく

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2013/12/23

「猿田彦と秦氏の謎」―伊勢大神・秀真伝・ダビデの影 清川 理一郎

清川 理一郎  2003/02 彩流社 単行本 293ページ
Total No.3152★☆☆☆☆

 もはや、私はグロッキー、ノックダウンである。当ブログは、一時は「読書ブログ」を自称し、一般公立図書館の開架棚にある、ごく当たり前の本を中心に読み進めてきた。一部の希少本とか、トンデモ本とか、秘蔵本などは、なるべくさけてきた。

 この本もまた「秀真伝」検索で引っ掛かってきた図書館の本である。ごく当たり前に、こういう本がでてくることに、いやはや嫌気がさしてきた。

 すくなくとも、これらの中に、秀でた真が伝わっているとは、とても思えない。少なくとも、私は、読みとれない。

 駄目です。ギブアップ。

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神代の風儀―「ホツマツタヱ」の伝承を解く 鳥居礼


鳥居礼 2003/02 新泉社 ハードカバー 477ページ 初版1997/05 
Total No.3151★☆☆☆☆

 鳥居礼の一番気持ち悪いところは、完全に松本善之助の名前を「抹殺」してしまっているところ。江戸時代の「ホツマ」研究者である小笠原某の孫などを引っ張り出して、その「正統性」を「争って」いるかに見える。

 ああ、やっぱりなぁ。この当時に、わが感性は決して鈍っていたわけではないのだ。

 こんなことなら、同じ東北人である佐治芳彦の「謎の秀真伝」(1986/06 徳間書店)のほうが、読みなれていただけ、まだマシだ。少なくとも、当ブログのバイオリージョンに関わりが持てる。

 当ブログは、ホツマありきではなく、バイオリージョン(地域生態)ありきなのだ。わがバイオリージョンに関わってこなければ、ホツマなどなくて構わない。

 逆に言えば、飯沼勇義ホツマは、他のエリアに住む人々のバイオリージョン感性をかきたてないから、面白くないかもな。

 でも、いいじゃん、当ブログは当ブログで、楽しいことを見つけていけば、それでいいのだ。

 

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「古史古伝」と「偽書」の謎を読む 原田実ほか

 

「歴史読本」編集部編 2012/03 新人物往来社 317ページ
Total No.3150★☆☆☆☆

 疲労感はますます濃い。原田実の名前で検索したらひっかかってきた本ではあるが、ことほど左様に、この程度の文献にながく付き合わされるなら、私は、やはり、これらから完全撤退したほうがいいようだ。

 少なくとも、この本、3・11以降、一年経過して出された本である。当ブログとしては、接点を一つでも見つけることさえ難しい。

 「歴史読本」とやらのマッチポンプ本だ。「古史古伝」を大袈裟に垂れ流し、すこし経過してから、あれもこれも「偽書」でした、って、いつまで、そんな商売やってんかなぁ~。

 こんな本、メモするほどの価値もないが、まずはともあれ、千葉富三ホツマに突入する前に、心の準備だけはしておかなくてはならない。

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「縄文人のこころを旅する」―ホツマツタヱが書き直す日本古代史 [単行本]

池田 満 (著) 2003/05 展望社 単行本: 230ページ
Total No.3149★☆☆☆☆

 私の失望感は濃い。期待していただけ、リアクションが大きいのだろう。世に「ホツマ」をかたる文献は数多いが、ああ、この程度なら、私は読まなくてもいい。少なくとも、読むとしても、こそこそと、人に知られずに、そっとめくっていたほうがいいようだ。

 この本のどこが「縄文人」なのだろう。どこが「こころ」なのだろう。正直言ってギブアップである。

 池田満は松本善之助の衣鉢を継いだ、というような表現を見たことがある。松本ホツマを受け継いだのが池田ホツマであれば、松本ホツマも「この程度」であったのだろうか。

 この松本ホツマから、一線を画しているかのように見える鳥居礼ホツマにおいても、ほへ~、と感じてしまう。ましてや原田実「反」ホツマも、なんとも的外れ。これら一連の「ホツマ」語り、「ホツマ」読みたちの、ホツマは、ちっとも面白くない。

 この程度なら、私はホツマはなくてもいい。ホツマなどなくたって、「縄文人のこころを旅する」ことはできる。 

 当ブログは、飯沼勇義史観をたよって千葉富三ホツマに行き着いたところだが、これでは、ちょっと先行き不安である。

 それにしても、飯沼史観において「ホツマ」は重要性を増しているのに、飯沼史観の中のホツマは、どうして、千葉富三ホツマ一本槍なのだろう。他のホツマとは、やはり一線を画すものがあるのだろうか。

 ちょっと、この本においては、落胆が大きい。

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解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <11>岩出山アラハバキ神

<10>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <11>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

アラハバキ神 宮城県大崎市岩出山下一栗字荒脛巾

<荒脛巾の神について>
 
ここで荒脛巾の神について簡単に説明する。
 この神は、日本祖霊の最古の神で、縄文時代から継承されてきた日本人古来の源神である。
 荒脛巾は、二つの神が一対となって初めて機能してきた。
 即ち”荒”は「荒神」と言って男神のことで、光と熱を大地へ送りとどける太陽だ。これがのちの荒神信仰である。
 そして地上にもたらされた太陽の恵みで、大地はそれを受容し、生きものたち(動植物)を生む。そして、ふやす神が「脛巾神」である。
 この信仰思想、男神、女神を両立させる荒脛巾神を祈りの主役にするのは、国づくりをする側としては、当然、常識となっていた。
飯沼勇義p113「国づくり創世記の津波」

005  古川から鳴子に向かう途中、弧線橋の上から、田んぼの中に、たたずむアラハバキ神。

 010

 質素ではあるが、近年そのゆかりも気付かれはじめたか、大きな看板も立っている。

015
  現在は、地元の水いぼ取りの産土神としての認知のされかたである。

99 
 それなり縁起が書かれているが、さて、どこまでが歴史なのか。

025

 形としては、内陸部のさもない、小さな村の鎮守の神様である。

030  社の形はあるが、額のようなものは一切ない。このアラハバキ神は、東を向いている。

035

 

040  小さく質素ながら、明確に守られている地である。

045

050  社の中は真っ暗で何も見えないが、やはり文字らしきものはなく、二体の裸像のような御神体が祭られている。

055  小さな社の奥に、さらに小さな、ミニマムの社が安置してある。

060  御神木の古木にカラス瓜の蔦が絡まっている。

065

070  静かに、小雪舞う大崎の田んぼを見つめるアラハバキ神。

075

<12>につづく 

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「ツクヨミー秘された神」戸矢学<2>

<1>よりつづく


「ツクヨミー秘された神」 
戸矢学 2007/03 河出書房新社
★★★★☆

 前回この本についてメモしたのは、すでに6年半前のこと。しかもカテゴリは「レムリア」というジャンルの中であった。あっと言う間に時間ばかりが過ぎてしまったが、この間、他のいわゆる「神道」系の本はほとんど読んでいない。あえていうなら、江原啓之の「神紀行」(2005/10~ マガジンハウス)という神社めぐりの本を、ひやかし半分でめくったのが最後であろうか。それからだって、たっぷり6年は経過している。

 3・11震災の直前に矢追日聖の「やわらぎの黙示 ことむけやはす」(1991/12 新泉社)と「ながそねの息吹―ことむけやはす〈2〉」(1996/09 野草社)を読んだが、こちらも、いわゆる神道のオーソリティを受けた本ではない。

 また一連の出口王仁三郎関連の本も、あちこちつまみ食いをしているが、それもまたオーソライズされた神道の世界ではないことは、当然のことである。

 その中にあって、この本は、日本神道の中にありながら、なお「消されてしまった神」としてのツクヨミにターゲットを当てているだけ、ちょっと異端の書、ということになろう。著者には、この後、気になる著作が続いているのだが、当ブログとはクロスしなかった。

 しかし、今回、飯沼勇義史観から、千葉富三ホツマに突入するにあたり、ひととおり、当ブログとして、その根っこを探してみたのだが、結局はこのアタリしか、見当たらなかった。お寒い限りである。

 古事記、日本書記をまずはひととおり理解することも必要だろうが、今は、仙台郡山遺跡からの連想で、藤原京や物部氏、三論宗や、聖徳太子、ニギハヤヒなどへの関心もでてきたところであるので、そのあたりでの、今後、戸矢学ワールドに突入する可能性もでてきた。

 さて、当ブログが自らの三大柱の一つとしている「湧き出ずるロータス・スートラ」(1992/06)は、 当時、京都に住んでいた畏友モンジュが発行していたミニコミ「TUKUYOMI]の依頼原稿だった。

 今こそ日本神話の中のツクヨミを呼び戻すことが日本とOSHOのスピリットを繋げることになるのだという直観から、京都の翻訳家swモンジュは90年夏にミニコミ「ツクヨミ」プロジェクトの活動を開始している。Bhavesh「ツクヨミの時代」「湧き出ずるロータス・スートラ」 p6

 この文章の前後を読むと、いまさらながら、自分の中での宇宙観がすでに出来上がっていることに驚く。そして、あのときからずっとこの基軸で動いてきたのであり、ここから今、さらに立ちあがっていくことが必要なのだと、再認識する。

 ましてやこの文章のあるページには、「謎の『ホツマツタエ』文書」として、ホツマ文字(ヲシテ)の画像を添付している。我ながら、びっくりする。ようやくここに戻ってきたのだ。

 「アマテラス=男神説」は、ほかにもいくつかの事例が見られる。記紀の「一書(あるふみ)に曰く」の一書(あるふみ)とされる「ホツマツタエ」(偽書説が強い)には、男神であると明記されている。戸矢学 p31「三貴子の謎--ツクヨミの誕生」

 本書において著者がホツマに触れることはこの部分くらいではあるが、あらためて、この部分にこの文章があることに気づいて、ブックマークをしておく必要を感じる。

 記紀は、いくつもの「家伝」を集めて朝廷が編集した一種の「決定版」である。しかし、原典資料となった家伝、つまり「一書(あるふみ)」は、いかなる理由によるのか、後世に一つも残らなかった。編纂者はいずれも克明に参照引用しているので、それらが存在していたことは確かだが、間接的にしか知るすべがない。戸矢学「三種の神器の謎---ツクヨミの御霊代・勾玉」

 その一書(あるふみ)の中の重要な原典とされるのが、当ブログが再突入しようとしている「ホツマツタエ」である。その他、この勾玉についての面白い考察も続くのであるが、これらに触れていると、記紀以前へと深化していかないので、今はこのくらいにしておく。

 その他、面白いところ、満載である。著者の続刊を含め、再突入は後日に期す。

つづく

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2013/12/22

2013年下半期に当ブログが見た新作ベスト10

2013年上半期よりつづく

2013年下半期に当ブログが見た
新作ベスト10 

(本のタイトルをクリックすると、当ブログが書いたそれぞれの作品の感想に飛びます)

第1位

「解き明かされる日本最古の歴史津波」
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 

第2位
Houjou_omote_web
「方丈の海」 2013追悼公演編
石川裕人作・演出 2013/10  TheatreGroup“OCT/PASS” 

 


第3位
Joy2

「Joy 喜び」
OSHO   2013/10 山川 紘矢&亜希子・翻訳 角川書店

第4位
Jobs 

『スティーブ・ジョブズ』 
映画 2013/11 GAGA☆


第5位

Ryusei
「流星」
追悼 石川裕人
原作石川裕人、演出小畑次郎 2013/11/8 ~9 他力舎特別公演 エル・パーク仙台スタジオホール

第6位
Ai_3

「対決!恐竜展 ティラノサウルスとトリケラトプス」
震災復興・国立科学博物館コラボミュージアムin会津若松 2013/07~09 福島県立博物館

第7位
Naruko_omote_s

「鳴子温泉郷物語」タルタロスの足湯 
SENDAI座☆プロジェクト2013 作・演出/クマガイコウキ 出演/西塔亜利夫・他 2013/09/13~ 於・鳴子公民館、他 

第8位
Juu
「究極の旅」OSHO 禅の十牛図を語る 
OSHO (著), スワミ・プレム・プラブッダ (翻訳)  2013/10/11  いまここ塾 河出書房新社

第9位
Main
「恐竜せんせい」 
NHK福井放送局開局80周年記念ドラマ マイコ×高橋光臣 2013/09/04 NHKBSプレミアム 

第10位
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「いい文章には型がある」 
吉岡 友治 2013/03 PHP研究所 

次点
Main107_2_2
「Pen (ペン)」 わがままに暮らしたい。こだわりの住まいとアトリエ
2013年 11/15号 阪急コミュニケーションズ

2014上半期につづく

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2013/12/21

「よみがえる日本語」 ことばのみなもと「ヲシテ」 青木純雄他<2>

<1>よりつづく 


「よみがえる日本語」 ことばのみなもと「ヲシテ」<2>
青木純雄・平岡憲人・著 池田満・監修 2009/05 明治書院 単行本 366p 
★★★★☆

 原理原則が強調される本書は、どうかするとアバウトな性格の私には窮屈だ。そこまでやらなくてはならないかね、と、ちょっと冷やかし気味だ。しかし、すくなくともヲシテのキホンを確定しようとしている人々にとっては、必要不可欠なプロセスということになろう。

 この本の中のヲシテの文法やらを読んでいて、「Linuxカーネル2.6解読室」(2006/11 ソフトバンククリエイティブ )を読んだときのことを思い出した。細かいコマンドやら、アルゴリズムやら、精緻を極めるワークが必要とされるプログラミングの世界は、私には無理だろうと思う。あの時の絶望感に似た、絶望を、ヲシテに感じる。

 別に私はLinuxをプログランミングしないでも、Linuxを楽しむことはできるので、ホツマを楽しむのに、ヲシテを習得しないでも済むだろう。誰か、専門家がやってくれればいいのだ。専門家が一人楽しむだけでは完結しないので、いつかはLinuxもヲシテも、私たち一般ユーザーにも使いやすいように降りてくるだろう。

 ヲシテは、縦書きでないと意味をなさない。縦書きを絶対必要とするようにできているのである。このことはほとんど知られていない。「秀真伝(しゅうしんでん ホツマツタエ)」という文献があることはかなり知られているのだが、こういう肝心なことは知られていないのである。p101「ヲシテ分析の準備」

 今現在、当ブログは飯沼史観における「解き明かされる日本最古の歴史津波」(飯沼勇義 2013/03 鳥影社)を読み進めようとしているのであるし、その中の「秀真伝」(!)に関わる部分の理解を進めるために、千葉富三 「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩(2009/7/1 文芸社)をパラパラめくってみようかな、という段階である。

 しかるに、千葉ホツマは、キホン的に横書きされているので、この本のヲシテ研究チームから見れば、最初から間違い、ということになるだろう。分かってない、と。

 なんだか、これって、窮屈。ましてや、飯沼史観における、歴史年代分類法など、このヲシテ研究チームの前では、まったくのまやかし「秀真伝」語り屋、と見えて来さえするのではなかろうか。

Oshi2 

 しかし、まてよ、と思う。正直言って、この本を監修している池田満著「ホツマで読むヤマトタケ(日本武尊)物語―古事記・日本書紀が隠した日本神話の真実」(2010/08 展望社)は、あまり面白くなかった。そこに書かれていることが、原典に忠実かどうかはともかくとして、その原点だけが正しいなんてことはない。原理原則が過ぎるのは、ちょっと困るのではないだろうか。

 ちょっと名前の語感が似ているので、現在でも混同しているのだが、この池田満という人と、「幻想の荒覇吐(アラハバキ)秘史―『東日流外三郡誌』の泥濘」1999/03)の原田実という人あたりの雑音を、もう少し拾ってから、これらの世界の全体的な動向をつかもうと思う。

 でなくても、どこのどんな研究をしている人であっても、どれほど立派な人物であっても、少なくとも、3・11を、しかも仙台平野における予測を立てることができた人は飯沼勇義をおいて他にない。

 彼の研究にホツマが資しているのであれば、ホツマを研究したいし、飯沼史観が重要視しているホツマ研究が千葉富三ホツマなら、私はそれでよしとする。すくなくとも飯沼史観に、ヲシテとか、池田満という名前などがでてこないことの、この本を読んでなんとなくその理由がわかってきた気がする。

 なにはともあれ、飯沼史観と千葉ホツマの整合性を、これからみていこう。池田満ホツマは、この際においては「傍証」に留まる。

<3>につづく

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「隠された古代」―アラハバキ神の謎 近江 雅和

「隠された古代」―アラハバキ神の謎
近江 雅和 (著) 1985/03 彩流社 単行本 258ページ
Total No.3148★☆☆☆☆

 これもまた天井ロフトの段ボールから「発掘」された一冊。しかし、ここまで来ると、「捨てるに捨てられない」こともなく、さっさと捨てても、それほど惜しくはない。

 この本も初版は1985/03であるが、手元にあるのは1991/05発行の第6刷。この時期、盛んに私はこの辺りのテーマにアプローチしていたのだった。

 多賀城アラハバキに参拝したのは、この当時。野草社の石垣さん、羽倉玖美子さん、石森少年夫妻などと尋ねたのだった。震災後に多賀城アラハバキを参拝したのは2011/11、そして2013/12、今回も参拝してきたのだった。

 「隠された古代」―アラハバキ神の謎。すばらしいタイトルだと思う。2013年の現在、私はこの本と同じタイトルの本が店頭に並んでいたり、図書館の新刊本コーナーに並んでいたら、絶対手にとると思う。今でも、今日的テーマを含んだ、重要な内容となること必至である。

 しかるに1985年に出されたこの本は、味噌クソ一緒で、なにがなにやらわからない。謎というより、散らかすだけ散らかして、自ら失くし物を増やしているような趣きさえある。まずは、第一義に和田家文書をその展開軸に据えてしまったために、めちゃくちゃになっている。

 つまり、自らの大自然に対する直感と、小まめなフィールドワークをせずに、あちこちの目新しそうな文献だけをくっつけて、一冊にしてしまっているからなのだ。それが趣味ならそれでもいいが、この本を読まされた読者はたまったものではない。

 何が何やら、訳がわからなくなる。私は専門家ではないので断言はできないが、一読者としては、この本あたりは最低点である。ワースト本のリスト入りはすることあっても、史料的価値はゼロと判断する。言葉の端々にこの本のことが出てしまったら、ちょっと恥ずかしいだろう。ここにメモすることすら、本当は気おくれする。

 しかるに、「隠された古代」―アラハバキ神の謎、このタイトルは生きている。誰か、もっとクリアな意識を持っている人が、今日的情報と研究結果を踏まえて、まったく同じテーマで書きなおさなければならないだろう。

 いや、もうでているかも。もうすこし探してみようかな。

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「言霊―ホツマ」THE WORD SPIRIT 鳥居礼

 

「言霊―ホツマ」THE WORD SPIRIT
鳥居 礼 (著) 1998/05 たま出版 単行本 519ページ 初版1985/09
Total No.3147★★☆☆☆

 この本も我が家の天井ロフトの乱雑に積み上げられた段ボールの中から「発掘」された一冊(笑)。初版は1986年ながら、手元にあるのは1991/03の6版だから、やはりスピリット・オブ・プレイス・シンポジウムのおりに購入したものと見られる。

鳥居 ところが、昭和41年に幸運にも、松本善之助氏によって発見され、氏の腐心の結果、「復刻版ホツマツタヘ」として再登場するわけです。その後、松本氏の手によって「ホツマ」の基礎研究がすすめられました。

松添 現在、小笠原家の方は研究されているんですか。

鳥居 通當の子孫の貞宗、長清氏らによって研究がおこなわれています。p25「序論」

 聞き手の松添美千雄は、出版元でもある、たま出版編集所属。これだけ最初に紹介しておいて、巻末の百冊以上の「参考文献」において、松本善之助の名前は見つけられず、鳥居ホツマにおいて、松本ホツマは「抹殺」されたかのような様相である。

 何があったかは知らないが、ちょっと穏やかではない。世にさまざまな生き方があり、世渡りが上手な人もいるし、下手な人もいる。いずれが可というものではないが、不急不要であれば、そのような違いの軋轢に首を敢えて突っ込む必要はない。

鳥居 (前略)特に重要な場所は、宮城県の仙台周辺なんですね。「ホツマ」では日高見(ひたかみ)の国と呼ばれていたんです。ここは日本文化の発祥地なんです。

 「ホツマ」によれば、以前「たま」誌上に、約十万年前(前石器時代)と推定される石器が宮城県黒川郡大和町で発見され、この地域が古代都市であったことが「ホツマ」からわかる、ということを書きました。

 ところがその直後、奈良教育大学の市川教授の科学的測定の結果、それが14万年から27万年前のものであることがわかったのです。

 仙台周辺が日本最古の都であることは、「ホツマ」をやっているものならだれでも知っていることですが、他の文献からはまったく推測不可能なことなのです。今後も、もっと古いものが仙台周辺で発見されることでしょう。p33「序論」

 しかしながら、こうなるとどうか。身に降る火の粉は払わなければならない。このあたりは、いわゆる元・旧石器文化研究所の副理事長である某によって、捏造された情報が組み込まれているので、厳重要注意である。

 そもそも「ホツマ」をやっているもの、というのは誰のことやら・・・・・。すくなくとも、今のところ、飯沼史観におけるホツマ年代は、せいぜい紀元数千年である。1万年のスパンがあれば十分だろう。何十万年前のものと「わかった」とするのは、ちょっと危ない。

 鳥居礼というひと、素性がよくわからない。鳥居禮という名前で画家活動をやっているようでもあり、創造性豊かであり、かつ、経済活動の上手な方、とお見受けする。

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「続 ホツマツタへ」―秘められた日本古代史 松本 善之助

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「続 ホツマツタへ」―秘められた日本古代史
松本 善之助 (著) 1984/01 毎日新聞社 単行本  310ページ
Total No.3146★★★★☆

 1980年に出た「ホツマツタヘ」に続く続刊、姉妹編である。分冊というより、出版年は離れているが、正続併せて二冊でひとつの本、ということもできるだろう。

 私の手元にあるのは1989年刊の第3刷。正続併せて購入したものと見られる。この続もまた、長年手元にあるが、それこそツンドクになっており、この度は、「捨てるに捨てられず」に、一度天井ロフトに「お蔵入り」したあとに、「発掘」されたものである(笑)。

 正編につづいて、誠実な著者の人柄が偲ばれる文章が続く。そもそもが出版社の編集者だった著者が、在職中より禅マスターに参じ、その思慮を深めていくストーリーが語られる。その過程で、たまたま草鞋の紐が切れたことが機縁となって、通りの社殿を参拝したことが、いわゆる古神道に目をむけるきっかけになった。

 その後、趣味とする古書店めぐりの中でホツマの断片と出会い、その道ひとすじに探究、研究、研鑽の日々とが続いたことが語られる。

 2013年において、いわゆる飯沼史観を追っかけるには、ホツマは不可欠で、ホツマに触れるなら松本善之助に一度は触れなければならない。そして松本善之助に触れるとすれば、本著の正続には、まずは感謝の念をもって挨拶しなければならないだろう。

 タガについてや、津軽地方の古社の神体にホツマ文字がいまでも登用されている例示がいくつも挙げられているが、今後、それらのひとつひとつを検証して行かなければなるまい。

 ただ、仮に私が1991年にこれらの正続と出会い、入手しているにも関わらず、ツンドクになってしまったか、ということに、現在の私としては、納得する点がある。つまり、松本ホツマでは、私のハートはまだ開かない、ということである。私のハートが開くには、飯沼ホツマと出会わなければならなかったのだ。

 また飯沼ホツマが依拠するところの千葉富三ホツマも、単独でなら、私のハートを開くことはなかっただろう。

 私がホツマにこころを寄せるのは、その秀の真であるところのものに、OSHOを見るからである。しかるに飯沼ホツマからダイレクトにはOSHOにはいかない。飯沼史観→千葉富三ホツマ→松本ホツマ→ホツマ→OSHOというプロセスをたどるのではないだろうか。

つづく

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「ホツマツタヘ」―秘められた日本古代史 松本善之助

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「ホツマツタヘ」秘められた日本古代史
松本善之助 1980/07 毎日新聞社 単行本 270ページ
Total No.3145★★★★☆

 この本もまた、この度、天井裏ロフトの、段ボール箱の中から発掘された一冊である(笑)。 天井裏に行ってしまったのは、ほんの数カ月のことだったが、ず~と手元において、いつか読み始めるだろうと思っていたが、ついぞそのチャンスは巡ってこなかったのだ。でも、捨てるに捨てられない一冊として、天井裏入りしたばかりだった。

 この本、初版は1980年となっているが、手元にあるのは1990年の第8刷。だから、手にとったのはそれ以降のこととなる。思えば、1991年の国際環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス」のスタッフとして活動している間に購入したものだろう。

 実際の紹介者や購入動機などは忘れたが、多分、シンポジウム参加社の一人であった野草社の石垣雅設社長→羽倉久美子さん経由で、その存在を知ったので、話を合わせるために手にとったのではなかろうか。ただ、今回再読してみて、内容についてほとんど記憶になかったから、入手はしたものの、マジメに読んだりはしなかったのかもしれない。数か所にチェックはあるが・・・・。

 そもそも、私のもともとのイメージはこの本は、ホツマ文字(オシテ)が満載されていて、とても歯がたたない、というものだったが、今回みてみれば、通常の新書本よりも読みやすく、量も決して多いものではなかった。

 巻末にある、ホツマツタエ発見の経緯などは、必読である。このようなドラマがあり、このような探究、研究、努力、協力、幸運があればこそ、今、世にいうところのホツマの世界が語られるようになったのだ。

 この方の研究なくしては、千葉富三の「日本の誕生」(2009/7/1 文芸社)もなかっただろうし、それに大きく依拠する飯沼史観の、最近の進展は、大きく阻害された可能性だってあるのである。

 今回、他のホツマ本、例えば佐治芳彦や鳥居礼などの本にも、そしてこちらの松本善之助などの著による手元本には、ホツマ全文が載っていないことを、あらためて確認した。読みやすいか、読みにくいかはともかく、やはり千葉富三の「日本の誕生」(2009/7/1 文芸社)は、一冊キープしておくべきだろう、と判断した。

 全体のイメージとしては、いわゆるヒタカミ「王朝」などが突出して書かれている本ではないので、無関係な部分が多くあり、あちこち拾い読みとならざるを得ないが、それでも、やはり、この人なくしてホツマなし、となれば、絶対的にブックマークされるべき一冊である。

 この「正編」には4年後に出た「続編」がある。

 つづく

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2013/12/20

「謎の秀真伝」―神代文字で書かれた原日本の実像 佐治 芳彦<1>

Saji

「謎の秀真伝」―神代文字で書かれた原日本の実像
佐治 芳彦 1986/06 徳間書店 単行本 306ページ
Total No.3144★★★★☆

我が家の天井裏から出てきた本(笑)。まんざら嘘でもない。このところ家族の増減などで部屋割を変更しつつあり、余計な家具や書類を納めるべく、天井ロフトを開拓中である。そして、とりあえず出来上がった空間に、段ボールに詰めた書籍類を乱雑に積み上げてあるのである。

 これら一連のホツマ本もザックリ段ボールに入れて天井裏に挙げておいた。ほんの数ヶ月前のことである。最近開くこともなかった書たちであるが、「捨てるに捨てられない」本たちである。その中の一冊。

 二人の霊能者によって霊視された蔵王王朝も、けっして、一笑にふされるべきヨタ話とはいえまい。私は、秀真伝のいう日高見高天原こそ、この「幻の蔵王王朝」ではなかったかと考えている。遠からぬうち、必ずや「蔵王紀(ザオウノフミ)」ともいうべき古史古伝が発見されるのではあるまいか。p302「はるかなり日高見の国」

このエンディングが一番印象に残っている。おそらくホツマについて知ったのは、この本が最初であっただろう。発行は1986年だが、読んだのはそれより遅かったと思う。いわゆる佐治芳彦シリーズや古史古伝ブームの中で目を通した一冊だったので、他の本との関連の中で、読み「疲れて」、それからほとんど読まなくなった本たちである。

 今読みなおしてみると、「それなり」に面白い。いわゆる東日流外三郡誌などの和田家文書と並列して語られているので、2013年の今日読むとなれば、雑味が多すぎて、あらあら、と思ってしまうところも、かなり多い。だが、それでも、この本の再読でもって、初めて知る情報も多い。

 さて、上の部分がず~~と、私の心に引っかかっていた。蔵王紀(ザオウノフミ)」とは、佐治ひとりの勝手なネーミングだが、その気持ちはよくわかる。福島会津若松生まれの佐治は、どこか東北人の心を持っている。

 
 3・11直前、私は、蔵王のふもとに小さなコミューンの可能性を探るべく、山暮らしを始めようとしたが、その時、ひょっとすると、
蔵王紀(ザオウノフミ)」と出会うかもしれない、と思ったことがある。

 あるいは、バイパスを走りながら蔵王を見上げ、この辺のどっかの民家にあるかもなぁ、と思ってみたり、大河原の被災した民家での古書の展示会があった時、ひょっとするとでているかもな、と期待したこともあった。

 さらには、蔵王(Z)と阿武隈川(A)沿岸の9自治体で構成する子供たちの演劇集団AZ9(アズナイン)ジュニア・アクターズのミュージカル(石川裕人原作)をみながらも、どこかで、この蔵王紀(ザオウノフミ)」のことを考えていた。

 3・11震災直後に、野草社の石垣雅設社長が多賀城を散策した時、ホツマの話題がでたので、蔵王紀(ザオウノフミ)」というのはありませんか、と同行しながら聞いて、一笑に付されてしまった。そんなのあるわけないじゃん。

 そうかなぁ、と、ず~と不満だった。

 「仙台平野の歴史津波」飯沼史観にであったのは、その直後のことである。

 古史古伝は数多あるが、ことホツマ一本、という人は、それほど多くない。あるいは、ヒタカミを語る人も多けれど、仙台中心説を唱える人も、そう多くない。ましてや「蔵王王朝」などと「仮称」のついているロマンに、リアリティを持ってつきあってくれるひとは、ゼロである。

 私の心のどこかに積っていた不満に、いきなり光を当ててきたのが、飯沼史観であり、いまや、「解き明かされる最後の歴史津波」は、私にとっての「蔵王紀(ザオウノフミ)」とでもいうべき存在になりつつある。

 とくに、熱日高彦神社をヒタカミの頂点とするあたりに、私の琴線は、ピークを迎えた。なるほど、角田もまた蔵王と一体になった地域である。阿武隈川も白石川も、蔵王地域を流れているのである。

 角田市の史誌の古いものを見ても、実際には熱日高彦神社の中には「何も残されていない」となっており、なぜにこの神社が式内社として、古代より厚く守られているのか、わからない状態である。たぶん、神社に尋ねても、ホツマに直結するような証拠品はでてこないだろう。

 しかし、「何も残っていない」ということは、どこかに「流失」している可能性もあるのだから、ひょっとすると、そこらの古物店の店先か、雑多な研究所の鑑別できない資料のなかのひとつとしてまぎれているかもしれない、などと、ちょっと考える。

 でも、何もでてこなくても、考古学や歴史津波学、あるいは郷土史学などのたぐいから、次第次第に、このホツマの「信ぴょう性」が、今、本当に解き明かされつつあるのではないか、と、ふと「熱」いものを感じる。

<2>へつづく

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飯沼勇義「3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ」<7>

<6>からつづく

3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ
「3・11その日を忘れない。」 ―歴史上の大津波、未来への道しるべ <7>
飯沼 勇義 (著) 2011/06 鳥影社 単行本 208p

 こちらの本にも、「秀真伝」の書名がでていたのが印象的だったが、さて、あらためてめくってみると、登場したのはわずか2回だけだった。

 この津波を解説する前に、古代東北に存在した日高見国(ひたかみこく)について触れてみたい。

 日高見国とは、日本の皇室誕生以前の縄文時代に遡り、昔の御祖(みおや)、高産霊日高見(たかむすびひたかみ)生みて・・・・・と「秀真伝(ほつまつたえ)」に書かれている(この「秀真伝」については、その信頼性を疑問視する専門家が少なくないが、歴史津波の実態が解明されつつあることによって、その信頼度が高まってきたと、私は考えている)。

 日高見国は天皇成立以前から継承されてきた国で、縄文時代に存在していた。日高見の名はおそらく西日本から東方域の人々を見たとき、東方から朝日が昇ることで、東方を日高見と呼んだのである。ついでに記すと、日本という現在の国名もこれに基づいている。
p39「預言された津波」

 次の書である「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)はすでに3・11の数ヶ月前に脱稿されたと聞くが、その時点で、すでに、かなりの部分を「秀真伝」に依拠し始めていたことが感じられる。

 また「記紀」の基となったといわれる「秀真伝」には、この文明の始原の場たるトコヨが天上の理想郷であるとともに、具体的な地上の国土であるという記述もある。それは睦奥国、ヒタカミと呼ばれる地域であった。このヒタカミが日高見であるとすると、日本は東北地方の一角から始まったということになる。

 大自然の背後には、はっきりと目に見えない威力が存在していると、縄文人たちは感じとっていた。万物を生み育てると共にすべてのものを破壊する恐るべき大自然の力。そこに私たちは寄り添って生きていくしか許されていないと蝦夷たちは感じとっていたのである。
p181「これからをどう生きるか、災害の哲学の構築」

 それにしても、こちらの「3・11その日を忘れない」読後直後に、「秀真伝」が印象的に残ったのは、私が20年ほど前までに他の紹介文を読んでいたから、「ほほほう」と思ったのだろう。

 漠然としてまだ未知の部分も多く、謎が多い、アラハバキ、ヒタカミ、ホツマの世界だが、逆説的に言えば、漠然としていて、未知の部分が多く、謎が深まるからこそ、そこに理想郷を書きやすいのかも知れない。

<8>につづく

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「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <10>「秀真伝」

<9>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <10>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

「秀真伝」 ホツマツタエ ほつま

 本書を読み進めるにあたって、いちいち気になるキーワードとしては、「秀真伝(ホツマツタエ)」という謎の古文書の存在がある。さまざまなテーマが並列して書かれている本書であるだけに、そのことにだけ集中して考えることはしなかった。

 そこで、今回は、このキーワードだけに集中してページを駆ってみた。すると意外なことがわかった。

 あれだけ頻繫に飛び出してくると感じていた「秀真伝」というキーワードだが、「はじめに」と第一章、そして「むすび」にしかでてこないのだった。例外的には第六章(p185)に一回でてくるだけである。

 「はじめに」4回、「第一章」約20回、「第六章」1回、「むすび」8回。

 あれだけ頻繫にでてくると思っていたこのキーワードだが、意外な偏りを見せている。しかも、その取り上げ方は、「古事記」「日本書記」の元本、といいう紹介の仕方だ。さらには、その引用箇所も決して多くはない。

 そして決定的なのは、その「秀真伝」研究としては、岩手県遠野市在住の千葉富三「蘇る古代 日本の誕生」(2009/07 文芸社)のみに依拠しているように、見えることである。他の文献のことは、姉妹編の千葉富三著「日本の真実」(2012/08 文芸社)を含め、一切でてこない。

 そして引用箇所は、

『秀真伝(ほつまつたえ)』の第十一章に、
「・・・・・・日高見のみくらのあとに又、都。移して名づく多賀のこう」
 みくらとは御座のことで、日高見に山手宮があったことを言っている。即ち、みくらは王が住まわれるところで都のことを言う。
 p185

 と、この部分が突出している。多賀城ができる前に日高見の都があったかどうか、というポイントである。

 ところで、千葉富三の著書の表紙は遮光器土偶がデザイン化されている。

Tiba2 そして、よくよく見ると、飯沼新刊のこちらの表紙も、実は遮光器土偶がデザインされていたことを、今さらながらに気づいた。
Tsunami_2 う~む、これは誰の装丁デザインなんだろう。本文イラストとしてたびたび出て来る長谷隆なる人物の手によるものだろうか。こちらの遮光器土偶は、「キチン」と左足を折ってある。

 なんだか、こうして見ると、「奥松島縄文村歴史資料館」のみやげもの売店で買ってきた我が家の遮光器土偶も、一層、価値がでてきたような気がする(笑)

4

<11>につづく

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飯沼 勇義 「仙台近郊の歷史資料 第一報」 1953年<2>

<1>よりつづく

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「仙台近郊の歷史資料 第一報」
飯沼 勇義 1953/04 地域社会研究会(東北大学教育教養部内) ガリ版小冊子 28p
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 飯沼勇義という人の出自を尋ね、青年時代の「地域活動」を確認するためにメモしておいたこの小冊子であったが、意外な展開をし始めた。

 内容の古文書については、頭から読む気はなかったのだが、1995年に発行された赤本こと「仙台平野の歴史津波」(飯沼勇義 宝文堂 復刊2013)の中に、気になるところを見つけて、おやっと思った。

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 この143pに書いてある「井戸浜周辺の開発」は、まさに 「仙台近郊の歷史資料 第一報」(1953年)の資料についてだった。

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 私は、赤本復刻版において「津波研究に生涯をかけた歴史学者」というコピーは、ちょっと大げさかな、と思っていたが、とんでもない間違いだった。1930年生まれの著者、23才の1953年発行の資料において、すでにこの400年前に慶長の津波で流失してしまった集落について着眼していたのであった。

 それは津波が先ではなく、郷土の古文書研究ということから始まったのであろうが、実に運命的な出会いをしていたと言えるのだろう。

 仙台市若林区二木という地域は、今回の3・11東日本大震災で、完全に津波被災にあったところである。




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2013/12/19

「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <9>アラハバキ

<8>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <9>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

 アラハバキ神 宮城県多賀城市市川

 金掘貝塚のある平場は、当然、当時の集落のあったところであり、非常に狭い面積地にあって、ここが最初に移された多賀の山手宮があったところと考察している。したがって、この集落の東側に荒脛巾神を祀った神の社もこの地にあった。・・・・そして、都を移しかえた・・・・は多賀城の市川地内にある荒脛神社一体が多賀の山手宮ではないだろうか。飯沼勇義p73

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 アラハバキ神は、他の多賀城の遺跡とは違って、さもない路地の裏の民家の中にある。

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 この石碑は、だいぶ新しいものだと思われる。参道もちょっと前までは砂利道だった。

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一端、南に向かったあと、参道は、東向きに折れる。アラハバキは太陽神を崇拝するので、西から東へ向かう。社は西向き。
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 裏手の森は、広くはないが、高く太い古木が静かにアラハバキ神を守る。
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 額名はいくつかの種類があるようだ。

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 あくまでひっそりと、だが、質素に守られている。

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 永年に渡って守られている風情がある。

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 決して華美ではないが、いわゆるアラハバキ神としての雰囲気を漂わせる。

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 由緒書きはあるが、今日においては、その表向きの内容だけで満足する参拝者は少ないだろう。

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 社前に、井戸がある。

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 決して大きくない社だが、深い。

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 額にも時代が感じられる。

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 さらに奥には「道祖神」の額もかけてある。

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 旅人のための神社ということで、ワラジや草履が奉納されている。
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 ハサミもたくさん奉納されている。アラハバキは鉄の神様でもある。

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 男根も多く奉納される。
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 さまざまな種類がありそうだ。
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 聖徳太子の石碑もあるが、それなりの意味が浮き上がる。

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 ご神木として、太いサルスベリが見える。

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 参拝の帰り道も、なんとも不思議なにぎわいを感じる。アラハバキの霊域である。さて、多賀の山手宮のあったところはどこだろう・・・・

<10>につづく

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石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作<13>

<12>よりつづく

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「時の葦舟」三部作 石川裕人戯曲集<13>
石川裕人 2011/02 Newton100実行委員会 単行本 p262 石川裕人年表
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 畏友ニュートンこと故・石川裕人のおもかげを求めて、当ブログはひとつの葦舟のもやいを解いた。過日、所要で彼の菩提寺を前をとおりすがり、車と停めて墓参した。父親とならぶ墓石には、「演雅一道居士」の法名があり、いまではその法名がすっかり板について、彼はもう、ニュートンでも、石川裕人でもない、のかもしれない。

 演雅一道居士。言い得て妙である。生前彼はそのブログにおいて、私を葬儀委員長に指名していた。なかば私の冗談から発したプランではあったが、それこそ委員長とまではいかなくても、もっと彼にしてやれることはなかったか、今にして悔やまれることもないではない。

 しかし、葬儀を前にして、あの若い僧侶は、私が話した彼の人生の中から、よくぞこの法名を付けてくれたと思う。もし、彼に、お寺の本堂に居並ぶ院や庵を寄進するほどの財力があれば、その法名の上に何とかの院号がついたことだろうが、それをいろいろ想像するよりも、それがない演雅一道居士が、むしろぴったりということになろう。河原者は河原者らしくこの世を去るのである。せめての「居士」が、彼の存在を忍ばせる。

 この戯曲三部作、第一部は未来編、AD2275年08月の、地球外のどこかに設定された廃墟である。地球にすでに生命体はない。タイトルは「絆の都」。3・11後に流行語にさえなった「絆」であるが、この絆が、主人公たち一家を、古代へ、そして現代へと、移動させる。移動の方法は「時の葦舟」である。

 第二部は古代編、BC2100年頃、地球上の大陸、王政が敷かれている時代のようだ。BC2100年などと言われてもピンとこないが、これは現在当ブログが進行している「ホツマ」の世界におけるヒタカミ「王朝」でもオーバラップしてイメージしていくことにしよう。

 タイトルは「無窮のアリア」である。無窮とは、無限のこと、アリアとは詠唱のことであるらしいから、古代における、広がりのある世界観、とでも理解しておこう。

 第三部はAD1995年7月、つまり現代である。1995年といえば、すでに20年近く前の過去ではあるが、半数近くの地球人は同じ時代を生きているので、2013年の今日、と捉えても差し支えないだろう。

 この7月、というのが微妙で、この戯曲第三部が上演された1994年8月には、まだ、1995年1月の阪神淡路大震災もなく、1995年3月20日の地下鉄サリン事件も起きていなかった。また1995年12月のウィンドウズ95発売も、まだまだ未確定だった。

 第三部のタイトルは、「さすらいの夏休み」。結局は、少年たちの1995年夏休みにおけるヴァーチャル・ゲームであり、未来の破滅劇と、古代の神話劇と、現代の電子劇が組み合わさって、この戯曲三部作が構成されている。

 最後の「さすらいの夏休み」でもって、少年たちの「夢」で終了させてしまうことに、どこか桐山靖雄の「一九九九年地球壊滅」(1988/12 平河出版社)を連想する。ヒマラヤの古僧の危惧が結局は「夢」であり、高山聖峰とやらの求聞持法とかを「壊滅」からの脱出法とするあの小説と比較すると、この「時の葦舟」での「解決法」は、「指輪」である。

 「映画『ロード・オブ・ザ・リング』の10年前に舞台化されていた戯曲」(本書腰巻)とはいうものの、「指輪物語」はすでに1900年代半ばに書きはじめられているのであり、巻末に三部作全巻の「引用作品」として「J・R・R・トールキン『指輪物語』」が明記してあれば、それを下敷きにした形で書かれていることは間違いない。

 未来に「廃墟」や「壊滅」を置くことによって、「古代」から続いてきた「法」や「指輪」で、「現代」の「危機」を切り抜けようとするストーリーは、ある意味陳腐ではある。この陳腐なドラマツルギーの中に、どれだけのリアリティを込めることができるかが鍵となろう。

 当ブログにおいても、同じようなストーリー仕立てを活用しようとしている。破滅の最も近い原因は、原子力発電であり、そのエネルギーに依存しなければならない現代地球人のライフスタイルの在りようである。あるいは、温暖化という相対的な危機感である。

 それに対する古代からの「解決法」は、当ブログとしては、物質化された「指輪」でもなく、巻物になどされた「法」でもない、と考える。それはどこか、造られて瞑想ドームにあるわけでもなく、古代遺跡から発掘されなければならないものでもない、と考える。

 第三部「さすらいの夏休み」では、「アポリア」というヴァーチャル・ゲームや、パワーマック9100/90ディファレンスエンジンなどと呼ばれるコンピュータが登場する。この戯曲が上演された1994年当時において、これらが存在したのかどうかはわからないが、2013年の今日、ここで語られることは、別に絵空事ではない。モバゲーを運営するDeNAがプロ野球チームを所有する時代である。

 さて、と思って、映画「ロード・オブ・ザ・リング」をもう一度みてみようかなと考えたが、過去の自分のこの映画に対するメモを見て、思いなおした。

 やっぱり私のロマンは、映画や戯曲のなかにはないなぁ。ないとは言わないまでも、どうも我慢ならぬ。「虚構」ではなく、「寓話」を通り越して、「事実」まで食い込まないと、どうも面白くない。

 こういう習癖が、飯沼史観に呼ばれるゆえんかもしれない。

<14>につづく

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2013/12/18

「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <8>

<7>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <8>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

 著者の本は5冊確認している。

(1)「仙台近郊の歷史資料 第一報」 1953/04 地域社会研究会(東北大学教育教養部内)

(2)「知られざる中世の仙台地方」 1986/11 宝文堂

(3)「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う! 1995/09 宝文堂

     「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う!復刻版 2011/09 本田印刷出版部

(4)「3・11その日を忘れない。」 歴史上の大津波、未来への道しるべ 2011/6 鳥影社

(5)「解き明かされる日本最古の歴史津波」 2013/03 鳥影社

 漠然と読み進めたところ、(1)から(3)までは、地域研究から津波予言というところにあり、「ホツマ」がでてくるのは(4)からである。そこでほのめかされた「ホツマ」が、(5)では、全面展開されている。

 一連の「ホツマ」については、私も20年ほど前に、当時でていた本を何冊かめくってみたが、興味は湧くのだが、それを読み解いていくほどの情熱は湧いてこなかった。 

 しかるに、この飯沼史観を読み解こうとすれば、少なくとも(5)以降は、「ホツマ」なしでは、どうも先には行けない、というところまで来ているようだ。

 そこで、当ブログもおっとり刀で、「ホツマ」再突入を試みているのだが、図書館などでランダムに漁る「ホツマ」文献は、結局、飯沼史観とは、あまり密接にはつながってこない。

 飯沼史観において、重要視されている「ホツマ」研究は、今のところ千葉富三の「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩(2009/7/1 文芸社)だけである。続刊であるはずの「甦る古代 日本の真実」 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解く(2012/08 文芸社)すらでてこない。

 これは何を意味しているのだろうか。多分、著者は、この「解き明かされる日本最古の歴史津波」を一度3・11直前に脱稿しており、その折に「日本の誕生」を根拠にその史観を展開していたものと察せられる。しかしながら、3・11により発刊が遅れ、また加筆訂正が行われて、2013年3月刊行となったのではないか、と察する。

 一度手に取っただけなので、断言はできないが、内容的には「日本の誕生」と「日本の真実」は似通った内容になっており、「ホツマツタエ」の全文などが収録されていて、その読み下しや解釈が若干新しくなっているものと思われる。

 となると、飯沼史観が依拠するところの「ホツマ」は、千葉富三の「日本の誕生」一冊ということになるが、さて、その千葉ホツマは、どれほどの根拠があるものであろうか。

 私が「秀真伝」を知ったのは平成13年---。東北の古代に関心を持つ者がそれぞれの分野からの研究と親交を深め合おうと、ある会の設立総会が宮城県古川市(現・大崎市)で開かれ、会議がひととおり終わったところで、出席者の方から「ホツマツタエ(注・原文ホツマ文字)のすすめ」という小冊子が配られたときでした。

 その副題は「日本の真実の歴史 真実の姿と心を伝える」というもので、「ホツマツタエ」という言葉そのものが私にとって初めて、もちろん初めて見る「ほつま文字」もその中にありました。

 ある会というのは「あらはばき学会」といい、そのときの出席者は70名ほど、現在の会員は半数の30数名に減りながらも「年報」は10号まで出されてきたました。だが、「ホツマツタエ(注・原文ホツマ文字)」の方は、はっきり関心を示したものは私のほかには今日まで、ついに一人もありませんでした。千葉富三「甦る古代 日本の真実」 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解くp872「むすびに---もう一つの真実」

 平成13年と言えば、ほんの10数年である。1960年代よりホツマに接している勢力にとっては、千葉は高齢者とは言え、新参者というイメージは払拭できないだろう。その人が、かなりの意欲的な研究を発表しており、他の「ホツマ」をほとんど無視した形で、飯沼史観は千葉ホツマ一本やりで論陣を張っているのである。

 これでいいのであろうか。今の私には分からない。しかし、他のホツマは、正直言って面白くない。もっと言えば、千葉ホツマだって、私にはその面白さがよくわからない。飯沼史観においてのホツマであってこそ、面白さが湧きあがってくる、という図式である。

 そして、これからもっと飯沼史観を楽しもうとするならば、ホツマは不可欠ということになるだろうし、飯沼史観が千葉ホツマに依拠している限り、ここは千葉ホツマとじっくり取り組んで行かなければならないのかな、と思い始めている。

 ところで、Oshoの「英知の辞典」の中の「寓話」を読んで感じるところがある。

 仏陀、イエス、ツァラツストラ、老子を理解しようとするときには、できるだけ事実を避けなさい---事実性を避けなさい。それらの寓話は事実とはかかわりがない。だが、語られていることが架空のことだというのではない。それは事実でもなければ虚構でもない。それは表現できないことを、本質的に、根本的に表現できないことを表現するための詩的なやり方だ。ただほのめかすことしかできないようなことがある。これらの寓話は暗示するためのやり方だ。あまり深刻にとらずに、ごく気軽に受け止めなさい。それらを楽しみ、その意味を発見しようとしてみなさい。そしてこのような出来事はほんとうに起ったのだろうかなどと、けっして気にかけないことだ。 ZEN:THE SPECIAL TRANSMISSON Osho「英知の辞典」p171「寓話PARABLE」

 当ブログは現在、もう一つの柱、石川裕人「畢竟」の戯曲三部作「時の葦舟」とともに進行している。戯曲は当然「虚構」だ。そして当ブログは「ジャーナル」を標語するかぎり、「事実」性を探求する性癖がある。友人ニュートンこと石川裕人の「虚構」に対するところの、当ブログの「事実」、という図式で二律背反的に進行してきた友人の中の「謎」解きであったが、ここに来て、Osho言うところの「寓話」という存在が登場してきた。

 虚構---寓話---事実。飯沼史観がもともと依拠してきた地域の伝承や民話、言い伝えや伝説。これらは、まずは虚構として受け止められる。そして、その中にある「知恵」や「教え」の中に、「寓話」としての存在意義が生まれてくる。

 しかるに、飯沼史観は、その「寓話」と思われていた虚構性を洗い出し、そこから「事実」を浮かび上がらせるのである。

 あるいは、津波は「事実」である。その事実は、時代を経るとともに「寓話」へと転化する。そして、いつの間にか「虚構」として顧みられなくなる。まったくの逆ベクトルが存在する。

 飯沼は歴史津波を追求することによって、伝承や伝説から「神話」へと突入した。神話の「虚構」性から「寓話」性を導きだし、さらには「事実」さえ浮かび上がらせようという算段である。

 さて「古事記」「日本書記」は歴史の書ということになっているが、これを完全な歴史の書とみている現代人はほぼゼロであろう。「事実」は「寓話」化されて、「国家」成立に貢献し、時には大いに役立つ。だが、科学が暴きだす「事実」性の前に、その「寓話」性は、ついには「虚構」であった、と決めつけられることにさえなりかねない。

 では、「ホツマツタエ」はどうであろうか。現在は、殆どが「虚構」としてとらえられているだろう。少なくとも「事実」として取り上げられることは、ほぼ皆無である。そのような状況下において、飯沼史観は、その「神話」の中の「虚構」性や「寓話」性を、知り抜いたうえで、敢えて「事実」の洗い出しへと突入しようとしている。

 飯沼の「無謀」な突出は、対象が、「津波」であること、「千年単位」の大スパンであること、そしてここがもっとも大事だが「3・11」の直後であることによって、「事実」性への接近の可能性が、あるかもしれない、と見られ始めている。

 そこに、飯沼本人がいうように、ホツマツタエの信ぴょう性が高まってきている、という可能性がでてくるのである。

<9>につづく

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OSHO「英知の辞典」 <29>寓話 PARABLE

<28>からつづく

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「英知の辞典」 <29>
OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本  579p

寓話 PARABLE

 時間は死だ。サンスクリット語にはその両方、時間と死を表わすひとつの言葉がある---「カル」だ。それはきわめて意義深い。この言葉は神秘家の体験からつくられたのに違いない。時間は死だ。時間のなかで生きることはまったく生きることではない。時間を超えることが生の始まりだ。

 それがこの寓話の意味だ。それは隠喩(メタファー)だ。ラザロはすべての弟子を象徴する。イエスはすべての師(マスター)を象徴する。イエスとラザロのあいだに起こったことが、あらゆる師とあらゆる弟子のあいだにくり返し起こる。弟子は自らの墓のなかに住んでいる。師は彼を呼び起こし、彼を目覚めさせる。

 だが、キリスト教徒たちは、この寓話を歴史的なものとして証明しようとしてきた。彼らはそこのところで誤った。喩えをあまりに拡大解釈するべきではない。そうでないと、それらはすべての意味を失ってしまう。意味を失うだけではなく、美しさも、詩も失ってしまう。それは醜いものに、無意味なものに、ばかげたものになる。人々はそれを笑いぐさにするようになり、きわめてだまされやすい人や、きわめて愚かな人しかそれを信じなくなる。

 けっしてメタファーを事実として受け取ってはいけない。それらは歴史と何のかかわりもないが、人間の内なる世界と何らかのかかわりを持っている。内なる世界の問題点は、それが喩えを使わなければ表現することができないということだ。それを表現するには詩を使わなければならないが、それでもそれは部分的にしか表現されえない。そのすべてが表現されるということはない。これらのすばらしい寓話を理解するには、深く共感できる耳と、深く共感できるハートが必要だ。あなたは信徒にならなくてもいい。

 信徒たちは問題をつくりだす。彼らは喩えを拡大解釈しすぎて、信徒ではない人たちが批判する理由を自らつくりだしてしまう。彼らは自らが犠牲者となり、自分たちを理屈の上で守ることができないようになる。これさえ理解すれば、もはや問題はまったくない。これを理解していなければ、あなたは信じて愚か者になるか、信じずに愚か者になるか、そのどちらかだ。いずれにせよあなたはその意味を取り逃がし、その指が月を指し示していることを見逃してしまう・・・・・。

 だが、私はこの寓話を寓話として愛している。それは寓話として意義深く、とてつもなく意義深い。それはここで起こっていることだ。あなたは私のもとに死者としてやって来る。あなたのなかの命はまだ種子の形でしかない。それは呼び覚まされ、誘いだされなければならない・・・・。

 ラザロは死んでいたのに違いない。ほかの誰もが死んでいるように。光明を得ないかぎり、あなたは死んでいる。自分が誰なのかを知らないかぎり、あなたは死んでいる。自分が誰なのかを知ったそのとき、内なる光が爆発し闇が消えうせたそのとき、あなたは生きるようになる。そこで初めて生きるようになる。そうなればもはや誕生もないし死もない。あなたは時間を越えて、永遠なるものを味わった。ラザロはイエスを通じて永遠を味わったのに違いない----それがこの寓話の意味するものだ。

 ラザロは、確かにイエスによって死から呼び起こされたのに違いない。だが、なぜラザロだけが? 多くの人が彼によって呼び起こされたはずだ---ラザロはその象徴にすぎない。しかし、それが実際に起こった現象というのではない。

 仏陀、イエス、ツァラツストラ、老子を理解しようとするときには、できるだけ事実を避けなさい---事実性を避けなさい。それらの寓話は事実とはかかわりがない。だが、語られていることが架空のことだというのではない。それは事実でもなければ虚構えもない。それは表現できないことを、本質的に、根本的に表現できないことを表現するための詩的なやり方だ。ただほのめかすことしかできないようなことがある。これらの寓話は暗示するためのやり方だ。あまり深刻にとらずに、ごく気軽に受け止めなさい。それらを楽しみ、その意味を発見しようとしてみなさい。そしてこのような出来事はほんとうに起ったのだろうかなどと、けっして気にかけないことだ。 ZEN:THE SPECIAL TRANSMISSON OSHO p171

<30>につづく

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「宮澤賢治 魂の言葉 」 宮澤 和樹 (監修) <1>

宮澤 和樹 (監修)  2011/06 ロングセラーズ 新書 218ページ
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 先日、所用で花巻に行った折、賢治の実弟の孫という人が経営している「林風舎」という、喫茶店やコンサートホールを兼ねた賢治グッヅのお店に行って来た。普段は頭の中でイメージしている賢治が、いきなり現実化するので、ちょっと、気恥しい。

 言葉や本、カードや小物、絵や焼き物、染物、CDや掛け軸など、賢治にまつわるさまざまなグッツが並んでいて、う~~ん、どれも欲しい。というか、全部買うのは難しいから、またチャンスがあれば、この空間を楽しみにくればいいんだな、と納得して、一冊だけ買ったのが、この本。

 二階のホールのソファにゆっくりと腰かけてページを開いた。3・11後、賢治をだいぶ読んだ。手にとった100程の作品の中で、いちばん3・11後の本としては、石寒太の「宮沢賢治祈りのことば」(2011/12 実業之日本社)を繰り返し読んだ。

 こちらの林風舎主人の「監修」する一冊も、それに先駆けて出されていた本であった。この二冊、感触としてはほとんど似ていて、同じ本と言ってもいいくらいの感動だった。というか、賢治を一冊の本にするのなら、こういう本にならざるを得ないのだろう。

 石寒太に比すれば、こちらは賢治の肉親ということもあり、よりヴァイブレーションが肉感的である。ましてや林風舎で読むとなると、まぁ、今のところ、この一冊が、私にとってはベストだった。

 この帰り道、途中で奥州市水沢で高速を降りて、雪の中の「日高神社」に参拝してきたわけだが、静寂な神域を散策しながら、私は思った。

 アラハバキ--ヒタカミ---ホツマ、というトリニティが存在するとすれば、賢治--イーハトーブ--法華経(異論あり)というトリニティが存在していもいいのではないか。そして、多分、賢治のイーハトーブは、ヒタカミ--ホツマ圏に取り込まれているのではないだろうか、と。

 取り込まれているとまでは言わないまでも、どこか地続きで連結していることは間違いないだろう。賢治ワールドは、個人的なイメージの世界が徐々に理解者たちに浸透し、現実化しているが、ヒタカミ・コミューン連合も、歴史の古代へと幻想化しつつ、ある種のユートピア幻想へといざなってくれる。

 賢治という人は、このヒタカミ・コミューン連合があったればこそ存在したのだろうし、ヒタカミ・コミューン連合も、賢治いればこそ、その実質が検証されたようなものである。

 う~~ん、コミューンも連合もいらないな。ヒタカミはヒタカミ、という言葉だけで十分だ。賢治も、すでにその姓を必要としないくらい賢治で十分だ。日本は、まるで賢治という人は、たった一人しかいないような、それくらい突出したオリジナリティだ。

 賢治がもっていたような、そのような柔らかく、密かで雄大で、愛に満ち溢れた世界へと繋がっているヒタカミなら、それは私たちの郷土を表現するというだけではなく、日本全体を表わし、アジアや世界全体を表わす言葉にもなってほしいと思った。

 イーハトーブは岩手という言葉に連結しているし、ヒタカミも北上に連結しているかもしれないが、日高見となれば、イメージとして自然と共存するアニミズムの世界へと、未来を切り拓く、重要なキーワードになってくれるかもしれないな、と思った。

<2>につづく

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2013/12/17

OSHO「英知の辞典」 <28>自然 NATURE

<27>からつづく
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「英知の辞典」<28> 
OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本  579p

自然 NATURE

 人間は文明を通してきわめて醜くなった。文明はほんとうは祝祭ではなく、呪いであることが判明した。私たちは遅かれ早かれ別の種類の文明を試みなければならない。それも早ければ早いほどよい。なぜなら、私たちが今日まで試みてきたこの文明は失敗が運命づけられているからだ。それはすでに失敗している。たんに崩壊するのに時間がかかるだけだ。それは巨大な構造物なので、崩壊するのにも時間がかかる。

 この文明が失敗したのは、それが自然に対立してきたからだ。人間は自然にきわめて傲慢な態度を示してきた。彼は自然を征服しようとしてきたが、それはまったくばかげている。私たちは自然の一部だ。その私たちがどうして自然を征服できるだろう? 私たちは自然そのものだ。自然と戦うことは自分自身と戦うことだ。それはあまりにも愚かしくて、あまりにも自殺的であり、どうして人間がそのような罪を犯すことができたのか、のちの世代の人たちは信じることができないだろう。

 人間はもう一度どうやって木々と、山々と、海と親しくなるかを学ばなくてはならない。私たちはもう一度どうやってそれらと友だちになるかを学ばなくてはならない---そして私のサニヤスはその大いなる後―ルに向けての努力だ。

 人間は自然に対立するのではなく、自然とともにあって初めて喜びに満ちて生きることができる。自然に対立したとたんに、私たちの愛のエネルギーは憎しみに変わってしまう。もし渡したいが自然とともに全面的な調和のうちに流れることができるなら、愛は育ち、成熟し、さらに統合されたものになるだろう。愛の成熟は人生で最大の贈り物だ。成熟した愛を知ることは神を知ることだ。なぜなら、それは喜びをもたらし、自由をもたらし、祝福をもたらすからだ。WON'T YOU JOIN THE DANCE! p270

<29>につづく

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2013/12/16

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <41>

<40>からつづく 

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」

<41> 児童公園と遺跡

 孫たちと暮らすということは、児童公園めぐりする、ということでもある。あちらこちらの児童公園にいった。動物園もいったし、アンパンマンミュージアムやら、イベントやお祭りやら、なるほどね、こんなにいっぱい子どもを誘っているところがあるんだなぁ、と驚いている。

 でもやっぱり、毎日行くのは、一番近くの児童公園。さもないゲートボール場併設の小さな公園だが、ここの片隅に遺跡がある。以前より、ずっと関心はあるのだが、重要なパーツとして独立していて、なかなか自分のジグソーパズルにはまってこない。

 弥生だか縄文だか、あるいは石器時代なのか、そんなことさえもあいまいなままほおり投げている。だが、すこしづつ、これらのバラバラなパーツが動き始めている。

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 偶然久しぶりにすれ違った知り合いの女性、彼女は博物館務めだ。彼女は、この近くの児童公園にある遺跡の写真を、最近撮影したらしい。今度の出版物の表紙になるそうだ。

 飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)以来、急速に古代史に突入しつつある当ブログではあるが、すこし急ブレーキをかけた。年末である。このまま突進すると、仕事に差し支える。すこし頭を冷やして、仕事を終わらせてから、また古代史トリップをしようじゃないか。

 OSHOの「英知の辞典」の中にある「文明」にも、軽くたしなめられた感じもする。アラハバキ、ヒタカミ、ホツマ、の世界への突入も悪くはないのだが、どうも、当ブログが持っている漠然とした調和点とは、すこしちがうところに行ってしまいそうなところがある。

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 アラハバキやヒタカミ、ホツマの世界は、当ブログにとっては、もっと原始的で、純真無垢な要素を強く持った広がりであるはずである。

 しかるに、文献あさりをしている限りにおいては、どうも、面倒くさいことが多くでてきて、楽しめなくなる時がある。みんな勝手なことを言って、バラバラなイメージとして拡散してしまいかねない。ここはすこし休憩して、頭を冷やそう。

 まぁ、それにしても、当ブログではいくつも支線が走っているわけだが、別に交差を避けているわけでもなく、予定調和的に交差結線させようとしているわけでもないのだが、この孫たちと遺跡が、日々日常的に交差していることを、発見し、いまさらながらに笑ってしまった。

 過去と未来が、いま目の前に展開していると思うと、不思議やら、おかしいやら、ひとりにやにやしてしまう。このレベルのことが、あちこちで、起きている。あちらのパーツとこちらのパーツが。そしてあれとあれ、これとこれが、見事にくっつき始めている。

 すぐ近くの公園であそぶ孫たちを見ていて、なんだか、とても神秘を感じてしまうのだよ。

<42>へつづく

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OSHO「英知の辞典」 <27>文明 CIVILIZATION

<26>からつづく
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「英知の辞典」<27> 
OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本  579p

文明 CIVILIZATION

どこにも文明などというものはないのだから、私は文明に対して異議を唱えようがない。文明は存在しない。それはたんなる見かけ倒しだ。人間はその素朴な原始的無垢を失ったが、だからといって文明を開花させたわけではない---なぜなら、それはけっして文明を培う方法ではないからだ。文明を開花させる唯一の道は、自らの無垢を基盤とすること、自らの資源の無垢を礎として、そから成長してゆくことだ。

 だからイエスは言う---あなたは生まれ変わらないかぎり、もう一度子どもにならないかぎり、真理がなんであるかを知ることはできない、と。

 このいわゆる文明はまがいものであり、それは偽金だ。反対するとしても、私は文明に反対しているのではない---なぜなら、これは文明ではないからだ。文明ではありえないがゆえに、私はそれに反対する。これはまがいものだ。

 こんな話を聞いたことがある---
 ある人が前の英国皇太子に尋ねた。「文明についてどうお考えになりますか?」
 「それはよい考えだ」と皇太子は応えた。「誰かが始めるべきだね」私はこの答えが好きだ。そう、誰かが始めるべきだ---まだ始まってもいないのだから。人間は文明を身についてはいない。ただそのふりをしているだけだ。

 私はふりをするということには反対だ。私は欺瞞に反対する。人間は自分が文明人であるかのように見せかけているだけだ。彼をちょっとでもひっかいたら、そこには文明化されていない人間が見いだされる。彼をちょっとでもひっかけば、すべては善のはうわべばかりであり、ありとあらゆる悪が深く根を張っているのがわかる。 

 これは皮一枚の文明でしかない。すべてがうまくいっているとき、あなたがにこやかにほほ笑みを振りまいているとき、誰かがちょっとした言葉を、例えば侮辱の言葉を投げつけると、あなたは狂ったように怒りだして、いまにも相手を殺しそうになる。ほんの一瞬前までは、あなたはほほ笑んでいた。一瞬後には、相手につかみかからんばかりになり、殺人を犯しかねない顔が浮かびあがってくる。はたしてこれが文明だろうか?

 人は真に瞑想的になって初めて文明を身につけることができる。世界に真の文明をもたらすことができるのは瞑想だけだ。ブッダたちがけが文明を開花させている。

 これは逆説だ。ブッダは原始的なものに反対しているのではない---彼らは原始的なものを基礎として使い、子どもの無垢を礎として用いる。その基盤の上に大寺院が建立される。現在ある文明は子供の無垢を破壊して、それから偽金を与える。まずあなたの原始的無垢が破壊される。ひとたび原始的無垢が破壊されれば、あなたは狡猾に、ずる賢く、計算高くなる。そうして罠に捕えられたあなたを、この社会はどこまでも手なずけてゆく。

 それはまずあなたを自分自身から疎外させる。いったん疎外されたら、次に偽金を与える---あなたはそれに頼らなければならない。真の文明はあなたの本性に対立しないし、あなたの子ども時代に対立しない。それはその上での成長になる。真の文明は原始的無垢にいかなる敵意も抱かず、むしろそれが花咲いたものとなる。それは高く高く昇ってゆくが、その根は原初的無垢に降ろされている。

 この文明はまさに気違いざただ。地球全体が巨大な精神病院になっているのが見えないだろうか? 人々は自らの魂を失い、人々はもはや「人々」ではない---彼らは自己を失い、自らの個性を失っている。すべてを失っている! ただそのふりをしているだけだ。彼らは仮面をつけ、自分本来の顔を失っている。

 私は文明に大賛成だが、これは文明ではない。だから私はそれに反対する。私は人間が真に文明を開花させ、文化を身につけることを望んでいるが、その文化はあなたのなかで育ってゆくしかない---外側から押しつけられるものではない。それは内側からのみ生まれてくる。

 周辺にまで拡がってゆくだろうが、それは中心から起こってくるべきもの、起こってこなければならないものだ。

 この文明はまさにその反対をやっている。ものごとを外側から押しつけている。世界中に非暴力の教えがある---マハヴィーラ、仏陀、イエス、彼らはみな非暴力を説いている。非暴力を説いたのは、彼らが非暴力を楽しんでいたからだ。だが、追従者たちはどうだろう?

---彼らはかたときも非暴力を楽しんだことがなかった。彼らは暴力しか知らない。だが、彼らは門人であるので、非暴力を装い、自らに非暴力を強い、品性を養っている。その品性は彼らの周辺部にあるだけだ。それは甲冑だ。深いところでは、いまにも噴火しそうな火山のように煮えたぎっている。そして表面には偽りの微笑み、プラスチックの微笑みを浮かべている。

 これは文明ではない。それは極めて醜悪な現象だ。そう、私は非暴力が内側から生まれてくることを望んでいる。それは外側から強化されるものではなく、手助けされなければならない。それが「教育 education」という言葉の本来の意味だ。

 それはちょうど井戸から水をくみ上げるのに似ている。教育とは引き出すことだ。それが「教育」という言葉が本来意味していることだ。だが、教育は何をやってきたか? それは何ものも引きださない---ただ詰めこむだけだ。それは子どもたちの頭にあれこれを詰めこみつづけている。子どものことは何ひとつ気にかけず、子どものことは考えていない。子どもはどんどん情報を詰めこんでゆく機械にされている。これは教育ではない!

 子どもの魂が引きだされなければならない。子どものなかに隠れているものが引きだされなければならない。子どもは型にはめられるべきではないし、その自由は手づかずにされるべきであり、その意識が成長してゆけるように手助けがなされるべきだ。知識を増やすことは教育ではなない! <気づき>を増やすことが教育であり、愛情を豊かにすることが教育だ。そして教育が文明をつくりだす。

 この文明は偽ものであり、その教育も偽ものだ。私が反対するのはそのためだ。私が文明に反対するのは、これが真の文明ではないからだ。OSHO THE TANTRA VISION, Vol1  「英知の辞典」p501

<28>につづく

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2013/12/13

ホツマで読むヤマトタケ(日本武尊)物語―古事記・日本書紀が隠した日本神話の真実 池田 満

ホツマで読むヤマトタケ(日本武尊)物語」―古事記・日本書紀が隠した日本神話の真実 
池田 満 (著) 2010/08 展望社 単行本: 229ページ
Total No.3142★★★★☆

 著者は1955年生まれ、1972年(17歳)にホツマのパイオニア松本善之助の「塾」で学び始めたということだから、相当早熟であったと思われる。その後、ホツマ関連文書の発見・解読・保存などに務めてきたということだから、現在58歳にして、この道ひとすじに人生を送ってきた、と見ればいいのだろう。

 他にも著書が多数あるので、総合的に判断しなければならないが、この道ひとすじ、という場合、その深さに比して、巾の狭さが気になるものであるが、著者の場合はどうであろうか。

 和田家古文書偽書騒動や旧石器ねつ造事件など、それこそ「想定外」のことどももよく起きるのであるが、ホツマツタエ、ミカサフミ、フトマニなどの、いわゆるオシテ文献の、信ぴょう性はいかなるものであろうか。

 その文書類のスタートを、すでに歴史は江戸時代以前にまで遡ることができそうだ、ということは分かっているが、それ以前のことは分からない。ましてや「古事記」「日本書紀」以前の、日本の歴史が書いてある、と言われると、通常の「科学」センスを持っている現代人ならば、その「立証」に対する「反証」や「検証」を求めざるを得ないだろう。

 その立証ばかりか、反証や検証も、いまだ道半ば、というより始まったばかりというイメージが濃いが、もし、わずかであっても、その存在が確認され、それを吟味するなかで、その深い「芸術」性に感動できるのであれば、それは、十分存在意義があるというものである。

 ましてや、さらにその世界のなかに、人間「意識」の神秘さを感得し得るなら、それはそれ、ホツマの世界に遊び、学び、生きた、ということになろう。

 この「ヤマトタケ物語」は、逆にいうと、いわゆる飯沼史観にどっぷり「浸かろう」としている当ブログの現在にしてみれば、ある意味、「余計」なストーリーも多くある。記紀神話理解も十分でない上に、さらなるホツマ神話など、混乱を極めてしまいかねない。

 しかし、飯沼史観を持ってして「完璧」「終結」を意味しない限り、常に、新たなる反証、検証、傍証の波に洗われる必要がある。

 そもそも、「ホツマ」自体が、記紀神話を下敷きにした現代日本の国の存在様式に対する「反証」である。アンチテーゼであり、「まつろわぬ」勢力なのである。当然のごとく、その道は険しくて当然であろう。

 この「ヤマトタケ物語」はですます調で書かれており、イラストや画像、図版が多くあり、私のようなそそっかしい読者にもやさしく解き明かそうという姿勢に貫かれている。そこにかかれている内容は決してやさしいものではないが、このような努力がなされていることに感謝し、諒とする。

 巻末に音楽CDがついている。

つづく

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「日本人の死生観」―蛇・転生する祖先神 吉野 裕子

Yosi
「本人の死生観」―蛇・転生する祖先神
吉野 裕子  1995/03 人文書院 194ページ
Total No.3141★★★★★

 この本において、ようやくリンクが閉じられたと感じる。ひとつのルートが完成したのだ。それは円環だった。

 かつて私はムー大陸に生まれかがり火を祭る若いミコになったが、ひたすら踊り祈るだけで、ムーの情念の文明が地震や噴火の「火」のエネルギーで滅びつつあることを知らなかった。

 やがてレムリア大陸に転生して都市計画者となった私は、球体を基礎とする理論を打ち立て功名を得たが、心の何処かに隙間を感じていた。晩年になって山中のコミューンに隠棲して土と汗にまみれながらも満たされた人生を送り、陰と陽の融合の文化を理解したものの、箱庭的平安に終始し「小乗」のカルマを残してしまった。

 転じてアトランティス大陸の科学的探究者となった私は、打ち続く自然の異常現象に危機感を持ち、海岸の岸壁にあった石窟寺院で仲間達と瞑想して文明の危機を救おうとしたが、すでに時期遅く知性に偏った文明は「水」によって滅びていく運命にあった。押し寄せて来た大きな津波から海岸を走って避難中、砂に足を取られてころび波に呑み込まれた。溺れて気を失い始めた時、忽然とムーよりやって来た一体の龍が天空に現われ、こんな約束をしたのだった。

 「ムーもアトランティスも偏った文明で滅びてしまった。いつか遠い未来にあなたはまた同じ様に文明の危機の時代に生を受けるだろう。再びその日が巡って来たら私はその時にこそ必ず来たって最大限の助力をするだろう。しかし、今回はこのまま行きなさい。
「湧き出ずるロータス・スートラ」「TSUKUYOMI」 1992/02

 ムーよりやって来た一体の龍が天空に現れる。そこに必要だったのは「死生観」である。科学として証明される必要もないし、芸術として共感を得ようとする必要もない。直感として意識が了解すれば、すべては輪廻する。

 「アラハバキ研究史」(「ネットワーク対談 東北を語る」1999/09 本の森)の「内容概略」を見ながら、もうこれは、この本しかないだろう、と思った。もちろん、この本もテーマを絞りこめているわけではない。しかし、要所要所にスピリチュアリティをかきたてるものがある。

 他界とは本来、見ることも手にふれることもできない、現生とは次元を異にする世界である。ここにいう他界とは、此の世に対する彼の世、つまり死後のみではなく、前世もふくめた他界である。古代日本人がこの他界をいかに感じ、それにどのように対応したかを見るには、まず彼らの信仰を見ることである。

 古代人の常として、他界にはそこを領する主が想定された。その主は彼らの祖先神であったが、このばあい、その的は彼らが何を祖先神としてとらえ、それをいかに信仰したかにしぼられる。

 古代日本人が信仰したのは、世界各民族に共通する祖霊としての蛇であって、縄文中期の土器土偶に見られるあらあらしく自由奔放に躍動する蛇の造型から、容易にそれを想像できるのである。p3「序」

 この序でほぼ足りるだろう。

 このように、いくつかの点から、太陽と蛇はかさねあわされ、その結果、祖神としての蛇に太陽信仰が習合されたとき、東から西への太陽の運行にもとづいて、地上にも東西軸が把握され、この軸を中心とした世界構造が創出されたと考えられるのである。p133「太陽と蛇」

 転生魂・多火手の、転生。

 日本中でもっとも古い神、縄文神高見産霊・日高見の第九代日高彦を祭祀する古社、熱日高彦神社が、いまもなお、宮城県角田市島田字島内から、海を、そして日本を見ている。飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」p345「あとがきにかえて」

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2013/12/12

「多賀城跡」―古代国家の東北支配の要衝 (日本の遺跡) 高倉 敏明


多賀城跡」ー古代国家の東北支配の要衝 (日本の遺跡)
高倉 敏明 (著) 2008/09 同成社 単行本 178ページ
Total No.3140★★★★☆

 こちらもこのタイミングで再読しておこう、と思って、自分のブログをググッてみたが、初回のメモがない。どうやらメモしたのは 進藤秋輝「古代東北統治の拠点 多賀城 」(2010/02 新泉社)だったようだ。こちらの本も手に取ってみたのは確かだが、メモするまで至っていないようだった。

 自らの生活圏にかかわる地元の歴史は知りたいと思うのが自然であるし、その場所がなにかかにかの言われがあるものであって欲しい、というのは、自然な人間の感性であろう。さまざまな可能性を探りたい。

 しかし、その期待が過剰になれば、和田家文書騒動や旧石器ねつ造事件などが起きてしまう。自らの意識に、アクセルとブレーキのバランス感覚を常に持ち続けなければいけない。そして、やっぱり、人間は、素直で、正直で、誠実であることが肝要だ。

 著者は長年、多賀城の遺跡発掘に携わった人で、すでに何十年も経過している。私のような門外漢の、性急な期待とは裏腹に、その研究成果を挙げることはそうたやすいことではない。地道で精緻な研究が長くつづくのである。

 私なんぞは、その「成果」だけが欲しいわけで、しかも、自分に関係ない「成果」などに目もくれない悪いくせがある。

 多賀城の城下に造られた方格地割りの街並みは、強制的な都市計画事業であり、多賀城のとともに東北に対する律令制支配の浸透を意味していると考える。多賀城は、都に次ぐ古代第二の都市であった。p162「古代都市多賀城の建設」

 こんなところに、「都に次ぐ古代第二の都市であった」と書かれていると、舞いあがってしまうが、ホントかな、と眉唾にもなる。少なくとも、この本と著者にはかなりの信ぴょう性があると思われる。にもかかわらず、「第二の都市であった、可能性がある」ではなく、「第二の都市であった」と断定している。

 すごいな、と思う。これが本当なら、私なんぞは、いままで何をみながら、多賀城のバイパスを通り過ぎていたのだろうと思う。そして、多賀城、って一体なんだったんだろう、と、改めて問い直してみようと思う。

 関連すれば、多賀城に先立つところの仙台太白区の郡山遺跡とはなにか、さらには角田の郡山遺跡はなにか、そしてやっぱり、熱日高彦神社とはなにか、というところまで、遡っていくのだった。

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旧石器遺跡「捏造事件」 岡村 道雄 (著)

「旧石器遺跡『捏造事件』」 
岡村 道雄 (著) 2010/11  山川出版社 単行本 248ページ
Total No.3139★★★☆☆

 こちらもゆっくり時間をとって精読、というわけにはいかない。このような本が最近になってでたのだ、ということを確認しておくことにとどめる。事件の側に10年程立ち会っていた著者が当時を回顧する。

 だまされた最も大きな原因に、精神的な背景や研究姿勢の甘さがあったと思う。以下それらについて検討してみたい。なお、このような面については、有名な偽書「東日流外三郡誌」(以下「偽書」と略記する)事件に共通点が多いので、理解を助ける部分について参考にして説明したい。p159「第三章 捏造発覚から10年を経て/見破れなかった私の甘さ」

 和田家文献についてはまだ「偽書」という烙印は押されていないのではないかな。ほとんどそうだと決めつけられているが、決定的な確証に欠けている。だが、著者にしてみれば、他人の関わったことなど、簡単に「偽書」と断言してしまう。

 旧石器遺跡捏造事件のほうは、「捏造」として断定されているだろう。いずれにせよ、この二つに共通項を見つけることは、そう難しいことではない。あるいは、同じ時代背景として、空中浮遊やハルマゲドン破滅説に巻き込まれた、自称「インテリ」たちも、同じ心理構造で、「死刑」になっていったのだった。

 このような時代の逆風の中にあって、1996年にでた飯沼勇義「仙台平野の歴史津波」(宝文堂)も、さまざまな思惑をもった人々から遠巻きにされ、障らぬ神に祟りなし、とされた可能性は十分ある。私もその群衆の中の一人である。

 ただ、3・11が的中するに及んで、驚愕するばかりでなく、他の部分についての研究も、まったく無視する、という態度もできなくなった。そもそも3・11以前はこの書を知らなかったわけだが、飯沼は、決して3・11のみを予言しているわけではない。ホツマに関する姿勢や、ヒタカミに関する歴史観などは、私は飯沼史観などと名付けてしまっているが、その立証態度に対し、反証勢力にも目を配り、自らの眼や足で検証(ごっこ、でしかないが)していく心構えが重要となるだろう。

 物事を「科学的」に捉えることは、実に大切なことである。美しいものを見たいとする「芸術」的な創造や願望があることも確かなことである。そして、究極には、澄み切った「意識」を併せ持って、生きていかなければならない。

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「WIRED×STEVE JOBS」 『WIRED』 保存版特別号<1>

「WIRED×STEVE JOBS」 <1>
『WIRED』 保存版特別号 2013/10 コンデナスト・ジャパン 雑誌 p178 kindle版 WIRED関連リスト
Total No.3138★★★★★

 当ブログがもし、「2013年上半期に読んだ新刊本ベスト10」を例年どおり作成したら、間違いなくランクインする一冊。っていうか、これをいれてもまだ10冊にとどかないのだが・・・・(汗)。 

  でも、その中でも、ベスト3にも入りそうだ。飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」があるからトップというわけにはいかないが、それでも記憶に残る一冊である。

 映画の『スティーブ・ジョブズ』も素晴らしかった。今、当ブログはこちらの流れにない。だが、この本が手元にあり、いつもチラチラと目を通している、ということだけ、メモしておく。これらを踏まえて、あらたにスティーブ・ジョブズを再考するタイミングが、そう遠くない時期にくるだろう。

<2>につづく

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「角田市史別巻 2 角田歴史読本」 高橋富雄

Kaku
「角田市史別巻 2 角田歴史読本」 
高橋 富雄/著 1986/3 角田市史編さん委員会/編集  単行本 169p+72p
Total No.3137★★★★★

 この本をめくっても、やっぱり驚いた。読んだところは、せいぜい、郡山遺跡と熱日高彦神社と、それに斗蔵山のところだけなのだが、それを1986年の段階で、高橋富雄というビッグネームが書いているところに驚いた。

 びっくりついでに、スキャンしてこちらのページに貼りつけておこうかな、と思ったが、あまりのページになるので、それはやっぱり無理だった。なに、読みたくなれば、図書館に入っているし、どうしても、ってところは紙でコピーでもとっておけばいいかな。

 とにかく、今日読んだところでは、やっぱり、角田の郡山遺跡もすごくって、仙台市太白区の郡山遺跡とも、関連しているだろう、ということ。この地も、実は私は年に何回かいくところだった。ほう、あそこが、そんなに重要なポイントだったとは。

 著者は、熱日高彦神社を高く評価しながらも、もっと評価されるべきは、斗蔵山のほうだろう、と言っている。これは1986年の段階でのレポートである。飯沼勇義の「知られざる中世の仙台地方」 (宝文堂)がでたのも、まさにこの年であった。かなりの量の資料を集めていたとされる飯沼であるから、当然、次の研究結果に、この角田市史を検討して加えていったことは間違いないだろう。 

 だとすると、これは、もうすこし、これらの最近に及ぶまでの調査研究結果を追わなければならないな、と感じた。

 そんなことですと、阿武隈の国は、みちのく最初のエゾの国として、最初の日高見国と考えられたということは、十分あり得ることです。もしそんな意味で、「遠日高神」というようなつもりでの「熱日高彦」ということだったとしますと、これは、東国日高見と北上日高見の間の阿武隈日高見の神ということになり、阿武隈国のしんがりにくる伊具の性格を、まことによく示すものということになるとおもいます。たのしい古代史になりそうですね。p40高橋富雄

 にわかには、右、左、読み分けることはできないが、すくなくとも、著者も、すでにこの時点で、このようなことを語っていた、ということは、私にとっては驚きだ。

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2013/12/11

「ネットワーク対談 東北を語る」―偽りのない社会をめざして 千坂げんぽう・鎌田敏昭他

 


「ネットワーク対談 東北を語る」偽りのない社会をめざして
千坂 げんぽう 鎌田敏昭 他  1999/09本の森 単行本 430ページ
Total No.3136☆☆☆☆☆(この本0点)

 ははは、この本、0点。「だまされるな東北人」(1999/03 本の森)の続刊でもあるし、アラハバキについて、「反証」的であっても、なにごとか書いてあるので、あくびをしながら、途中まで読んでいたが、東北旧石器文化研究会会長(当時)の鎌田敏昭と著者の対談が出て来るにあたって、私は、顎が外れるくらい笑った。

 何が「だまされるな東北人」だよ、何が、「偽りのない社会」だよ。よく言うよ。

 本書でも高く評価されている藤村新一が、鎌田のすぐ側で同じ会の仲間として、旧石器ねつ造事件を起こして(っていうかずっとやっていたんだよぉ)、それが発覚したの2000年11月のこと。だまされていたのは、自分たちだったんだよな。ほんと笑っちゃう。この対談の一年後、この人たち、どんだけ驚いたかな。

 当の藤村本人は、離婚し、病院に入院して雲がくれてして、再婚して、相手の姓をなのり、福島あたりで年金暮らしをしているらしいが、千坂とか鎌田とか、どこかの寺のボーズらしいが、いまでも、ボーズやってんだろうか。

 「発掘の天才、藤村新一氏との出会い」p204。

 わらっちゃうどころか、驚天動地の心境だっただろうなぁ。だまされちゃった東北人は、君たちだったんだねぇ~~~www 偽りの社会を形成していたのは、君たちのネットワークだったんだ(笑)。ついでに(爆)。

 やっぱ、大口たたかないほうがいいね。出版社の、「本の森」社も、こんな本を出しているようじゃ、大した本屋じゃないな。日本内部的な犯罪だった和田家古文書問題と比して、世界的な犯罪となってしまった旧石器ねつ造問題で、世の中は、こういう世界へアレルギーを持ってしまっている。罪は重いね。

 アラハバキについてリストがついていたので、転写しておく。当ブログの方向性とは対称的な「反証」的な取り上げ方なのだろうから、これを根拠とせず、こちらも、このリストを「反証」的に使わしていただこう。それにしても、誰がまとめたんだろう。出典はどこ?

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「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <7>

<6>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <7>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

岩沼の里

黎明期(縄文)時代

日高見国(日高見山、千貫山)の展望高台
日高見国の南限は福島地方全域に及ぶ
日高見国の聖地・・・角田、島田地内
熱日高彦神社阿福麻水神。阿武隈川
日本最古の唯一の縄文神なのだ。
影倉山(角田、島田)と千貫山(岩沼)の高台は南の日高見国だった。

国府時代

(西660~690年)国府武隈館、岩沼の千貫山麓に造られる。最終は多賀城に国府が造られるまでの最古の国府。
多賀城への資材供給の場所。
日本最古、最大の歴史津波があった所。
倭国から大和の人々の東北進出は阿武隈川河口から。後の大和政権の東北進出の基地。千貫山には倭国の人々の二つの集落があった(南長谷、北長谷)。
(二つの千貫山伝説、松伝説、慶長津波)
 p61

「武隈館」 宮城県岩沼市

って、どこにあるんだろう。本書のどこかに岩沼市千貫根方、とあったから、根方公会堂を曲がってみる。

1_2

 と、なにやら、それらしき高台が見えてくる。(やはり、どうやら、この中央から右あたりがアヤしい 2013/12/18追記)

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 お、遺跡のポールが立っているぞ。長谷古館跡となっている。

 古書により、岩沼の千貫山麗の長谷城址が旧武隈館址であることが明らかになった。そして昔からここ、千貫山は、松と巫女伝説があったことで有名だった。p324「伝説からの真実の追究」

3
 現在では、南長谷地区の集会場として使われているらしい。

4

 かなり広い敷地である。

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 かつては岩沼市千貫小学校の長谷分校としても使われていたようだ。

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 敷地内から、中央向こうの千貫神社を望む。なるほど、至近距離である。

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 敷地内には、それらしき自然石に加工を加えたものが、転がっていたりするが、石碑とか遺跡関連のものかは判別つかない。

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 近くの弧線橋から太平洋川をながめてみると、見晴らしのよいところである。ただし、現在は阿武隈川沿いにある製紙会社の煙が、すごい。

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 裏手から現在の建物を望むと、それらしき風景が出来上がっている。

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 表側から見ても、最高のロケーションである。時代とともに、台座は削られたりしたらしいから、往時の面影をどれほど保っているのかは、定かではない。

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 南側に回って全体を見てみる。ここに武隈館があったのだとしたら、それは素晴らしかっただろうな、と思える。

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 ここが、千貫山の松並みの稜線だったのかな。

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 近くを散策していたら、メガソーラーまでは行かないが、農地を転用したのだろうか、太陽光パネルの工事をしていた。ああ、今はそういう時代なんだな。日高見は日高見でも、いまは太陽光発電の日高見であった。

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 長谷古舘跡は、長谷城址の別名であるようだ。(2013/12/18追記)

Hase1
Hase2 「岩沼市文化財だより」平成15年2月1日号3面より

 住所が「根方」とか「蛭」とか「玉崎」とか、複数の表記がでてきたので、さてどうかと思っていたが、ほぼここで間違いないだろう。

9

 上の画像(南方から北方を望む)でいえば鉄塔右下の体育館のような建物の位置ではなく、鉄塔左下のこんもりとした森のようなところあたりが、長谷城址つまり武隈館跡、ということになろう。

 ただし、現地に行った時は、どうも私有地のようなので、入ることはしなかった。それと、やはり、時代の変遷の中で、上の土が削られているようで、遺跡は砂利などとともに煙滅しているかもしれない、などと、勝手に想像した。

<8>につづく

 

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飯沼 勇義 「仙台近郊の歷史資料 第一報」 1953年 <1>

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「仙台近郊の歷史資料 第一報」 <1>
飯沼 勇義 1953/04 地域社会研究会(東北大学教育教養部内) ガリ版小冊子 28p
Total No.3135★★★★★

 飯沼勇義という方を知りたいとするなら、貴重な資料となろう。発行は1953年。私もまだ生まれる一年前のことである。この時代から、教員生活を始めながら、地域の資料を集め始まったようだ。

2  特段に「津波」に特化しているわけではないが、調査している地域が、まさに今回の3・11で津波を被災した仙台市若林区の仙台平野であることが、分かる。地域を愛して調査しているうちに、次第に「歴史津波」があぶり出されてきた、ということになろう。

 7
 奥付を見ても、極めて真面目。ガリ版であるが、口絵がオフセット印刷で一枚綴じ込まれている。非売品ながら1000円の定価がついているのは、この資料が図書館が受入れた1992年3月13日に、何らかの古書店などが介在したからだろうか。

 どういう経緯で図書館資料になったのかは定かでないが、1986年の「知られざる中世の仙台地方」が出されたあとに、前後の資料が必要となった人がリクエストしたのだろうか。受入れ3年後の1995年に「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う!(宝文堂)が出版されるわけだが、著者は、すでに1993年当時には、その原稿をほぼ完成させていたに違いない。

 いずれにせよ、学校区内の「地域研究」から始まり、郷土史としての「仙台平野」にその視野を広げながら、やがて、規則的な「歴史津波」の存在に警鐘を鳴らし、自ら「被災」して自説を立証し、そして自らの歴史観を「ホツマツタエ」に求めつつある、という著者の生涯を語る上で、貴重な資料となろう。

<2>につづく

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2013/12/10

「だまされるな東北人」―『東日流外三郡誌』をめぐって 千坂 げんぽう (編集)


千坂 げんぽう (編集) 1999/03 本の森 単行本 295ページ
Total No.3135★★★☆☆

 「東日流外三郡誌」(以下、和田家文書)に関する、この手の批判本は限りなくでてきそうだが、原田実「幻想の荒覇吐(アラハバキ)秘史」(1999/03批評社)に続いて、この本をめくってみたのは、地元の出版者からの発行だからだった。編集者にも多少面識があるが、この本がでた時の人々なのかどうかは知らない。

 2冊も読めば、大体どういう傾向の評価がされているのか、分からざるをえないし、今さら、このいわゆる和田家文書を云々して時間を費やす気はない。

 昭和48年12月25日に刊行された「車力村史」に「東日流外三郡誌」が引用されていたのである。p254

 「公的」出版された「偽史」がスタートするのは、この地点らしい。この時代と地名に、不思議な縁を感じる。前年、高校を卒業したばかりの私は、ミニコミを作っているということで、NHKテレビに出演したことがある。その時、共演したのは、青森県の車力村小学校の分校に勤務していた安田慎氏だった。彼を尋ねたのが、この年代の冬である。

 ああ、このお騒がせな書物は、あの時代に、あの空間から飛び出してきたのか、と、懐かしくさえ思う。

 南都六宗は、今の宗派とは違うのです。今の仏教の宗派につながるのは、天台宗と真言宗からなのです。今のわれわれのイメージの宗とは違って、奈良時代の南都六宗は、正式のお坊さんが学ばなければならない、六つの学問の分野なのです。(略)

 今の宗派と奈良時代の宗派は違うのです。東大寺というのは、華厳宗を中心に学ぶところなのです。興福寺は法相です。東大寺で学ぶ華厳と興福寺で学ぶ法相は、やや傾向が違うのですが、そこで学ぶ人は、華厳のほかに成実を学ぶとか、法相の人は三論を学ぶとかしているのです。千坂げんぽうp77「東北の『歴史改竄』に関係した人々」

 本の趣旨からは外れてしまうが、この「三論」に、今後当ブログも突入しようと思っていたところだった。

 しかしまぁ、このような「逆風」の中で、1995年に飯沼史観が世にでたのかと思うと、その軋轢や、ただごとではなかっただろうな、と思う。私なんぞは、このような世界からはさっさと遠ざかっていた。

 でも、今回の3・11で、津波ばかりではなく、飯沼史観は、どのように「反証」、「検証」されていくことだろう。すくなくとも、この本には「ホツマ」に関しては一切書かれてはいないし、それに類する勢力を積極的に書いているところはない。

 ヒタカミについても、ほとんどなし。ただ、アラハバキについては、あちこちで触れられていて、和田家文書ばかりでなく、アラハバキそのものが、あやふやなものと見なされているようである。

 ただ、なんだかこのタイトルが変だな。騙されたのは、東北人ばかりではなく、あちこちの好事家だったのではないか。東北人だって、最初からほとんどの人は騙されていない。あるいは、「なんでも鑑定団」を見るまでもなく、日本各地で、似たような事件は起きているのではないだろうか。視野を広げれば、世界的にも、同じようなことは起きている。

 地元の出版社からとは言え、やはり、ここで「東北人」を使うのは、あんまり気持ちよくないと、東北人の一人として思う。

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石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作<12>

<11>よりつづく

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「時の葦舟」三部作 石川裕人戯曲集<12>
石川裕人 2011/02 Newton100実行委員会 単行本 p262 石川裕人年表
★★★★★

 ついに当ブログ進行形のカテゴリ名にまで上り詰めてきた「時の葦舟」。さて、これからどんなストーリーを展開してくれるだろう。

 三部作の未来編、古代編、現代編の、それぞれの年代は、AD2275年08月、BC2100年頃、AD1995年7月、 という設定である。1995年と言ってもすでに20年まえのこととなり、むしろ現代編より、未来編のほうが内容がフィットするほど、時代は経てしまった。前回書込み

 現代編の時代背景の設定はともかくとして、未来編のAD2275年08月と、古代編のBC2100年頃、というのは、どんなものだろうか。

 まず、未来編。西暦2275年と言えば、2013年の現在からすれば、252年後のことに過ぎない(と、つい思わず書いてしまった)。地球生命の46億年、恐竜が栄えた白亜紀、ジュラ紀、三畳紀などの数億年前、あるいは人類が誕生した数十万年前、などをスケールにしていると、わずか数千どころか、数百年など、あっという間なのではないか、という気になってくる。

 数百年サイクルでやってくる津波、例えば、これから200年後に津波がやってくるとして、その時まで、人類は、原発問題を解決できているだろうか。一連の政府の対応や、広瀬隆の一連の「予言」、あるいは、桐山靖雄の小説などを、本当に人類は、もうダメなのではないか、とさえ思う。

 これから約250年の間に、少なくとも巨大津波が襲うチャンスは沢山ある。そして、それまでに、海岸に林立する原発がなんら反省もされずに運転され続ければ、著者の描く、地球人の滅亡は当然の帰結となるだろう。

 そして、その時、「電脳化した父」と、「霊的存在の母」とともに、時の旅をする「勇気の少年」というものは在り得る。

 そこに、転生魂・多火手の未来を見ることができるだろうか。多火手は「勇気の少年」だろうか。あるいは「電脳化した父」だろうか。はたまた「霊的存在」となっているだろうか。それにしても、大猫「タクラマカン」とは一体なにか。

 中国大陸の砂漠だが、この砂漠の地底から、アガルタ王朝を幻視することも、不可能ではないかもしれない。

 一方、古代において、BC2100年頃、とはどんな時代であっただろう。一遍には思いつかないが、「ホツマツタエ」の歴史観を使うなら、それほどイメージできないわけではない。ヒタカミ王朝の亜種として見ることはかのうだろう。

 いやいや亜種どころか、本家本流としてのヒタカミBC2100年をイメージしていくのが、これからの当ブログの主旨なのだ。登場人物たちのキャラがダブってこないこともない。

ギガ(サーカディアン国・幼皇帝)
ムーア(皇太后)
ゲラン(執政官)
宿阿(預言者)
 p96

などのリストを見ていると、これらをヒタカミ王朝のドラマの一つとして、見て見れないこともないかもしれない。苦肉の策だが・・・・・。この時、転生魂は、幼皇帝ギガなのか、あるは、執政官ゲランなのか、預言者としての宿阿だったのか。

 そして、現代編。1995年となっている現代編は、考えようによって、この2013年とは地続きである。このふたつの時間を、ひとつの肉体で生きている人々は多い。

 この二つの未来と過去をつなぐ「現代」に生きる、転生魂・多火手とはなにか。そもそも多火手はいま生きているのか、いないのか。そして、多火手の宿命とはなにか。多火手に可能性は残されているのか。

 というような、とっかかりを作りながら、まぁ、この戯曲を解き明かしていくのも悪くあるまい。

<13>につづく

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「日本超古代史の謎」 神代文字が明かす日本創世の原像 佐治 芳彦

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「日本超古代史の謎」 神代文字が明かす日本創世の原像
佐治 芳彦 1984/12 日本文芸社 新書 p227
Total No.3135★★☆☆☆

 「捨てるに捨てられないモノ」シリーズに分類されるだろう一冊。今から20数年前、この手のシリーズをやたらと読んだ一時期がある。自分の好みというより、そういう時代風潮があったのだろう。でも、地理や歴史はあんまり興味ないので、結局は自分の道をこれら一連の中に見つけることはできなかった。

 この本のタイトルもなかなかいいのだが、この本の中にはいわゆる古史古伝と言われるものが多数含まれており、今となっては「偽書」と断定せざるを得ないものも含まれている。立証、反証、検証の、正統歴史学の手段を持たない私なぞは、その真贋の見極めがつかないので、いい加減振り回された揚句に、吹き飛ばされるのがオチである。

 しかるに、この佐治芳彦は随分読んだので、一体この人の正体というか本性はなんであったのか、今一度確認しておくことも必要かな、と思う。さらに、これらの本に「紹介されているため」に、「ホツマ」に対しても疑義の眼を向けてきた私は、今一度、この本の中に紹介されている「ホツマツタエ」の章を読みなおしてみた。

 今から30年前のデータを基礎として解説している限り、多少のずれはあるが、こと「ホツマ」に関して言えば、史料としては役立つようである。

 ただ一点、「ホツマ」に関わる姿勢が気になる。結局は、私自身が他の「古史古伝」とわけて「ホツマ」を考えるのは、その存在に「信ぴょう性」があるからではなく、自らの存在にダイレクトに関わってくる「ホツマ」を無視できないからである。

 つまり、私自信にとって、さけて通れない古史古伝があるとすれば、「ホツマ」ということになる。この辺、数ある中のひとつとして「ホツマ」を見ている著者とは、姿勢はまったく異なる。さらに、著者があげている中の一書などは、現在、ほぼ完全に「偽書」とされている。これも、場合によっては、かなり自分に関わってくる書物だったのだが、「偽書」とされてしまうことにおいて、なんだか徒労感のみが漂うのである。

 今敢えて、これらの中から「ホツマ」を拾いだそうとし始めているのは、一点、飯沼史観があっての故である。飯沼史観といえども、「最終最高」ではあるまい。今後も、かなり大きな修正が図られていくに違いない。

 ましてその中身が、本質的に、かなり「異端」視されかねない内容も含んでいるわけで、それらについても、つねに、「反証」、「検証」の眼を持っていきたいと思う。

 これらの「徒労感」と、「避けては通れない」必然性、どちらが勝るのか。前回は徒労感が、余りにも大きすぎた。私にとっては、終わった世界であった。しかるに、今再燃しようとしているのは、何事であろうか。

 もうすこし様子を見よう。

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「一九九九年地球壊滅」 桐山靖雄 <2>

<1>からつづく 

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「一九九九年地球壊滅」
桐山靖雄 1988/12 平河出版社 単行本 394p
★☆☆☆☆

 この本についてメモしたのは、すでに5年前のことである。さらにこの本を読んだのは、その20年近くとあって、なにを今さらと我ながら思う。だが、いくつかのメモを追加しておこう。

 その前に、前回の記事にコメントがついていたのを今気付いたので、それを転記しておくことにする。

 <一九九九年地球壊滅>って出版年が 約23年前じゃないですか!? 先週末の大震災後の原発事故の進展状況はその内容に近い部分を示しているように思います。 (2011.03.19 15:31:14) 富豪九龍ケン さん

 この日付の時点で、私は3・11被災まっただなかにあったため、電気はかろうじて復活していたものの、通信手段がダメージを受けていたため、メールやブログの点検ができなかった。すぐ返信できなかったことを、あらためておわびします。

 さて、今回思い出したのは、「先週末の大震災後の原発事故の進展状況はその内容に近い部分を示している」からだった。だが、どこまで「近い部分」か、となると、問題なしとはしない。

 1999年直前の原発事故がテロリストの手によるとするところ。その原発は福島ではなく、福井県の三浜原発であるとするところ。世界中で事故が起き始めているところ。そして、それは単に一人の老人の夢だった(p337)とするところ。もちろん、この年代の設定も間違っている。

 「大震災後の原発事故の進展状況」に似ているというのは当然のことと思われる。破断とか電源喪失とか、それらの用語については、1986年のチェルノブイリ事故の直後1988年にこの本がでていることを考えれば、どこかの本を「丸映し」した可能性はある。だから、これはオリジナルな予言とは言い難い。

 逆に言えば、一般に、このような「最悪な事故」は常に想定されてきたのが原発なのであり、それを推進させてきた勢力は、みんなで渡れば怖くないの心理が異常に発達していたせいなのである。

 すくなくとも、この本においては「原発事故」は「夢」なのであり、桐山靖雄自らを模したと思われる勢力が、この原発事故を止めることができる、と豪語しているかぎり、まぁ、「はずれた」と断言せざるを得ない。

 いろいろ問題のある本であるが、この本の下劣なところは、337pから392pが「袋とじ」になっていて、「ネタばれ」しないように隠されているところである。一般の恐怖心を利用した悪宣伝なのであり、困ったものだ、と私なら思う。

 これらの汚点はまず置いておくとして、今回またこの本に触れたのは、前回もメモした口絵が思い出されたからである。

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 「その求聞持堂というのが、またユニークなのです。私も一度参加したのですが、巨大なドームの中には、大洋の怒涛に面した岩窟の瞑想場があり、サハラ砂漠のような果てしない砂漠があり、というように、空間を巧みに使って、さまざまな修行道場をつくり出しています。(後略)」p385 「地球壊滅」

 転生魂・多火手が、仮に7世紀後半の津波に遭遇していたとすれば、それをイメージするには、この画像とどこかリンクするところがある。さらには、この時点で、ヒタカミとヤマトが拮抗していた場合、藤原京時代の「仏教」は、三論宗に依拠するらしいことがわかってきた。しかもそれは「阿含経」にも関連しているようだ。

 そんなわけで、虎児を得んとすれば、まず虎穴に入らざるを得ないのかな、と、躊躇し始まっている。どうも口はばったい言い方になってしまうが、今はこの程度のメモだけして、今後、さらなる展開を期す。

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2013/12/09

a mini magazine 「すくりぶる」 12

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「すくりぶる」12号
阿部清孝 1972/03 すくりぶる社 ガリ版ミニコミ p98
Total No.3134★★★★★

 見慣れた町のあちらこちらに

 忘れ去られた石仏たちよ

 呪われし末裔に

 取り着く事すら疲れ果て

 三途の川を

 何処まで流され行かんとするのか

 全て永劫の中に鎖されんとする時

 その呻きを己れ以外の

 一体如何なる者に聞かそうとするのか 裏表紙

 

 飯沼史観の中に、名取川河畔の村々にある板碑についてのことが書いてあり、そういえば、小さい時にも、自分の周りにもあったなぁ、と思い出した。そのことについては、博物館に勤めている友人の妹さんも関わった、地域の板碑の調査があった。たしか、その一冊がわが書庫にも、あったはずだ。

 そんなことを思い出しながら、自分が高校生時代に出していたミニコミのことを思い出した。詩らしい詩もかけなかったが、何事かを表現したいとは、常に思っていた。

 この一節は、我が家の南東の角の辻に、多分10個くらいまとまってあった石仏たちを見ながら作ったものだった。あれは、お墓だったのか、板碑だったのか、当時の私にも、現在の私にもわからない。

 しかし、もともとお墓があるところではなく、私が高校生時代には、代々墓が作られ、そこに基礎などとして改葬されていった。石仏ばかりか、私自身も忘れていたことであるが、この度、我がふるさとにも津波が押し寄せ、一気に、記憶が噴き出した。

 今の私には、町のあちらこちらに忘れ去られた石仏たちや板碑たちの、呻き声が、聞こえ始まったような、そんな気がする。

 高校生時代に作っていた個人ミニコミは12号まで続き、この詩を最期に終了した。その後は、コミューン「雀の森」での季刊雑誌「時空間」へと続いていった。

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「甦る古代 日本の真実」 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解く 千葉 富三<2>

<1>からつづく 

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「甦る古代 日本の真実」 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解く<2>
千葉 富三 (著) 2012/08 文芸社 ハードカバー  877ページ

★★★★☆

 こちらの書は、同じ著者の「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩(2009/7/1 文芸社)の後続の書である。そそっかしい行きずりの読者でしかない当ブログとしては、その経緯は定かではないが、内容的には、ホツマツタエ40章と、ミカサフミ、フトマニ、が収容されている。 

 まったく同じホツマ文字(ヲシテ)で印刷されているが、こちらは、より重点的で、解説が付け加えられているようなので、より読みやすいのかもしれない。

 いろいろ考えた。立証、反証、検証、というが、そもそもが、ホツマツタエ自体が、「古事記」「日本書紀」への「反証」として提出されたものだったのではないか。だとするなら、必要以上に「ホツマツタエ」に対する風当たりも強い、ということになる。

 「古事記」「日本書記」信奉者にとっては、「ホツマツタエ」の「反証性」こそが恐怖なのである。万が一「ホツマツタエ」にいくばくかの正統科学性を認めるとすれば、その記紀の根底は大きく崩れることになる(すでに崩れているのだが)。

 例えば、国府多賀城の前の国府として近年、国指定の史跡となった仙台市太白区の「郡山遺跡」について、記紀ばかりか、類縁の書物には、一切出てこないという。それは、抹殺され、封印されてしまった歴史であることは、ほぼ間違いない。

 そして、それに先んずるところの、さまざまな遺跡が語るところは、記紀の網羅する世界から大きくはみ出し、それこそトンデモない広がりを見せているのである。今や、記紀完全主義者に未来はない。

 本書でも引用されている原田実などのホツマツタエ偽書論者たちは、それこそ「立証責任の転嫁」などをせず、堂々と胸襟を開くべき時代がきているようだ。

 さて、私は、この「1300年の封印を解く」という文言を見る時、ざわっと胸騒ぎがする。この1300年という年代は、西暦700前後、飯沼勇義いうところの「仙台沿岸地震」があった年代であることだ。

 869年の貞観津波を遡ること200年あまり、この地に仙台平野に押し寄せた津波は、多賀城以前の国府、郡山遺跡にあった施設を直撃していた可能性があるのである。広瀬川、名取側に挟まれた三角地帯に、大津波が押し寄せた可能性は大きい。

 そして、その時、地域にもまた、大きな痕跡を遺したことは間違いないのだ。例えば、郡山遺跡の南方1キロには名取川が流れ、約1キロの河川を挟んださらに1キロの地点に、あらたなる一つの痕跡がある。

___1
 市制88年を記念して、1978年に仙台市「杜の都 名木・古木八十八選」に選ばれた柳生カヤの木(太白区柳生2丁目)である。樹齢約1300年、とある。今から35年前の推定なので、樹齢約1335年、ということになるだろうか。となれば、その誕生は、西暦678年、ということになる。

___3
 さまざまな言い伝えが残されているが、せいぜい源頼朝あたりまでのことだ。この木の根元に馬を留めたという「伝説」は残る。しかしそれは、せいぜい約800年前のことである。その時点で、このカヤの木は、すでに500歳の老木であった。

___4

 根元には、薬師如来の社が祀られ、昔より地元民のよりどころとなっている。この薬師如来、というのがどうも気になる。あちこちの水害にあった地域には、薬師如来が登場するのである。

 このカヤの木は、名取川から南へ1キロ、1335年の年月のうちには、流域も変わっただろうから、定かではないが、いずれにせよ、西暦700年前後とされる仙台沿岸津波の時、ひょっとすると、河岸で生き残った一本のカヤの木だったのかもしれない。

___2

 とするなら、このカヤの木は、当時からの出来ごとを、ずっと見続けてきたことになる。誰が樹齢1300年以上と鑑定したのか。これから調べて見ようと思う。そして、もしそれが本当なら、この木を調べることによって、土地の津波の氾濫地域なども、分かるかもしれないのである。

 カヤの木本人は、立証、反証、検証など、必要ない、とおっしゃるであろう。実際に、こうして存在している。いまだに若い芽を出し、年々に実を付けている。地域のマンションの子どもたちの遊び場だ。子供が遊びに来てくれるのが一番楽しそうだ。

 「1300年の封印を解く」という時、私はいつも、このカヤの木のことを考える。

つづく

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「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩 千葉 富三 <2>

<1>よりつづく 

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「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩<2>
千葉 富三  2009/7/1 文芸社 ハードカバー 1227ページ
★★★★☆

 なにはともあれ、ざっと目を通してみる。大体の構成は、ホツマツタエの本文を、ホツマ文字(オシテ)、カタカナ(音表記)、漢字読み下し、の横書三段訳、として表記してある。だからもとももと松本善之助氏などが掘り起こした元々のホツマツタエとは、基本的に同じものである、ということになるだろう。

 それらが1000ページほどあり、それを包むように、前段での解説、後段の検証が、それぞれ100ページあまりづつ存在する。つまり、著者の言を拾いたければ、まずは、この前後の数百ページをめくれば、まずは大略の一部はつかめるということになる。

 前段の「解説」はともかくとして、後段の「検証」については、かなり突っ込んだ内容が書かれている。「第3部 秀真伝”36”の検証」p1057。「36」には、別段意味はない。著者が気付いた36のポイントからの「検証」である。

 原田実(あるいはテレンス=ハインズ)に言わせれば、正統科学になりたければ、立証、反証、検証、が必要ということになる。ここでは「検証」ということになるのだが、当ブログにおいては、そもそも立証も反証も立ち会っていないので、ここでいきなり「検証」から入るのもどうかと思う。

 もうすこし基礎的学習なり、助走が必要であろう。そう思ってみるのだが、そもそもが松本善之助の一連の研究が現代ホツマの突破口をつくり、鳥居礼などの追加文献が、それを補助し、佐治芳彦などの「物書き」が、面白ろ可笑しく書きたてて輪を広げていたとすれば、私は、それなりに、かつて、その「輪」に加わっていた、ということになる。

 20年前、私には「ホツマ」は難しかった。とにかく面倒くさい。これらの歴史を全部学ばなければならないのか、と思うと、うっとうしくなった。「ホツマ」という言葉の響きに誘われるものの、次第次第に身を遠ざけた。これは私の道ではないな、と。

 その時代は、敢えていうなら、ホツマ研究の「立証」の時代にあったのである。その事実を私なりに「見ていた」ことになる。

 そして、その後の1990年代のいわゆるスピリチュアリティ「逆風」の時代、メディアを中心に、類似のデータに関しては、かなりの質と量で、「反証」が行われた。その当事者ではまったくないけれど、間接的に、あるいは半間接的に、その「反証」の場に、私もいたのだと思う。

 私は、反証する側であり、また反証される側でもあった。いずれにせよ、おびただしい論戦が繰り広げられ、あんまり戦いの好きではない私は、それらの場から、静かに立ち去らざるを得なかった。「論争」が好きでないのである。

 イニシエーションの場において、私はマスターOSHOから、「議論をしている人々に神が宿ることはない。感性を通じて神にいたりなさい」と申し渡されている。

 私が論争が嫌いだ、と言ったら、過去の友人たちは笑うだろう。私自身「論戦が好きな人間」だと思っていた。それを喝破したOSHOは、私に「感性」というサニヤスを与えた。

 それからの私は、務めて議論から遠ざかるようになった。いまでもツイッターやフェイスブックなどの「論戦」には一線を引いている。しかしながら、だからと言って、これまで、私の「感性」が見事に開かれ、「神」に至った、という風でもなさそうだ(失笑)。なにはともあれ、表立った論戦には参加しにくいスタイルをとってきた。

 ここに来て、「検証」である。

 これまでの経緯で、3・11後に、次第にホツマの方へ流れてきた訳には、いくつかの経緯がある。まず飯沼勇義「3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ」(2011/6 鳥影社)に、ホツマツタエがかなりの重きを置いて紹介されていたこと。

 そして、今回思いだしたのだが、青木純雄他『よみがえる日本語』 ことばのみなもと「ヲシテ」(2009/05 明治書院)が、一年ほど前に、さる方から贈本されていたことだった。その時の印象をすでに当ブログにメモしている。

 そして、今回さらに飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)が発刊されるに至って、私のホツマ「熱」はふたたび、その幕を切って落とされた、と言える。

 今現在、当ブログにおいて、飯沼史観で述べられている史跡や地理的ポイントを、自分の足で「検証」中である。そしてまた飯沼史観における、ちょっと危なっかしい(と見えてしまう)「立証」性について、私は私なりに、「反証」可能性を求めて、模索を始めているのだ。

 ホツマについても、一通り、自分の「足」で歩いてみなければなるまい。その一環として、飯沼御大が推奨している限り、この千葉富三著書を、自分なりに「検証」しなければならない。

 しかしまぁ、それにしても、ホツマそのものは、私のような、アワでドジな門外漢には、なかなか手がでない。あわわわわ~~、である。

 うん、あ、わ・・・・?

<3>につづく

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2013/12/08

「解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <6>

<5>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <6>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

 北上川の中流域には水沢(現・奥州市)があって、ここにも日高見神社が祀られている。この日高見国から北方東北を望み、ここから内陸の南方東北の前沢、平泉、一関、古川方面の蝦夷地を望む格好の情報を得るところであった。p103「国づくり創世記の津波」

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 岩手県奥州市水沢にある古式ゆたかな街並み。

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 なんとも参道が長く、すばらしい。

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 長い期間、守られてきたというオーラがぷんぷんする。

4

 参道の向こうにようやく社が見えてくる。

5

 石畳みが格調を調える。

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 小雪舞うなか、静かに鎮座する山門。

7

 なにゆえの「ひだか」神社なのだろうか。

8

 老杉がそびえ、天皇がこられた記念碑もある。

9

 近くには日高幼稚園などもあるが、子どもたちがいなければ、静かなたたずまいだ。

10

 深く低頭する。

11

 折からの小雪が舞っている。

12

 「日高神社」の格調がピンと張り詰める。

13

 しめ縄も実に見事である。

14

 待っていてくれたかのように、吹雪となる。もう神秘の世界だ。

15

 「日高神社」。静かに安置されている。

<7>につづく

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シリーズ<捨てるに捨てられないモノ>その2 子供たちの書道作品「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」<6> 

<5>よりつづく


「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」 <6>
リズ・ダベンポ-ト/平石律子 2002/09 草思社 単行本 222p

シリーズ<捨てるに捨てられないモノ>その2 子供たちの書道作品

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 すでに自立して家を離れている子供たち。その子供たちが、小中学校時代の校内書道展で賞をもらった作品。他にもいろいろな題があったのだろうが、この二作品が残された。

 上の子が「地球」で特選になり、下の子が「生命」で銅賞をもらった。親ばかの私は、平等になるように、ふたつの作品を並べてパネルにいれて飾っておいた。

 それぞれに表具して、掛け軸にでもしようかな、なんて思っていた時期もあったが、もうそういう時期も、いつの間にか過ぎた。

 茶の間に飾っておいたパネルもいつの間にか、納戸の中に。孫も増えて、だんだん、行く場所もなくなったので、もう廃棄しようか、なんて思う時もあるけれど、やっぱりそれはむりだな。

 私は、小学生だった我が子たちが、二人で「地球生命」という作品をプレゼントして巣立っていってくれたことに感謝しているし、誇りに思っている。

 いずれ、ブログのタイトルバックにでも使おうかな。この画像も、廃棄しようと思っていたフロッピーの中からでてきたもの。

<7>につづく

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プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <40>りんくう公園にて

<39>からつづく 

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」

<40> りんくう公園にて

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        ひこうき、みえたかな・・・・?

1

        ぼくものりたいなぁ・・・・・

<41>につづく

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「甦る古代 日本の真実」 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解く 千葉 富三<1>

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「甦る古代 日本の真実」 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解く<1>
千葉 富三 (著) 2012/08 文芸社 ハードカバー  877ページ
Total No.3133★★★☆☆

 「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩、の姉妹編。後続である限り、ましてや3・11後の出版となれば、こちらもまた目を通しておく必要があるだろう。

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 なんせ、この大冊である。通常の当ブログなら、まずはその本が存在することを知って、そして、図書館から借りだせることを確認してしまえば、あとは、いつ読みだすか分からないという、「ツンドク」なってしまいかねない。

 そもそも、アラハバキ、ヒタカミ、ホツマについてのいくつかの書籍は、我が家の本棚にいくつか転がっているのである。いや、今は天井ロフト改造につき、段ボールの中におさまっている。

 「捨てるに捨てられないモノ」シリーズの中に何冊か含まれている。でも、いろいろな経緯があって、私はその道に深入りしなかったし、自分の道だとも思えなかった。だから、惜しいけれど、捨てようかな、と思っていた矢先である。今回も、目を通したとしても、やっぱり捨てよう、という風になりかねない。

 しかしそれはもう20年も前の研究の一式である。こちらの千葉富三著による一連の「研究」は、ひょっとすると、それらとは一線を画す、大変な価値を持っているやもしれない。飯沼勇義推薦のシリーズとなれば、飯沼史観初学の徒として、まずは、一度拝読せねばならないだろう。

 私が「秀真伝」を知ったのは平成13年---。東北の古代に関心を持つ者がそれぞれの分野からの研究と親交を深め合おうと、ある下の設立総会が宮城県古川市(現・大崎市)で開かれ、会議がひととおり終わったところで、出席者の方から「ホツマツタエ(注・原文ホツマ文字)のすすめ」という小冊子が配られたときでした。

 その副題は「日本の真実の歴史 真実の姿と心を伝える」というもので、「ホツマツタエ」という言葉そのものが私にとって初めて、もちろん初めて見る「ほつま文字」もその中にありました。

 ある会というのは「あらはばき学会」といい、そのちきの出席者は70名ほど、現在の会員は半数の30数名に減りながらも「年報」は10号まで出されてきたました。だが、「ホツマツタエ(注・原文ホツマ文字)」の方は、はっきり関心を示したものは私のほかには今日まで、ついに一人もありませんでした。p872「むすびに---もう一つの真実」

 おや、1933(昭和8)年生まれ、すでに高齢の方だから、永年ホツマの研究に当たられた方かと推察さしあげていたのだが、割と最近ホツマに出遭われたようだ。平成13年と言えば丁度2001年。出会ったという時間経過だけを考えれば、私のほうが10年も前のようだ。

 各所に「松本善之助」の名前が見えるので、かつて20年ほど前に、私がめくったホツマ関連の書物と、ルーツにおいて、そう大きく変わるものではなさそうだ。ということは、そのうちチャンスがあったら、段ボールから我が家の「ホツマ」本達を解放して、目を通すことも必要になるかもしれない。

 で、その「研究」とやらの、その「成果」はいかほどのものなのだろうか。興味シンシン。

<2>へつづく

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「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩 千葉 富三 <1>

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「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩 <1>
千葉 富三  2009/7/1 文芸社 ハードカバー 1227ページ
Total No.3132★★★☆☆

 この度の東日本大震災の巨大地震発生に伴う大規模津波襲来の破壊力はすさまじいものだった。この破壊が、宮城県沖の海域から南下し始めていることで、改めて、日本最古の書と言われる「秀真伝」の内容の信頼度が高まってきている。p27飯沼勇義解き明かされる日本最古の歴史津波」

 以前の書より、飯沼史観においては「秀真伝」がしばしば登場するが、今回のこの書においては、その度は、極めて高くなる。

 「秀真伝」は、今回の大震災を通じてその信用度が高まってきているが、その「秀真伝」を引用し、高見産霊・日高見を解説した人がいる。岩手県遠野市に住む千葉富三氏である。千葉氏は21年7月に「甦る古代 日本の誕生」(文芸社)を刊行した。飯沼勇義解き明かされる日本最古の歴史津波」p81

 うへへへ・・・・・、あると聞いてリクエストしてみたが、実際に手にとってみると、ド迫力である。後続の「日本の真実」と合わせてみるとご覧のとおり。

T1

 おーい、年末の多忙な折、これほどの大冊と取り組んでいる時間はないよ~~ん。泣いてしまった。ましてや図書館の貸出期間中に、ページだけでもめくることはむずかしい。

 日本最古の書「秀真伝(ほつまつたえ)」には、日本の歴史の夜明けともいうべき新時代の始まり、神々の登場が克明に書かれており、現在この古書の真実性が高まってきている。この「秀真伝」は、「甦る古代 日本の誕生」(千葉富三著、文芸社)によると、今を遡ること3730年前、紀元前1718年に書かれた書である。飯沼勇義解き明かされる日本最古の歴史津波」p47

 しかしながら、飯沼御大がこうおっしゃるなら、一度は目を通しておかなければならないだろう。

 この本、1227ページの大冊ながら、1000ページ近くはいわゆるホツマ文字で書かれた「ホツマツタエ」そのものである。三段対訳となっている。だから、いままでも他の文献で翻訳されている「ホツマツタエ」とどう違うのか、ちょっとわからないし、この本でなければ読むことができない内容でもないかもしれない。

 敢えて読まなければならないとしたら、1227-1000ページの残り数百ページであろう。であったとしても、二冊併せて500ページあまり、いささか、そそっかしい当ブログの読み方では、その真奥を覗き込むことは不可能なのではないだろうか。

 「秀真伝」に書かれている日本の神の源神・縄文神の居住地は、縄文時代から規則性をもって何回も何十回も繰り返し巨大地震と大規模地震を齎(もたら)した震源地を特定できる場所だった。それは巨大地震と大規模津波を起こす震源地の東西直列上の西方で、牡鹿半島の内陸部を流れる北上川の河口より約30キロ上流の宮城県石巻市桃生町太田地内にある高台だった。
 この高台は、縄文人の居留地であった。
飯沼勇義解き明かされる日本最古の歴史津波」p56

 さぁ、こうたびたび「秀真伝」が登場するのであれば、いずれは、この書と格闘せねばならないのだろう。逆に言えば、これが万が一、原田実「幻想の荒覇吐(アラハバキ)秘史」が揶揄するような、立証、反証、検証を拒否するような、「騙り」に類するようなものであったりすれば、即、飯沼史観の全体像が崩れかねない、大変な問題なのである。

 日高見国は紀元前1176年、864人にわたる天下り、天孫降臨があった。天孫降臨に関わった神々は、このような帝王学を学んだ人々である。日高見国(宮城県石巻市桃生町太田地内)と日高見の山手宮(多賀城)、そして、日高彦の日高見国(宮城県角田市)は、こうした帝王学を学ぶ聖地であった。この二つの日高見国は少なくとも数千人規模の神々たちの住まわれた聖地であった。飯沼勇義解き明かされる日本最古の歴史津波」p97

 文脈の流れから、割り引いて読み進める必要があるものの、すでにこの辺では断定口調である。その遺跡や痕跡としての神社などは現在でも「検証」できるものの、記紀にはなく、「秀真伝」にあるとされる、これらの「史実」は、いわゆる飯沼史観の「空白期」研究の、大きな「傍証」となりえるのだろうか。

 千葉氏は永年、「秀真伝」の研究に携わり、何が真実でどこに誤解があったのか詳細な研究を積み上げてきた。その集大成が「甦る古代 日本の誕生」である。これは平成21(2009)年に出版された。

 この本の中で、縄文神、高見産霊・日高見を取り上げ、日本誕生について、その原点は日高見であるということを叙述している。現代の日本の歴史では、日本古来の神は天つ日嗣神でこの神は元を正せば、縄文の一神教「荒脛巾神」の信仰を源流としていると考察している。飯沼勇義解き明かされる日本最古の歴史津波」p331

 さあ、いよいよ大変だぞ。

 日本にも紀元前に、エジプト文明同様、縄文文化が高見産霊・日高見と言われる地方に存在していたのに、どうしてこのような歴史文化が消滅してしまったのであろうか。ただ憤りを覚えている。
 千葉氏の「秀真伝」の研究は、その真実性が解明されるきっかけになった。
飯沼勇義解き明かされる日本最古の歴史津波」p352

 この本、5000円を超える高価本である。おいそれと購入できない。地元の公立図書館でも、県内では一か所しか所蔵していない。そうそう簡単に読めないな、と思っていたところ、どうやら、この本は、電子本で、しかも700円(一章)という安価な値段で購入できるらしい。おいおい、ホントかな。

 「秀真伝」に限らず、言い伝え、伝説の中の真実をどのように掘り起してゆくか、これからの歴史学、そして防災対策にとって重要課題である。飯沼勇義解き明かされる日本最古の歴史津波」p31

 なんにせよ、なにはともあれ、当ブログでは、今さらながらに、おっとり刀で、この領域に、風車と大男を見間違うようなドンキ・ホーテよろしく、突っ込んでみようと思い始めているのである。

 つまり、当ブログは、まあ、ドンキホーテを乗せて旅するロシナンテあたりの役回りかなぁ。

<2>につづく

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幻想の荒覇吐(アラハバキ)秘史―『東日流外三郡誌』の泥濘 原田 実

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「幻想の荒覇吐秘史」『東日流外三郡誌』の泥濘
原田 実 1999/03 単行本 単行本 255ページ
Total No.3131★☆☆☆☆

 ここで書かれていること、あるいは、その批評の対象になっていることどもの真贋について深く入り込むことは、当ブログの現在の進行にとっては、あまり意味のないことである。ここで書かれていることは、タイトルの陰に隠れてしまっているが、アラハバキそのものについてではなく、「東日流外三郡誌」という書物(?)の真贋についてである。

 ニューヨーク州ペース大学心理学助教授のテレンス=ハインズは疑似科学と正統科学とを見分ける目安として、次の三つの特徴を挙げている。
 1、反証不可能性
 2、検証への消極的態度
 3、立証責任の転嫁
 さて、この三つの特徴に注意してみるならば、「東日流外三郡誌」真作説が疑似科学であることは疑問の余地もあるまい。
p30「疑似科学の三大特徴」

 対象や「真説」うんぬんはとやかく突っ込まないとして、とりあえず、この三大特徴とやらは、まずキホンとして頭に入れておこう。

 当ブログは、現在、飯沼勇義の歴史津波研究のデータをもとに、当ブログの個的な探究を始めようとしている。いわゆるアラハバキ、ヒタカミ、ホツマ、の世界である。これらの世界に再突入するには、この三大特徴とやらは、ひとつの規範にはなってくれると思う。

 あるいは、まずは当ブログにおいて、この原田実著の本をめくること自体、反証、検証への積極的態度、当事者責任、を全うしようとする態度である、としておこう。

 キタニ ケンクワヤ ソショウガアレバ ツマラナイカラ ヤメロトイヒ 宮沢賢治

 まさに、「北」にある、「喧嘩」や「訴訟」をとりあげている本書の主題は、個人的には私は「ツマラナイ」と思う。少なくとも、この本一冊を読んでも、得るところは少ない。

 私がかつて昭和薬科大学の副手・助手(人文科学)として奉職していた当時、「東日流外三郡誌」をはじめとする和田家文書の調査に携わったことがある。
 当初、その庁舎は和田家文書が真正の古文献であり、史料として貴重なものであることを証明しようという意図の下に始められたものだった。
 和田家文書の稚拙な文体や矛盾した内容も、見ようによっては素朴さの顕れと解し得たのである。
 ところが調査が進むに従って、当初の目的には不利な事実が判明してきたのである。
p13「歴史偽造は許されるべきか」

 著者がこの件に深く関わろうとした経緯が見えてきた。また、その立場であるなら、この件に関して関心のある向きには、この人にしか書けない貴重な意見となるだろう。

 私が八幡書店に入社したのは1984年の春のことである。私の主な仕事は「ムー」に掲載する記事と広告を作成することだった。(その筆名の一つに「伊集院卿」があったといえば、古くからの「ムー」読者なら頷かれることだろう。p192原田 実「オウム真理教と現代日本の擬史運動」

 まぁ、この辺りから推測するに、業界人たちの、目くそ鼻くそを笑うの類の一冊であろうと、うっちゃってしまうことは可能である。

 ただ、この本が出版された1999年という年回りを考慮しなければならないだろう。1995年に発覚したオウム真理教事件の累々たるおぞましさは、すべての思想や思索に悪影響(あるいは反省)をもたらした。この時期にこのような本がだされること、あるいは、それに先立つこと、その対象の「偽証性」あるいは、いわゆる古代遺跡の偽証問題が度重なってみれば、その門外漢の私などは、さっさと、その場から足をひいてしまうのである。

 だから、1990年前後からそれとなく興味をもってめくっていたいわゆる「ホツマ」本からは、さっさと手を引いてしまったのだった。それがよかったかどうかは、今となってはわからない。ただ、90年代後半はインターネットの脅威的な発展があり、そちらの動向に気を紛らわしていた、というべきかもしれない。

 今回、飯沼史観によって、また「ホツマ」へ再突入しようとしている。そして、問題はいまだに、本質的には解決されていないだろうことを知る。

 ガリレオ・ガリレイは「それでも地球は回っている」と言った。もし、飯沼勇義の生存中に3・11が起きなかったら、彼は、打ち首獄門に値する騙り屋として、ほおむり去られたことだろう。門外漢の私なんぞはその存在も知らずに一生を終えただろう。

 しかし、時代は変わった。地軸が動いたのである。天動説が地動説になるほどの、大きな革命である。リ・ボルトだ。リボリューションである。

 飯沼の技法は、「空白期」の研究である。なぜに「空白」が起きたのか。ここが検証も難しければ、反証も難しいところなのだ。しかし、彼は、立証責任感について、人一倍強かった。3・11をひとり「予言」し、「検証」に奔走し、万民の前に「立証」してしまった。私たちの時代のガリレオ・ガリレイだ。

 何はともあれ、アラハバキ、ヒタカミ、ホツマ、の前には、検証も反証も立証も、かなり難しい面がある。その道は、必ずしも「正統科学」の道とばかりも言えない。時には、想像だったり、直感だったりする。そして、「真理」とは、かならずしも「正統科学」のみ立証できるものである、とは考えてならない。

 もちろん、迷盲な偽りや騙りは最初から論外だが、立証不可能性、立証不必要性、そして、説明不可能性を、多く含んでいるのが、「真理」であると、まずは最初に肝に銘じておこう。そして、それを含み得るから偉大なる「科学」であるとさえ、言えるのである。

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2013/12/07

NHKスペシャル MEGAQUAKE II 巨大地震 第3回 “大変動期"最悪のシナリオに備えろ [DVD]

<第2回>からつづく

「MEGAQUAKE II 巨大地震」 第3回 “大変動期"最悪のシナリオに備えろ [DVD] NHKスペシャル NHKエンタープライズ DVD発売日: 2012/09/21 時間: 73 分
Total No.3130★★★★☆

 この回では、火山活動に言及する。そして、世界遺産にもなった富士山爆発の可能性をも示唆する。

 

巨大地震 MEGAQUAKE

大地の変動を誰も止めることはできません。 

それでも、私たちは、災害の驚異にたちすくむことなく 

次の時代へと命をつないでいくのです。「大変動期の前に科学は何ができるのか」

悲壮な響きを持ったエンディングだった。

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[DVD]NHKスペシャル MEGAQUAKE II 巨大地震 第2回 津波はどこまで巨大化するのか

<第1回>からつづく

「MEGAQUAKE II 巨大地震」 第2回 津波はどこまで巨大化するのか
NHKスペシャル販売元: NHKエンタープライズ DVD発売日: 2012/09/21 時間: 49 分
Total No.3129★★★★☆

 巨大地震というタイトルではあるが、この回は特に津波に焦点を当てる。福島原発への津波の迫り方などをシュミレーションする。原発そのものの危険性の説明は一切ないものの、ほとんどの視聴者はそのリスクに気づかざるを得ない。

 浪分神社や、末の松山などの説明があるが、今村教授がでてくるだけで、それらを16年前から明確に指摘していた飯沼勇義については、まったく無視している。

 映像の力があるだけに、訴える力はあるが、どうしても情緒的だ。クリアな意識で、この番組を見つめる必要がある。

<第3回>へつづく

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[DVD] NHKスペシャル MEGAQUAKE II 巨大地震 第1回 いま日本の地下で何が起きているのか

「 MEGAQUAKE II 巨大地震」 第1回 いま日本の地下で何が起きているのか

NHKスペシャル DVD発売日: 2012/09/2 販売元: NHKエンタープライズ 1 時間: 49 分 [DVD]
Total No.3128★★★★☆

 本もでているが、それはこちらの番組をまとめたもの。放映された番組を家族は見ていたが、私は見ていない。見る余裕がなかった、というか、見たくなかった、というべきか。

 後出しじゃんけんではないけれど、どうも地震予知に関して言えば、誰も正確にできなかったし、できるものではない、という確証さえ得てしまった、というべきか。専門家であればなおのこと、「後悔の念」が強そうだ。

 いくらデータを積み上げても、人間の力には限界がある。少なくとも、天災、地災、人災で言えば、天災としての地震は避けることができない、と、ギブアップすべきなのかもしれない。

 地災としての津波は、普段からの心構えで、少しは被害を回避できる。あるいは、それでも、人間の力には限界がある。

 人災としての原発事故は、完全に避けることができる。それは、即原発ゼロを実現すればいいのだ。でも、それは無理なようだし、すでにこれだけ放射性廃棄物をつくり出してしまったあとでは、もう無理なのかもしれない。

 この番組、これだけ地震と津波に触れながら、なぜに原発に触れないのだろうか。片手おちだな。

 この番組には、3・11震源地にもっとも近い島としての牡鹿半島の先の金華島の映像が複数でてくる。飯沼勇義はあまり金華山に触れることはない。どうしてだろう。

<第2回>へつづく

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「原発ゼロ社会へ! 」新エネルギー論 広瀬 隆 (著)

広瀬 隆 2012/11 集英社 新書: 256ページ
Total No.3127★★★★☆

 当ブログ選定「3・11三大予言書」のひとつ。今回、他の「赤本」飯沼勇義「仙台平野の歴史津波」、「黒本」NHKスペシャル「巨大地震」と、「黄本」広瀬隆「原子炉時限爆弾」 大地震におびえる日本列島。その黄色本の後続の中の一冊。著者の本は多くあるが、現在図書館で読める本の中では新しい方である。

 私は正直言って、この本を読みながら、明るい未来の理想郷より、石川裕人が描くところの「時の葦舟」三部作「未来編」を思い出していた。AD2275年、地球に人類は生きているだろうか。あと260年余りのち、地球人はもやは地球を離れているのではないか。そして、かつて生命体として繁殖した人間は激減しているのではないか。

 原発ゼロは、すでに標語としては、「陳腐」なものになっている。地元民や過激派、共産党から、一部地方自治体の長まで、堂々と反原発を述べ、原発ゼロ社会を説く。ごく最近では、自衛隊出身の宮城県知事まで、脱原発を口にする時代である。

 だが、その標語とは裏腹に「原発ゼロ」は実現する方向にはない。安部政権は、ベース電力としては原発は必要として、停止中の各地の原発の再稼働を虎視眈々と狙っている。日本の原子力技術を輸出の要にしないと、日本経済の再生はあり得ない、という論法だ。

 この本の主旨は、即「原発ゼロ」にせよ、という趣旨である。もっともなことだ、と賛成する。即「原発ゼロ」にしても問題ない、とするその主旨には大賛成だが、そうならない。何故か。

 何故か、など問うていても仕方ない、という諦めさえある。もう、無理なのだろう。即原発ゼロにしたところで、すでに、この20世紀最大の汚点、原発の負の遺産は、累々と積み上がってしまったのだ。その処理のために、あと何十万年もかかるのだ。

 何十万年もかかって原発汚染物質の処理をするより、どうやら人類は、この地球を捨ててしまったほうがいいようだ。

 嘆いてばかりもいられない。我が家でも、水力発電、風力発電、小型太陽パネルなど、小さな実験を繰り返しながら、その実績を調べながら、ようやく太陽光パネルを屋根に上げたばかりである。

 その成果のレポートは今後も続けるとして、我が家でのちっぽけな消費電力がどうのと言ってみたところで、この人類の驚くべき貪欲さと頑迷さにおいて、結局は、自滅する以外にないのではないか、と、おそろしくなる。

 エコウィルと並んで、家庭用コジェネの理想的な発電機とされるのがエコファームである。この分野では、想像を超える事態が進行しているようだ。多くの人の認識が改まったのは、エネルギー報道の最先端を走るガスエネルギー新聞の一面トップに、「ビックカメラ 量販店でエネファーム」の見出しが出た2012年7月11日のことであった。p97「エコファーム(燃料電池)に期待される未来のエネルギー」

 著者は、個人的対策としては、みずから自宅でも導入しているガスを利用したエコファームを推奨している。今後、太陽光パネルの次は、我が家でもこのシステムを考慮中ではあるが、所詮、セーブできる電力は微々たるもので、気休めにもならない。

 即原発ゼロを提言する小出裕章氏などに比較すれば、著者の論法はすこし乱暴である。どこか野武士的、政治家崩れ的かけひきが感じられる。この人を敵に回したくはないが、味方につけたとしても、本当に我が身を守ってくれるかどうか、分からないところがある。

 自然エネルギーとして大々的に普及できるエネルギー源は、大都会であっても、ひなびた町や村でも、住宅でもビルでも設置でき、何ら自然界に支障をきたさない太陽光発電・太陽熱利用である、と言える。p171

 そして、この太陽光パネルは良い面は多くあるが、完全なる救世主にはならないことを指摘するし、私にもその意味はよくわかる。シェールガスなどの新しい技術も各種開発されてきているが、私などのドシロートが、いちいち調査検討するような問題でもなさそうだ。

 いずれにせよ、当ブログは、人類の未来について、特にそのエネルギー問題については、まったく楽観的な態度をとることはできない。

 一昨年に、「原子炉時限爆弾---大地震におびえる日本列島」(ダイヤモンド社)を書いたのは、静岡県の浜岡原発中心だったが、実際には、日本の地殻変動の変化を調べていたので、太平洋プレートが激動している状態は大地震が到来する兆候だと直感して、本心からこわかった。だから太平洋岸の原発はアブナイと警告して、原発のある宮城県・福島県・青森県・茨城県を学習会で回っていた。

 なぜその言葉が的中したかを、マスメディアは真剣に考えるべきである。大地震の発生は、予言ではなく、誰もが気づかなければならなかった科学の真理だからである。p205「地球の気温と電力コストの予測」

 著者の「予言」は終わっていない。

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2013/12/06

「日高見の時代」―古代東北のエミシたち

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「日高見の時代」―古代東北のエミシたち
河北新報社 (著) 1990/07 河北新報社 単行本: 226ページ
Total No.3125★★★☆☆

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「日高見の時代」―古代東北のエミシたち
野村 哲郎 (著) 2010/07河北新報社 単行本 211ページ
Total No.3126★★★☆☆

 この本、20年を経て改訂版がでている。図書館には二冊並んで収容されていた。私は以前の初版本を蔵書している(仮に1版としておく)。改訂版(仮に2版としておく)も、大きく変わったところはないが、そもそもは、新聞に3ヵ月に渡って掲載されたものの再編集本であり、新聞社の著書名で出版された。

 2版になって、その新聞記者の個人名が著者となって再版された。そこにどのような意味があるのか、正確には測りかねるが、この本が1990年と2010年では、出版される意味は微妙に違ってくるだろう。

 この20年で文献研究や発掘調査がさらに進み、研究者の世代交代もあって、本書の記述にはない新たな事実や学説が多々提示されていることも申し添えます。2版p4「はじめに」

 現在、当ブログは、アラハバキ、ヒタカミ、ホツマの世界に再突入しようとしている。ヒタカミは、当然重要なキーワードの一つである。しかしながら、この本に書かれているところの「日高見」は、8世紀から14世紀あたりの東北の「戦争」の歴史であり、これを、現在の当ブログが興味深く見ているわけではない。

 むしろ、この本で展開される前の7世紀終末あたりまでの東北の「ホツマ」の世界をこそ訪ねたいと思う。勿論、探索の仕方によっては、7世紀までの東北だって「戦争」の連続である。謀略とか、戦いとか、血塗られた歴史には、本当はあまり関心はない。

 ホツマツタエ、という言葉もある。それは、勝手な解釈だが、ホツマを伝えた歴史書、という位置づけにしておく。歴史書、あるいは歴史に関心があるのではなく、古代東北に生きていた人々の真実=ホツマにこそ、関心がある、ということにしておこう。

 勝手な位置づけだが、仏教の仏僧法にならって、アラハバキ=仏=ブッタ、ヒタカミ=僧=コミューン、ホツマ=法=瞑想法、という拡大解釈で接していくことにする。この順番は、一般的には、仏法僧となっているが、当ブログでは、仏僧法の順番とする。

 かつての古代東北にも、ブッタたちはいたはずであり、その影響下に人々はコミューンを作っただろうし、そこで伝えられた瞑想法があったはずだ、という、仮説である。

 したがって、あまり血塗られた戦いの歴史は好みではない。また、ヒタカミをコミューンとみるのであって、「巨大組織」や「国家」と見ることも好まない。そして、何か資料のような経典のような物質化された「根拠」がほしいわけでもない。

 ホツマツタエについては、だから20年前にちょっとトリップしたことがあるが、そこから得た結論は「なかった」。結論のない世界が、当ブログにおける「ホツマ」の世界であると心得ておくことにする。

 1版でも担当者として、名前だけ紹介されているが、2版においては著者名となる。取材執筆したのは1962年生まれの野村哲郎記者である。1990年当時28歳。若いと言えば、あまりにも若い。だから、正直に言って、文章に深みがない。

 資料の使い方や、記事の書き方は、一般地方紙に掲載されるわけだから、それなりのバランスは取れている。しかしながら、日高見は北上川周辺のことである、という以外には、なんら論及されていない。なにをもって「日高見」の「時代」というのか。すくなくとも、今、当ブログが突入しようとしている世界とは、はなはだ異にする趣向である。

 そしてまた29歳の記者が20年を経て、48歳になって見れば、またこの書において展開されたものの「不足」も感じることであろう。だが、大きな改訂もなく、2010年(3・11の前年)に出版されている。書物はそれはそれでいいとして、それを受ける世のなかというのはどんなものだろうか。

 1990年では、なにかかなり先駆的なものを感じて拒否感をもった読者もあっただろうし、ようやく2010年になって、この本の趣向を理解した読者もいたに違いない。しかし、やはり時は移り変わっている。

 アラハバキ、ヒタカミ、ホツマ、について、当ブログでは、あえて漢字を当てないばかりか、一般に語られている「歴史的」事実としての考証を求めず、あえて、ひとつの表象として、ラベルとして借りて、時代を超えて、この地球上に生きたスピリットたちの、その意識を追いかけることとする。

 当ブログ、現在はカテゴリ名「ESJ47」で走っているが、この辺あたりから、石川裕人の戯曲の名に借りて、「時の葦舟」と改題することとする。

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2013/12/05

「原子炉時限爆弾」 大地震におびえる日本列島<3> 広瀬隆

<2>よりつづく

【送料無料】原子炉時限爆弾
「原子炉時限爆弾」 大地震におびえる日本列島<3>
広瀬隆 2010/08 ダイヤモンド社 単行本 308p

 当ブログ選定「3・11三大予言書」のひとつ。今回、他の「赤本」飯沼勇義「仙台平野の歴史津波」、「黒本」NHKスペシャル「巨大地震」と並べて、こちらの「黄本」も再読してみた。

 読みなおしてみて、3・11東日本大震災の「予言書」としては、すこし不足していると思った。随所に、地震、津波、原発の負の連鎖が書いてあり、東日本や福島原発にも触れてはいるが、むしろ、その原発の中心は西日本や中部日本以南に偏っているようでもある。

 しかしながら、逆に考えると、それらの地域にとっては、この「予言書」はそのまま、予言書として生き残っている、ということになる。3・11をにらみながら、はてさて、次なるはどこか、という悪夢のような負の連鎖が、ここには描き出されている。

 NHKスペシャル「巨大地震」のディレクターは、反省している。

 私たちは、本当に”警鐘”を鳴らしえていたのか。1000年に一度の巨大地震の存在を知りながら、どこまで本気で伝えられていたのか。あのとき、なぜ貞観地震をもっと深く掘り下げてメッセージを発信できなかったのか。地震のあと自問した。「巨大地震」2012/08 NHK出版)p181梅岡宏「あとがきにかえて」

 そもそも、八百屋お七の江戸時代なら、放火をすることも死罪に値する重罪であったが、いたずらに「警鐘を鳴らす」ことも、同じくらいの死罪に値するほどの重罪であった。簡単に警鐘を鳴らしてはいけない。絶対的確信があってこその警鐘なのである。

 すくなくとも、NHKディレクターには、死罪を覚悟するほどの「確信」はなかったが、広瀬隆には、「死罪」をものともしない蛮勇が潜んでいた、ということになる。飯沼勇義に至っては、自らの「確信」を通り越して、「実証」せんがために、わざわざ最も危険な沿岸部に居を構え、からがら命は取り留めたものの、「見事」津波被災して、その潔い「生きざま」を提示した。

 一連の広瀬隆の出版物は、ともすれば「死罪」に匹敵するような「警鐘」である。「良識」派は、このような人物を敬して遠ざけてしまう。それも無理はない、と私は思う。私もそうだからだ。同じ反原発でも、ちょっとトーンを押さえた「超確信派」小出裕章の一連の著作のほうが、おちついて読むことはできる。

 もし3・11がなかったら、広瀬隆はトンデモ本を書くSF作家の一人と見られても、仕方なかったかもしれない。現実に、飯沼勇義は、ほぼ100%「仙台平野の巨大津波」を予言していたにも関わらず、16年間、無視されていた。(私なぞは、その存在もまったく知らなかった。)

 3・11があった「おかげ」で、飯沼勇義も広瀬隆も「死罪」になることもなかったし、トンデモ本に分類されることもなくなった。いやむしろ、彼らに学ばなくては、誰に、何を、学ぶというのか、という風の移り変わりである。

 これらの「まつろわぬ」人々の反逆のスピリットをまなばなくてはならない。

 NHKスペシャルのディレクターには、この「反逆のスピリット」が不足していた。公共放送の「良識」的社会人という「まつろう」人に、真実の「予言」はできない。死罪を覚悟した「警鐘」など、叩けるわけがない。

 本来、報道界の人間の頭が悪いということは考えられない。あなたたちは、この問題について「自分で真剣に調べたことがない」だけではないのですか。ならば、みなさんが考え始めれば、きっと、本書と同じ結論に到達するものと信じている。

 その時、原子力の危険性について、報道したり批判するだけで満足しないでいただきたい。原子力とは、原子炉の運転が止まるまで危険なのである。批判しても、原子炉が動いていれば、結果として、何の意味もないことである。原子炉を止めるまで、私たちの危険は去らないからである。私はこう訪ねたい。

 日本人は、なぜ死に急ぐのか?

 いま必要なことは、地下激動する日本列島に住むすべての人が、原発の耐震性の議論に参加することである。国民すべて、赤児から高齢者まで、男女を問わず、誰もが一瞬で人生を奪われる被害者になる可能性を持っているのだから、「原子力についてよく知っている」と自負する人間に任せないで、自分の手で調べて、自らの頭を使って考えるべきである。

 ここまで原子力発電所を大地震の脅威にさらしてきたのは、この「原子力についてよく知っている」人間たちなのだから、その人間たちに任せてはいけない。まさに醜議員(ママ)・惨議員(ママ)と呼ばれるべき政治屋たちが、これまで一体何をしてきたというのだ。

 今は「原子炉廃止法案」が国会に提出され、直ちに原発震災の危機から国民を救うべき時なのである(後略)2010年8月6日 広瀬隆 p283「電力会社へのあとがき」

 痛みいる。

 この本、役目は終わっていない。いまだに警鐘を鳴らし続ける「巨大予言」本である。精読すべし。して、行動すべし。

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2013/12/04

解き明かされる日本最古の歴史津波」 飯沼勇義 <5>

<4>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <5>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

 千貫神社(せんがんじんじゃ) 宮城県岩沼市

 古代歴史津波のひとつが起きた時に、沖にでていた舟が流され、内陸部の松の木に引っ掛かったという。その神社がこの千貫神社。名前の由来は、後年伊達政宗がここの松の木を切って建築の材料にしようとしたところ、石巻の漁師たちが、ここの松は航海の目印になるので、切らないでくれと、政宗に、千貫の金品を差し出したという。

 飯沼史観では、この神社もまた大切なスポットとなる。

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 へぇ~、そんな神社どこにあるんだろう、とウロウロしたが、なんだ、いつも通っている道の直ぐ裏側じゃないか。ましてや、すぐ近くにお得意さんの家がある。私みたいな節穴には、こんな立派な社殿が、いつもはまったく目に入らないのだ。

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 門がまえも立派、旗立も立派、車のお祓い場もあるようだから、普段から立派に「営業」している神社のようだ。

3
 古式ゆかしそうな石柱に「千貫神社」の文字が見える。

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 例によって、参道の石段が何百か続く。枯れ葉が落ち、ほのかに松の木の匂いすら感じられる。

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 ようやく頂上が見えてきた。しかし・・・・

6
 そこにあるのは、大きなお社ではなくて、石碑や小さな祠だけ。すぐ後ろは、近年の開発でゴルフ練習場になっている。

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ふと振り返れば、素晴らしい眺めである。木々が繁って見えにくいが、実は、木の間から、太平洋から阿武隈川、蔵王連峰まで、眺めることができる。ちょうど半島のように突き出しているスポットである。

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 ちょうど、上の写真の反対側のゴルフ練習場入口付近からの撮影。ぎりぎりまで削り取られている。

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頂上には社がないので、何の活動もしていないのではなく、下の門のわきには立派な社殿があり、役職の人の住まいにもなっているようだ。

 伝説では、ここまで津波が駆けあがってきたということになっているが、この地に立ってみると、なるほど、太平洋から阿武隈川伝いに津波が来た、というのは本当かも知れない、と納得する。

 ところで、武隈館、ってどこだ・・・?

<6>につづく

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「なとりの伝説と造物Ⅱ」 増田・舘腰編 氏家重男 <1>

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「なとりの伝説と造物Ⅱ」 増田・舘腰編 <1>
氏家重男 1999/07 名取市郷土史研究会「ふれあい」 ハードカバー p179 巻末資料あり 名取図書館所蔵
Total No.3124★★★★★

 その昔、源義家が安部貞任を攻めたとき、樽水の大館より射た矢が上余田まで飛んで来て突き刺さった所を「矢塚」と呼び、矢が飛び越えた橋を「矢越の橋」と云うのだそうだ。

 そこには合戦で義家に降伏した安部氏の一族が鎧や武器などを埋めた七ツの塚があり「七島」と云われたという。上余田の七島集落裏の水田の中に15メートル程の間隔で、七基の塚が東西に並んでいる。昔は円い塚だったが水田の耕作で次第に削られて、痩せた紡錘形になったのだという。 

 七ツの塚は戦後まで存在したが、国道4号線のバイパス工事で二基が姿を消し、その後一基が住宅建設で崩壊したと里人が話す。七ツの塚の西端の塚に観音様が祀られ「七島観音」といわれる。

 現在、周辺一体は宅地開発が行なわれて残りの塚も消滅してしまったが、数年前に名取市教育委員会が七島の発掘調査を行った。その結果は伝説の鎧や武器を埋蔵した跡は認められなかったが、古墳時代末期頃の円墳と考えられる遺跡が発掘された。

 名取郡内には「前九年の役」や「後三年の役」で戦場になったとする伝説の場所が数多く残っているが、上余田の七島は前九年の役や後三年の役とは関係がなさそうである。p91「矢越の橋と七島の伝説」

 この話は、私が20代の頃、隣のお婆さんに聞いた話とほとんど同じか、著者もまた、このお婆さんから聞いたものと思われる。ただ、当時はすでに紡錘形になっていたので、運搬用の木船をかぶせて逃亡した、という説にそれなりの説得力があった。

 しかし、飯沼勇義の一連の本を読んで、なるほど、あれは円墳であったか、と思い直していた。これに似た塚は、名取一体、下余田や四郎丸、あるいは小塚原(その名もそのままだ)などと、同列のモノかと推測できる。

 矢を飛ばしたのは、同じ方向ではあるが、高館の山の上から、ということになっていた。高さは1m2~30センチもあったのだろうか。4~5歳の頃に、兄弟と遊んだ記憶がある。七つの塚はそれぞれに田んぼを区切る畦畔(けいはん)の一部となっていた。なるほど、もともとは円い円錐だったが、だんだん舟をかぶせたような細長いものになってしまった、という話もうなづける。

 ここで、この塚が七つの島と呼ばれていることに、この周辺が湿地帯であって、移動に木舟を使っていた、というイメージと繋がるところがある。

 20代初半の私がこの話を聞いた時のメモがどこかに残っているはずだが、どうも、この前九年の役、後三年の役、と、安部一族の話が、うまく繋がっているようでもあり、どこかつぎはぎのようでもあるような気がしていた。

 以前、「上余田の七島は前九年の役や後三年の役とは関係がなさそうである」という文章を読んで、ちょっと残念な気がしたが、今回あらためてこの書を開いて、むしろ、これは面白いな、という気がした。

 前九年の役(1051~1062年)、後三年の役(1083~1087年)に比較して、「古墳時代末期頃の円墳と考えられる遺跡」とすれば、これは、さらに3~400年古い遺跡ということになるだろう。

 ひょっとすると、飯沼勇義史観いうところの690年頃の「仙台沿岸津波」あたりと、ダブってくる可能性がある。少なくともその時の津波ではこの塚は煙滅しなかったということになる。

 ところで、今回この著者の名前を読んで、ひょっとすると思うところがある。1976年頃、自宅でひとり留守番している時に、地元の郷土史家が訪ねてきて、家神様について聞かれたことがあった。あの時の人が確か閖上の「氏家」さんだった。同一人物である可能性があるかも知れない。

 あの時、名刺をもらったのだが、この人の名刺は、名刺大に切った和紙にゴムスタンプで名前を押したものだった。氏家さん、という名前は覚えているのだが、その下を良く覚えていないのは、実は、この名刺、話しているうちに、机の上のお茶がこぼれて、滲んでしまい、名前や住所が見えなくなってしまったからだった。

 何百年も、千年も昔のことを調べている人が、自分の名前は、わずか数時間で消えてしま うような名刺を使っているのか、と、客人が帰られたあと、ひとり大笑いしたことがあった。

 失礼ながら、そんなことを思い出した。別人であれば、ごめんなさい。

<2>につづく

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シリーズ<捨てるに捨てられないモノ>その1 縄文遮光土偶フィギュア「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」<5> 

<4>よりつづく


「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」 <4>
リズ・ダベンポ-ト/平石律子 2002/09 草思社 単行本 222p

 リズ・ダベンボードはそういうけれど、片づければ片づけるほど、捨てられないモノがでてくる。いずれ捨てることになるかもしれないが、出てきたものたちを、すこしづつ記録として残しておく。

シリーズ<捨てるに捨てられないモノ>その1 縄文遮光土偶フィギュア

4

 たしか20年ほど前、奥松島にある「奥松島縄文村歴史資料館」の売店で求めたもの。大きさは25センチほどあり、デザインはデフォルメされていて、なかなか可愛い。この遮光土偶、今から6~7年ほど前に、地震があって、本箱から落ちて、頭部が壊れてしまった。

 焼き物だから、壊れやすいし、それも命かな、と思って、そのままにしておいた。いずれ捨てる機会をうかがっていたのだが、なかなかそうはいかない。

 そうしているうちに、遮光土偶って、そう言えば、殆どが完全な形で発掘されることはなく、どこかが壊されてでてくる、という話を聞いた。

 なるほど、このお土産用の土偶は、ある意味「完全」である。どこも壊れていなかった。ところが、地震で壊れたとあっては、むしろ、これで「本物」になったのではないか、と、むしろ、以前より、大事に思うようになった。

 壊れたところは接着剤で修復して、いつもベッドサイドに鎮座してくれている。本来は、最近の画像を貼り付けようと思ったのだが、こちらの画像もまた、捨てようと思っていたフロッピー・ディスクに残っていたもの。だから、壊れる前の状態である。

 最近、当ブログは、いきなり、アラハバキ、ヒタカミ、ホツマの世界に突入しようとしている。どんな展開になるやら今のところ不明だが、この土偶が静かに見守ってくれているように思う。愛称、ホツマ君とでもつけて、これからも可愛がることにする。

 当資料館においては3・11で大きな被害を受けたと聞いている。何にもお手伝いできないが、こころより早い復興をお祈り申し上げます。

<6>につづく

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NHKスペシャル 「MEGAQUAKE II 」巨大地震 日本列島“大変動期" 最悪のシナリオに備えろ


日本列島“大変動期" 最悪のシナリオに備えろ
NHK取材班 2012/08 NHK出版 単行本 (ソフトカバー): 188ページ
Total No.3123★★★★☆

 3・11以前に出された本の中における、当ブログが「3・11三大予言書」と名付けたところの、赤本「仙台平野の歴史津波」(飯沼勇義1995)、黄本「原子炉時限爆弾」大地震におびえる日本列島(広瀬隆2010)、とならぶ、黒本「MEGAQUAKE」 巨大地震―あなたの大切な人を守り抜くために!(NHKスペシャル2010)の後続本である。

 2011年の3・11を挟んでの、その結末を見たうえでの続刊なので、当然のごとく、その見かたは深化している。

 私たちは、本当に”警鐘”を鳴らしえていたのか。1000年に一度の巨大地震の存在を知りながら、どこまで本気で伝えられていたのか。あのとき、なぜ貞観地震をもっと深く掘り下げてメッセージを発信できなかったのか。地震のあと自問した。

 1000年に一度と何度も繰り返しながら、何となく、近い将来の現実とは受け止めていなかったのではないか。確かに巨大地震は起きたが、それは50年後だったかもしれないし、100年後だったかも知れない。100年に一度、数百年に一度というような、不確かではあるが避けられない未来のリスクをどう受け入れればいいのか。ただ、「想定外」と言いのがれることはできない、そのことだけが確かだった。p181梅岡宏「あとがきにかえて」

 未来を正確に読むことは誰にもできない。地球時点や星の動きなら、ある程度の正確さで予知することは可能である。しかし、地震や津波に至っては、「正確」なことは予知できない。調査や研究から、その周期性、危険性、回避可能性などは推測できるが、誰もが、それを正確に受け止めることはできない。

 それに比して、飯沼勇義や広瀬隆のような人の「警鐘」の鳴らし方は、半端じゃない。ある意味、「取りつかれた」かのような、なかば「狂人」とさえ思われてしまうような「直感」がなければ、あれほどの「警鐘」を叩くことはできない。

 「想定外は二度と起こしてはいけないということです。東日本大震災を受けて、最大限、利用できるあらゆるデータを使って計算しないといけない」p085「想定外を想定せよ 浮かび上がる最悪のシナリオ」

 この本においては、東日本に限れば、400年前の慶長津波地震と、1300年前の貞観津波地震に焦点を合わせている。数十年に一度、数百年に一度とか、時には1000年に一度、という「周期」を想定したとしても、例えば一万年に一度とか、一億年に一度の「周期」など、人間の知覚では、捉えることはできないだろう。常に想定外は起こる可能性はあるのだ。

 「天災」としての「地震」は、これは「地球」本来の自然な活動なのだから、地震がある地球の上に生きていることを常に意識していくしかない。しかし、「地災」としての「津波」は、「忘れた頃にやってくる」ようになっているのだから、忘れないようにし、またやってきたとしてもその被害を最大限に無化する対策を常に講じておかなければならない。

 「人災」としての「原発」事故は、完全に防ぐことができる。原発をつくらず、原発に頼る生き方を変えればいいのだ(いまでは廃棄物の処理問題で、もはやそうとも言い切れなくなってはいるが)。原発の安全神話は延長できる。原発ゼロを実現するだけでいい。

 私たちは、このNHKスペシャルに、過大な期待をしてはいけない。敢えて「MEGAQUAKE 巨大地震」とタイトルを打つならj、単にテーマを天災である「地震」に限定し、現代の研究成果を「報道」することに徹すればいいだろう。ジャーナリズムなんて、せいぜい、その程度のものではないか。

 いやいや、「地震」にともなう「津波」があるだろうと、おっしゃるかもしれない。でも、それは、もはやあなたがたの手にあまる。もし、なんとか「警鐘」を鳴らすことができたかもしれないと、「自負」するなら、完全に「予言」できる「原発」を告発することが大切だ。まず、それをこのシリーズのなかでやらなければならない。

 今回の3・11の大きな問題の一つは「原発」である。しかるに、この本、3・11後においての「反省本」であるにも関わらず、「原発」の文字はない。それは責任回避というより、まったくの偽善であると、私なら思う。いいカッコしようとしたって、やはり、限界があり、せいぜいがこの程度なのだ。

 このシリーズはDVDで映像で見ることができる。 

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2013/12/03

「郡山遺跡」 飛鳥時代の陸奥国府跡 長島榮一<7>

<6>よりつづく

長島榮一  2009/02 同成社 全集・双書 185p

 この書、飯沼勇義の新刊「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)を読み進めるにあたって、ふたたびみたび再読することになった。再読というよりいまや常備本である。

 横穴墓や窯跡、土器、瓦などの研究成果の統合が必要であり、考古学の共同作業が今後も欠かすことができないと言える。本章は、発掘調査が開始されて30年をまもなく迎える時期に、これまで明らかになった成果を調査者の視点でまとめてみたものである。p159「郡山遺跡と多賀城」

 窯跡や土器、瓦などはともかくとして、横穴墓に、奇妙に惹かれた自分がいる。それは、2013年04月に仙台市・地底の森ミュージアムで開催された「名取川と広瀬川ぞいの横穴墓」ー黄泉国(よみのくに)からのメッセージ展で、まさに目から鱗が落ちるような感動とともに、大いなる直感に繋がった。

 しかし、この郡山国府跡が7世紀末の「仙台沿岸津波」で流出したとする飯沼史観と、学術的な考古学的調査とは、まだ直接には繋がっていない。

 郡山遺跡は地表から60センチから1メートル掘ると、黄褐色の粘土質シルト層が出てくる。すべての地点で同じではないが、6、7割はそのようである。p18「集落の形成」

 今年25年3月に隣接デパートのイベント会場で行われた「国史跡郡山遺跡-みちのくの源流を訪ねて-」 (被災ミュージアム再興事業)において、直接、その調査にあたった調査員に、飯沼史観や郡山遺跡終末の謎について、質問したことがあった。

 調査員は、津波終末説に対しては否定的であった。まず、第一に津波で運ばれてきた砂層がないこと。そして第Ⅰ期官衙の北辺がいまだに不明なのは、津波や洪水で流失したのではないか、という私の質問に対しては、そもそも北辺の調査が、住居問題などで進んでないことが第一の原因とした。そして、万が一、洪水や津波の可能性があるのであれば、大きな石などの散乱が見られるはずだが、それもまだ確認されていない、ということだった。

 また、遺跡と隣接する広瀬川南岸の土手についても、説明を受けたが、公演後の雑踏の中での立ち話だったので、詳しい説明を聴き損ねた。いずれにせよ、郡山遺跡についての飯沼史観は、今だ一般的でないことは、明確に留意しておかなければならない。

 660~690年 仙台沿岸津波 西暦724年多賀城国府建設。この国府建設の約50年前、名取、広瀬両河合流地点付近に国府と思われる仙台郡山官衙が造られた。しかし、大規模津波のため流出。ここで緊急の武隈館をつくる。飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」p41「歴史津波時代の仙台平野の歴史津波」

 ここにおいて飯沼は、第Ⅰ期と第Ⅱの間に、岩沼千貫地域に「武隈館」と設置したとするが、この信憑性もいかほどのものか。第Ⅰ期と第Ⅱ期の期間にわたって、建設の続いていた可能性のある郡山廃寺が、残っていたのだから、完璧にこの施設を津波が襲って流失させたとするには無理がありそうだ。

 ところで、この粘土質シルト層とは何か。一連の飯沼著書の中にもその表現があったような記憶があるのだが、今は見つからない。気になる部分を転記しておく。

 泥炭層、黒泥層は、次の「土壌の状態」で知ることができるが、別称、「スクモ」といわれ、その生成いついて次のように土壌分析している。「スクモ」は、芦、萱草類、菰(まこも)草類等の野性の草類が、、水溜り、沼、湖のような湿地帯などに生息し、それが枯れ、又繁茂・・・・という具合に、長い年月に亘って、次第に堆積され風化を伴って出来た土壌のことであるのです。飯沼勇義「知られざる中世の仙台地方」p18

 この文章は、ほぼ同内容が「仙台平野の歴史津波」p163にも書いてある。

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 ここまで書いてきて、今回再読して感じたことは、他にも沢山あって書ききれない。いずれ、順を追ってメモしていくことにする。とにかく、今回感じたことは、一連の飯沼史観、とりわけ、いわゆる「ホツマ」の神秘の世界に再再突入するにあたっては、つねに、こちらの書のように、科学的な視点での再検証が常に必要である、ということだ。

 しかしながら、余りにも旧態に遇するあまり、可能性の範囲を狭めてしまってはいけないのは勿論である。人間にそれぞれ与えられた自由な想像力は、大空を高く飛翔しなければならない。

 概説的な歴史を学ぶと足元の歴史もイコールに考えがちになる。しかし、それぞれの地に個性があり、概説的な歴史とは違った側面があるはずである。その多様性を探求していくのが歴史学であり、地方史あるいは郷土史の意義なのではないだろうか。p170長島榮一「ヴァリエーション 郡山遺跡からの問い」

 実に柔らかい感性で、時にはハードな遺跡発掘というフィールドワークに永年携わる著者の言には、常に説得力がある。

 発掘調査の現場では、ふと立ち止まることや、驚きとともに呆然と立ち尽くすことがある。ささやかな感動から、雄大な感動まで足を止めるのである。それが過去と向き合うことであり、過去を問うことに繋がる。そうなると自然に心も有意義な問というものができるのではないだろうか。決して無意味な休止ではない。問の闇を大切にしたい。 

 これは今を問う感性であり、未来を作る基礎となっていく。歴史と向き合うことから多くの人々が自らのヴァリエーションを奏じる道を歩んでほしいものである。p171長島榮一「同上」

 同感である。

<8>につづく

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2013/12/02

飯沼勇義「知られざる中世の仙台地方」<2> 

<1>よりつづく

 

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「知られざる中世の仙台地方」
 
<2>
飯沼勇義 1986/11 宝文堂 単行本 300p

 

 前回この本に目を通したのは、3・11東日本大震災の半年後、図書館で、いわゆる「赤本」こと「仙台平野の歴史津波」(1995/09 宝文堂)を見つけ、同じ著者の本として読んだのだった。当時は、「津波」を追いかけていたので、あまり津波についての記述がないこの本は、興味は魅かれるもの、どうもタイミングじゃない、と後回しになってしまったのだった。

 

 今回あらためて、この本に目を通し、やはり、飯沼勇義という人は、決して、津波研究家でも、「津波研究に生涯を賭けた」人でもないと思う。

 

 本書の書きだしは、昭和26年4月から取り組み、当初、仙台・六郷地域の史書著述を目的として研究調査に当たりました。当時、藩政時代の「六郷」に焦点を合わせて資料の蒐集と考証を試みたら、六郷の中の「二木」の存在が大きな課題となって史実究明の鍵となってきたことが分かり、漸く、草の根をわける多面的な考証を積み重ねていったら、二木→三本塚→藤塚、即ち、土師塚郷という大きな郷が、古代末期から中世期を通じて、仙台地方の中で大きな役割を果たしていたことが分かりました。p200「おわりに」

 

 昭和26年から、ということだから、1930(昭和5)年生まれのこの方21歳の時からである。師範学校を卒業後、この地方の教員をしながら、たしかPTAの資料作りで、郷土の歴史を調べようということになったようだ。それから幾星霜、仕事を十回変えたということだが、内容はよくわからない。時には、洋品の行商のようなこともやったようでもあるし、近年では、フルボ酸鉄の「特許肥料」の販売を手掛けているようでもある。

 

 いずれにせよ、ちょっとしたきっかけが、結局は、「仙台地方の歴史津波」を浮き掘りにすることになり、ひいては、3・11東日本大震災の「大予言」に繋がってしまった、ということである。

 

 仙台地方の中世史を著述するということは、古代の仙台地方を知るということからはじめられるのであるが、ここでは、特に仙台地方の条理制を具体的に研究したうえで、仙台郡山政庁、広瀬、名取川、古代から中世の土師塚郷との関係を考証していったら、何かしら大きな史実を見え出せたのではないかとも考えた。

 

 しかし、今回、仙台地方の中世史の一分野という著述のため、古代仙台の条理制の具体的な考証は、一応、回避させて頂き、あくまでも仙台地方の近世史への礎としての中世史の一考察としてこのような著述にしたのであります。p201「同上」

 

 この書から9年目にいわゆる「赤本」がでるのであり、その間にさまざまな研究成果があがったであろうが、1995年の阪神淡路大震災の発生を受けて、その「成果」は、仙台地方にも、巨大地震と巨大津波が迫っている、という警鐘となったのである。歴史学者というより、すでに宗教家の域に達しておられたような雰囲気がある。

 

 いずれにせよ、著者の著書「仙台近郊の歷史資料 第一報」(地域社会研究会刊)は 1953(昭和28)年に発行されており、地域の図書館に所蔵されている。残念ながら館外持ち出し禁止なので未だ拝読していないが、いずれ近日中に読ませていただく予定。

 

 そして、すでにこの「知られざる中世の仙台地方」を発行された時には、56歳になられていたわけであるが、この時点でもすでに「古代の仙台地方」についても、あらかた研究は進んでおられたのであろう。その成果は、今回の「解き明かさる日本最古の歴史津波」2013/03 鳥影社)にも確実に反映されたものと思われる。

 

 そこに大きく浮上してきたのは、「津波」と、そして荒脛巾、日高見、秀真伝の、一連の「ホツマ」である。次回、この方の著書を拝読できるのであれば、この「ホツマ」に大きく的を絞った一冊をお願いしたいものである。すでに高齢の方である。どうぞ、健康に留意されて、地域の後続の指導にあたっていただきたいものだ。

 

 いや、地域限定といわず、地球全体のスピリチュアリティについて語りつくしていただきたいものだ。

 

 なにはともあれ、込められたエネルギーがはちきれんばかりに飛び出してくる一冊である。

<3>につづく

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2013/12/01

NHKスペシャル MEGAQUAKE 巨大地震―あなたの大切な人を守り抜くために!<3>

<2>よりつづく

NHKスペシャル MEGAQUAKE巨大地震―あなたの大切な人を守り抜くために!
「NHKスペシャル MEGAQUAKE巨大地震」 ―あなたの大切な人を守り抜くために! <3>
NHKスペシャル取材班 (編集), 2010/02 主婦と生活社ライフプラス編集部 単行本: 95p

 3・11東日本大震災が発生するちょうど一年前に発行された本ではあるが、私が手にしたのは3・11の半年後の、図書館もようやく被災から立ち上がろうとしていた時期になってからであった。

 予言本の類は、世に数多あれど、巨大地震について、天下のNHKが、しかも、ちょうど一年前というタイミングで、ほぼ完全に「予言」していたことには驚いた。

 テレビ放映当時、私は、このような番組に目を向けないばかりか、テレビもあまり見ないような生活をしていた。よもや、偶然にこの番組を見ることができたとしても、本当に自分のこととして考えることはできただろうか。

Photo  私は震災後、この本を「黒本」となずけ、赤本「仙台平野の歴史津波」(飯沼勇義1995)、黄本「原子炉時限爆弾」(広瀬隆2010)と並べて三大予言書として、畏敬の念でながめてきた。三冊とも、科学的なデータに裏打ちされた警告の書である。

 飯沼勇義、あるいは広瀬隆の、鬼気迫るド迫力に比べれば、今となっては、このNHKスペシャル編集本は、おとなし目とさえ言える。ハードカバーでアート紙に沢山のカラー写真が掲載された豪華本なのに、20ページ程、白黒ページで、寺田寅彦「天災と国防」の文章がそのまま引用されているのは、驚く。

 当ブログでは、便宜上、天災=地震、地災=津波、人災=原発、と、分けて考えてきた。スケールで言えば、津波の被害は計り知れないほど大きい。俗に、地震かみなり火事おやじ、というが、地震よりもl怖いのは津波であろうとされる。

 しかるに、地震は日常的に頻繁に大小発生し続けているのに対し、津波は、回数では少なく、注意深く観察されれば、一定程度の周期性を持っているようだ。だから、いつ起こるか分からない地震に比較すれば、避けることはできないにせよ、常に心掛け、準備することによって、津波の被害は、かなり小さくすることができる可能性があるようだ。

 津波はまさに寺田寅彦がいうように「忘れた頃にやってくる」のである。

 このNHKスペシャルは、国際共同制作であったため、一定程度の制作上の制約があったようだが、巨大地震ばかりを取り上げているわけではなく、当然に津波も取り上げている。津波を、心から畏怖するほどの説得力は、今となって考えてみれば、ちょっと少ないようだ。

 このシリーズ、震災後の2012/08に「MEGAQUAKE(巨大地震)Ⅱ 日本列島”大変動期”最悪のシナリオに備えろ」(NHK出版)として、継続されている。

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OSHO 「Joy 喜び」 山川紘矢& 山川亜希子(翻訳)  角川書店刊<3>

<2>よりつづく

Joy2


OSHO 2013/10 (著), 山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳) 角川書店 単行本: 255p

 ようやく読み終わった。ずいぶん時間がかかってしまったが、仕方ない。Oshoの本を読む時は、いつもこんな調子だ。読みかけてから何年もたつのに、まだ読み終えていない本が何冊もある。いつもこんな感じだ。

 Oshoは私にとっては、「読書」の対象ではない。通常の本なら、一気に読んでしまって、その内容を把握し、時には再読し、気にいったところをメモし、分からないところには付箋を貼り、あとは、次の本に移る、というサイクルを繰り返す。

 しかしながら、Oshoの本は、なにか知識を得るために読むわけでもなく、また、目新しいことが書いてあるわけでもない。読み始めてしまえば、いつものOsho節だ。手を変え品を変え、Oshoは同じことを何回も繰り返す。

 正確には同じ言葉ではない。最終的に指さしている方向にある「月」はひとつのものだろうが、その指差し方が、毎回趣向を凝らしてあるのだ。だから、一回読んでしまえば、「月」がわかるのだろうが、いつの間にか見失ってしまう。だからまた、Oshoの指が気になってくる、というサイクルだ。

 この本、編集本だし、特に明記もされていないので、何処からどのように集められた一冊なのかはわからない。初めて読む読者なら、そんなことは気にならないだろうし、ある意味、この本の中に、なにか哲学的な整合性を求めてしまうかもしれない。

 しかし私は、Oshoは哲学ではない、ということを知っている。彼に論理的な整合性はない。だから小さな部分では、この本ではこう言っていたけど、別な本では、また別な言い方をしている場合がかなりある。ようは、言葉ではいえない「月」を、言葉で表現しているからだ。

 そしていつまでも言葉を必要とする自分がいて、あ、またやってしまった、と、そこから離れて、自分の「月」を見るのだ。そうすると、「読書」は中断され、「本」は忘れられて、ひとまず中断、ということになる。

 しかるに、今回のように、あちこち「歩き回ってくると」、いろいろと「毒素」が体に回ってくる。こんな時だ。そろそろ、Oshoを読んでチューニングしなければ、と思うのは。

 楽しみながら、大事にしながら、Oshoを味わう。私は幸せだ。こういうマスターを持っている。

I  LOVE OSHO! THANK YOU OSHO !

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「仙台平野の歴史津波」 飯沼勇義 <8>

<7>よりつづく

Hukkoku
「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う!<8> 
飯沼 勇義 (著) 復刻版 2011/09 本田印刷出版部 単行本 p234

 いやはや、何度読んでも、とてつもない本である。読みだすと、途中で止めることができない。最期まで目を通さざるを得なくなる。

 津波研究に生涯をかけた歴史学者による、大災害を予言した「赤本」待望の復刻! 16年前に知事・市長へ陳情していた津波防災提言のすべて 復刻版表紙コピー

 まさにこの通りの内容であるが、このコピーにはすこし誇張があるようにも思える。著者を「津波研究に生涯をかけた歴史学者」としてしまうのは、少し走りすぎではないだろうか。著者56歳の時に発行した「知られざる中世の仙台地方」(1986/11 宝文堂)では、かならずしも津波については語られてはいない。

 むしろ、津波について集中して研究するようになったのは、この直後であろうと思われる。それまでは、いわゆる郷土史家のような、地元の歴史研究家のような存在であったあろう。その表題のとおり、著者の出身地であり、著者の住む、仙台平野、仙台地方がメインテーマであっただろう。

 当ブログまだ未読であるが、図書館を見ると、1953年刊「仙台近郊の歷史資料 第一報」(地域社会研究会刊)がある。著者23歳の時の出版である。ページ数は29pと小さなものではあるが、当時から活動していたことがこれでもはっきりする。しかし、テーマは「仙台」であり、「地域社会」である。 

 その彼が、愛する地域社会の歴史を研究すればするほど明確になってきたのが、愛すべき地域を歴史上くりかえし襲ってきた「巨大津波」の存在であった。三陸地方の「常襲地帯」ではなく、何百年間という「空白期」を持つ、「さらに危険な地域」であることを、発見してしまったのだった。

 それを知らせるべく、阪神淡路大震災の惨状を見ながら、1995年に警鐘を鳴らしたのがこの「赤本」である。大震災を「予言」したのは事実であるが、そのことだけを持って、著者を評するのは、片手おちである。

 彼の研究の基礎には、人々に対する「愛」がある。慈悲心だ。自未得渡先渡他。自ら渡る前に、まず他者を助けようという菩薩道である。

 この赤本には、不思議と「ホツマ」の文字はひとことも書いていない。震災後の「3・11その日を忘れない。」(2011/6 鳥影社)になると、かなり明確に「ホツマ」について述べられており、震災2年を経過して発行された「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)になると、かなり明確に「ホツマ」を打ち出している。いや、むしろ、「ホツマ」本と言っていいくらい、かなり強烈な色彩となる。

 だから、ここで「津波研究に生涯をかけた歴史学者」と、著者を呼ぶことには躊躇せざるを得ない。著者はむしろ、真実を生きようとする反逆者のひとりなのだ。地域も、歴史も、津波も、やがては「ホツマ」に繋がっていく。

 当ブログとしては、荒脛巾(アラハバキ)や、日高見(ヒタカミ)、秀真伝(ホツマツタエ)、などの一連を、煩雑さを避けるため、ここではまだ「ホツマ」と呼称しておく。実際は、これから、この分野に、ナビゲーターとしての著者を足がかりとして、突入していく準備を調えているところなのだ。

 著者はまさに、左脳と右脳が合体したような、全体的な人だ。科学者であり、表現者であり、また、神秘を見ることのできる「予言者」でもある。一つの津波を予測するのは、彼にとっては「科学」である。

 しかるにそれを、多くに愛すべき人々に伝えようとするのは彼の表現者としての高い芸術性だ。そして、科学、芸術、を超えて、さらに意識や宗教性の神秘にかけのぼることのできる人物なのだ。

 そもそもそういう資質のある方なのであろうし、また、その資質を、自らの精進によって、コテコテに磨きあげて方、とお見受けする。とてつもないオーラをもった方である。

 これから当ブログで検証していきたいところではあるが、著者の研究から「津波」と取ってしまうと、残るのは「ホツマ」である。本来「ホツマ」だけで成立するはずである。

 しかるに、「ホツマ」は、「津波」によって「傍証」されなければならないというパラドックスがある。科学=津波、宗教=ホツマ、の二つをつなぐアートとして、彼は在野の「歴史学者」という生き方を選んだのだ。

 津波は、地獄であり、災害である。できれば避けたい、あって欲しくない。真実は、楽園であり、極楽である、が、得難い。このパラドックス。きれいな蓮の花は、泥の中に根をおろしてこそ、その大輪の花を咲かせるという。

 西暦700年頃にあったとされる「仙台沿岸津波」の時代に、仙台郡山にあった「官衙(かんが)」は、当時の藤原京から見た場合、ちょうど北西45度の位置にあたるという。それだけ、「東北」の「鬼門」とされたのが、この「東北地方」なのだ。

 その「東北地方」が「鬼門」だった所以は、この「津波」にあったかもしれない。牡鹿半島の沖合に浮かぶ金華山沖の太平洋の「海溝」にそれは潜んでいたのかもしれない。そして、それは、土地に棲む人々をも、大いに苦しめてきた。

 その苦しみの中から生まれてきたのが、「ホツマ」だったのかもしれない。著者の研究から「津波」を取ったら「ホツマ」しか残らないと思うが、その「ホツマ」は、「津波」あっての真実なのであった。泥なくして、蓮の華は咲かない、のか。あるいは、蓮の華あってこそ、泥の存在意味が高まるのか。

 この復刻版においては、3.11の4ヵ月前に完成していたとされる「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)は、2011年9月刊行予定となっているが、実際にはそれから1年半遅れた。

 震災後、赤本によって見直された著者は、御自ら被災しながらも、各方面からアドバイスを求められて多忙になったこともあるだろうが、実際の3・11を受けて、大幅に加筆訂正したことであろう。

 いずれにせよ、著者は、津波を予言した歴史学者にとどまらない。歴史科学者でありながら、表現力豊かなアーティストであり、愛を持って未来を見通すことができる神秘家でもある。

<9>につづく

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